優しすぎるオメガと嘘

みこと

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「姉ちゃん!ほらっ!あそこに人が倒れる。僕、さっき見つけたんだ。」

「え?どこ?あっ、本当だ。」

二十歳くらいの女性とまだ幼い男の子が川岸に倒れている男を見つけた。おっかなびっくり近寄ってそっと肩に触れてみる。

「溺れたのかな?昨日の雨、すごかったもんね。姉ちゃん、この人生きてる?」

「縁起でもないこと言わないの!大丈夫…だと思う。」

女が倒れている男の口もとにそっと耳を近づけた。
僅かに息を感じる。

「…生きてる。」

ほっと胸を撫で下ろすと男の頬を軽く叩く。

「ねぇ、ちょっと。大丈夫?ねぇ、」

「ん…」

反応がある。大丈夫そうだ。

「姉ちゃん、この人すごく良い匂いがするね。」

弟の言葉にハッとしてもう一度よく男を見る。男にしては華奢な身体に可愛らしい顔。

「ヒューゴ、あんたは先に帰ってて。」

「え?何で?」

「いいから!早くここから離れなさい。」

まごついている弟を離れるように促し、その男を引きずるように背負って家に帰って行った。




「う、ん…」

ここは?
質素な木の天井。暖かく優しい匂いがする。窓から明かりが差し込んでいる。

「あ、目が覚めた?」

声とともに顔を覗き込む女性。全く見覚えがない。

「あ、あの…。」

「良かった。死んでるかと思ったのよ。ふふ。」

「え?死んでる…?」

「そう。川岸に倒れてるんだもの。全身びしょ濡れで、あんな大雨の中出かけてたの?」

川岸で倒れていた?大雨?全く記憶にない。

「私はハイネ。ここに弟と二人で住んでる。あなたは?」

「僕は…」

え…僕は誰?名前があるはずだ。思い出せない。昨日の事どころか名前も何もかも…。

「分からない。僕は…誰?」

「え?名前よ?分からないの?」

「…はい。」

ハイネは驚いてその男の顔を見ている。

「あっ、そうだ。これ。」

緑色の液体が入ったコップをその男に渡した。
ハーブのような香りがする。

「これは?」

「あなたオメガでしょ?しかも発情期みたいね。それは抑制剤の効果があるお茶よ。私がブレンドしたの。」

「オメガ…。」

ぼんやりとそのお茶を眺める。
オメガ。そう、自分はオメガだ。記憶の奥底にはっきりと見える。
オメガ。発情期があり、子を産む事が出来る。
フェロモンを放ちアルファを誘惑する。時にベータさえも…。
コップを持つ手が小さくて震えた。
自分は何者なんだろう。オメガとしか分からない。

「大丈夫。心配しないで。私もよ。」

「え?」

「私もオメガよ。そのお茶は自分のためにブレンドしたものなの。さぁ、早く飲んで。弟が帰ってきちゃう。」

その言葉に頷きコップのお茶を飲み干した。甘いような苦いような不思議な味だ。

「きっと川に流されてそのショックで記憶喪失になってしまったのね。」

「記憶喪失…。」

「ええ。思い出せると良いんだけど…。」

心配そうに自分の顔を見るハイネと名乗った女をぼんやりと見つめた。






「ルゥ!あっちだよ!あっ、早く捕まえて!」

「えっ!ちょっと待って…。うわっ!」

ルゥとヒューゴは二人でヤギを追いかけている。
ハイネとその弟のヒューゴが飼っているヤギが逃げ出したのだ。
二人に助けられてひと月経つが未だ何も思い出せない。『RtoR』と刻印された指輪からおそらく名前の頭文字はRが付くと推測し、ルゥと呼ばれるようになった。

「もう、ルゥは本当にとろいんだから。」

「ごめん、ヒューゴ。」

二人で何とか逃げたヤギを捕まえて首輪を付け直していると遠くから二人を呼ぶ声がする。

「ヒューゴ、ルゥおやつよ!」

ヒューゴとルゥは仲良くハイネのもとに駆け出した。
家の中から甘い匂がする。

「今日はマドレーヌよ。」

ハイネはお菓子作りがとても上手だ。毎日いろんなお菓子を作り食べさせてくれる。
ふわりと香る甘い匂いに何故か懐かしいような胸が締め付けられるような感じがした。

「ルゥ?」

「え?」

「またぼーっとしてる。マドレーヌの匂いに何か感じるの?」

「分からない…。」

記憶の糸は辿れそうで辿れない。きっと何か大事なことだ。この甘い匂いにヒントがあるような気がする。

「早く思い出せると良いわね。」

「うん。ごめん…。」

「謝ることじゃないわ。ルゥにはずっとここにいて欲しいくらいよ。ヒューゴの面倒も見てくれるし。」

「えーっ!僕がルゥの面倒を見てるんだよ。」

口の周りにマドレーヌを付けたヒューゴが不満そうに言って皆で笑った。





夜が更けてベッドに潜り込んだルゥは自分の左手の薬指を見つめた。
金色に光る指輪。
全く身に覚えがないが、胸がざわざわする。
ハイネはルゥが結婚しているのではないかと言っていた。それもかなり良い家柄ではないかとも。ルゥの着ていた服がとても上等だったからだ。
でもルゥの頸には噛み跡がない。誰の番いにもなっていないということだ。
ただの契約結婚かもしれない。オメガにはよくある話だ。現に誰もルゥを探しには来ない。
ハイネもヒューゴもとても良い人だ。此処での生活も悪くはない。
でも何か大事なことを忘れている。いつも胸の奥が苦しくてざわざわするのだ。
ルゥは不安をかき消すように小さく頭を振って目を閉じた。





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