善夜家のオメガ

みこと

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葉月

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「殿下、少しお時間をよろしいですか?」

いつものように公務に没頭するサイードにアーシムがそっと声をかけた。

「は?何だ。」

「ここではちょっと…。私用なので。少しだけで結構です。」

「見たら分かるだろ。私は今、忙しいんだ。」 

イラついたように机の上の書類をアーシムに見せつける。
よく寝れていないようでサイードの目にはくまができでいた。

「そうですか。なら仕方ないですね。葉月様のことなんですが…。殿下はお忙しいようですし。」

「え?今何て?」

「いえ。結構です。どうぞお仕事をお続け下さい。」

「いや、ちょっと待て!今、ちょうど休憩しようと思っていたんだ!で?今、葉月と言ったな?」

笑いを堪えるのに必死なアーシムは、慌てふためくサイードを連れて部屋を出た。
二人は執務室の前の廊下抜けて、奥の隠し部屋に入る。ここはサイードとアーシム、数名の側近しか知らない部屋だ。
人に漏れてはいけない話をする時に使っている。
八平米ほどの小部屋には小さいデスクと椅子、カウチが一台置いてある。

「葉月がどうかしたのか?」

「お調べしたところ、無事に帰国され日本で普通に暮らしております。身元はすぐに分かりました。何でも『善夜』という由緒正しい家の次男だそうです。彼の姉がロンドンに留学中でその伝手でパーティーの招待状を手に入れたようですね。」

「善夜…。」

「ええ。日本で知らないアルファは居ないようです。必ず上位アルファを産む家系とかで、善夜のオメガを娶りたいアルファは大勢いるようです。御長男様が婚約したので、次は葉月様かと。あの見た目ですし、縁談もたくさん舞い込んでいるようです。」

それを聞いていたサイードの顔がどんどん青ざめていく。

「そんな…。」

そんなサイードの顔を見たアーシムは少しやりすぎたかと反省した。
普段はアルファ然とした自分の主人が右往左往する姿が面白かったのだ。
それにサイードは自分の気持ちに気づいていないのだろう。
この国はオメガという性別を軽視している。
根強いバース差別。
それは世界のバースへの考え方から相反するものだ。そろそろアグニアも考え方を変えなければならい。
そうでないといくら裕福な国でも世界から置いて行かれてしまう。

「殿下、こちらへ。」  

呆然とするサイードを小さな机の前に案内する。その上にはノートパソコンが一台置いてあった。

「…これは?」

「葉月様とネット通話が出来るよう設定してあります。日本は今、夜の八時くらいでしょうか。そのくらいにこちらから通話を開始したいとお願いしております。」

「葉月が待機してくれているのか?」

「ええ。さあ、殿下。どうぞ。」

サイードは椅子に座りパソコンを操作する。その手は震えていた。
画面が切り替わり葉月が映し出された。通信は問題なく出来ているようだ。
アーシムはあのハンカチを見つけたとき、すぐにサイードの気持ちを察して葉月を探したのだ。事前に連絡を取り、今日サイードが連絡すると言ってあった。

「サイード、久しぶり。」

「…葉月か。」

画面の中の葉月を見たサイードは涙ぐんでいる。
そんな彼にアーシムは小さく頷いて部屋の外に出た。






「急に帰ってしまって、心配したぞ。」

「ごめん。迷惑かけたくなくて…。」

「迷惑だなんて…。葉月には何度も助けられた。きちんと礼もしていないのに。」

「お礼なんていいよ。僕も楽しかったし。」

二人はしばらくの間、大英博物館やナショナルギャラリーの話で盛り上がった。

「サイードの国、すごいんだね。」

「調べたのか?」

「うん。スイーツが美味しいって。」

「は?そっちか。」

サイードは葉月らしいと笑ってしまう。普通の人ならアグニアの経験力に興味を示すはずなのに。
葉月はスイーツだ。甘党だと言っていたのを思い出した。

「バクラヴァだっけ?あれ、食べてみたい。」

「あれは激甘だぞ。」

「うん。日本茶に合うと思うよ。渋めに淹れて、激甘スイーツを食べたいなぁ。」

スイーツを想像し、うっとりとしている葉月の顔からサイードは目を離せない。

「そうか。なら、送るよ。バクラヴァも甘いけどグナーヴァもいいぞ。」

「本当⁉︎楽しみにしてるね。」

サイードは葉月と話しているだけで力が漲るのを感じた。ここ数週間、よく眠れず疲労が溜まりイライラしていた。
その気持ちも吹っ飛んで気が付いたら二時間も話をしていた。

「そろそろ寝なきゃ。」

「…ああ。またこうして話しても良いか?」

自然と出た言葉だ。また会いたい。また話をしたい。
心の底からそう思った。

「うん。」

笑顔で頷く葉月におやすみ、といい。通話を切った。
切り替わった暗い画面に映るサイードの頬には涙が伝っていた。
何故泣いているのだろう…。
だがとても満たされた幸せな時間だった。
その余韻に浸りしばらくぼんやりとしている。
本当にここ数週間の疲れが吹っ飛んだ。
何気なく机の引き出しを開けるとあのハンカチが入っていた。

「これは…。」

もう葉月の匂いは残っていない。
サイードはネイビーの刺繍をそっと撫でた。
嬉しそうにスイーツの話をする葉月。思い出すだけで胸が締め付けられる。

「こうしてはいられない。バクラヴァだ。」

涙を拭い部屋を出るとサイードは足早に厨房に向かった。

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