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1巻
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筆頭公爵様は我慢ならんとばかりに、馬鹿子息に詰め寄ろうとなさりましたが、私は無言のまま片手を上げ制しました。気を失ったら困りますからね。
「今から七十年前、貴方と同じことを、今みたいに公の場で宣言された方がいました」
そう私が切り出すと、馬鹿子息は不審そうな表情を見せます。わざわざ貴方の疑問に答えてあげているのに。ちなみに、今から話す内容は貴族籍をお持ちなら、幼くても知っていることですよ。
「その方はこの皇国の第二皇子。婚約者は辺境地を統治する伯爵令嬢でした。当時、第二皇子には貴方のように皇都に恋人がいたそうです。婚約者を邪魔に思った彼は、明らかな冤罪を恥ずかしげもなく彼女にかけた。常日頃から、婚約者を馬鹿にしていたようです。今の貴方のようにね」
「冤罪じゃない!!」
「冤罪なんかじゃないわ!!」
まだ言い張るの? 途中で茶々を入れないでください、話が進みませんから。
視線を侍女二人に向けると、心得たとばかりにナイフを持つ手に力を入れました。
静かになりましたわね。では、続けましょうか。
「公の場で婚約破棄を宣言し、その場にいた貴族たちは第二皇子に賛同した。何故だと思います? そう……この時は貴族の間で、貴方の言った考えが主流でした。結果、この国がどうなったか知っていますか?」
一旦言葉を切ってから、間を空けて続けました。
「……皇国が滅び掛けたのですよ」
「…………皇国が滅び掛けた?」
オウム返しのように呟く馬鹿子息。
そんな彼を見て抱く感情は、呆れと困惑、そして怒りだけ。ただただ、屑を見るような冷めた気持ちで見下ろします。
訊き返されることすら、私にとって――いえ、違いますね、この場にいる全員にとって信じられないことでしたから。
「……本当に知らないのですか?」
思わず、訊き返してしまいました。
何故なら、私たち皇国の民は平民、貴族関係なしに、幼少時から絵本などで皇国の歴史を勉強し、同時に、辺境地の重要性も叩き込まれるからです。
歴史を生きた教材として。
故に、皇国が滅び掛けた事件に関しては、皇国民なら全員知っている事柄です。二度と過ちと悲劇を繰り返さないように、皇国民全員が忘れないために。文字を知らない赤子ならともかく、貴族が、それも筆頭公爵家の人間が知らないなんてありえません。あってはならないのです。
ましてや、皇国を滅ぼし掛けたあの第二皇子と同じ考えを抱くなど……決して見過ごせません。その芽は徹底的に潰します。もう二度とそこに草一本生えないまで。
「馬鹿にするな!! それぐらい知っている。魔物に攻められたんだろ。辺境地の奴らがさぼったせいで」
激高する馬鹿子息。
言葉を失う私たち。
…………さぼった。
言うにことかいて、何を言ってるの……? この馬鹿は。
おそらくこの場にいる全員、そう思ってるでしょうね。
「……どういうことだ? ジュリアス」
感情のこもらない静かな声で、お父様は公爵様に尋ねます。それがかえって、怒りの深さを感じさせます。怒りの沸点を大幅に超えると、人は感情を失うのですね。
お父様にそう尋ねられても、公爵様が答えられるわけありません。彼は力が抜けたように、その場に座り込んでいます。一気に老けた感じがしますね。同情はしませんわ。因果応報ですもの。年がいってからできた息子ですものね、散々甘やかしたツケが回ってきたようですわ。
私は公爵様に向けた視線を馬鹿子息に戻します。
「それは違います。断じて違います。辺境地の方々のせいではありません。彼らは自分の身を削ってまで、自分の領土にいる民、ひいては皇国の民を魔物から護り続けてくれた。いつしかそれを当たり前のように思い、感謝の気持ちを忘れてしまった。軽視してしまった。そして遂に、最悪の形で裏切ったのです。悪いのは、第二皇子と私たち皇族と貴族です」
辺境地を治めるのはコンフォ伯爵。私が現在、滞在しているのも伯爵の家です。伯爵が治める辺境地は魔の森に面しています。魔の森には澱みがあり、そこから魔物は生まれます。故に結果として、魔物の多くは魔の森から出現するのです。
言わば、コンフォ伯爵が治める辺境地は魔物討伐の最前線。
そこに、ドレスや宝石などいりません。一体、何の役に立つのでしょうか。
「ただの婚約破棄だろ?」
「そうよ。そうよ」
鼻で嗤うように言い放つ馬鹿子息とアンナ。
本当に知らないのね。それとも、都合がいいように解釈してるのかしら。どちらにせよ、知らないってことよね。あ~その顔を踏み潰したいわ。でも今は我慢しないといけません。
「事の発端はそうです。しかし、それだけでは終わりませんでした。第二皇子とその取り巻きたち、そして第二皇子の恋人の手によって、元婚約者は無残にも殺害されたのです」
「「なっ!?」」
二人とも驚愕してるようですが、ここまでは皇国の民なら全員知っていることですよ。
さすがに、教育上悪いのでどのような最期を迎えたのかまでは記載されませんでしたが。死者にも人権がありますからね。ただ、貴族籍がある者は成人になった時に親から教わります。貴方はすでに成人していますよね。
「無実の罪で投獄し、拷問をした上、さらには嬲りものにして。そして、亡骸を平民の共同墓地に棄てたのです。王弟殿下が事実を知り慌てて駆け付けた時、その亡骸は、誰だか判別つかない程酷い状態だったと伝え聞いております」
思い出す度に胸がギュッと締め付けられますわ。
とても美しい方だったと皆から伝え聞いております。今でも、彼女の墓には絶えることなく花が供えられていますよ。私も何度も参らせてもらいましたわ。
「この話は、貴族なら知っていて当たり前です。平民でさえ、何故殺されたか知っておりますよ」
知らないのは貴方たちだけですわ。
「そんな事実、僕は知らない。見え透いた嘘を吐くな!!」
「私も聞いたことないわ。そんな作り話をして逃げようなんて許さないんだから!!」
興奮する馬鹿子息とアンナ。
丁寧に教えて差しあげたのに、怒鳴られてしまいましたわ。
「貴方たち、頭大丈夫ですか? 皇帝陛下がおられる前で、皇国の骨幹に関わる事柄に関して嘘が吐けますか?」
思わず、そう突っ込んでしまいましたわ。
こんな馬鹿たちにわかるように話すなんて、ほんとストレスしかありませんわ。でもせっかくです。これも生きた教材にしないといけませんよね。
いくら歴史で習っていても、親から聞かされていても、平和な時代が続けば、どうしても危機感は薄れてしまう。それは仕方ないことでしょう。それを責めるつもりはありません。
ありませんが、この風潮をこれ以上看過することはできませんわ。
馬鹿子息とアンナ嬢は例外中の例外ですが、辺境地の重要性と役割を軽んじる風潮があるのも、悲しいですが現実なのです。
馬鹿子息も言っていましたが、服装や立ち居振る舞いに関して、陰で冷笑している貴族が多いのも、私たち辺境地に住む者を軽んじる態度の表れでしょう。魔物の討伐に忙しくて、お茶会やパーティーに参加できないのも、そういった風潮を加速させているのだと思います。
このまま何の手も打たなければ、今度こそ彼らは皇国を去ってしまう。そうなれば、皇国は滅んでしまうでしょう。それは間違いありません。
愚かな貴族たちが死ぬのは構いません。自業自得ですから。でも、そのせいで民が犠牲になるのは我慢できません。
それを防ぐためにも、馬鹿子息とアンナ、そしてこの馬鹿子息をきちんと教育しなかった筆頭公爵夫妻には、皇国の未来のための礎になってもらわなければなりません。当然、アンナの両親にも諦めてもらいましょう。
「辺境地だからと蔑まれ続け、皇族から打診され結ばれた婚約も一方的に破棄され、無残にも殺された。それも第二皇子が自分の欲望を叶えるために。そしてその亡骸は、埋葬されることなく平民の共同墓地に棄てられた。そのような仕打ちを受けて、許すことができますか? 国を護るために、その身を盾にできますか?」
黙り込む馬鹿子息とアンナ。その顔色は真っ青でした。
少しは、自分がなさろうとしていたことが、どういう意味かわかっていただけたでしょうか。貴方たちはまるっきり同じことをしようとしていたのですよ。
「当時の皇帝陛下は息子可愛さに、愚策にも、形ばかりの処罰を第二皇子と側近たちに下し、伯爵には多額の賠償金で何もなかったことにしようとしました。王弟殿下が亡骸を領地に運ばなければ、ご遺体はそのまま野ざらしになっていたでしょう」
人として最低最悪な行為です。彼らは二度、伯爵令嬢を殺したのです。
「……それで、どうなったんだ?」
馬鹿子息は震えながらも訊いてきます。
「勇敢な者たちは領地に籠もりました。自分の領民を集め、彼らだけを護る盾になったのです。当然、辺境の警護も手薄になります。手薄になったところから魔物は入り込みました。そして、皇国の民を蹂躙していったのです。皇帝陛下や貴族たちは伯爵に助けを求めましたよ。原因になった自分の息子と新しい婚約者、そして側近たちの首を差し出して。しかし自分の首は差し出さなかった。おかしいとは思いませんか?」
二人とも多少の想像力はあったようですね。カタカタと震えながら大人しく聞いています。
「……人は無力です。鋭い牙も鋭い爪も持っていません。強靭な肉体も持ってはいません。さっきまで鍬を持っていた周辺の領民になす術などありません。当然、貴族もです。……唯一、戦う力を持つ騎士団も魔術師も魔物にはかないませんでした。当然ですね。彼らが相手にしていたのは、人だからです。魔物など相手にしたことがなかった。一度もね……」
一旦、私は言葉を切りました。ここにいる誰もが、音を一切立てずに聞いています。
「嫌なことも辛いことも、全て伯爵様の一族に押し付けていた。それをこれっぽっちも悪いとは思っていなかった。当たり前だと考えていた。だから、感謝の気持ちもなかった。なかったから、平気でこの皇国の護り神だった伯爵家を蔑ろにした。最悪の形で裏切った。その結果、皇国の滅亡の危機を招いたのです」
「……でも、滅亡はしなかったじゃないか」
馬鹿子息が俯いたままポツリと呟く。
「だから? まさかそれで、貴方の暴言が取り消されるとでも思っているのですか。もしくは軽くなるとでも。ありえません、反対です。貴方たちの罪を確認するために言っているだけですよ」
勘違いしないでくださいね。
「だったら、謝ればいいんだろ!!」
そんな投げやりの心が籠もっていない謝罪になんの意味があるんです。
「謝って済む段階はとうに過ぎています」
「どこまでも生意気な。誠心誠意謝ったから、伯爵は許したんだろ!!」
だから、「お前も許せ」っと仰りたいのですか? 本当に、顔の皮が厚い人ですね。
「貴方の言う通り、確かに皇国は滅びはしなかった。それは皇族や貴族たちが謝罪したからではありませんよ。一人の人間の真摯な姿に心を打たれたからです」
そう……彼のおかげで、この皇国は救われたのです。
私の声が響く中、唐突に、だがはっきりとその声は聞こえました。
「煩い」
悪意を含んだ小さな声が、私と馬鹿子息との話に水を差したのです。
え……?
一瞬聞き間違いかと思いましたわ。まさかこのタイミングで、そんなことを言い出す人がいるとは想像だにしませんでしたから。
私は声の主の動向を見るために、さり気なく侍女二人に離れるよう指示を出しました。渋々ですが、侍女二人はナイフを退け離れます。安心なさい、彼らは後であげますから。
「さっきから、関係のないことばかり話して、はぐらかそうとしても許さないんだから!! それって昔の話でしょ。今は関係ないじゃない!!」
真っ青でカタカタと震えていた女性とは思えませんね。あれは演技だったんですか? あっ、ナイフを首筋に当てていましたね。だからですか。話の内容に震えていたわけではなかったのですね。とても残念ですわ。
「関係ないと仰るの……」
またしても、低い声が出てしまいましたわ。
「そうよ。私を虐めたじゃない」
まだそれを引っ張りますか。うんざりです。振り出しに戻った感アリアリです。内心、後はお父様にお任せして帰りたくなりましたわ。
「何故、私が貴女を虐めなければならないのです?」
「スミール様に愛されているからよ!!」
だから、それがどうしたというのです。
「私がスミール様を愛しているとでも思っているのですか。いいえ、全く、これっぽっちも愛しておりません。なので、邪魔する必要も、虐める必要もありません。それにそもそも、私は隣国の学園に通ってます。どうやって虐めるのです? 誰かにやらせたと? そんな人いませんよ。お茶会に参加したこともないのに」
きっぱりと否定しました。そんな勘違いされるなんて、不愉快でしかありませんから。だけど私も皇族の一員です。関心がないからといって、婚約者の役目を放棄するつもりはありませんでしたわ。
ところで馬鹿息子、何故貴方がそんなにショックを受けているのです? 私が貴方に好意があるとでも思っていたのですか? 貴方のどこに好意を持つ要素があるのです。会えば、見当違いのことで怒鳴られ、誕生日などのプレゼントも一度として贈られず、手紙一つない。そんな目にあえば、嫌いこそすれ、好意を持つなんてありえませんわ。それに、そもそもお茶会に参加したことがないんです。パーティーも。もちろん、招いたこともありませんよ。辺境地で魔物討伐していたせいもありますが。そもそも私は――
「セリア様。心の声が漏れています」
私の背後に回り込んだ侍女が、それとなく耳打ちしてくれました。
失礼しましたわ。どうりで、馬鹿子息が項垂れているのですね。聞かれて困るものではないので別に構いませんが、これからは気を付けないといけません。
「そんな見え透いた嘘を吐くなんて。スミール様を愛していたから、私に酷いことをしたんでしょ。さっさと認めなさいよ!!」
酷さを通り越して醜悪しかありません。話が全く噛み合わない。魔物の方がまだ可愛げがありますわ。いったい、どんな育ち方をすればこうなるのかしら。隣をご覧なさい。貴女の愛する方がその態度に引いていますわよ。
「嘘って……私はまだ、成人しておりませんよ」
学園も先月入学したばかりです。もしかして、元婚約者の年齢も知らなかったのですか? 無関心もいいところですね。
「だったら、何で、このパーティーに参加してるのよ!!」
そういう貴女は、愛人枠で参加しているのでしょう。
彼女の指摘通り、本来ならこのようなパーティーの場に、成人していない私が参加するのはおかしい話なのですが、今回は特別に参加が認められております。
何故なら、このパーティーは……
「……貴女は、このパーティーが何を祝って催されているのか知らないのですか?」
「そんなの知らないわよ!!」
まさか、そんな返答がこようとは……だから思わず、呟いてしまいましたわ。
「貴女は本当に貴族なのですか? この皇国の民ですか?」
その呟きはおそらく、その場にいる全員の胸にも浮かんだはずです。
今日が何の日か。
皇国に住む者なら皆知っています。知らないはずがない。
なのに、アンナから出てきた言葉は全てを否定するものでした。
信じられません……許せません。
だって今日は、この皇国を救った英雄が生まれた日ですよ。今王宮で開催されてるのは、それを祝うパーティーなのです。同時に、魔の森の脅威から皇国の民を護っている伯爵様たちを労う場でもあるのですよ。わかっているのですか。
平民も、この場に参加できない下位の貴族たちも今日は仕事を休み、英雄の生誕を祝います。あの女にとっては、ただの祝日なのかもしれませんが。
英雄である王弟殿下が亡くなった日は、民の全員が哀悼の意を込めて黒の服を着ます。伯爵令嬢が殺された日もです。
そうやってずっと、皇国が滅び掛けたことを忘れないようにしているのです。悲劇と向き合い続けているのです。二度と同じ悲劇を繰り返さないために。
本来なら、このパーティーに参加するのはコンフォ伯爵様でした。しかし、魔物の活動期に入ってしまい砦から離れられません。当然、隊長や副隊長たちもです。
とはいえ、仮にも主賓が、パーティー不参加では格好がつかないのも事実。というわけで、隣国に留学していた私が急遽参加することになったのです。まぁ一応、未成年ですが関係者になりますからね。
この大事な日を、大事な事柄を、ただの昔話だと一蹴する神経が到底私には理解できません。
「何、当たり前のこと言ってるのよ!! この国に住んでるんだから、この国の人間に決まってるじゃない!!」
髪を振り乱し食ってかかってくる様子は、眉を顰めてしまう程にマナーも何もなく、あまりにも見苦しくて滑稽でした。
「スミール様、貴方はこんな女を愛したのですか? 何が良かったのです? 惹かれる要素がどこにあるのですか?」
思わず尋ねてしまいましたわ。しかし、馬鹿子息の答えは返ってはきません。ショック過ぎて放心しているようです。
反対にアンナは、汚い言葉で私を罵ります。私が皇女だと忘れてしまったのでしょうか。脳みそ入ってます? 皺ありますか? 不敬罪で死にますか?
アンナの言う通り、確かにこの国に住んでいれば、籍を持っていればこの国の人間でしょう。だけど私が言っているのは違う意味です。何故それがわからないのですか。
「貴女は皇国の貴族として、民としての誇りはないのですか?」
「誇り? それが何なの? 辺境地に追いやられたくせに、偉そうなことを言わないで!!」
アンナは私にそう吐き捨てました。
少しは期待した私が馬鹿でした。愚かでした。こういう人間もいるのですね。だけど、これだけは言わせてもらいます。
「辺境地に追いやられた? 何を言ってるんです。私は皇族を代表して辺境地に赴いているのです。棄てられたわけでも、追いやられたわけでもありません」
「ふんっ。そう思ってるのは、貴女だけじゃないの」
アンナは明らかに私を馬鹿にしています。
端から私の言うことを聞く気はないのですね。よくわかりました。
それでも、私は誤った認識のままでいてほしくはありませんでした。
私のことは何と言われようと構いません。
ただ……辺境地が、厄介者が大勢いる場所だと思われたままは嫌だったのです。どうしても……
その思いで言葉を続けます。
「コンフォ伯爵家から見放され、平民を壁にしながら逃げ惑うだけの貴族がほとんどの中で、唯一、最後まで民を護るために戦ったのが、後の英雄である王弟殿下でした」
「それがどうしたのよ」
アンナは反論してきます。素直に聞く気はさらさらないようです。
「最後まで聞きなさい!!」
ここにきて、初めて強く叱責しました。少し強く言い過ぎたかしら。アンナはビクッと身を竦ませ震えています。戦場ではこれくらい普通なんですけど。まぁいいわ。大人しくなったし。
「続けます。……王弟殿下は腕を失い、片目を失いながらも戦い続け、最後は立ったまま絶命したそうです。王弟殿下は一度もコンフォ伯爵家に対し、戦えとは言いませんでした。悪いのは、我々の方だと。その潔さと、民を護ろうとする真摯な姿に心を打たれ、コンフォ伯爵家はもう一度、皇国の護り神としての役割を果たす決意をしたそうです。ここまでは理解できましたか?」
アンナは頷きもしない。反抗的な態度ですね。あっ、ブルブルと震えだしましたわ。そうでしょうね。侍女二人の殺気が凄いですから。彼女たちに表情は全くなく、それがかえって怖いです。とうとう、猿轡を取り出しましたわ。
「そして、王弟殿下を慕っていた第一皇子が皇帝陛下を討ち、次の皇帝陛下となりました。彼はいろいろなことを取り決め、後に賢王と呼ばれるようになりました。その皇帝陛下が取り決めた事柄の中に、皇族はコンフォ伯爵家と一緒に民を護るという一文があります」
「……っ! ん~!」
相変わらず反抗的な態度ですね。喋れない分私を睨んできます。いい加減うんざりですわ。もうすぐ終わるので我慢しなさい。
「皇族の中で一番魔力がある者が、辺境地に赴き魔物の討伐に参加する。つまり、私のことですよ」
わかっていただけましたか。さて、ここまで長々と話したのには理由があります。
それでは、そろそろ詰めましょうか。
「そして今日は、王弟殿下の生誕の日。魔物討伐に関わる者たちを労うこの大事なパーティーの場で、貴方たちは何をしましたか?」
口元だけはにっこりと微笑みながら、私は馬鹿子息とアンナにそう尋ねました。ほんと、ここまで長かったですわ。
「何か言ったらどうですか。無言のまま項垂れてても何も変わりませんよ、スミール様。いまさら、無言は許されません。ほら、隣にいる貴方の恋人をご覧なさい。彼女のように、猿轡を噛まされていないのだから、言葉を発することはできるでしょう」
常識のない人間は最後まで常識がありませんでした。なので、途中から猿轡を使用いたしましたわ。聞くに耐えない言葉を発していましたし、ある意味、彼女は獣と同じですからちょうどいいでしょう。自分の欲求に忠実な点は特に。
「英雄の生誕、そして皇国の護り神に感謝するパーティーの場で、皇国を滅ぼし掛けた悲劇の一端を再現された感想をお聞かせくださいな。皆、聞きたがっていますよ。そうでしょう、皇帝陛下」
ここまで自由にさせてくれたお礼を兼ねて傍観者に徹していたお父様に振ってあげましたわ。
「ああ。聞きたいな」
口角が上がって微笑んでいるように見えますが、目は全く笑ってはいません。どこまでも冷たく鋭い目で、馬鹿子息を見下ろしています。もちろん、私もです。
ほんの少し私たちと視線が合っただけで、馬鹿子息はガダガダと震え出しました。
まぁ当然ですね。鍛え方が根本から違うのですから。
「さぁ、皇帝陛下もそう仰ってるのです。早く、教えてくださいな」
にっこりと微笑みながら催促します。すると、か細い声が聞こえてきました。
「…………ゆ……許してくれ」
「許す? 何を許すのですか?」
貴方に情状酌量の余地があると思ってるのですか。
「ぼ、僕は悪くない。騙されただけなんだ。……そうだ。この女に騙されたんだ。だからもう一度僕とやり直してくれ、セリア」
いまさら、馬鹿子息に嘆願されてもね……。言うにことかいて、やり直したいなんて。本気で思っているのでしょうか。もしそうなら、なんておめでたいんでしょ。
そうそう、別の意味でありえないと思っている人間もいるみたいですよ。猿轡をしたまま、獣のように唸っている方がね。血走った目で自分を裏切った恋人を睨んでいます。つい数十分前はとても仲のいい恋人同士、運命の相手でいらっしゃったのにとても残念ですわ。
「やり直す気などさらさらありませんわ。言ったではありませんか、婚約を白紙に戻すと。構いませんよね、お父様」
「ああ。今この場をもって、我が娘セリアとスミールとの婚約を白紙に戻すこととする」
この宣言をもって、私と馬鹿子息との婚約は正式に解消されました。思わず、微笑みましたわ。
反対に、筆頭公爵様は呆然としたまま、崩れるように膝をつきます。
これで、彼の思惑は完全に潰えましたわね。
正統な後継者である長子がいながら、元は妾の子である馬鹿子息を、私と結婚させることで継がそうと目論んでいた。たまたま、皇家から婚約を打診されて思い付いたようでしたけど。浅はか過ぎません? まぁでも、公爵家が今までと同じように存続できるとは思いませんけどね。よくて子爵か男爵に格下げ。悪ければ平民落ち。最悪、死刑もありますわね。不敬罪はそれ程重い罪なのです。
私なら平民落ちが妥当だと思いますが。どちらにせよ、これから大変ですね、元公爵様。貴方を義父と呼ばずに済むなんて、心から馬鹿子息に感謝しますわ。
こういう時、扇ってほんと便利ですね。にんまりと笑った口元を上手く隠せますから。
「ありがとうございます、皇帝陛下」
公爵様から視線を外し、お父様を見上げます。
「私の方こそ悪かった。辛い思いをさせたな、セリア。まさか、こんな屑だとは思わなかった」
苦痛に満ちた表情を見せますが、嘘臭く感じるのは私だけでしょうか? 本当にそう思ってます? さすがにこの場では訊けませんが……時間があれば、後で問い質したいところです。
「セリア!!」
全て終わったはずなのに、まだ現実を直視できない人がいますね。
「先程から、誰に向かって口をきいているのですか」
私は皇女ですよ。
「セ、セリア様!! 僕は――」
様ですか。やはり、及第点以下ですね。この場合、セリア皇女殿下でしょう。
「今から七十年前、貴方と同じことを、今みたいに公の場で宣言された方がいました」
そう私が切り出すと、馬鹿子息は不審そうな表情を見せます。わざわざ貴方の疑問に答えてあげているのに。ちなみに、今から話す内容は貴族籍をお持ちなら、幼くても知っていることですよ。
「その方はこの皇国の第二皇子。婚約者は辺境地を統治する伯爵令嬢でした。当時、第二皇子には貴方のように皇都に恋人がいたそうです。婚約者を邪魔に思った彼は、明らかな冤罪を恥ずかしげもなく彼女にかけた。常日頃から、婚約者を馬鹿にしていたようです。今の貴方のようにね」
「冤罪じゃない!!」
「冤罪なんかじゃないわ!!」
まだ言い張るの? 途中で茶々を入れないでください、話が進みませんから。
視線を侍女二人に向けると、心得たとばかりにナイフを持つ手に力を入れました。
静かになりましたわね。では、続けましょうか。
「公の場で婚約破棄を宣言し、その場にいた貴族たちは第二皇子に賛同した。何故だと思います? そう……この時は貴族の間で、貴方の言った考えが主流でした。結果、この国がどうなったか知っていますか?」
一旦言葉を切ってから、間を空けて続けました。
「……皇国が滅び掛けたのですよ」
「…………皇国が滅び掛けた?」
オウム返しのように呟く馬鹿子息。
そんな彼を見て抱く感情は、呆れと困惑、そして怒りだけ。ただただ、屑を見るような冷めた気持ちで見下ろします。
訊き返されることすら、私にとって――いえ、違いますね、この場にいる全員にとって信じられないことでしたから。
「……本当に知らないのですか?」
思わず、訊き返してしまいました。
何故なら、私たち皇国の民は平民、貴族関係なしに、幼少時から絵本などで皇国の歴史を勉強し、同時に、辺境地の重要性も叩き込まれるからです。
歴史を生きた教材として。
故に、皇国が滅び掛けた事件に関しては、皇国民なら全員知っている事柄です。二度と過ちと悲劇を繰り返さないように、皇国民全員が忘れないために。文字を知らない赤子ならともかく、貴族が、それも筆頭公爵家の人間が知らないなんてありえません。あってはならないのです。
ましてや、皇国を滅ぼし掛けたあの第二皇子と同じ考えを抱くなど……決して見過ごせません。その芽は徹底的に潰します。もう二度とそこに草一本生えないまで。
「馬鹿にするな!! それぐらい知っている。魔物に攻められたんだろ。辺境地の奴らがさぼったせいで」
激高する馬鹿子息。
言葉を失う私たち。
…………さぼった。
言うにことかいて、何を言ってるの……? この馬鹿は。
おそらくこの場にいる全員、そう思ってるでしょうね。
「……どういうことだ? ジュリアス」
感情のこもらない静かな声で、お父様は公爵様に尋ねます。それがかえって、怒りの深さを感じさせます。怒りの沸点を大幅に超えると、人は感情を失うのですね。
お父様にそう尋ねられても、公爵様が答えられるわけありません。彼は力が抜けたように、その場に座り込んでいます。一気に老けた感じがしますね。同情はしませんわ。因果応報ですもの。年がいってからできた息子ですものね、散々甘やかしたツケが回ってきたようですわ。
私は公爵様に向けた視線を馬鹿子息に戻します。
「それは違います。断じて違います。辺境地の方々のせいではありません。彼らは自分の身を削ってまで、自分の領土にいる民、ひいては皇国の民を魔物から護り続けてくれた。いつしかそれを当たり前のように思い、感謝の気持ちを忘れてしまった。軽視してしまった。そして遂に、最悪の形で裏切ったのです。悪いのは、第二皇子と私たち皇族と貴族です」
辺境地を治めるのはコンフォ伯爵。私が現在、滞在しているのも伯爵の家です。伯爵が治める辺境地は魔の森に面しています。魔の森には澱みがあり、そこから魔物は生まれます。故に結果として、魔物の多くは魔の森から出現するのです。
言わば、コンフォ伯爵が治める辺境地は魔物討伐の最前線。
そこに、ドレスや宝石などいりません。一体、何の役に立つのでしょうか。
「ただの婚約破棄だろ?」
「そうよ。そうよ」
鼻で嗤うように言い放つ馬鹿子息とアンナ。
本当に知らないのね。それとも、都合がいいように解釈してるのかしら。どちらにせよ、知らないってことよね。あ~その顔を踏み潰したいわ。でも今は我慢しないといけません。
「事の発端はそうです。しかし、それだけでは終わりませんでした。第二皇子とその取り巻きたち、そして第二皇子の恋人の手によって、元婚約者は無残にも殺害されたのです」
「「なっ!?」」
二人とも驚愕してるようですが、ここまでは皇国の民なら全員知っていることですよ。
さすがに、教育上悪いのでどのような最期を迎えたのかまでは記載されませんでしたが。死者にも人権がありますからね。ただ、貴族籍がある者は成人になった時に親から教わります。貴方はすでに成人していますよね。
「無実の罪で投獄し、拷問をした上、さらには嬲りものにして。そして、亡骸を平民の共同墓地に棄てたのです。王弟殿下が事実を知り慌てて駆け付けた時、その亡骸は、誰だか判別つかない程酷い状態だったと伝え聞いております」
思い出す度に胸がギュッと締め付けられますわ。
とても美しい方だったと皆から伝え聞いております。今でも、彼女の墓には絶えることなく花が供えられていますよ。私も何度も参らせてもらいましたわ。
「この話は、貴族なら知っていて当たり前です。平民でさえ、何故殺されたか知っておりますよ」
知らないのは貴方たちだけですわ。
「そんな事実、僕は知らない。見え透いた嘘を吐くな!!」
「私も聞いたことないわ。そんな作り話をして逃げようなんて許さないんだから!!」
興奮する馬鹿子息とアンナ。
丁寧に教えて差しあげたのに、怒鳴られてしまいましたわ。
「貴方たち、頭大丈夫ですか? 皇帝陛下がおられる前で、皇国の骨幹に関わる事柄に関して嘘が吐けますか?」
思わず、そう突っ込んでしまいましたわ。
こんな馬鹿たちにわかるように話すなんて、ほんとストレスしかありませんわ。でもせっかくです。これも生きた教材にしないといけませんよね。
いくら歴史で習っていても、親から聞かされていても、平和な時代が続けば、どうしても危機感は薄れてしまう。それは仕方ないことでしょう。それを責めるつもりはありません。
ありませんが、この風潮をこれ以上看過することはできませんわ。
馬鹿子息とアンナ嬢は例外中の例外ですが、辺境地の重要性と役割を軽んじる風潮があるのも、悲しいですが現実なのです。
馬鹿子息も言っていましたが、服装や立ち居振る舞いに関して、陰で冷笑している貴族が多いのも、私たち辺境地に住む者を軽んじる態度の表れでしょう。魔物の討伐に忙しくて、お茶会やパーティーに参加できないのも、そういった風潮を加速させているのだと思います。
このまま何の手も打たなければ、今度こそ彼らは皇国を去ってしまう。そうなれば、皇国は滅んでしまうでしょう。それは間違いありません。
愚かな貴族たちが死ぬのは構いません。自業自得ですから。でも、そのせいで民が犠牲になるのは我慢できません。
それを防ぐためにも、馬鹿子息とアンナ、そしてこの馬鹿子息をきちんと教育しなかった筆頭公爵夫妻には、皇国の未来のための礎になってもらわなければなりません。当然、アンナの両親にも諦めてもらいましょう。
「辺境地だからと蔑まれ続け、皇族から打診され結ばれた婚約も一方的に破棄され、無残にも殺された。それも第二皇子が自分の欲望を叶えるために。そしてその亡骸は、埋葬されることなく平民の共同墓地に棄てられた。そのような仕打ちを受けて、許すことができますか? 国を護るために、その身を盾にできますか?」
黙り込む馬鹿子息とアンナ。その顔色は真っ青でした。
少しは、自分がなさろうとしていたことが、どういう意味かわかっていただけたでしょうか。貴方たちはまるっきり同じことをしようとしていたのですよ。
「当時の皇帝陛下は息子可愛さに、愚策にも、形ばかりの処罰を第二皇子と側近たちに下し、伯爵には多額の賠償金で何もなかったことにしようとしました。王弟殿下が亡骸を領地に運ばなければ、ご遺体はそのまま野ざらしになっていたでしょう」
人として最低最悪な行為です。彼らは二度、伯爵令嬢を殺したのです。
「……それで、どうなったんだ?」
馬鹿子息は震えながらも訊いてきます。
「勇敢な者たちは領地に籠もりました。自分の領民を集め、彼らだけを護る盾になったのです。当然、辺境の警護も手薄になります。手薄になったところから魔物は入り込みました。そして、皇国の民を蹂躙していったのです。皇帝陛下や貴族たちは伯爵に助けを求めましたよ。原因になった自分の息子と新しい婚約者、そして側近たちの首を差し出して。しかし自分の首は差し出さなかった。おかしいとは思いませんか?」
二人とも多少の想像力はあったようですね。カタカタと震えながら大人しく聞いています。
「……人は無力です。鋭い牙も鋭い爪も持っていません。強靭な肉体も持ってはいません。さっきまで鍬を持っていた周辺の領民になす術などありません。当然、貴族もです。……唯一、戦う力を持つ騎士団も魔術師も魔物にはかないませんでした。当然ですね。彼らが相手にしていたのは、人だからです。魔物など相手にしたことがなかった。一度もね……」
一旦、私は言葉を切りました。ここにいる誰もが、音を一切立てずに聞いています。
「嫌なことも辛いことも、全て伯爵様の一族に押し付けていた。それをこれっぽっちも悪いとは思っていなかった。当たり前だと考えていた。だから、感謝の気持ちもなかった。なかったから、平気でこの皇国の護り神だった伯爵家を蔑ろにした。最悪の形で裏切った。その結果、皇国の滅亡の危機を招いたのです」
「……でも、滅亡はしなかったじゃないか」
馬鹿子息が俯いたままポツリと呟く。
「だから? まさかそれで、貴方の暴言が取り消されるとでも思っているのですか。もしくは軽くなるとでも。ありえません、反対です。貴方たちの罪を確認するために言っているだけですよ」
勘違いしないでくださいね。
「だったら、謝ればいいんだろ!!」
そんな投げやりの心が籠もっていない謝罪になんの意味があるんです。
「謝って済む段階はとうに過ぎています」
「どこまでも生意気な。誠心誠意謝ったから、伯爵は許したんだろ!!」
だから、「お前も許せ」っと仰りたいのですか? 本当に、顔の皮が厚い人ですね。
「貴方の言う通り、確かに皇国は滅びはしなかった。それは皇族や貴族たちが謝罪したからではありませんよ。一人の人間の真摯な姿に心を打たれたからです」
そう……彼のおかげで、この皇国は救われたのです。
私の声が響く中、唐突に、だがはっきりとその声は聞こえました。
「煩い」
悪意を含んだ小さな声が、私と馬鹿子息との話に水を差したのです。
え……?
一瞬聞き間違いかと思いましたわ。まさかこのタイミングで、そんなことを言い出す人がいるとは想像だにしませんでしたから。
私は声の主の動向を見るために、さり気なく侍女二人に離れるよう指示を出しました。渋々ですが、侍女二人はナイフを退け離れます。安心なさい、彼らは後であげますから。
「さっきから、関係のないことばかり話して、はぐらかそうとしても許さないんだから!! それって昔の話でしょ。今は関係ないじゃない!!」
真っ青でカタカタと震えていた女性とは思えませんね。あれは演技だったんですか? あっ、ナイフを首筋に当てていましたね。だからですか。話の内容に震えていたわけではなかったのですね。とても残念ですわ。
「関係ないと仰るの……」
またしても、低い声が出てしまいましたわ。
「そうよ。私を虐めたじゃない」
まだそれを引っ張りますか。うんざりです。振り出しに戻った感アリアリです。内心、後はお父様にお任せして帰りたくなりましたわ。
「何故、私が貴女を虐めなければならないのです?」
「スミール様に愛されているからよ!!」
だから、それがどうしたというのです。
「私がスミール様を愛しているとでも思っているのですか。いいえ、全く、これっぽっちも愛しておりません。なので、邪魔する必要も、虐める必要もありません。それにそもそも、私は隣国の学園に通ってます。どうやって虐めるのです? 誰かにやらせたと? そんな人いませんよ。お茶会に参加したこともないのに」
きっぱりと否定しました。そんな勘違いされるなんて、不愉快でしかありませんから。だけど私も皇族の一員です。関心がないからといって、婚約者の役目を放棄するつもりはありませんでしたわ。
ところで馬鹿息子、何故貴方がそんなにショックを受けているのです? 私が貴方に好意があるとでも思っていたのですか? 貴方のどこに好意を持つ要素があるのです。会えば、見当違いのことで怒鳴られ、誕生日などのプレゼントも一度として贈られず、手紙一つない。そんな目にあえば、嫌いこそすれ、好意を持つなんてありえませんわ。それに、そもそもお茶会に参加したことがないんです。パーティーも。もちろん、招いたこともありませんよ。辺境地で魔物討伐していたせいもありますが。そもそも私は――
「セリア様。心の声が漏れています」
私の背後に回り込んだ侍女が、それとなく耳打ちしてくれました。
失礼しましたわ。どうりで、馬鹿子息が項垂れているのですね。聞かれて困るものではないので別に構いませんが、これからは気を付けないといけません。
「そんな見え透いた嘘を吐くなんて。スミール様を愛していたから、私に酷いことをしたんでしょ。さっさと認めなさいよ!!」
酷さを通り越して醜悪しかありません。話が全く噛み合わない。魔物の方がまだ可愛げがありますわ。いったい、どんな育ち方をすればこうなるのかしら。隣をご覧なさい。貴女の愛する方がその態度に引いていますわよ。
「嘘って……私はまだ、成人しておりませんよ」
学園も先月入学したばかりです。もしかして、元婚約者の年齢も知らなかったのですか? 無関心もいいところですね。
「だったら、何で、このパーティーに参加してるのよ!!」
そういう貴女は、愛人枠で参加しているのでしょう。
彼女の指摘通り、本来ならこのようなパーティーの場に、成人していない私が参加するのはおかしい話なのですが、今回は特別に参加が認められております。
何故なら、このパーティーは……
「……貴女は、このパーティーが何を祝って催されているのか知らないのですか?」
「そんなの知らないわよ!!」
まさか、そんな返答がこようとは……だから思わず、呟いてしまいましたわ。
「貴女は本当に貴族なのですか? この皇国の民ですか?」
その呟きはおそらく、その場にいる全員の胸にも浮かんだはずです。
今日が何の日か。
皇国に住む者なら皆知っています。知らないはずがない。
なのに、アンナから出てきた言葉は全てを否定するものでした。
信じられません……許せません。
だって今日は、この皇国を救った英雄が生まれた日ですよ。今王宮で開催されてるのは、それを祝うパーティーなのです。同時に、魔の森の脅威から皇国の民を護っている伯爵様たちを労う場でもあるのですよ。わかっているのですか。
平民も、この場に参加できない下位の貴族たちも今日は仕事を休み、英雄の生誕を祝います。あの女にとっては、ただの祝日なのかもしれませんが。
英雄である王弟殿下が亡くなった日は、民の全員が哀悼の意を込めて黒の服を着ます。伯爵令嬢が殺された日もです。
そうやってずっと、皇国が滅び掛けたことを忘れないようにしているのです。悲劇と向き合い続けているのです。二度と同じ悲劇を繰り返さないために。
本来なら、このパーティーに参加するのはコンフォ伯爵様でした。しかし、魔物の活動期に入ってしまい砦から離れられません。当然、隊長や副隊長たちもです。
とはいえ、仮にも主賓が、パーティー不参加では格好がつかないのも事実。というわけで、隣国に留学していた私が急遽参加することになったのです。まぁ一応、未成年ですが関係者になりますからね。
この大事な日を、大事な事柄を、ただの昔話だと一蹴する神経が到底私には理解できません。
「何、当たり前のこと言ってるのよ!! この国に住んでるんだから、この国の人間に決まってるじゃない!!」
髪を振り乱し食ってかかってくる様子は、眉を顰めてしまう程にマナーも何もなく、あまりにも見苦しくて滑稽でした。
「スミール様、貴方はこんな女を愛したのですか? 何が良かったのです? 惹かれる要素がどこにあるのですか?」
思わず尋ねてしまいましたわ。しかし、馬鹿子息の答えは返ってはきません。ショック過ぎて放心しているようです。
反対にアンナは、汚い言葉で私を罵ります。私が皇女だと忘れてしまったのでしょうか。脳みそ入ってます? 皺ありますか? 不敬罪で死にますか?
アンナの言う通り、確かにこの国に住んでいれば、籍を持っていればこの国の人間でしょう。だけど私が言っているのは違う意味です。何故それがわからないのですか。
「貴女は皇国の貴族として、民としての誇りはないのですか?」
「誇り? それが何なの? 辺境地に追いやられたくせに、偉そうなことを言わないで!!」
アンナは私にそう吐き捨てました。
少しは期待した私が馬鹿でした。愚かでした。こういう人間もいるのですね。だけど、これだけは言わせてもらいます。
「辺境地に追いやられた? 何を言ってるんです。私は皇族を代表して辺境地に赴いているのです。棄てられたわけでも、追いやられたわけでもありません」
「ふんっ。そう思ってるのは、貴女だけじゃないの」
アンナは明らかに私を馬鹿にしています。
端から私の言うことを聞く気はないのですね。よくわかりました。
それでも、私は誤った認識のままでいてほしくはありませんでした。
私のことは何と言われようと構いません。
ただ……辺境地が、厄介者が大勢いる場所だと思われたままは嫌だったのです。どうしても……
その思いで言葉を続けます。
「コンフォ伯爵家から見放され、平民を壁にしながら逃げ惑うだけの貴族がほとんどの中で、唯一、最後まで民を護るために戦ったのが、後の英雄である王弟殿下でした」
「それがどうしたのよ」
アンナは反論してきます。素直に聞く気はさらさらないようです。
「最後まで聞きなさい!!」
ここにきて、初めて強く叱責しました。少し強く言い過ぎたかしら。アンナはビクッと身を竦ませ震えています。戦場ではこれくらい普通なんですけど。まぁいいわ。大人しくなったし。
「続けます。……王弟殿下は腕を失い、片目を失いながらも戦い続け、最後は立ったまま絶命したそうです。王弟殿下は一度もコンフォ伯爵家に対し、戦えとは言いませんでした。悪いのは、我々の方だと。その潔さと、民を護ろうとする真摯な姿に心を打たれ、コンフォ伯爵家はもう一度、皇国の護り神としての役割を果たす決意をしたそうです。ここまでは理解できましたか?」
アンナは頷きもしない。反抗的な態度ですね。あっ、ブルブルと震えだしましたわ。そうでしょうね。侍女二人の殺気が凄いですから。彼女たちに表情は全くなく、それがかえって怖いです。とうとう、猿轡を取り出しましたわ。
「そして、王弟殿下を慕っていた第一皇子が皇帝陛下を討ち、次の皇帝陛下となりました。彼はいろいろなことを取り決め、後に賢王と呼ばれるようになりました。その皇帝陛下が取り決めた事柄の中に、皇族はコンフォ伯爵家と一緒に民を護るという一文があります」
「……っ! ん~!」
相変わらず反抗的な態度ですね。喋れない分私を睨んできます。いい加減うんざりですわ。もうすぐ終わるので我慢しなさい。
「皇族の中で一番魔力がある者が、辺境地に赴き魔物の討伐に参加する。つまり、私のことですよ」
わかっていただけましたか。さて、ここまで長々と話したのには理由があります。
それでは、そろそろ詰めましょうか。
「そして今日は、王弟殿下の生誕の日。魔物討伐に関わる者たちを労うこの大事なパーティーの場で、貴方たちは何をしましたか?」
口元だけはにっこりと微笑みながら、私は馬鹿子息とアンナにそう尋ねました。ほんと、ここまで長かったですわ。
「何か言ったらどうですか。無言のまま項垂れてても何も変わりませんよ、スミール様。いまさら、無言は許されません。ほら、隣にいる貴方の恋人をご覧なさい。彼女のように、猿轡を噛まされていないのだから、言葉を発することはできるでしょう」
常識のない人間は最後まで常識がありませんでした。なので、途中から猿轡を使用いたしましたわ。聞くに耐えない言葉を発していましたし、ある意味、彼女は獣と同じですからちょうどいいでしょう。自分の欲求に忠実な点は特に。
「英雄の生誕、そして皇国の護り神に感謝するパーティーの場で、皇国を滅ぼし掛けた悲劇の一端を再現された感想をお聞かせくださいな。皆、聞きたがっていますよ。そうでしょう、皇帝陛下」
ここまで自由にさせてくれたお礼を兼ねて傍観者に徹していたお父様に振ってあげましたわ。
「ああ。聞きたいな」
口角が上がって微笑んでいるように見えますが、目は全く笑ってはいません。どこまでも冷たく鋭い目で、馬鹿子息を見下ろしています。もちろん、私もです。
ほんの少し私たちと視線が合っただけで、馬鹿子息はガダガダと震え出しました。
まぁ当然ですね。鍛え方が根本から違うのですから。
「さぁ、皇帝陛下もそう仰ってるのです。早く、教えてくださいな」
にっこりと微笑みながら催促します。すると、か細い声が聞こえてきました。
「…………ゆ……許してくれ」
「許す? 何を許すのですか?」
貴方に情状酌量の余地があると思ってるのですか。
「ぼ、僕は悪くない。騙されただけなんだ。……そうだ。この女に騙されたんだ。だからもう一度僕とやり直してくれ、セリア」
いまさら、馬鹿子息に嘆願されてもね……。言うにことかいて、やり直したいなんて。本気で思っているのでしょうか。もしそうなら、なんておめでたいんでしょ。
そうそう、別の意味でありえないと思っている人間もいるみたいですよ。猿轡をしたまま、獣のように唸っている方がね。血走った目で自分を裏切った恋人を睨んでいます。つい数十分前はとても仲のいい恋人同士、運命の相手でいらっしゃったのにとても残念ですわ。
「やり直す気などさらさらありませんわ。言ったではありませんか、婚約を白紙に戻すと。構いませんよね、お父様」
「ああ。今この場をもって、我が娘セリアとスミールとの婚約を白紙に戻すこととする」
この宣言をもって、私と馬鹿子息との婚約は正式に解消されました。思わず、微笑みましたわ。
反対に、筆頭公爵様は呆然としたまま、崩れるように膝をつきます。
これで、彼の思惑は完全に潰えましたわね。
正統な後継者である長子がいながら、元は妾の子である馬鹿子息を、私と結婚させることで継がそうと目論んでいた。たまたま、皇家から婚約を打診されて思い付いたようでしたけど。浅はか過ぎません? まぁでも、公爵家が今までと同じように存続できるとは思いませんけどね。よくて子爵か男爵に格下げ。悪ければ平民落ち。最悪、死刑もありますわね。不敬罪はそれ程重い罪なのです。
私なら平民落ちが妥当だと思いますが。どちらにせよ、これから大変ですね、元公爵様。貴方を義父と呼ばずに済むなんて、心から馬鹿子息に感謝しますわ。
こういう時、扇ってほんと便利ですね。にんまりと笑った口元を上手く隠せますから。
「ありがとうございます、皇帝陛下」
公爵様から視線を外し、お父様を見上げます。
「私の方こそ悪かった。辛い思いをさせたな、セリア。まさか、こんな屑だとは思わなかった」
苦痛に満ちた表情を見せますが、嘘臭く感じるのは私だけでしょうか? 本当にそう思ってます? さすがにこの場では訊けませんが……時間があれば、後で問い質したいところです。
「セリア!!」
全て終わったはずなのに、まだ現実を直視できない人がいますね。
「先程から、誰に向かって口をきいているのですか」
私は皇女ですよ。
「セ、セリア様!! 僕は――」
様ですか。やはり、及第点以下ですね。この場合、セリア皇女殿下でしょう。
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