スパダリ社長の狼くん

soirée

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第五章

二話

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 初めて参加する飲み会にあたって、忍からくどいほどに飲みすぎないように、と釘を刺されて瞬は会場に向かっていた。駅で待ち合わせた藍原たちが手を振ってくれる。
「おー! 黒宮! こっちよこっち」
 笹野の声に破顔する。入院前からたかが二週間ではあるのだが、二人の顔は懐かしく、また元通りの日常が帰ってきたことが嬉しかった。手を振り返して礼を言う。
「悪いな、俺のためにこんなことまでしてもらって」
「気にするな。お前の顔が見れなくて寂しがってた社員も大勢いるんだよ。参加人数聞いたか? 72人だぜ」
 藍原の苦笑に驚いて聞き返す。72人?
「おうよ、部署違いも何も関係ねぇんだからすごいよな。空気を壊さないようにって槙野さんと社長が参加控えてくれたから余計にすげぇ。お前、うっかりお持ち帰りされないように気をつけとけよ」
 冗談に聞こえない冗談に顔を引き攣らせる。飲みすぎないようにと言う忍の忠告はこっちの意味だったのかと今更のように心を引き締めた。そんなことになったらお仕置きなどと言うものでは済まなくなってしまう。

 ついた会場は、瞬にとっては初めての居酒屋だ。大きな店舗で、中にいくつも座敷が分かれている。笹野たちに案内されるまま松の部屋に入り、上座に据えられてしまう。
 がやがやと大勢の声が行き交う中、瞬になんとかして近づきたいと念願のこの会に集った男女から遠慮もないアプローチをひたすら受ける。今までは忍がかける無言のプレッシャーで身を引いていた社員もここぞとばかりに話しかけてくる。何も疑いを持たないまま、ただ大勢に話しかけられることが嬉しくて受け答えをしてしまう素直すぎる瞬の姿を、素知らぬ顔で斜め向かいの座敷にこっそりとスタンバイしながら忍が見やった。向かいに座っている槙野も呆れ顔だ。
「相変わらず隙が多すぎて見ていられませんね」
 手元の枝豆を齧りながら忍は涼しい顔をしている。嫉妬するわけでもなさそうなその表情に、槙野が首を傾げた。
「いいのですか?」
「うん。僕は今日は瞬に少し勉強をさせようと思って一人でいかせたからね。僕が言うのも何だけれど、あの子は少し痛い目を見ないと危機感を抱かない。多分帰る頃には僕に泣きついてくるよ」
 意味ありげな笑みを見せる忍に、槙野が嘆息する。困った上司だが、今はとりあえず退屈をさせない程度に相手をするのが槙野の仕事だ。
「実はここにも珍しい日本酒がありまして、一本キープしておきました。どうです? 久しぶりに」
「へぇ、槙野から誘ってくるのは珍しいな。結局いつも君が潰されているのに」
「お手柔らかにお願いします。今日は一人で帰るべきでしょうから」
 こう見えて忍はザルと言って過言ではない。日本酒だろうと焼酎だろうと、並大抵の相手では飲み比べでは敵わないだろう。覚悟を決めて店員を呼び止め、キープしておいた獺祭を頼む。熱燗で、と付け加える忍が意地の悪い視線を槙野に送った。ただでさえ日本酒は度数が高く、さらにそれを熱燗で立て続けに飲めば酩酊するのは間違いない。スマートフォンであらかじめ呼んでおいたタクシーに望みを託して、腹を括る。運ばれてきた熱燗を二人で酌み交わしながら、他愛のない会話に興じる。穏やかな忍の前でこうして存分に話ができるのも随分久しぶりだった。忍はあまりにも多くの人間に慕われているからこそ、なかなか独り占めをできる機会には恵まれない。その点では瞬が実に羨ましかった。酔いが回るにつれて年相応の弱音も漏らす槙野を励ましてやりながら、座敷の奥にも忍は視線を送る。散々飲まされた瞬がもう帰ると言うのを、しつこく引き止める社員たちにやれやれとため息をつく。おそらくもう瞬は立って歩くこともままならないと言うのに。あわよくばお持ち帰りをと言う下心が丸見えだ。
 視線を戻せば槙野は眠り込んでしまう寸前だ。時刻もすでに23:00。二次会に連れて行かれる前に瞬がはっきりと断れるかを試しながら、スマートフォンを開いて馴染みの番号にかける。
 ややして電話に出た上品な婦人の声に、忍がこんばんは、と挨拶をする。
「あら……忍さん。ということはまた諒介は酔い潰れてしまったのね」
「はい。僕がついていながら申し訳ありません」
 神妙に詫びる忍に電話越しの声が苦言を落とす。
「僕がついていながらといいますけどね、諒介が酩酊するのはいつもあなたと飲みに行った時ですよ。諒介があなたを信頼しているのは知っているでしょうに」
「本当にすみません。しのさんにはいつも叱られてしまいますね」
「困った方ですから、きちんと私は叱りますよ。あなたも甘えたいのなら素直に諒介とうちにこればいいんですよ。諒介を出汁にして私に電話をかけてくるのはあまり感心しませんね」
 諭すような叱るような、嗜めるような。しのの穏やかな声に恥じるように目元を染めて、忍がまたすみません、と詫びる。
「諒介からいつもあなたの話を聞きますよ。よく頑張っていますね──でもね、忍さん。分かっているんでしょう。諒介はあなたのことが大好きなんですから、あんまり振り回さないでやってあげてくださいね。そう、そろそろまた絵手紙を送りましょう。あなたが律儀に全部取っていると聞きましたから」
「ありがとうございます。実はとても楽しみにしていて」
「ふふ、あなたもまだまだ可愛いところがありますね。じゃあ、諒介のことは任せてあなたも早くお帰りなさい。疲れているのじゃないですか?」
「はい……諒介はいつもどおりタクシーでマンションまでは送りますので」
「はい、分かりました。ちゃんと電話してくれてありがとう」
 電話を切って暫く沈黙する。しの──槙野の母は古風な京女らしく穏やかで、忍のことも息子の槙野と同列に扱ってくれる。たまに求めるのは厳しい祖母でも、ほとんど記憶にない両親でもなくしのだった。槙野を潰すと、介抱の連絡のためにしのと話せると言う褒美がつく。その度に叱られてしまうのだが、それでもついしのの声が聞きたくなるときがどうしてもあるのだった。
「槙野。そろそろ帰ろう。立てるかい?」
「社長……私は、あなたの役に本当に立てていますか……?」
半分朦朧としながら呟いた槙野にああ、と頷いてやる。
「君ほど頼りになる部下はいない。信頼しているよ。君はよくやっている」
それきり寝込んでしまう槙野を担ぎ上げる。普段80kg近い瞬を抱き上げているだけあって、標準的な身長の槙野が随分軽く思える。完全に酩酊している槙野を本人が呼んだタクシーに乗せ、行き先とともにしのが待っていることも告げる。ドアが閉まり、タクシーが宵の都会に消えていくのを見送って、さて本題を……と居酒屋の松の間を振り返る。酔いつぶれる寸前の瞬を笹野と藍原が懸命に揺り起こしている。その脇から図々しく黒宮君、と介抱しようとする肉食女子に、瞬がもう無理だと逃げ出す。足腰が立たずにふらつきながらトイレの横に蹲り、引っ張り出したスマートフォンを何度も取り落としながらなんとか忍を呼ぼうと試みている。そろそろ助けに行ってやらなくてはかわいそうかと思いつつも静観していると、二人きりになれると踏んだのか別の社員が馴れ馴れしく瞬のネクタイを解いた。
「だって苦しいでしょ、黒宮くん……大丈夫よ、一晩くらい泊まって帰ればいいじゃない? 心配しないで、あたしちゃんと連れて帰ってあげるから」
「だめですって……ほんとに勘弁してください、俺もう帰らなきゃ……」
 泣きの入り始めた瞬の指がようやく忍の名前を連絡先から見つけ出してタップする。
 すぐに出た忍が意地の悪い声を出す。
「さぁ、瞬? 僕に言わなきゃいけないことは? 僕はあれほど飲みすぎちゃダメだって言っておいただろう?」
「ご……ごめんなさい……俺、俺……忍、助けて……」
「困ったな? 僕はそこにはいないよ。僕が行くまでどうやってその場をかわそう?」
「…………~~~~っ……」
 泣き出してしまう瞬に女子社員が通話の相手を悟ってそそくさと離れる。人目がなくなったことを確認して、ようやく忍が顔を出した。座ったまま泣いている瞬の前で立ったまま見下ろす。
「これで分かった? 君は無防備すぎるだろう? 僕たちは今まで何度も君に自衛をするように言っていたよね」
「ごめん……ごめんなさい、俺……」
「ちゃんと気をつけないと目が覚めたらホテルだったなんてこともあるよ。君は男なんだから、そのあとで一夜の責任を取れなんて言われることもある。そうなってからでは遅いよね」
「……はい……もう、もう……反省したから……」
「叱られるのは耳が痛い? どうして耳が痛いかわかるかい? 図星を突かれているからだよね」
「~~~~~~~っ…………」
 堪えきれずに膝に顔を埋めてしまう瞬の髪を片膝をついて撫でる。
「充分分かってくれたようだからこれくらいにしようか。おいで。帰るってちゃんと言いにいかないとね」
 立ち上がろうとした瞬がふらついて座り込む。本気で嗚咽を漏らし始めた瞬にやれやれと苦笑して忍がその体を抱き上げるが、上背のある瞬は力が入っていないと忍の肩から崩れ落ちてしまう。支えながら「もう少しだけ頑張るんだよ」と声をかける。忍の首に両腕を回してもたれかかってくる瞬を抱いたまま松の間に顔を見せた忍に、藍原と笹野が慌てふためいて言い訳をしようとするのを遮って大丈夫だよ、と微笑む。
「すみません社長、俺たちがついていながらこんな……」
「大丈夫。こんな大人数の飲み会の幹事をしながら瞬の面倒を見るのは難しいだろうからね。この子は今日はこのまま連れて帰るから、君たちは二次会を楽しんで」
 今の今まで瞬に迫っていた社員たちが凍りつくのを微笑み一つで黙らせて、瞬の髪を撫でる。
「さぁ、帰ろう。大丈夫?」
「忍……ごめん、なさい……帰りたい……」
 朦朧としながら瞬が呟き、そのまま忍の首に顔を埋める。完全に忍にだけは心を許し切っているその姿を見せつけるように抱き直し、じゃあこれで、と宴会場を後にする。駅のタクシー乗り場まで平然と抱いたまま歩く忍に、瞬が弱々しく首を振った。
「忍、恥ずかしい、から…………」
「そうだね。こんな風に帰らなきゃいけないほど酔い潰れてしまった君へのお仕置きかな」
 珍しくいつまでも責める忍に瞬が泣き声を上げた。
「もう、もうちゃんと反省してるのに……なんでそんな……もう嫌だ……」
「僕はもう半年この状況を我慢してきているんだよ。少しくらいは君をいじめたくもなるさ」
「ごっ……ごめん、なさい……もう許して……」
 嗚咽ではない、完全な泣き声を漏らす瞬に忍が小さく笑う。口では責めたものの、実際はそれほど腹を立ててなどいない。ただ、瞬がこれから一人で会社に残るのに何も自衛ができないようでは本当に困った事態になってしまう。それを回避するための軽いレッスンだったのだ。本音を言えば初めての飲み会、過酷なまでの状況をよく頑張ったと褒めてやりたいくらいだった。せっかくの全快祝いだったのに、とんだ思い出にしてしまった。明日からの二連休は少し甘やかしてやりたいなと考える。もちろん、ほとんど記憶など残らないだろうからもういちど説教はしなくてはならないだろうが。


「うん、もう許してあげる。もういいよ、大丈夫。ほら、泣かないで。よく頑張ったね」
「ごめんなさいっ……」
 しがみついて謝り続ける瞬を宥めながらタクシーに乗り込む。車の規則正しい振動に寝込んでしまった瞬の涙を指先で払ってやりながら、もう一度瞳を細めて「頑張ったね」と労った。
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