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第二冊 絵本
老紳士(2)
しおりを挟む老紳士こと、高藤喜一氏から電話が掛かってきたのは一週間前だった。
「長い間、お借りしていた本をお返ししたい」
それが、電話の内容だ。
本屋に本を返す?
うち、レンタルはしてないのに?
普通なら不審に思う内容でも、この本屋では特におかしなことでもないからね、イタズラだと思うことはなかったよ。
ここは常に、不思議と隣り合わせの本屋だからね。現に、付喪神様もいるし、地獄の手伝いもしている。それに、地獄に月一回本を納品してるしね。普通じゃないよね。
話が少し逸れたけど、高藤さんが私を誉めた理由は、たぶん桜茶と鶯餅だと思う。
実は高藤さんの名前を聞いた時、その名前をどこかで見たことがあったんだよね。記憶を辿り、神楽さんが残した業務ノートの中に、その名があったことを思い出す。
調べてみると、確かに高藤さんの名前があった。
少し色褪せたノートには、高藤さんのことが事細かく書かれている。
結構な回数来店してたみたい。
高藤さんが初めて来店した時に何を出したとか。こしあんが苦手なことも細かく書いてあった。
お客様をよく観察している神楽さんらしいよね。私も見習わないと。
勿論そこには、一冊の絵本を貸し出していることも書いてあった。
そして何故か、絵本のタイトルの横には〈貸出無制限〉の文字が書かれていたのだ。
「……これが、長い間借りていた本です」
そう言うと、高藤さんは紫の袱紗ごと私に差し出した。
私は受け取る前に、もう一度高藤さんに確認をとる。「本当に宜しいのですか?」と。
すると、高藤さんは少し寂しそうに微笑みながらも頷く。
「……構いません。私は長い間、人生の大半をこの子と一緒に過ごせました。そろそろ、この子を家族の元に帰してあげないと。私は死んでも死にきれません。それにこれは……神楽さんとの約束ですし」
(この子……?)
絵本を返すにしては、あまりにもおかしな台詞だよね。まるで、絵本が子供のような言い方だ。
もしここに、私と高藤さん以外の人が居れば、それこそ、外で控えている方が聞いたなら、眉をしかめるような会話だと思う。でも私は、これっぽっちもおかしいとは思わなかった。
絵本のことも。
高藤さんが絵本のことを、この子と呼ぶことも。
この子が何者かも。
目の前にいる高藤さんが、神楽さんのことを知っていることもね。
高藤さんは静かな声でそう告げた後も、私に絵本を渡した後も、言葉の端々に、まだ迷いがあるのがひしひしと伝わってきた。
それだけ、この絵本に思い入れがあるってことだよね。
電話を掛けた後も、そして掛ける前も、高藤さんは一人悩んでいたんだろう。それこそ、眠れない日が続いたかもしれない。
悩んで、悩んで、悩み抜いて高藤さんは決めたんだ。
自分が何よりも大事にしている者との決別をーー。
そんなことを考えてると、ふと……あの人の後ろ姿が頭を過った。
そういえば、似てるよね。
あの人も、少しは悩んでくれたのかな……。
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