スパダリ社長の狼くん【2】

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第三章

7話

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「はじめまして。伊南 絋いなみ こうと申します。経験が浅く、ご迷惑をおかけすることもあるがしれませんが……できるだけ早くお役に立てるよう頑張りますので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします」


 流れるような口上は歯切れが良く流暢で、その上最後ににっこりとした満面の笑みを添える絋の存在はすでに社内で有名だ。中には瞬と言い絋と言い、社長の好みを反映しすぎじゃないのかという揶揄うような野次もある。忍が苦笑する横で瞬がむっとした顔を隠しきれずにいるのも、絋が社長に失礼ですよ、とやんわりと制止をかけるところまでもセットのように扱われ、瞬は正直なところ絋が来た初日から少々この後輩に手を焼いていた。


 給湯室でコーヒーの淹れ方を教えながら、つい小言も出る。
「伊南さん。あまり社員に対して垣根をなくしすぎるのは良くないですよ」
すみません、と詫びた絋が首を傾げて瞬の背中に声をかける。

「先輩、社長のこの後の予定は接待ですから……コーヒーいりますか……?」

 思わずがちゃん、とカップを取り落とし、割れた破片に触れないようにと絋に手元を抑えられてしまう。
「あ、やべっ……どうしよ」
「危ないですよ。これ、結構高いカップですよね……磁肌が薄いですから破片で怪我したら大変です」

 
 すっと伸ばされた指先がかけらを拾ってキッチンペーパーで包む。当然のようにしまってあったビニール袋を探し出して、二重にして手際よくゴミとしてまとめあげた。
「あ、でもそれ……ここのって」
「知ってますよ。槙野先輩の私物なんでしょう? だからこそ今のうちに捨てておいた方がいいと思いますけど……僕は別にそんなこと本人に言いつけたりしませんし」

 いや、そうじゃない、と言いたいのだが、あまりにも当然のように隠蔽する流れに持ち込まれてつい口篭ってしまう。槙野の大切なものだったらきっと怒りはしなくとも、悲しむかもしれない。槙野本人はしばらくここへは用がないはずだから、すぐに見つかりはしない。でも、大切なものなら尚更隠してはいけないはずだ……。

「いや、やっぱ槙野さんに聞きます。大切なものだったら割っちまったからって勝手に俺らがどうこうしていい話じゃ……」

 正直に馬鹿のつくような瞬のセリフに、絋がぱちぱちと目を瞬く。その胸中にいかに黒い感情が湧き上がっていたか、瞬には知るよしもなかった。隠蔽せずに過ちを話せば気を失うまで折檻される、きっとそんな経験がないのだと絋が瞬に対して見当違いな悪意を抱いたこの件は、その後数ヶ月にわたって瞬を苦しめる種となるのだった。







 翌日から、絋の瞬に対する執拗な嫌がらせが始まった。
忍のすぐそばで働いている以上、忍の目が届いている時には何もしない。指示を聞こえないふりをしたり、忍との会話から瞬を締め出したりとその程度だ。問題は瞬と二人きりになる時、つまり忍に指示されてしばらく付き合わなくてはならなくなった絋の昼休憩であったり、喫煙所で笹野たちと少しくつろいでいる時に突然であったり、たまたまトイレで出会した時である。

 
 チクチクと分かるか分からないかの毒を孕んだ言葉を聞こえないふりをしてやり過ごしているうちに、絋の悪意はエスカレートしていった。元々絋はDomであり、長年慰め役として己の支配欲を抑えつけられたまま奉仕する側にまわっていたフラストレーションはすべて新たに目の前に現れた気の弱いSubへと向かったのである。



 二人掛けのテーブルで瞬が呆然と握らされたものを眺める。多分、何かの経費の申請書だ。シュレッダーをかけられているのは経理部にとっくの昔に通されているからなのだが、こんな状況で渡されるとどんな誤解をするか絋は分かっていてやっている。
「誰のでしょうね。勝手にシュレッダーなんてかけちゃって、横領ですかね?」
 口の中が乾く。そんなことをした覚えなんてない。自分じゃない。たとえそこにどうみても砕かれる前の名前──黒宮、という文字が読めたとしても、瞬はそんなことはしていない。それでも第三者がこれを見たらどう思うだろう? 瞬の印象はこの際いい、忍は……?
「困りますよね、こういうの。会社の責任になりますもんね。僕、懲戒委員会を開いたほうがいいですよって社長に言おうと──」
 咄嗟に瞬はその手首を掴んだ。顔が青ざめているのが分かる。
「違う、俺じゃない……」
 一瞬驚いたような顔で瞬を見返した整った顔がにっこりとまた満面の笑みを浮かべた。黒曜石のような瞳が虚な沼のように底知れない。
「知ってますよ。僕は信じてます。でも、こういうのはきちんとしないと。黒宮先輩はそういう人ですよね?」
「違う、頼む、違うんだ……俺じゃない。頼むからこれは俺に任せてくれ」
 にこにこと微笑んだまま、絋が両肘をテーブルの上に突いて頬を掌で支える。斜めに見上げて、コマンドにならないようにGlareだけで命令する。
「〝座って“ください、先輩。そんなに取り乱されちゃうと僕も先輩が不正をしたのかなって疑っちゃいますよ。……いいですよ、黙っててあげても。でも、その代わり僕のいうこと何でも聞いてくれますか?」


 後先などもう考えられない。嫌な動悸と汗に急かされるように何度も小さく頷く。なんて単純なのだろう、と笑いが絋の喉から込み上げる。忍をどのように連れ戻すか、清峰はもう計画を立てているようだ。言われた通りに動くだけの絋にはこの会社に何の興味も未練もなく、面接でのロゴも種明かしをすれば簡単なものだ。忍がモネの連作を好んでいるのは有名で、その中からロゴの色と一致するものを探し当てたのは絋ではない。AIだ。そんな退屈な、しかし絶対に仕損じる訳にはいかない仕事の傍ら、この見た目しか能のなさそうな犬を侍らせるのも悪くない。


「じゃ、さっそくですけど。これから毎日、社長にお仕置きされてきてください。お説教や軽いのじゃダメですよ。こういうのを平然と隠そうとしちゃう先輩がいい子になれるまで、先輩が我慢できる限界までセーフワードは言わないで耐えてきてください。あ、適当に誤魔化してもダメですよ。僕毎日チェックしますし、されてなかったら僕がしますから」
「……っ、そ、んなこと忍はしない……」
「そうでしょうね。これが社長の手に渡らなければ」
 粉砕された紙切れを瞬の手元から優雅に抜き取り、名刺入れにしまう。
「どうしたらいいでしょう? ねぇ? 先輩。それとも僕に毎日お仕置きされますか?」

 どっちでもいいんですけどね、と絋は手元でなにやらスマートフォンを操作した。
「よく考えてくださいね。悪い子の先輩をどうするのが一番か」
 
 鼻歌でも歌いそうなほどの上機嫌さで絋はテーブルの上のトレイを回収する。ほとんど口をつけていなかった瞬のものも当然のように奪い去り、返却コーナーに押し込む。
「ごちそうさまでした」と笑顔で挨拶した絋に笑い返した社食のスタッフが、ほぼ手付かずの料理に一瞬顔を顰めて、ゴミ箱に捨てる。ただそれだけのことさえもが瞬の罪悪感を巧みに煽り立て、言葉を奪っていくのだった。
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