護国神社の隣にある本屋はあやかし書店

井藤 美樹

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第一冊 桜のこより

見えない同居人

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「ただいま」

 店内は誰もいないのに、ついついそう言ってしまう。習慣だね。

 だけど不思議なことに、私の声に答えるかのようにカタカタと音がした。その音は空耳かと思うほど小さいが、私には「おかえり」と言ってくれてるんだなぁって、いつも思ってる。こういうのを、幸せっていうのかな。心がほんわかと温かくなるし。

 だから私は、気にも留めずにもう一度「ただいま」と声を掛けてから、着ていたコートを脱いだ。

 店内は暖かくて明るかった。

 暖房の切り忘れでも電気の切り忘れでもないよ。いつもそうなんだよね。私がきちんと戸締まりをして出掛けても、帰って来る頃には店内は適温になってるし、電気が付いている。

 それにコートを椅子の背に掛けるように置くと、いつの間にかハンガーに掛けられてるし、鞄は定位置にきちんと片付けられている。そして私が椅子に座ると、脇から淹れたてのコーヒーが出てくる。お菓子付きで。

 至れり尽くせりだよ、ほんと。同居人さんはとても気が利く。店内には私以外に誰もんだけどね。

 でも、んだよ。

 ただ、だけ。

 普通の人間なら、この時点で叫んでるか、腰を抜かして震えてるか、外に飛び出して逃げ出してるだろうね。

 コートと鞄のところで絶対アウトだよ。私はもう慣れたけど。元々下地があったからね。まだ、マシだったと思う。属にいう、小さい頃からだったから。

 昔はこんな力を持った自分が嫌いだった。憎んでたっていった方が近いかな。

 でも……この能力のおかげで、神楽書店に来ることが出来た。今は、この力を持って良かったと思える。愛せるまでは言えないけどね。

 でもね、時々想像することがあるの。

 もし、私にこの能力がなかったらって。考えてもどうにもならないのにね。馬鹿だよね。

 私が神楽書店に来ることになった経緯いきさつは追々話すとして、その非常識な光景が、この本屋のいつもの光景だった。

「ありがとう」

 いつもと同じ様にお礼を言ってから、コーヒーを飲もうとカップに手を掛けた時だった。ソーサーの下に、四つ折りにされた紙が挟んであるのに気付く。

 私はそれを慣れた手で広げる。

【裕樹さん、寒い中お疲れ様です。明日、二時、本の鑑定をして欲しいと、沢木さんから連絡がありました】

 紙にはそう書かれてあった。

「して欲しいね……これって決定だよね」

【そうですね。お断りしますか?】

「いいよ。仕事終わったばっかりだし」

【クス。分かりました】

 同居人さんとの意思疏通はいつもこの方法だ。

 要件の前には、必ず私を気遣う一文が添えられている。角ばった字だが、丁寧に書かれていて綺麗で読みやすい字だ。字から想像すると、同居人さんは元男性かなって勝手に想像してる。

 なんせ、私は同居人さんの声を聞いたことがないし、姿を見たこともない。見える子だったけど、同居人さんの姿を捉えることは出来なかった。

 同居人さんの名前?

 知らない。知ってしまったら、呼んでしまいそうになるから。絶対に呼ばない自信なんてない。だから、始めから訊かない。知らなければ呼べないからね。

 彼を見るよ。

 あるけど、私がだけ。したくないんだよ……どうしても。

 私の我が儘だって分かってる。皆にも言われるしね。呆れながら。

 彼に対して酷いことをしてるって理解しているよ。彼にとって今の状態は中途半端だってのもわかってる。いつまでも、この状態が続くのはいけないってこともわかってる。

 酷いことをしているのに、それでも彼(仮定)はここに居てくれる。

 神楽さんが出て行ってからも、何かと私の世話をしてくれた。精神的にも助けてくれるし支えてくれてる。

 同居人さんとの静かな会話は、私の心をいつも和ませてくれる。時には慰めてくれる。

 私はずっと、同居人さんの善意に甘えてるだけ。

 すごく感謝しているのに、何故かこの頃、ほんの少しだけど心が波立つ。罪悪感かな……

 小さな小さな波。

 私はそれに気付かない振りをする。

 弱いから……ずるいよね。

 思わず出そうになる苦笑を封じ込め、私はいつもと同じように会話を進める。

「明日二時ね。分かった。あいつからの紹介ね……やっぱり、そっち方面だよね?」

 めんどくさそうに私が呟けば、

【おそらく、そうだと思います。くれぐれも気を付けて下さい】

 と書かれた紙が、スッと差し出される。

「ありがとう」

 にっこりと微笑む。

 気配だけする、見えない相手に向かって。

 人じゃない相手と交わす何気ないその時間が、私は何よりも大切だった。



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