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第四冊 手帳
真実
しおりを挟む父の台詞に私は凍り付いた。
特に父には絶対に知られたらいけないことだった。だから、どんなに苦しくても誰にも喋らなかった。助けも求めなかった。墓場まで持って行こうと決めていたから。
なのに……父は知っていた。
(どうして!? 誰が喋ったの?)
思い浮かぶのは一人だけだ。
全てを知っていて、こんな悪趣味なことをする人物。一人しかいない。
「…………あの女ね」
まるで何かを呪うような低い低い声だった。
『祐樹。自分の母親をそういう風に言うもんじゃないよ』
嗜める父。だが、否定はしない。
あれほど約束したのに、あの女は父に漏らした。父を貶めて、プライドを踏みにじって高笑いするためだ。絶対にそう。間違いない。あの女はそういう女だ。自分の欲望に忠実で、人を踏み付けることを快感に思う、最低最悪な女。
そんな女と分かっていながらも、約束を交わしたのは私。少しでも期待した私が馬鹿だった。愚かだった。
そんな女を今も庇う父。
それが更なる怒りに火を付けた。
「確かに、私はあの女から生まれたよ。だけど、あの女が母親らしいこと一つでもした? してないよね。私は認めない。自分の子供を、自分の欲望のために売る人間を絶対に親とは認めない」
『……それでも、祐樹の母親だ』
顔を歪め悲しそうな声で父は告げる。
この人はどこまでも純粋な人だ。家神になっても変わらない。どんなに裏切られても、利用されても、最後は消化し許せる。さすがに、葛藤はあると思うけど。
父の強さや純粋さに、私は護られた。
でもね……私には無理。父のようには思えない。至らない。何十年掛かっても絶対に……。それこそ死ぬまでね。
「……父さん。いつ、神楽さんに家神様の話を訊いたの?」
これ以上、分かり得ない話をしても無駄。お互い不愉快になるだけ。特に私が。だから話を逸らせる。
『三年前。神楽さんに声を掛けられたのが切っ掛けだよ』
これ以上言っても駄目だと思ったのか、軽く溜め息を吐いてから、父は静かに語り出した。
「三年前? 私がここに来る一年前に知り合ったの?」
正直驚いた。未成年の子供を預けるくらいだから、もっと前からの知り合いだと思ってた。
『その方面の知り合いは、彼女だけだからね。それに、彼女の人柄は信用出来た。何より、僕との約束を守ってくれた』
「約束?」
『そう、約束。祐樹をあの教団から救う手助けをしてくれた』
(えっ!? まさか、あの教団が潰れたのに、神楽さんが関わってたの!?)
まさかの展開に言葉が出ない。
そんな私を注意深く見詰めながら、父は話を続ける。
『ちょっと違うか。手助けというより、神楽さん本人が潰したって言った方が正しいか……。裏からだけど。どうして、彼女にそんな力があるのか、当時の僕には分からなかった。でも今は、何となくだけど理解出来るよ』
確かに、父さんが言おうとしてることは何となくだけど分かる。
私も神楽書店で働きだして色んな人と知り合ったからね。良い例が高藤さんだ。社会的地位がある人って言えばいいかな。神楽さんのことだから、大勢、そういった人物を知っててもおかしくないよね。だとしたら、
「神楽さんは、私のことを知ってたんだね」
正確に言えば、私の能力を。
霊やあやかしを見る力。見鬼の能力を。
神楽さんは神楽書店を引き継ぐ人物を探してた。
そこで見付けたのが私。
ある教団の教祖をしていた私だった。
だとしても、私一人だと神楽書店を継ぐことは出来ない。もう一人必要だ。
『彼女は知っていたよ。僕が末期の膵臓がんで手の施しようもなかったことを』
神楽さんは私だけでなく、父さんも欲した。
「…………」
『僕の願いは、祐樹をあの教団から救いだすことだった。そして、普通の生活を、幸せを取り戻して欲しかった……。ずっと、それだけを願っていたよ。祐樹が僕の手を放した時から。いや、違うな。祐樹と出会った時からそう願っていたよ』
「……怒ってないの?」
『どうして? 祐樹は僕を護ろうとしてくれたのに』
「でも、傷付けた」
『そうだね。正直傷付いたよ』
(やっぱり……)
胸が痛む。強く締め付けられる。でも、この痛みは私が引き起こしたものだ。
『だって、そうだろ。愛する娘に、そんな道を選ばせてしまった、愚かな父親なんだから』
悲痛な表情を浮かべる父。
「ち、違うから。私が勝手にしたことだから! 父さんはちっとも悪くない!!」
まさか、父さんがそんな風に考えてたなんて思ってもみなかった。だから必死で否定する。父さんは悪くないと。
『僕が弱かったから、祐樹に辛い思いをさせたんだ。一番悪いのは、僕だ』
だけど、父は認めない。
「だったら、何で……あの時私と会ってくれなかったの? 怒ってたからでしょ」
神楽さんと会いに行った時、私を突き放したのは父さん自身だ。
『……すまない、祐樹。どうしても見られたくなかったんだ。痩せ細ってボロボロになった自分を』
悲痛な表情のままそう告白する父に、私はこれ以上何も言えなかった。
父さんは最後まで私のことだけを考えてくれていた。痛くて苦しい筈なのに、私のことだけを気遣ってくれていた。
ずっと……護ってくれてたんだ。私は父の愛情にずっと包まれていた。
胸の奥が熱くなる。
凄く凄く熱い。熱くて苦しい。
込み上げてくる感情は、直ぐに慟哭となって溢れ出した。
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