戻るなんて選択肢はないので、絶対魔法使いの弟子になってみせます。

井藤 美樹

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第四章 銀色の少女

第八話 黒髪の美女と空飛ぶ帆船(3)

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「睦月様、手が傷付きます」

 その声はか細く震えていた。

 私の手に触れるのに、どれだけ勇気がいったんだろう。だけどこの時の私は、栞を思いやる余裕なんて一切なかった。反射的に、その手を勢いよく振り払ってしまう。

 泣きそうな表情をした栞と目がかち合う。何でかな……とても、悪いことをしてしまった気がするよ。

「……ごめん、栞。しばらく一人にして」

 素直になれない私は栞から視線を外すと、サス君と一緒に部屋に戻った。そして、襖を背に座り込む。

 ……何でかな?

 悲しいわけじゃないのに涙が出てきた。

 悔しかった。腹が立った。色んな気持ちが混ざり合う。

 本当は……天狗たちに対してもだけど、一番腹が立ったのは自分自身だった。何も出来ない自分自身にすごく腹が立ったんだよ。

 涙が次から次へと溢れ出てくる。溢れてくる涙をどうすることも出来なくて、声を殺し、ただ膝を抱えて震えていた。

 サス君はそんな私に声を掛けることなく、ずっと横に座ってくれた。

 長い間、そうしてたと思う。

 顔を上げた時、太陽は完全に真上を過ぎていた。

 顔を膝から離した私に気付いたサス君が、躊躇ためらいがちに声を掛けてくる。

「……大丈夫ですか」って。

「もう、大丈夫。すっきりしたよ。……ずっと側にいてくれてありがとうね、サス君」

 泣き腫らした真っ赤な目を擦りながら、照れくさそうに笑って答えた。

 てっきり、ニコッて笑ってくれると思ってたサス君が俯いてしまった。

「どうしたの? サス君」

「…………すみません。僕がしっかりしてなかったから、睦月さんも桂たちも傷付けてしまった」

 サス君は苦しそうに、とても苦しそうに謝罪の言葉を吐き出す。

 ずっと……苦しんでたんだね。

 サス君を抱き上げるとギュッと抱き締めた。首筋にサス君の息を感じる。肩に体温を感じる。つい、クスッと笑ってしまった。

「馬鹿だなぁ、サス君は。偉い狛犬様なのに。私はいつでもサス君に護られてるよ。サス君がここにいてくれるから、私は私でいられるんだよ。……ありがとう、サス君」

 サス君は何も言わなかった。

(また……涙が出そうだよ)

 泣くのを我慢する代わりに、サス君を抱き締める腕に力を込めた。

 思い返せば、数ヵ月前は泣くことなんてなかった。

 自分自身を守るために心を殺してた。それが強さだと勘違いしてた。でも今は……簡単に涙を流す。感情を制御出来ない自分がいる。でもね……不思議と、自分が弱くなったとは思わないんだよ。

(強くなったとも思えないけど……)

 なんか可笑しくなってきた。笑みが溢れる。

「サス君、お腹空かない?」

 間の抜けた質問に、サス君はつられるように笑った。

「そうですね。お腹空きましたね」

 サス君を畳の上に下ろすと、部屋の襖を開けて廊下へと続く引き戸を開けた。

 廊下に栞が立っていた。

 あれから、ずっと立ってたのかな? 栞の優しさと強さに胸が熱くなる。

「睦月様…………」

 戸惑いながら、でもその声には私を心配する思いがしっかりと込められていた。

 あの時、払い除けてしまった栞の手を強く握り締める。

「栞も一緒にご飯を食べようよ」

 素直になれない、私なりの謝罪。

「一緒にですか!?」

 唐突な提案に、栞は目を丸くして驚いている。

「うん」

 笑みを浮かべながら頷く。

「はい!! 直ぐにお持ちしますね」

 栞は嬉しそうに満面な笑みを浮かべならがらそう答えると、廊下を走って行った。

 天狗にわだかまりがないとは言えない。けど……全ての天狗が悪いとは思わない。この誘拐のことを栞は知っていたと思う。

 だけど栞は、一度も「自分たちが正しいことをした」とか、「許して欲しい」とか……言わなかった。

 真摯に私に向き合ってくれた。ぶつかってくれた。その気持ちに嘘はないと思う。だから私も、栞と向き合うことにした。ご飯はその第一歩。勿論、謝罪の気持ちもあるけどね。サス君も反対しない。

 引き戸を閉めると部屋の奥に戻る。

 この時、私は気付いてなかった。

 廊下の壁に、大きな裂けたような傷が出来ていたことにーー。

 そして、何も気付かずに部屋に戻る私とサス君を、曲がり角の陰から見ている者がいたこと。サス君がそれに気付いていたことなど、私は知るよしもなかった。

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