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 私史上最悪な1日 ①

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『月華《つきか》ちゃん、震えてるよ?かわいっ』

 耳に届く、甘い囁き。

 今彼女はどんな表情をしているのだろうか。
 楽しそうに笑っているのか。
 幸せそうにニヤけているのか。
 それとも…緊張に、恐怖に震える私を見て嗤っているのか。

 目を閉じている私には分からない。

『月華ちゃんの唇美味しそう…キスしていい?』

(フルフル)

 甘く、コチラの脳を溶かす彼女の声。
 彼女を拒絶したい私は、なんとか首を横に振り応える。

『まぁ、ダメって言われても、しちゃうけどねっ』

『ん、んうっ』

 先程見た、リップに彩られた瑞々しい唇。見た目通りの柔らかさのそれは、私の口に押し当てられた。

『ふふ、かわいっ。ほら、力抜いて?今度はもっと堪能させてもらうねっ』

『いやっ、ん、んん、ん』

 啄むようにキスする彼女を拒絶しようと抵抗を試みるも、首に腕を回され、口を塞がれた私に成す術はない。

『舌入れちゃうね♡』

『やめっ………-』

 だめだ。拒絶できない。
 私は犯される。彼女の舌が口の中に入って来て、私の何かを絡めとる。
 それは、理性なのか、他の何かなのか。ただ目を閉じ震えている私には分からない。

『私無しでは生きていけなくなっちゃえ♡』

 彼女の言葉に驚き、目を見開いてしまう。

 彼女は嗤っていた。私を見下ろしながら。

 彼女はニヤけていた。これからすることへの興奮を抑えきれずに。

 彼女は笑っていた。まるで幼い少女のような表情で――――

『月華ちゃんっ、服脱ごっか♡』



 6月中旬。世間の男女が、やれジューンブライドだの、やれ結婚がどうだの言っているだろう日。
 仕事と住む家を失った私、月島月華《つきしま つきか》は目の前の少女――――如月乃亜《きさらぎ のあ》の手によって、ノーマルとして過ごして来た日常も奪われてしまった。


*********************


 私、月島 月華は自他共に認める"ダメ男ホイホイ"だ。

『ほんっと有り得ない。セクハラと浮気で仕事と家を失う?こんな馬鹿げた話が他にある?』

 バイボールの入った大ジョッキを手に取り、体内へ流し込むが、怒りは治まってくれない。

『月華飲み過ぎ。それに私言ったよね?あの男はやめなさいって』

 怒り心頭の私を嗜めるのは、高校からの親友である篠原 恵(しのはら めぐみ)だ。

 そんな彼女に私は返事をしない―――いや、出来ない。

 恵は、コチラが返事をしない事を予想していたのだろう、続けて口を開く。

『それにしても…"学園のアイドル"なんて言われていた月華が、28にもなってこの有様とはね』

 彼女の目は私を見ていない。
 どこか遠くを―――それこそ過去の私を見るかのような目をしていた。

『それで?月華に何があったのか教えてくれる?』

 彼女は優しい瞳を私に向ける――――まるで、我が子を見るかのように。

 それを受けた私の胸に罪悪感が湧いてくる。
 彼女は既に結婚し、二児の母である。
 
 私が電話したら旦那さんに子供を預け、駆けつけてくれたのだった。

『少し長くなるけど…聞いてくれる?』

『ええ、10時までならいくらでも付き合うわよ』

 ニッコリと微笑む彼女に感謝を告げ、私の身に起こった悲劇を話し始めた――――


 *********************

 私は"あなたの人生で一番辛い日はいつですか?"と聞かれたら間違い無く、今日だと答えるだろう。


 今日私は出勤早々、直属の上司である田中(48歳)の顔に辞表を叩き込んだ。
 比喩などではない。言葉の通りに叩き込んだ。

『貴様、何をするんだっっっ』

 田中は私を睨み付け、喚き散らす。
 まるで自分は何も悪い事をしていないと思っているように――――

『過去10年に亘るセクハラの代償なら安いものじゃないですか?それとも…上の者に伝えて来ましょうか?私が直々に』

 私は怯まず、立ち向かう。

 周りの同僚達は私の味方だ。今この場に田中の味方は誰一人として居ない。

 彼が私にしたセクハラの概要を伝えてあげる。

 毎朝出勤時の挨拶は、ボディタッチを添えて。
 毎日勤務時間に話すときには全身をまじまじと視姦する。
 毎日退勤時には挨拶と共に『今日飲み行かないか?』の誘い。

 これが私が入社してからの10年間毎日だ。
 耐えられると思うか?否。耐えられる筈が無いだろう。



 ついに、やってやった。
 私は達成感に浸りながら、私物を片付けすぐに退社。
 これから数週間は華の"有給消化"期間だ。

 でも、これは悲劇ではない。
本当の悲劇はこの後、私に襲い掛かる――――



 会社を出たのが9時半、それから私は買い物に行き、有名レストランのランチを食べ、帰宅する――――付き合って一年半の彼氏と同棲している自宅へと。



 自宅のアパートへ着き、時刻を確認すると13時半。
 玄関を開けた瞬間に私は全てを悟った。

 入ってすぐ目についたのは、現在家に居る彼の普段靴であるナイキのスニーカーと"ヒールのあるサンダル"だった。

 勿論このサンダルは私のモノではない。
 私以外の誰か――――彼の浮気相手のモノだ。

(また………か)
 私は慌てない。慣れているから。

 私の過去の恋愛遍歴は悲惨だ。

 初めて付き合った彼は三股男。次はDV男にヤク中に売れないバンドマン。
 過去に付き合った8人――その全てがどうしようもないダメ男達だった。

 帰宅早々に彼の浮気を悟った私は、寝室の扉に耳を当てる。

(あっ、あんっ、きもちっ、修斗…気持ちいよ)

 私の心は乱れない。
 ゆっくりと、足音をたてずにリビングへ行き、瞬間接着剤と強力なテープを手に戻ってくる。

 まずは、ドアのふちに接着剤を流し込み、少し置いたらテープを何重にも重ねていく。
 この時、テープを少しずつずらしながら10回ほど重ねるのがコツ。

 これで、外開きのドアは開かなくなる。

(ふぅ、家を出る支度しよ…)

 私は感情の乱れが一切無いままに、スーツケースと、大きめのリュックに荷物を詰め込んで行った。



 突然、寝室の方から大きな物音がしてくる。

 時計を見やると17時。
 私の定時1時間前になってようやく、彼らは異変に気が付いたようだ。

 家を出る支度を終えた私は、軽い足取りで寝室の前へと向かい、声をかける。

『修斗さーん。私お昼から帰ってたけど、何して居たのー?』

 扉に声をかけるが、返事はない。

『ニートの貴方には申し訳ないけど出て行きます。さようならー』

『待て、待ってくれ。ここから出れないんだ…俺が悪かった。助けてくれ』

『死ぬまでエッチしてればいいんじゃ無い?お猿さん♡』

 彼らが寝室から出れないのは想定済みだ。

 3階にある私達の家の寝室はベランダと繋がって居ない。
 出るには扉を蹴破るか、管理会社に助けを求めるしか無いだろう。
 浮気して居た彼が管理会社に助けを求めるかは知らないし、どうでもいい。

『私が悪かったですっ。お願いっ。助けてっ。私には家族がいるのっ』

 泣いてるだろう浮気相手の言葉が聞こえて来たところで、ようやく怒りが湧いてくる――――

 私は返事をせずに、家を後にする。

 ニートの彼がどうなろうと知ったことか。
 家族のいる彼女がどうなろうと知ったことか。

 浮気、不倫はそれほどまでに重い罪だ。


 その後、私は電車を乗り継ぐこと1時間半。地元である埼玉県へ帰ってきて、親友である恵を呼び出した。

 実家へ帰れない私は、ひとまず彼女に話しを聞いてもらいたくて仕方なかった。





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