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終章 選択

《ブラハ・ルート1》34歳のそれぞれの選択

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「選べ。」

 たった三文字だった。
皇帝はナオに向かって言った。それ以上何も言わなかった。
 ブラハにとって、その三文字の意味は容易に理解できた。
 今が決戦の瞬間なのだということを認識する。
男として、この瞬間をごまかすことは絶対にしてはならない。
 戸惑いを隠せないナオの目を見て、ブラハはゆっくりと頷いた。

「私は・・・・。」

「私は・・・。」

 ナオは言葉を詰まらせる。
だが、皇帝のたった三文字の意味の大きさをわからぬはずもない。
どちらかを選ばなければならない。もう以前と同じ関係ではいられない。
 何か手を打とうにも、こうなっては全て手遅れだ。選べないという選択肢はない。
葛藤が意識の中でまどろみ、意識さえも失ってしまいそうになる。
 っと危ないっ!
倒れそうになり、開いているはずの目に意識を戻した。
目線を上げた、その瞬間にブラハの顔が目に映る。

 ブラハは、微笑んでいた。

 きっと自分を選んでくれる、と思っての微笑みではない。
とても純粋に、ナオの事が好きで、大切で。
ナオを想っての恋慕の情がこもった微笑みだった。

 トクン――――

 ナオの心臓が小さく跳ねた。

『ナオ殿。私はあなたが好きです。
それは遠い国の昔のあなたでもなく、マルゴ王女でもない、今のあなたが好きです。』

 あの時、屋上の庭園でブラハが言ってくれた言葉が心に響いてくる。
 芍薬とともに彩られたナオの心象風景が、瞼の奥に広がる。
 あの時の感情が、心に広がる。

「ああ・・・私は・・・。」

 ナオはゆっくりと目を開いた。そしてブラハの方を向く。

「私はブラハとともにりたい・・・。」

 少しかすれ気味の、けっして大きい声ではなかったが、その場の誰にも深く響く言葉となった。

「ナオ殿・・・。」

 ブラハは感極まった表情でナオを見つめ続ける。
ブラハとナオ。二人の視線と思いが絡み合う。
ナオを心の底から大切に思うブラハ。
押さえつけていたブラハへの思いを開放したナオ。
 二人の距離は五メートルほどはあるのだが、まるで目の前で見つめ合っているかの様に二人には感じる。
二人の意識だけの空間な気さえする。

「そうか・・・・。」

 突如、その空間がヒビ割れる。
ナオは皇帝の声にはっとなって振り返る。

「陛下・・・・。私は!・・・」

「無粋な真似をするな。敗者は敗者なりの矜持がある。」

 何か言おうとするナオの言葉を皇帝が遮る。
そして皇帝は、ブラハを見た。

「スタインベルグ王国ブラハ王子。
貴殿の望み通り、宰相ナオの身柄を引き渡す。
元アルマニャック王国領も譲渡する。これで引け。」

「・・・・わかりました。早々に引き上げます。後は後日書面にて。」

 ブラハは馬を返す。ナオにも行こうと声を掛ける。
だが、ナオは皇帝を見つめて動けなかった。

「ナオよ・・・。」

 動かないナオに対して、皇帝が話しかけた。

「この瞬間にて、貴様を愛妾並びに宰相の任から解く。全ての罪も赦す。」

 ナオを縛っていた鎖が全て取り外された。だが同時にその鎖は、ナオと皇帝をつなぐ唯一のつながりでもあった。それが全てなくなってしまった。
 そのつながりは嫌なものではなく、むしろ大切に思えるものであったことに今更ながら気付く。
失ったものの大きさに心が震える。

「早く行け。それと忘れているのだろう?
この場にいる臣民やらタリスやらのことを片付けて行け。」

 皇帝は停戦に持ち込んでくれた人々の方を指して言った。確かにナオには考える余地がなく、失念していた。
 皇帝に何も言えぬまま、ナオは人々の集団の方に馬を走らせる。察して、ブラハは少し離れたところで待っていた。

「皆さん。本当にありがとうございました。おかげで戦争は終結いたしました。これ以上の戦闘は起こりません。」

 一般住民、タリス、サヴァディン、ネルトの人たちにお礼を伝え、ナオはブラハとスタインベルグ王国に行くことを説明する。
 一般住民の人たちはナオの事を思って、よかったなと諸手を上げて喜んでくれる。
 国境都市ネルト公シャルル公爵は多少微妙だったが、まあ仕方ないと納得した。
ただ、恩は商売で返してください、と笑いながら念を押される。
 タリス島のトレスはオルネア帝国との架け橋のナオがいなくなるわけなので少々困惑していたが、「それならスタインベルグ王国が雇ってくれればいい」と楽観して笑顔になる。
 サヴァディン群島のジャドは、「我々の頭はナオ殿だから、今後も全く変わりない。」と。
 最後に、ロレンツェは、
「当然、私もナオ様についていきます。」と。

 話が終わり、一般住民が面倒を見ていた怪我人を両軍それぞれに引き渡し、人々はそれぞれの帰るべき所に散開していった。
 後には戦闘の爪痕だけが残される。
 全ての人が引き上げた後、最後まで残っていたナオは皇都の方を見た。
すると少し離れたところで、まだ皇帝は従者とともにその場に残っていたことに気づく。最後まで見届けていたのだ。
 それを目にした瞬間、ナオは考えるよりも先に、馬を走らせていた。

「陛下―――!」

 ナオは皇帝に駆けより話そうとするが、嗚咽のせいで声が出ない。
気付けばナオの双眸から涙がとめどなく溢れて出ていた。

「ふん。汚い泣き顔だな。」

 こんな場面で何を!?ともナオは思うのだが、この悪態もまた感傷的にさせる。
 ひとしきり、ナオの泣き顔を見た後、皇帝は言った。

「ためらうな。お前が望む結末であろう?」

「行け。」

 涙で視界がかすむ中、ナオは見てしまった。
ジョルジュ皇帝は笑顔を浮かべていた。
 少し寂しげで儚い笑顔ではあるが、確かに、そして誠実にナオのことを思った笑顔。
 初めて誰かのことを案じて手向ける、ジョルジュ皇帝の心からの笑顔だった。

「陛下・・・・・・さようなら・・・・。」

 ナオは馬を返し、走らせ始めた。

 皇帝との距離が離れていくほど、ナオと皇帝の関係に幕が下りてくるのを感じた。

『ああ、本当にこれでお別れなんだな』

 初めて会った時のあの冷たい印象を思い出す。

『ああ、あの時は本当に冷たかったな』

 たくさん暴言を吐かれたことを思い出す。

『なによ、すっとこどっこいって』

 弱音を見せて、傍にいてくれと懇願した皇帝の涙顔を思い出す。

『ごめんなさい、この手であなたを救いたかったのに・・・。』

 そう思った矢先、間違いに気づく。ナオに向けた最後の笑顔を思い出す。

『ああ、違った。もう皇帝は救われてたんだ・・・。』

 あと少しで、待つブラハの下に着くというところで、ナオは一度だけ振り返った。
 だが、そこにはもう皇帝の姿はなかった。

『さようなら。陛下の笑顔は忘れない・・・。』



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 ブラハとともにスタインベルグ王国の陣に入ったナオは、とりあえず馬から降りて椅子に座って休ませてもらっていた。
 指揮官であるブラハは今後の軍議のために、そばにいない。
 しかしながら、陣内がやたらと騒がしい。
呆けていたナオだが、さすがに気になってきた。
 近くの兵士を捕まえて聞いてみる。

「なにか、騒がしい感じですが、どうしたのですか?」

 兵士はさっきまで敵だった女性にいきなり内情を説明するのもどうかと躊躇ったが、ナオの麗しい目に見つめられ、陥落した。

「それが、いま伝令が入ったのですが、我々が出兵した隙を突かれ、スタインベルグ王国の王都ナーエがイスタリカ王国軍に攻撃されているとの事です。」

「王都ナーエ?それってもしかして・・・。」

「はい。スタインベルグ国王並びに国家の危機です!!」

「!!!」

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