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奈緒
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哲郎はカフェの窓からぼんやりと行き交う人たちを眺めている。
その人並みの中から颯爽とこちらに近づいてくる男に気がついた。
雪也だ。
途中で女に声をかけられている。困ったような顔で小さく首を振り、また歩き出す。哲郎が見ていることに気がつき笑顔でこちらにやってきた。
「ナンパか?やるな。かわいかったじゃん。」
「あはは、見てたのか。」
そう言いながら席に着く哲郎は半年前とは別人のようだ。
チャコールグレーのタートルニットにグランチェックのジャケット、明るいベージュのパンツに柔らかな光沢を放つ革靴。背が高くスタイルが良いので、まるでモデルが雑誌から出てきたようだ。
カウンターでコーヒーを頼み一息ついた。
「元気でやってるようで良かったよ。」
「まあな。おまえと白鳥さんには感謝しかない。」
「本当だよ。あの時はどうなるかと。地獄絵図とはこのことかと思ったよ。」
「はは。何も言い返せないな。」
雪也は遠い目をして外を見る。
奈緒に会いたくて、焦がれて狂ってしまった自分。
ロボット工学を専門にしている白鳥から話を聞いた時、悪魔が耳元で囁いたのだ。
自分の持っている人工知能と白鳥の研究を掛け合わせて作った奈緒。狂った雪也にはそれが唯一の心の拠り所となり、他の世界はどうでも良くなってしまった。
奈緒と一緒に過ごし、常に一緒にいる。外へデートすることもあったが、奈緒を独占したいがためにそれもやめた。
他の人間に見られることも嫌だったのだ。
二人で過ごす蜜月。
何もいらなった。
奈緒の好きな映画を観たり、音楽を聴いたりして過ごす。
時折り奈緒に自分の名前を呼んでもらう。
それだけで幸せだった。
しかし哲郎がが来て全てが終わった。
楽園だと思っていた場所は実は地獄だったのだ。
あのアンドロイドが奈緒なわけがない。
分かっていたのに苦しくて認められなかった。
通院とカウンセリングを繰り返し、少しずつ正気を取り戻した。
医者からは番いを弔った片割れの症状によく似ていると言われた。
虚無からの現実逃避、妄想。
奈緒は正式な番いではないが雪也にとってはそれかそれし以上の存在なのだ。そして会えない絶望は雪也を狂わせてしまった。
「忘れられないなら忘れなくても良いですよ。あなたの場合は生き別れたのです。これは幸せなことです。いつか会えるかもしれませんからね。」
医者に言われた言葉を噛み締める。
『いつか会えるかもしれない。』
その時に奈緒に恥ずかしくない自分でいよう。
そしてまた巡り会える日を待つのだ。
例えそれが来世だったとしても。
その日を境に少しづつ元気を取り戻し、K大の講師として復帰することになった。
白鳥に辞めると言ったが、止められだ。
「私に悪いと思っているなら、君の力を貸して欲しい。」
そう言われて思いとどまった。白鳥の口利きでK大に復帰すことになり白鳥のいるT大と交流を持ちながら研究を続けることになったのだ。
K大は都心部に次ぐ大型地方都市でとても暮らしやすい。近くに自然もあり、疲れた心と身体を休めることもできる。都市部と快速で三十分ほどの距離なので利便性も十分だ。
「なぁ、おまえ。その指輪…。」
哲朗が目を見開いて雪也の左手の薬指を見つめる。
「ああ、これか?」
「それって…。」
「あはは。これはおまえが思っているようなものじゃないよ。何というか、魔除け、みたいなもんだ。」
雪也は年頃のアルファだ。しかも上位アルファ。
放っておいても女やオメガが寄ってくる。
最初は丁重に断っていたが、それも面倒になってきた。なので牽制のために指輪をはめているのだ。
それにもう誰とも付き合う気もなければ結婚する気もない。たとえ会えなくとも雪也には奈緒だけだ。
奈緒に操を立てるつもりではめている。
「そんな顔するなよ。もう吹っ切れたんだ。一生このまま生きていくよ。二度も会えなくても良いんだ。こんなに人を愛せたことだけで充分だよ。」
悲痛な顔をする哲郎に笑顔を向ける。その笑顔は清々しさを湛えていた。
「まあ、これをしてても寄ってくる不道徳な奴らもいるけどな。」
「それで良いのか?もう、誰とも?」
「そうだな。自然に任せるだけだよ。良い人がいれば付き合ったり、その先もあるかも知れない。」
その後二人は笑顔で別れた。
雪也はあの地獄から完全に立ち直った。
来た時と同じように颯爽と歩き、人並みの中に消えていく雪也の後ろ姿を見つめる。
あんなことを言っていたが、彼はもう誰とも恋をしないかもしれない。しかし哲郎はそんな雪也に春が訪れることを心から願った。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「佑月、さっきからずっとスマホが鳴ってたぞ。出なくて平気か?」
「え?あ、すみません。」
佑月が慌ててカバンの中のスマホを取り出した。
「謝らなくていいよ。こっちが休みの日に来てもらってるんだし。涼君じゃないか?」
「えっと、いえ。従兄弟です。ちょっと頼まれごとをされていて。」
困ったような、恥ずかしそうな顔ででスマホ見ている。
頼まれごと。
そんな顔をするような頼まれごととは何だろう。
「折り返さなくて良いのか?」
「はい。また後でかけます。今、メッセージは返したので。」
「そうか。どんな頼まれごとを?」
ほんの少し興味が湧いたので何気なく聞いてみる。
「え、あの、なんかその、運命についてとか…。」
何故か佑月が恥ずかしそうだ。もじもじとしてはっきり言わない。
それに今、運命と言っていた。
運命。
その言葉は雪也の心をざわつかせる。
「運命、か。」
「はい。R大でそういう研究をしているんです。雪也さんも興味があるんですか?」
「ははは。そうだな。ないと言ったら嘘になるかな。」
「そうですよね。あ、従兄弟に会ってみますか?面白いですよ。運命のいろんな話を聞けます。」
運命を研究している人物。
もしかしたら、この苦しみから解放してくれるかもしれない。
だが…。
「やめとくよ。」
もうジタバタするのはやめたのだ。
なるようにしかならない。
運命は運命なのだ。その真理を知ったところでこの呪縛から逃れることは出来ない。
奈緒の呪縛から…。
「そうですか。」
佑月は残念そうに言ってまたスマホに目を落とした。
その人並みの中から颯爽とこちらに近づいてくる男に気がついた。
雪也だ。
途中で女に声をかけられている。困ったような顔で小さく首を振り、また歩き出す。哲郎が見ていることに気がつき笑顔でこちらにやってきた。
「ナンパか?やるな。かわいかったじゃん。」
「あはは、見てたのか。」
そう言いながら席に着く哲郎は半年前とは別人のようだ。
チャコールグレーのタートルニットにグランチェックのジャケット、明るいベージュのパンツに柔らかな光沢を放つ革靴。背が高くスタイルが良いので、まるでモデルが雑誌から出てきたようだ。
カウンターでコーヒーを頼み一息ついた。
「元気でやってるようで良かったよ。」
「まあな。おまえと白鳥さんには感謝しかない。」
「本当だよ。あの時はどうなるかと。地獄絵図とはこのことかと思ったよ。」
「はは。何も言い返せないな。」
雪也は遠い目をして外を見る。
奈緒に会いたくて、焦がれて狂ってしまった自分。
ロボット工学を専門にしている白鳥から話を聞いた時、悪魔が耳元で囁いたのだ。
自分の持っている人工知能と白鳥の研究を掛け合わせて作った奈緒。狂った雪也にはそれが唯一の心の拠り所となり、他の世界はどうでも良くなってしまった。
奈緒と一緒に過ごし、常に一緒にいる。外へデートすることもあったが、奈緒を独占したいがためにそれもやめた。
他の人間に見られることも嫌だったのだ。
二人で過ごす蜜月。
何もいらなった。
奈緒の好きな映画を観たり、音楽を聴いたりして過ごす。
時折り奈緒に自分の名前を呼んでもらう。
それだけで幸せだった。
しかし哲郎がが来て全てが終わった。
楽園だと思っていた場所は実は地獄だったのだ。
あのアンドロイドが奈緒なわけがない。
分かっていたのに苦しくて認められなかった。
通院とカウンセリングを繰り返し、少しずつ正気を取り戻した。
医者からは番いを弔った片割れの症状によく似ていると言われた。
虚無からの現実逃避、妄想。
奈緒は正式な番いではないが雪也にとってはそれかそれし以上の存在なのだ。そして会えない絶望は雪也を狂わせてしまった。
「忘れられないなら忘れなくても良いですよ。あなたの場合は生き別れたのです。これは幸せなことです。いつか会えるかもしれませんからね。」
医者に言われた言葉を噛み締める。
『いつか会えるかもしれない。』
その時に奈緒に恥ずかしくない自分でいよう。
そしてまた巡り会える日を待つのだ。
例えそれが来世だったとしても。
その日を境に少しづつ元気を取り戻し、K大の講師として復帰することになった。
白鳥に辞めると言ったが、止められだ。
「私に悪いと思っているなら、君の力を貸して欲しい。」
そう言われて思いとどまった。白鳥の口利きでK大に復帰すことになり白鳥のいるT大と交流を持ちながら研究を続けることになったのだ。
K大は都心部に次ぐ大型地方都市でとても暮らしやすい。近くに自然もあり、疲れた心と身体を休めることもできる。都市部と快速で三十分ほどの距離なので利便性も十分だ。
「なぁ、おまえ。その指輪…。」
哲朗が目を見開いて雪也の左手の薬指を見つめる。
「ああ、これか?」
「それって…。」
「あはは。これはおまえが思っているようなものじゃないよ。何というか、魔除け、みたいなもんだ。」
雪也は年頃のアルファだ。しかも上位アルファ。
放っておいても女やオメガが寄ってくる。
最初は丁重に断っていたが、それも面倒になってきた。なので牽制のために指輪をはめているのだ。
それにもう誰とも付き合う気もなければ結婚する気もない。たとえ会えなくとも雪也には奈緒だけだ。
奈緒に操を立てるつもりではめている。
「そんな顔するなよ。もう吹っ切れたんだ。一生このまま生きていくよ。二度も会えなくても良いんだ。こんなに人を愛せたことだけで充分だよ。」
悲痛な顔をする哲郎に笑顔を向ける。その笑顔は清々しさを湛えていた。
「まあ、これをしてても寄ってくる不道徳な奴らもいるけどな。」
「それで良いのか?もう、誰とも?」
「そうだな。自然に任せるだけだよ。良い人がいれば付き合ったり、その先もあるかも知れない。」
その後二人は笑顔で別れた。
雪也はあの地獄から完全に立ち直った。
来た時と同じように颯爽と歩き、人並みの中に消えていく雪也の後ろ姿を見つめる。
あんなことを言っていたが、彼はもう誰とも恋をしないかもしれない。しかし哲郎はそんな雪也に春が訪れることを心から願った。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「佑月、さっきからずっとスマホが鳴ってたぞ。出なくて平気か?」
「え?あ、すみません。」
佑月が慌ててカバンの中のスマホを取り出した。
「謝らなくていいよ。こっちが休みの日に来てもらってるんだし。涼君じゃないか?」
「えっと、いえ。従兄弟です。ちょっと頼まれごとをされていて。」
困ったような、恥ずかしそうな顔ででスマホ見ている。
頼まれごと。
そんな顔をするような頼まれごととは何だろう。
「折り返さなくて良いのか?」
「はい。また後でかけます。今、メッセージは返したので。」
「そうか。どんな頼まれごとを?」
ほんの少し興味が湧いたので何気なく聞いてみる。
「え、あの、なんかその、運命についてとか…。」
何故か佑月が恥ずかしそうだ。もじもじとしてはっきり言わない。
それに今、運命と言っていた。
運命。
その言葉は雪也の心をざわつかせる。
「運命、か。」
「はい。R大でそういう研究をしているんです。雪也さんも興味があるんですか?」
「ははは。そうだな。ないと言ったら嘘になるかな。」
「そうですよね。あ、従兄弟に会ってみますか?面白いですよ。運命のいろんな話を聞けます。」
運命を研究している人物。
もしかしたら、この苦しみから解放してくれるかもしれない。
だが…。
「やめとくよ。」
もうジタバタするのはやめたのだ。
なるようにしかならない。
運命は運命なのだ。その真理を知ったところでこの呪縛から逃れることは出来ない。
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「そうですか。」
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