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第二冊 絵本
放した手
しおりを挟む(……意外に、付喪神様って重たいんだね)
本体は草履なのに。少し吃驚だよ。
でも、この重さが思いの外心地いいんだよね。何か生きてるって感じがしてね。
紺が寝ている部屋の前で熟睡している蒼を抱き上げ運ぶ。陸は矢那さんが抱えている。取り合えず、私のベッドまで運ぶと寝かし付けた。
ほんと可愛い。でも……ふと、蒼と陸の寝顔を見ていると思い出してしまう。
自分もよくあの人、父に抱っこされて運ばれてたことを。
父は売れてない作家だった。
仕事をするのは主に夜。私が寝てからだ。
折角寝かし付けたのに、寂しくて、夜中に起きるとよく部屋を抜け出した。仕事の邪魔はしたくなくて、でも、少しでも一緒にいたくて、結局、部屋で寝ずに仕事部屋のドアに凭れて眠ってしまった。今の蒼と陸のようにね。
そんな私を呆れながらも、父は大きな手で抱き締め抱えてくれた。私はその温かな手が大好きだった。とても幸せだった。
その大事な温かな手を、私は一度手放した。自分からね……。
売れない作家に幼い子供。
子供ながらに、父の負担になってるって分かってた。
血の繋がった子供ならまだしも、血の繋がらない子供を、それも自分を裏切って勝手に出て行った女の子供を育てる必要なんて、どこにもないでしょ。いくら、あの女を愛してるからって言ってもね。
私が可哀想だからって……。
それでも、父は私の手を握り護ってくれた。父にも父自身の人生が、未来があるのにね。
すごく馬鹿でとても優しい、日溜まりのような人だった。
手を放した時の、父の顔を今でも思い出す。
最低最悪な裏切り方をした。
大切な人の手を振り切って、自分を裏切り捨てたあの女の手を握ったんだから……。
その時の、父の顔は今でも脳裏に焼き付いて離れない。
そして、神楽さんに私を預けて去って行った後ろ姿も……。
(駄目だね。感傷的になってきた)
高藤さんが来てから、父のことを何かと思い出すようになった。
その度に感傷的になってしまう。あまり感傷的になることは良しとしないのにね。
たぶんそれは……私の中で、父のことを消化出来ていないからだ。でも今から、どう消化していいのか分からない。方法すらも分からない。
唯一の機会は父自身に拒否られた。
苦笑しか出ない私の耳に、心配そうに紺の名前を呼ぶ蒼と陸の声が聞こえてきた。
(寝言? ほんとに、紺のことが大事なんだね)
微笑ましいな。胸の奥が温かくなるよ。にしても、こうして寝ている姿は、人間の子供と全く変わらないね。
無防備に、安心して寝ている顔を見ていると、私でも母性本能が刺激される。まだ若いから、結婚なんてまだまだ遠い先の話だけど、いつかは私も、こんな風に子供の世話をする日が来るのかもしれない。
その相手はやっぱり人間なのかな。それとも、あやかしかな。どっちにせよ、今は全然想像出来ないけどね。
矢那さんと一緒に蒼と陸の寝顔を見詰めていると、矢那さんが小さな声で呟く。
「……この子たち、紺が目覚めるまで、ずっと付き添うつもりなのかしら?」
声のトーンがいつもと比べて低い。表情も心配で曇っている。
そう……今日で五日。
蒼と陸をベッドに運ぶのは。
高藤さんが絵本を返しに来たのが五日前。その夜からだ。
神楽さんに本の取り扱い方を注意されていたのだろう。神楽さん自身、何度も様子を見に行ってたようだし。
そのおかげで、返却された絵本の状態はすこぶる良かった。
少し紙が弱ってた箇所があったから、そこを補強しただけで済んだ。もう少し酷かったら、修復師の翁の所に持って行ったんだけど。これくらいなら私でも出来る。
掛かった時間は小一時間くらい。
損傷がないから、直ぐに人間に変化出来る筈なのに、紺は絵本のままだ。話し掛けても返事はない。私以外の付喪神様が話し掛けても同じだった。
(もしかして、私が気付いてないだけで、深い損傷を受けてるかもしれない)
そう考えた私は、翁の所に紺を連れて行った。
結果は……翁でさえ治せないものだった。
私でも無理。
だって……翁も私も治せるのは、外科的処置だけだから。私に関しては、出来ること自体限られてる。
(心まで治せない。ほんと、情けないよね……)
紺は頑なに拒否している。
起きることをーー。
それは、紺なりの意思表示なんだと思う。
その気持ちは私でも理解出来る。嘗ての私もそうだったから……。
だからせめて、昼間は紺を一階に。陽が暮れたら二階に運んだ。もしものことがあったら大変だから、寝ている皆の所に置いた。少しでも、寂しくないようにね。紺にしたら、もっと静かな場所に置いてもらいたかったかもしれないけど。
結界が張られたその部屋に立ち入ることが出来るのは、私と彼だけだ。
蒼も陸も中に入ることは出来ない。なので、せめて付き添うように、蒼と陸は部屋の扉の前で休む。
一度放れた手を、もう一度握ろうと頑張っている蒼と陸を止めることは、私にも誰にも出来なかった。
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