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第一冊 桜のこより
桜のこより(3)
しおりを挟む【祐樹さん。彼女が気になりますか?】
彼に訊かれて、私は無意識に春さんを目で追っていたことに気付いた。思わず苦笑する。
春さんに残された時間は後四日。
彼女は今現世に不法逗留している状態。次の満月の夜に地獄に護送される。
なのに……ここ二日、彼女は本を読んでいるだけだった。主に詩集ばかりを選んでいる。詩集が好きなのか、好きな人が好きだったのか。
私に話し掛けることも、怒鳴ったりもしない。ブツブツと独り言を呟いて殻に籠ったりもしない。時たま姿を現す付喪神様さえ無視して、ただ本棚に向かってるだけ。本来持っている筈の感情の一部さえ、表に一切出さない。
敢えて、感情を出さないようにしてるのか。
それとも、感情を表に出す術を忘れてしまったのか。
感情を失う程に絶望したのか。
私には分からない。そもそも、カウンセラじゃないんだから分かるわけないしね。
ただ、これだけは言えるかな。今まで色々な亡者と相対してきたけど、こんな静かな亡者は今までいなかったってね。
だからかな。どうしても気になって仕方がなかった。どうやらそれは、私だけじゃなかったみたいで。皆さりげなく遠巻きに見ているようだ。
「今までに比べて、すっごく楽なんだけどね……。ただ……」
春さんに聞こえないように小声で話す。
【ただ?】
「……昨日、寝る前に矢那さんが来てね。春さん、呟いてたんだって。男性の名前を」
はっきりと聞き取れなかったけど、確かに男性の名前を口にしてたって、自信満々にやや興奮気味で教えてくれた。
因みに矢那さんは、柳の木で作った櫛の付喪神様だ。
本来、柳の木で櫛なんて作らないんだけど、好きな相手と出会った場所が柳の木の下だったらしくて、櫛職人だった男が特別に作ったらしい。ロマンチックだよね。
矢那さんが生まれたのは江戸時代の話。
だけど悲しいかな、身分差があって、想いを伝えることが出来なかったって矢那さんに聞いた。
作った男の人柄も良かったんだろう、男の死後も大事に扱われていたようで、壊れることなく、矢那さんは付喪神様になった。本体が壊れたら付喪神様になれないからね。
それでも、付喪神様になってまだ日は浅いらしい。
といっても、私がここに来る遥か前にはもう付喪神様になってたって聞いたけどね。彼らと人間の時間感覚は微妙にズレてるから。しょうがないよね。
つまり私が言いたいのは、恋い焦がれて作られたから、矢那さんは恋愛事にとても過敏だってこと。だからかな、感情の起伏にとても敏感だ。
特に、恋愛事にはかなり過剰に反応する。それ以外は、綺麗なお姉さんなんだけどね。
【男性の名前ですか? ……もしかして、彼女が現世に留まる原因になった方でしょうか?】
(普通に考えれば、それが一番無難だよね)
人が死後も現世に留まる原因の大半は、恨みか恋慕の気持ちだからね。時には、子供が心配で現世に留まる亡者もいるけど。ここ二年はないかな。ちょっと寂しいけど。殆どが、
〈憎しみ〉か〈愛情〉のどちらか。
相反する想いだが、行き過ぎれば両方とも猛毒になる。
ほんと、厄介な感情だと思うよ。
でもね。その感情があるならこそ、人なんだと私は思う。
「……さぁ」
そもそも、春さんの相手の名前聞いてないし。勿論、死神様から情報が流れてくるなんてない。
彼の質問に、私は春さんを見ながら曖昧に濁した。
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