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第四冊 手帳
勇気
しおりを挟む白さんと一緒に帰って来たけど、やっぱりドアの前で足が止まってしまう。
後一歩の勇気が出せない私の背中を、白さんが押してくれた。
「行ってこい」と。
ぶっきらぼうだけど、温かくて優しい声に励まされて、私はドアに手を掛ける。
「……白さん」
ドアの木目を見ながら、後ろにいる白さんの名前を呼ぶ。
「何だ?」
「ありがとう」
白さんのおかげで勇気が持てた。私一人じゃ、もっと時間が掛かってたよ。
だから、感謝の気持ちを込めて後ろにいる白さんにお礼を言った。何か照れくさかったから、顔を見ながらは言えなかったけどね。
そして今度こそ、ドアを押した。
カランカランと鳴る鐘の音。
店内には朱里様と家神様、ううん、父さんが私の帰りを待っていた。
うっすらと浮かび上がる父の姿。
驚きはしない。さっき見たからね。
それは、朱里様に突き付けられた言葉で初めて知った現実。
神楽さんと同じ様に、私の側に『私のことを愛し、死に掛けている存在がいただろう』って告げられた時、真っ先に浮かんだのは父の顔だった。
浮かんだと同時に、今まで気配しか感じなかった家神様の姿が、朧気ながら浮かび上がってきた。
落ち着いて考えてみると、私が父だと認識したからだと思う。だけど、まだ名前を呼んでいないから、中途半端な姿のままだけど。
でも、あの時は頭が真っ白になった。
もう一度会いたいと切に願っていた父の姿を見た瞬間、現実を受け入れなくて、反射的に外に飛び出してしまった。
勇気を出して戻って来ても、家神様が父だということに変わりはしない。
その現実に、私はうちひしがれる。
父はまた私のために、大事なものを差し出したのだから。それは絶対に差し出してはいけないものだった。
人なのに、人ならぬ者になった父。
輪廻転生の枠から完全にはみ出してしまった。一旦枠からはみ出すと、決して戻ることは出来ない。例え恩情があって戻れたとしても、掛かる時間は……語るまでもないだろう。
そんな重い枷を、私は父にかせてしまった。
『……祐樹』
父が自信なさげに私の名を呼ぶ。
昔と変わらない、男の人にしては少し高めの声。優しくて、とても安心する声。
何度、この声を思い出しただろう。
何度、もう一度聞きたいと願ったことだろう。
死んだ人間は甦らない。
どんなに願っても、その願いは永遠に叶わない。神様でも無理な願いだから。
絶対に叶うことのない願いが、自分の意図しない場所で叶っていたのに、溢れ出てくるのは涙と謝罪の言葉だけ。
「ごめんなさい……ごめんなさい…………」
涙声で謝り続ける。
『どうして、祐樹が謝るの?』
そう問い掛ける父の声が、すぐ側で聞こえた。
父の大きな手が、濡れた頬に触れようとする。しかし、感じる筈の体温も触れた感触もない。当然だ。実体を持たない幽霊のようにすり抜けてるのだから。それでも父は、私の頬に手を添える。頬を伝う涙を拭おうとする。
却ってそれが、涙の量を多くした。
「だって……私のせいで、父さんが…………」
言葉が続かない。何とか発した言葉は、子供のように辿々しいものだった。
『僕が望んで、神楽さんに頼み込んだことなのに、どうして、祐樹が謝るの』
穏やかな声で父は告げる。
一瞬、父さんの台詞が耳に入って来なかった。
(父さん、今何て言ったの? 聞き間違いじゃないよね。……神楽さんに頼み込んだって言ったよね?)
信じられない台詞に耳を疑った。そんな私に、
『もう一度言うね、祐樹。家神になることは僕自身が望んだことだよ』
父ははっきりとした口調で繰り返す。
信じられなくて、思わず俯いていた顔を上げる。
そこには、困ったような、でも……優しく微笑む父がいた。
昔、私が父のことを学校の授業参観で発表した後も、同じ様な顔をして微笑んでいたのを思い出す。
『だって、そうだろ。やっと……やっと、何の柵もなく、娘と暮らせるんだから』
(娘……今でも、そう思ってくれるの……?)
目を見開く私に、父は苦笑する。
『何て顔をしてるの? 祐樹にとったら、頼りない父だけど、僕にとって祐樹は自慢の娘だよ』
「違う!! 私は父さんを裏切った、どうしようもない娘だよ。こんなに優しくされる資格なんてないよ」
叫びながら父から離れる。
父の顔が苦しそうに歪んだ。添えていた手を力なく下ろす。その姿は、私が父の元から去った時とダブって見えた。
また……まただよ。
私は、大切な父さんに同じ苦しみを味合わせてる。そんなつもりなんてないのに。どこまでも、親不孝な娘だよ、私って。こんな娘で本当にごめんなさい。
罪悪感だけが積もっていく。
そんな私を見詰める父さんの表情は、益々苦しみを増していく。
『……知ってたよ。祐樹がアイツらに僕のことで脅されていたの』
その言葉に私は凍り付いたのだった。
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