スパダリ社長の狼くん

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第五章

二十三話

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 忍の車を運転できないことにこんなにも悔しさを覚えることになるとは、と瞬が情けなさで瞼を覆う。忍が吹き出す。指先で瞬の眦をなぞって慰めてくれる。
「仕方がないよ。免許を取れとは僕も言わなかったしね」
「でも……だからって病人に運転させて自分が助手席なんて……」
 居た堪れないことこの上ない。いっそ忍を抱いて歩いて帰ろうかとさえ思ったほどだ。
「大丈夫だよ。これくらいはまだ出来る」

 
 そもそも、本当ならばタクシーでよかったのだ。槙野が忍に言われるままに持ってきたレクサスを忍が自分が運転して帰ると言い出した時には、槙野と共に懸命に止めた。が、槙野も瞬も忍が折れるはずがないことは身に染みて理解もしており……気が付けば荷物を詰め込んだまま槙野は帰され、瞬は助手席に据えられていたのだ。

 瞬が選んできた私服は忍の整った容姿を引き立てるようなシンプルなものだった。ネイビーのジャケットにチャコールグレーのシャツ、ベージュのスラックス。ネクタイの代わりに瞬はほとんど無理矢理のような理由をつけてループタイを贈った。喉を締め付けるネクタイは苦しいに決まっているから。
 そんな瞬の浅はかな思いは見抜いているだろうに、忍は特に何も言わず微笑んでありがとう、と首にかけてくれていた。

「忍……ごめんなさい」
 まつ毛を伏せて瞬が呟く。忍が苦笑した。
「もう気にしていないよ。むしろちゃんと話せてよかった。ありがとう。裕也にもお礼を言わないとね」




 安曇の忠告に耳を貸した忍は、あの後瞬を枕元に呼んで真剣な顔で複雑な胸中を全て話してくれた。

「僕も正直に言えば在宅での治療は辛い。君のことだから気づいていると思うけれど、突然の痛みに備える術が何もないんだ。ホスピスの緩和ケアは手厚いからね、魅力がないと言えば嘘になる。でもそれ以上に僕は君のそばから離れたくないんだ。君にもがき苦しむ無様な僕を見せるのは僕だって嫌だよ。君にも計り知れない負担をかけているとわかっている。それでも……いつも君を抱きしめられる距離にいたいんだ。それこそそのうちに君の腕の中で息を引き取ることができたら僕はきっと幸せな気持ちで旅立てる。駆けつけた君が間に合わなかった時……僕は独りで逝かなきゃならない。それは……」
 一瞬流れた視線は穏やかに瞬へと戻ってくる。含羞の滲んだ柔らかな碧水の瞳が瞬に微笑む。
「寂しいんだよ」
「でも……いや、分かるよ。お前のその気持ちは痛いくらい分かるけど、でも本当に命に関わるような急変をしたら……」
 しどろもどろな瞬をしずかに見据えて忍は悲しそうに事実を突きつける。
 もうどうしようもない現実を。
「……命に関わってるよ、既に。もう急変しようがしまいが、僕はそんなに長くない……。最期のわずかな時間を幸せに過ごしたいだけだ。……ダメかな……」
 瞬が打ちのめされた顔をする。指先でその前髪をかき上げて額にキスを落とす忍のパジャマの裾を握りしめて、瞬は俯く。
 忍の言う通りだった。目を逸らしていたのは忍ではなく、瞬の方だ。どれだけ命を延ばそうとしても、もうあと僅かな残り時間──そこに幸せを求める忍の願いを無下になどできるわけがなかった。
「分かった。……帰ろう、一緒に。俺のそばにずっと居て……」
 絞り出すような声でそう呟いた瞬に、忍が微笑む。膝の上に投げ出された瞬の背を撫でた。
「ありがとう」
その目が一瞬遠くを眺めるように細められた後、肝心の続きを促す。
「……で、裕也に何を吹き込まれたの? 僕の何が聞きたいのかな」
瞬が固まる。いざ聞くとなると何をどう聞けばいいのやら……。
「……色々……」
複雑な声音でそう呟いた瞬に忍が吹き出す。
「色々、か。なるほど。じゃあ、退院まで待ってくれるかな。整理しないと僕にも何から話せばいいやらだからね」
「……ん……」
頷いた瞬の髪を忍がいい子だ、と指先で軽く梳いた。





 そんな経緯で長谷部のことは安曇も含めて三人がかりで説き伏せて、忍は自宅療養を続けることになった。
 退院の際に呆れたような顔で、しかし忍の意思を尊重するよと笑ってくれた長谷部に忍が丁重に礼を言い、瞬も心の底から感謝を告げた。
 つまりは丸く収まったわけだが、それでも余裕のない忍に対して駄々をこねたのは事実で、瞬はいつまでもそれを気にしているのだ。
「いいよ、もう。気にしていない。僕は怒ってないよ」
 忍の穏やかな声に瞬が恐る恐る視線を上げる。相変わらずの上目遣いに忍が内心「お仕置きしてあげようかな……」などとよからぬ考えを抱いていることを瞬はまだ知らない。
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