護国神社の隣にある本屋はあやかし書店

井藤 美樹

文字の大きさ
上 下
1 / 68
第一冊 桜のこより

序章

しおりを挟む

 降り注ぐ陽気に比べると、少し肌寒い風が二人の間を通り抜けて行った。

 風によって舞い散り舞い上がる桜の花びらが、初々しい恋人同士の髪や服に可愛らしい模様を幾つも作っている。

 本来ならとても良い雰囲気で甘い筈の二人なのに、彼らの間に漂う空気は、何故か……哀しみを含んでいた。

 そんな空気の中で、男は真剣な顔をしながら、華奢で小柄な女にはっきりと告げた。

「……春、心から君のことを愛している。必ず戻ってくるから、俺のことを待っててくれないか?」

 男にとったら、嘘偽りのない一世一代の告白。

 しかし……恋人を想うなら、「俺を待たずに幸せになってくれ」と笑って言うべきだった。言わなければいけなかった。

 それが、優しさで春のためなのだと、男は深く知っていたからだ。実際、そう告げようと心に重く決めていた。

 胸が張り裂けそうでも、別れる覚悟を決めていたんだ。

 なのに……口から出た言葉は正反対のものだった。

 出たのは、男の本心。

 身勝手だと重々分かっている。分かってはいるが……

 一度口にした言葉は取り消せない。

 ましてや、「愛している」など、想っていても決して口には出せない言葉も吐いてしまった。恥ずかし過ぎる。

 普通なら、絶対口にしない言葉だ。だが今は、普通ではなかった。日本そのものが。いや、世界そのものがおかしくなっていた。

 勿論、二人の間を流れる空気も、そして、この村を覆い尽くしている空気もだ。

 春は男性の思いの丈を聞き、頬を真っ赤に染め俯くと、迷いもせずに小さくコクリと頷いた。

 少し言葉は違うが、春は男の求婚を受け入れた。

 なのに、甘い雰囲気の筈なのに、どこか哀しく、ほんの少し緊張感を漂わせている。

 男は春の体を優しく抱き締めた。だが直ぐに、そっと離した。とても名残惜しそうに。しかし、男の両手は春の両肩に乗せたままだ。

「本当は、このまま春と一緒にいたい。だが、もう……」

 春に対しての優しさからなのか、勇気が出ないからなのか、男は最後まで言葉をつむぐことは出来なかった。春も何も言えない。

 村長が喜び勇んで赤紙を持って来た時から、いや……もっと前から、この時が訪れることはある程度予感していた。年頃の男がいる家庭は、常に、内心戦々恐々としながら暮らしているからな。

 こんな時代だ。

 だから、気持ちの整理を付けていたつもりだったんだ。これでも。なのに、いざこの瞬間になると、二人の心は激しく悲鳴を上げる。

 行きたくない!!

 行かないで!! お願い。私の側にいて!!

 二人は喉から出掛かる言葉本心を必死で抑え付ける。誰が聞いているか分からないからだ。

 愛しい人が、死地へと旅立とうとするのを止めることが出来ずにいる。それでも、春は心から切に願う。とても強く。

「待ってます。雄也さんが無事に帰って来るまで、ずっと待ってます。だから……だから、必ず私の所に戻って来て下さい」

 それが難しいと知りながらも、春は必死に雄也に訴える。

 最愛の人の帰還をーー。

 涙ぐみながら、必死で自分を見詰め訴えるその表情を見て、雄也は泣きそうになった。でも、口元は嬉しそうに微笑む。

「必ず戻って来る。絶対に」

 雄也は約束する。

 絶対なんてあり得ない。可能性が限りなくゼロに近い現実。無責任かもしれない。それでも、そう言わずにはいられなかった。

 最愛の人のためにも。

 そして、自分のためにも。

 遠くで、雄也を呼ぶ声がした。もうすぐ、汽車が出発する時間だ。

 雄也は名残惜しそうに、春の両肩から手を離した。そして、足下に置いてあった麻の鞄を掴むと背中に背負い、駅のホームに向かって歩き出した。

 春の耳に愛しい恋人の名前と共に、万歳三唱する声が聞こえてきた。

 雄也は自分を見送りに来た人たちに深く一礼すると、駅のホームへと足を進める。

 直ぐに雄也の姿は、駅に見送りに来ていた人たちの中に溶け込んで消えてしまった。

 春は愛しい恋人の姿が消えても、長い間、彼が消えてしまった先を、ずっとずっと……見詰めていた。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

大正石華恋蕾物語

響 蒼華
キャラ文芸
■一:贄の乙女は愛を知る 旧題:大正石華戀奇譚<一> 桜の章 ――私は待つ、いつか訪れるその時を。 時は大正。処は日の本、華やぐ帝都。 珂祥伯爵家の長女・菫子(とうこ)は家族や使用人から疎まれ屋敷内で孤立し、女学校においても友もなく独り。 それもこれも、菫子を取り巻くある噂のせい。 『不幸の菫子様』と呼ばれるに至った過去の出来事の数々から、菫子は誰かと共に在る事、そして己の将来に対して諦観を以て生きていた。 心許せる者は、自分付の女中と、噂畏れぬただ一人の求婚者。 求婚者との縁組が正式に定まろうとしたその矢先、歯車は回り始める。 命の危機にさらされた菫子を救ったのは、どこか懐かしく美しい灰色の髪のあやかしで――。 そして、菫子を取り巻く運命は動き始める、真実へと至る悲哀の終焉へと。 ■二:あやかしの花嫁は運命の愛に祈る 旧題:大正石華戀奇譚<二> 椿の章 ――あたしは、平穏を愛している 大正の時代、華の帝都はある怪事件に揺れていた。 其の名も「血花事件」。 体中の血を抜き取られ、全身に血の様に紅い花を咲かせた遺体が相次いで見つかり大騒ぎとなっていた。 警察の捜査は後手に回り、人々は怯えながら日々を過ごしていた。 そんな帝都の一角にある見城診療所で働く看護婦の歌那(かな)は、優しい女医と先輩看護婦と、忙しくも充実した日々を送っていた。 目新しい事も、特別な事も必要ない。得る事が出来た穏やかで変わらぬ日常をこそ愛する日々。 けれど、歌那は思わぬ形で「血花事件」に関わる事になってしまう。 運命の夜、出会ったのは紅の髪と琥珀の瞳を持つ美しい青年。 それを契機に、歌那の日常は変わり始める。 美しいあやかし達との出会いを経て、帝都を揺るがす大事件へと繋がる運命の糸車は静かに回り始める――。 ※時代設定的に、現代では女性蔑視や差別など不適切とされる表現等がありますが、差別や偏見を肯定する意図はありません。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々
恋愛
 姉が失踪した。それは結婚式当日の朝のことだった。  残された私は家族のため、ひいては祖国のため、姉の婚約者と結婚した。    サイズの合わない純白のドレスを身に纏い、すまないと啜り泣く父に手を引かれ、困惑と同情と侮蔑の視線が交差するバージンロードを歩き、彼の手を取る。  誰が見ても哀れで、惨めで、不幸な結婚。  けれど私の心は晴れやかだった。  だって、ずっと片思いを続けていた人の隣に立てるのだから。  ーーーーーそう、だから私は、誰がなんと言おうと、シアワセだ。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

となりの京町家書店にはあやかし黒猫がいる!

葉方萌生
キャラ文芸
★第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。お読みくださった皆様、本当にありがとうございます!! 京都祇園、弥生小路にひっそりと佇む創業百年の老舗そば屋『やよい庵』で働く跡取り娘・月見彩葉。 うららかな春のある日、新しく隣にできた京町家書店『三つ葉書店』から黒猫が出てくるのを目撃する。 夜、月のない日に黒猫が喋り出すのを見てしまう。 「ええええ! 黒猫が喋ったーー!?」 四月、気持ちを新たに始まった彩葉の一年だったが、人語を喋る黒猫との出会いによって、日常が振り回されていく。 京町家書店×あやかし黒猫×イケメン書店員が繰り広げる、心温まる爽快ファンタジー!

処理中です...