スパダリ社長の狼くん

soirée

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第五章

二十七話

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佑を見送った忍が玄関で瞬を振り返った。
「ちょうどいい。あの子が話すきっかけをくれた。約束だったからね……僕のことを知りたいなら、話してあげるよ」
キッチンに戻りかけた瞬の背が止まる。恐る恐ると言った顔で忍を見る。
「知りたいんだろう? 残念ながら君が期待しているような話ではないかもしれないけれど。僕はあの子と何も変わらない。過去に押しつぶされたままの惨めな男だ」
自嘲するように口元を釣り上げて、忍は瞬の横を通り過ぎてリビングに向かう。慌てて追った瞬がその手を掴んだ。
「……なるべく理性的に話すように心がけるよ。僕もようやく僕自身の過去と向き合える。命が尽きる前のちょうどいい機会だ」
その口調は思わず底冷えがするほど抑揚を失っていた。


ソファに移動したものの、忍の顔を見るのがなんとなく憚られる。忍を抱き込むように背後から両腕で包み込んで座る。
「……僕は子供の頃から割となんでも器用にこなす方でね。顔も顔だし、東條家は地元では有名な家系だ。小さな頃から大人になったら政治家や起業家として一流の道を歩むように言われていた。兄弟はたくさんいたけれど、誰も仲なんてよくないんだ。全員が競争相手なんだから無理もない。僕はその中でも期待をされていた方だと思う」
瞬の指を意味もなく弄びながら、歩んだ軌跡を思い返す。何も不安などなかった。あの日までは……。
「中学に入ってすぐに僕の声に目をつけたのが当時の合唱部の副部長だ。子供の頃の僕の声は確かに珍しいほどのソプラノだったからね……入ってしばらくはそれはそれはもてはやされたよ。でも僕だって男だ。二学期に入ってしばらくして声変わりが始まった。無理にソプラノを歌わせると酷い声になるかもしれないからって部員は気を遣ってくれてね……しばらく休んで、変声後に戻ったんだけど、多分期待されていた声になっていなかったんだと思う。とくに副部長の落胆はひどかった。僕自身もそれまで随分生意気な態度を取っていたからね、そのせいもあってひどい逆風になった」
それが苛めに変わっていったのは当然の流れだった、と呟いて忍が透明な視線を向けてくる。どこかで見たその瞳に声を詰まらせ、すぐに思い出す。……秋平から病院でレイプを受けた後のあの目。温度も感情も何もない抜け殻の目だ。
「秋平先輩は当時の合唱部の一番の主力だったんだ。三年で引退も近かった。僕の思い上がった態度と言葉でそれはそれは苛ついていたと思うよ。だってそうでもなければ後輩に突然レイプなんかしないだろう?」
その喉がかすかに引き攣った。抑えつけていないと溢れて出てこようとする13歳の自分を元通り意識の奥に封じ込める。
「だから……僕が引き金を引いたんだと思う。けれど……」
忍の歯切れの悪い言葉を瞬は即座に否定した。
「だからなんだよ。お前がどんなに生意気なこと言ってたとしたって……それがレイプを正当化なんかするわけないだろ。それも一度や二度じゃないんだ、わざわざ高校に上がっても続けるなんて……悪いのは誰がどう考えても透だろ。なんでお前がそんな罪悪感感じなきゃいけないんだよ……」
忍がありがとう、とぎこちなく微笑む。
「まぁ、その後は君も知っている通りだ。解放されたのは東大に受かった瞬間だ。秋平先輩が進んだのは地方の国公立だったけれど、僕が進学するまでずっと週末は帰ってきていたし……それこそ僕は一人暮らしだったからね。気まぐれな医大生が一般教養の期間に突然帰ってきて押しかけてきたら何も逆らえなかった。長期休暇なんて地獄でしかなかったよ。……それにその頃には相手は先輩一人ではなかったからね……」
必死になって掴んだ学問の最高峰への切符を手に忍は東條家に報告のための帰省をした。そこで忍にとっては義理の父……つまり、東條家の主に護衛をつけられたのだ。
それだけ東條家にとって忍は将来有望な跡取り候補だったと言える。
結果的に秋平は近づけなくなり、忍はやっと長年続いた性加害から逃れられたのである。
瞬が口を挟む。前々から気にはなっていたのだ。
「お前、病気のこと家に言わなくていいのか……?」
忍が肩をすくめた。
「僕の世代だけで18人もいる。僕一人がいなくなったくらいで東條家は何も困らない。僕なんて所詮その程度の価値しかないんだ、あの家には」
皮肉な笑みに、何も言えなくなってしまう。忍がこんな風に自分を貶めるような発言をしたのは初めてだ。いつも人のことも己のことも大切にしているように見えていた。忍がますますその皮肉な色を強めた。誰だって忍の表の顔に騙される。内面まで気づきはしない。気づかれたくもなかった。騙し通せたから、だからこそここまでのし上がれたのだ。

「あの後それとなく裕也には探りを入れたよ。僕の印象が今と違うってことだよね? 僕からしたら当たり前のことだとしか言えないんだ。いくら解放されたからって僕にとっては世界は敵だった。いつ誰が豹変して手のひらを返すかわからない。他人は所詮何もしてくれない。家族だって血が繋がっているだけで、僕の全てがわかるわけじゃない。だから人に興味なんて持てなかったんだ。僕の目の前でたとえ誰かが死にかけていようと、昔の僕なら何も感じず通り過ぎたと思うよ。今みたいな七面倒なことはしていない」

忍の声が遠い。瞬を突き放すように淡々と語るその声には、冷たさはないものの、暖かさもなかった。
急に忍が知らない誰かになってしまったようで、抱き込む腕に力が籠る。置いていかれてしまいそうで……。

「色々あったけれど、そんな僕でも学びはする。今の僕は僕の周りにいてくれる君たちにできる限りのものを返したいと願ってる。ただ……うん、僕の中の13歳の僕、なんて言い方を君にされたことがあったけれど、その僕の声を聞いてあげることが僕にはどうしてもできないんだ。目を逸らしているわけじゃない、何度も考えた。ただ、聞こえないんだ。分からない。それでもさっき言った通り、僕は佑と同じで過去の呪縛から抜け出せないままの惨めな男だ。いつまでも許せないでいる器の狭い男だよ」
自嘲気味に締めくくり、忍は長い吐息をつく。何が話したかったんだか、と呟いた。
瞬がますます強く腕を絡めてくるのに「苦しい」と笑う。
振り向こうとした刹那、その肩に生ぬるい雫を感じた。
「……泣いてるの?」
「……ん……俺の仕事はお前の代わりに泣くことだから。俺には聞こえるのに。お前の中のお前の声……簡単に聞こえるよ」
「……なんて言ってるのかな」
ずず、と鼻を啜り上げて瞬はますますきつくしがみつく。
「お前は悪くない。許せなくて当然だ、許す必要なんかどこにもない。俺はずっとそばにいるから、もっと耳を澄ませてやれよ。お前が自分で聞き取れなきゃ、きっと意味がない。どうしても聞こえなかったら……その時は俺が教えてやるから。お前、人の言葉ばっかり聞いてて自分の声がわかんなくなってんだよ……いくら同じような痛みを持ってる相手の言葉でもそれはお前の言葉じゃないんだぜ」
首筋に額をつけてくる瞬の涙がうなじを濡らす。いつの間にか随分と核心を突いてくるようになったな……と忍はまつ毛を伏せた。
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