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第一冊 桜のこより
死神と付喪神(3)
しおりを挟む黒く染まっていく春さんから目を逸らさない。
逸らしたら負けだ。
春さんにも自分自身にも。
飛んで来た本が私の頬を掠める。走る鋭い痛み。
それでも私は怯まなかった。怯んだら、そこで終わりだから。何もかもが。
息を深く吸い込み吐き出す。そして、
「縛!!!!」
私が発した鋭い声は、派手な音をたてている店内に響いた。
次の瞬間、床に魔方陣が浮かび、無数の鎖が飛び出す。
それは躊躇することなく、黒い霧に包まれた春さんの体を縛っていく。暴れて抵抗する体を何重もぐるぐるに縛り上げ、やがて塊はピクリとも動かなくなった。
やっと、店内に静けさが戻る。空中に浮いていた書物が音を立てて落ちる。
春さんがいた場所にあるのは、ただの黒い塊だけだった。
その塊に近付くと、しゃがみ、ソッと触れる。そして、小さな声で祈りを込めて「浄化」と唱えた。
(浄化出来なければ、黒い塊のままなら……春さんは…………)
心から祈る。
私の声に反応して、鎖が淡い光を放ち出す。
今度は、光が黒い塊を包み込む。
光が消えると同時に、春さんを縛っていた鎖が消えた。黒い塊も春さんの姿も、そこにはなかった。
代わりにそこにあるのは、一枚の〈桜のこより〉だけだった。
こよりは綺麗なままだ。変色も見られない。その事に、私はホッと胸を撫で下ろした。
(間に合って良かった……)
心からそう思う。
『いつ見ても、裕殿の術は優美ですね』
矢那さんが姿を現す。
『『優美かな? 正反対じゃない?』』
そう言ったのは草履の付喪神様。双子の蒼と陸だ。
『思いっきり、力業だと思うぞ』
神楽書店に顔を出す付喪神様の中で一番の古株で、小さな桐箱の付喪神様。名前は朱里様。桐箱に彫られている模様、南天の実の色からそう名付けられたそうだ。
取り合えず、皆無事そうでひと安心。
「大丈夫だった? どこか破損してない?」
それでも心配なので皆に確認をとる。
付喪神は自分の本体に少しでも傷が付くと、途端に神通力を失う。当然、人型にもなれなくなる。
最悪、補修してもだ。
上手く補修出来ても、神通力が戻るまで長い眠りが必要になる。
付喪神様って、とてもデリケートな神様なんだよ。人間よりも弱くて愛しい神様たち。
『私は大丈夫ですわ』
『『僕たちも』』
『ワシも平気じゃ』
人型をとれてるから大丈夫だと分かっていても、皆の言葉を聞くまでは完全に気を抜けなかった。
「良かった……。あっ、そうだ!! 二階見てこないと」
二階には御休みになっている付喪神様がいらっしゃる。
特別に結界を張ってるあるから影響はないと思うけど、念のために確認した方がいいよね。そう思った私の前に、一枚の紙がヒラリと舞う。
【二階で御休みになられている皆様も無事です。ご安心下さい。それよりも、頬の傷の治療を】
近くのテーブルに救急セットが置かれていた。
怪我? それは後でいいよ。ほんと、影響なくてよかった……。彼はとても気が利く。いつも助けて貰ってばっかりだ。
「ありがとう」
【どういたしまして】
『……裕よ。いつになったら、そやつの名前を訊く気になるんじゃ?』
私と彼との会話を見ていた朱里様が、溜め息混じりに訊いてきた。
その問いは、これまで何度も耳にした。その度に私は、曖昧な笑みを浮かべはぐらかす。
いくら見える目を持っていても、彼の姿が見えないのは当然のこと。
だって……私は彼の名前を訊かないから。
一度もねーー。
名前を訊いて呼べば、彼は完全に私のモノになる。
でもね……同居人さんは、神楽さんのモノなんだよ。言葉は悪いけどね。
神楽さんのおかげで、私は居場所を持てることが出来た。それは私にとって、得られることが絶対に無理だと諦めていた夢だった。
諦めていた夢を叶えてくれた恩人を、家族を……私は裏切れない。いつか戻って来るかもしれない神楽さんのために、私が出来るのはこの場所を、神楽書店を護ること。それだけなんだから。
なのに、私は同居人さんに甘えている。優しいから拒まないから、それをいいことに甘えきってる。依存に近いかもしれない。
ごめんね……。
怖がりで、とても卑怯な人間で……ほんとにごめん…………。
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