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第二章
十九話
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目が覚めると同時にキッチンから流れてくる香りに、つい朝食が楽しみになる。こんなことを思うようになったのは、瞬と暮らして初めてのことだ。幼少期の忍の食事は祖母が作っていたためか、素朴な家庭料理が多く、それはもちろん美味ではあったがそれほど楽しみに思ったことはなかった。高校からは得意でもない自炊、社会人になってからはほぼ家では食事を摂っていなかった。朝食などもちろん食べていない。
瞬の作る料理は単純に美味であるだけでなく、栄養面も考えられている上に彩もいい。レシピによっては家庭で使うことは珍しいような食材ですら入手してくるのには感心していた。
顔を洗ってダイニングに姿を見せた忍に、瞬が弾む声で嬉しそうに報告をする。
「忍!! 消えたんだよ、なぁ見て!!」
実際には消えている尾が見えてしまいそうな喜びように笑ってしまう。皿を並べてキッチンに戻ろうとする瞬の手を引き寄せて首筋を抱き寄せる。膝をかがめた瞬の髪をくしゃっと撫でてやって、ねぎらいの言葉をかけた。
「よかったね。よく頑張った」
破顔する瞬の表情も、初めてここへ来たときとは比べ物にならないほど明るくなった。警戒心の塊のようだった人間不信の瞬が、これほどにのびのびと過ごせるようになったことが嬉しい。腕を解いてテーブルに着く。並んでいるのはアボカドと生ハムのエッグベネディクトトーストとフルーツサラダ、グリーンスムージー。SNSに載せればすぐに話題になりそうなほどの出来栄えだ。忍の野菜嫌いを補うために瞬が選んだグリーンスムージーは彼の組み合わせるフルーツやヨーグルトなどでかなり飲みやすく調整されていて、忍も好んで口にする。
朝からおいしいものを食べられるのも幸せなものだなと忍が舌鼓を打っているのを、瞬が満足そうに一瞥した。
大切な人のために体を支えつつ美味なものを作る、ということがこれほど楽しいと感じたのは、瞬も実は忍と暮らしてみて初めてなのだ。それまでの飼い主たちはどれほど瞬が身を尽くしても礼すら口にはしなかった。当たり前のように凝ったものを要求されても、恐怖があるので作りはしたが楽しいわけもなかった。
黄身の絡んだアボカドのとろみが舌の上で溶ける。忍がフルーツサラダに使われていたキウイをフォークで刺して瞬の前に差し出してやると、恥ずかしがるように肌を染めながらも素直に口を開けた。その姿がどんなフルーツよりも甘いと、うっかり忍までもが目じりを染めた。
昼は何を作ろう、夜はたまにはイタリアンも……と考えを巡らせている瞬に忍が尋ねる。
「瞬。いつもいつも君に炊事を任せているし、たまには外食でもするかい? せっかくの休みだし、君の耳も消えたんだ。デートにでも行く?」
デート、という一言に瞬が真っ赤になる。忍が吹きだした。
「いつまでも初々しいな。好きなところへ連れて行ってあげるよ。どこがいい?」
「忍、夜は俺が飯作りたい。いいだろ?」
「君さえよければ」
おおらかな忍に感謝する。料理好きな瞬のことを分かってくれているのだ。
「俺……実は、今までその……テーマパークとかいったことなくて。あ、いや、ジェットコースターとか無理そうなんだけどなんていうか……ああいうとこ、歩いてみたくて」
忍が微笑む。今までであれば初めての空間には物怖じしか見せなかったであろう瞬に、人並みの好奇心や欲求が湧いてきている。いいよ、と頷いていくつか近隣のテーマパークのサイトを見せる。瞬が選んだのは水族館だった。水族館とはいえ、周囲もよく造りこまれたスポットだ。
「いいね。車で一時間くらいかな。開園に合わせていこうか」
目を輝かせる瞬とともに他愛無い会話をしながら食事を終える。
「すごく美味しかったよ。いつもありがとう。実は朝目が覚めると楽しみなんだ」
「お前が喜んでくれるならなんだって作る。作りたいんだ」
食器を片付け、二人で皿洗いを終える。忍のマンションのキッチンは本当に一人暮らし用なのかと問いたくなるほどに広い。男二人で動いていても特に不自由はないので、忍も片付けなどは手伝っていた。そのままつい、自然とキスをする。
ただただ幸せな今の形を「家族」というカテゴリに無理やり当てはめる必要はないのではないか……と、ふいに想いが脳裏をかすめた。
「すげぇ……こんな綺麗なとこ、初めて来た……」
初めて目にする光景ばかりが飛び込んできて、言葉もない。そもそもが実は海にすら行った記憶がなかった。TVでしか見たことのない鮮やかなサンゴや熱帯魚に夢中になる瞬の手を忍が捉え、優しく握る。外でそんなあからさまなことをしていいのかと赤面する瞬に微笑む。
「いいだろう? 君は僕の恋人なんだから」
動悸が止まない。大きな海月が無数に舞う水槽を背に振り向いた忍の整った顔と長いまつ毛は、それまでに見たどの光景よりも眩く瞬の脳裏に刻まれた。
自制ができない。身も心も溶けていく。求めるままにさらに強く握りこんだ指先を何のためらいもなく握り返してくれることに、思わず滲んだ涙を誤魔化した。
山積みの問題でさえ、きっとどうにかなると思えてしまう。忍の落とした「変わらない状況なんてない」という言葉が胸にしみた。
瞬の作る料理は単純に美味であるだけでなく、栄養面も考えられている上に彩もいい。レシピによっては家庭で使うことは珍しいような食材ですら入手してくるのには感心していた。
顔を洗ってダイニングに姿を見せた忍に、瞬が弾む声で嬉しそうに報告をする。
「忍!! 消えたんだよ、なぁ見て!!」
実際には消えている尾が見えてしまいそうな喜びように笑ってしまう。皿を並べてキッチンに戻ろうとする瞬の手を引き寄せて首筋を抱き寄せる。膝をかがめた瞬の髪をくしゃっと撫でてやって、ねぎらいの言葉をかけた。
「よかったね。よく頑張った」
破顔する瞬の表情も、初めてここへ来たときとは比べ物にならないほど明るくなった。警戒心の塊のようだった人間不信の瞬が、これほどにのびのびと過ごせるようになったことが嬉しい。腕を解いてテーブルに着く。並んでいるのはアボカドと生ハムのエッグベネディクトトーストとフルーツサラダ、グリーンスムージー。SNSに載せればすぐに話題になりそうなほどの出来栄えだ。忍の野菜嫌いを補うために瞬が選んだグリーンスムージーは彼の組み合わせるフルーツやヨーグルトなどでかなり飲みやすく調整されていて、忍も好んで口にする。
朝からおいしいものを食べられるのも幸せなものだなと忍が舌鼓を打っているのを、瞬が満足そうに一瞥した。
大切な人のために体を支えつつ美味なものを作る、ということがこれほど楽しいと感じたのは、瞬も実は忍と暮らしてみて初めてなのだ。それまでの飼い主たちはどれほど瞬が身を尽くしても礼すら口にはしなかった。当たり前のように凝ったものを要求されても、恐怖があるので作りはしたが楽しいわけもなかった。
黄身の絡んだアボカドのとろみが舌の上で溶ける。忍がフルーツサラダに使われていたキウイをフォークで刺して瞬の前に差し出してやると、恥ずかしがるように肌を染めながらも素直に口を開けた。その姿がどんなフルーツよりも甘いと、うっかり忍までもが目じりを染めた。
昼は何を作ろう、夜はたまにはイタリアンも……と考えを巡らせている瞬に忍が尋ねる。
「瞬。いつもいつも君に炊事を任せているし、たまには外食でもするかい? せっかくの休みだし、君の耳も消えたんだ。デートにでも行く?」
デート、という一言に瞬が真っ赤になる。忍が吹きだした。
「いつまでも初々しいな。好きなところへ連れて行ってあげるよ。どこがいい?」
「忍、夜は俺が飯作りたい。いいだろ?」
「君さえよければ」
おおらかな忍に感謝する。料理好きな瞬のことを分かってくれているのだ。
「俺……実は、今までその……テーマパークとかいったことなくて。あ、いや、ジェットコースターとか無理そうなんだけどなんていうか……ああいうとこ、歩いてみたくて」
忍が微笑む。今までであれば初めての空間には物怖じしか見せなかったであろう瞬に、人並みの好奇心や欲求が湧いてきている。いいよ、と頷いていくつか近隣のテーマパークのサイトを見せる。瞬が選んだのは水族館だった。水族館とはいえ、周囲もよく造りこまれたスポットだ。
「いいね。車で一時間くらいかな。開園に合わせていこうか」
目を輝かせる瞬とともに他愛無い会話をしながら食事を終える。
「すごく美味しかったよ。いつもありがとう。実は朝目が覚めると楽しみなんだ」
「お前が喜んでくれるならなんだって作る。作りたいんだ」
食器を片付け、二人で皿洗いを終える。忍のマンションのキッチンは本当に一人暮らし用なのかと問いたくなるほどに広い。男二人で動いていても特に不自由はないので、忍も片付けなどは手伝っていた。そのままつい、自然とキスをする。
ただただ幸せな今の形を「家族」というカテゴリに無理やり当てはめる必要はないのではないか……と、ふいに想いが脳裏をかすめた。
「すげぇ……こんな綺麗なとこ、初めて来た……」
初めて目にする光景ばかりが飛び込んできて、言葉もない。そもそもが実は海にすら行った記憶がなかった。TVでしか見たことのない鮮やかなサンゴや熱帯魚に夢中になる瞬の手を忍が捉え、優しく握る。外でそんなあからさまなことをしていいのかと赤面する瞬に微笑む。
「いいだろう? 君は僕の恋人なんだから」
動悸が止まない。大きな海月が無数に舞う水槽を背に振り向いた忍の整った顔と長いまつ毛は、それまでに見たどの光景よりも眩く瞬の脳裏に刻まれた。
自制ができない。身も心も溶けていく。求めるままにさらに強く握りこんだ指先を何のためらいもなく握り返してくれることに、思わず滲んだ涙を誤魔化した。
山積みの問題でさえ、きっとどうにかなると思えてしまう。忍の落とした「変わらない状況なんてない」という言葉が胸にしみた。
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