紅い月の堕ちる夜 -病み上がりのコペルニクス的転回-

的射 梓

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 わたくしの赤い毛がぱさりと落ちていくのを、時が引き伸ばされたようにゆっくりと落ちていくのを見ていましたの。

 トマス様はそのわたくしを、苦しそうに息を乱しながら優しく抱きしめていてくださいましたの。

 トマス様の腕の中は、とてもあったかくて……。
 ようやくわたくしは、抱きしめた罪の重さに気づいて青ざめていきましたわ。

 トマス様のお世継ぎを作れるほど妻になりきれていませんのに、温もりは欲しくて大事な赤ちゃんの素をおこぼしして。
 病気のトマス様を気遣うこともせずに、女なのに欲情してセックスを無理強いして。
 それどころか、魔女のようにまたがって、もだえ苦しむトマス様を……自分がよくなるためにしてしまったのですの……。

「トマス……様……」

「何かな? アスタのお見舞い、とても心地よかったよ」

 胸が苦しくて多分不細工な顔をお見せしているにもかかわらず、トマス様は暖かくほほえみかけてくださって……。
 頭を撫でられるとわたくしは、かえって暗くなってしまったんですの。
 なんてなでがいのない女なのでしょうかしら。

「別れて、頂戴」

「……何?」

「わたくし……女なのにえっちな気持ちを抑えきれないなんておかしいし、迷惑かけてばかりだし、尼寺にでも行ってふさわしい身の置きどころを探すわ。トマス様の元には……いられない……」

 尼寺にでも行って、春をひさいで落ちぶれていくのがわたくしにふさわしい生き様と存じましたの……。
 トマス様以外の男の人なんて……それも毎夜違う相手とだなんて身の毛もよだつけれど、きっとこれは罰なのですわ。
 我慢しきれないほどの情欲を覚えるなんて、神の前に罪を犯したからに違いありませんの。
 神の家からも人の道からも外れてしまって、罪深いわたくしはトマス様のおそばにいてはいけませんの……!

「アスタの乱れた姿を他の男になんて見せてやれるものか。君は絶対に手放さない。どうしても出て行くというなら、縛りつけてでも引き留める」

 トマス様は、痛いくらい強く抱きしめてくださいましたの。

「だってそんなことしたって、トマス様には何の得もないわ」

「得かどうかは僕が決めることで君の考えることじゃない。アスタの絵はとても独創的できつけられるし、ノスタルジックな調度品のセンスだってお偉方からの評判はいい。君は僕にも伯爵家にも必要な人だ」

 調度品の趣味は使用人の方々によるところも大きいし、過去の栄華にすがる懐古趣味の親譲りですのよ。
 それに絵は心に浮かぶまま筆を滑らせているだけで、学ぼうと思っても男社会の画工ギルドには門前払いですもの。

「女が素人絵なんて書いたって、もの笑いの種にしかならなくてよ」

「アスタが絵を描くと僕に笑顔が一つ増える。……言っても分からないなら、体で分かるようにしてやる」

「けれど……ん……!んふ……」

 ぎゅっとその太い腕で抱きしめられてほおに手を添えられ、口づけを交わされましたの。
 唇に割り入れられて口蓋こうがいをまさぐられ、わたくしは目も開けられないくらい火照ほてっていきましたわ。

「ふっ……く……」

「ん……んふぅ……んん……!」

 絡め取られた舌の根に蜜が溜まって苦しくなって、舌先を伸ばすとトマス様のそれに摘まれて引き出されて。
 トマス様はわたくしの舌を舐めとりながら唾液も吸い出しているようでしたの。
 それと同じようにして、わたくしの悩み事もぼんやりしてきて、流れ出ていくようで……。

 トマス様と唇を重ねている間に、どれだけ時が経ったか……まったく感覚が残っていませんわ。
 再び息が自由になったときには、頭の中は真っ白で……いえ、トマス様でいっぱいになっていましたの。

「アスタ、可愛い僕のアストリッド、分かってくれたかい?」

「ええ……」

「僕の病気にはアスタが一番の薬だ。治るまで見舞いに来てくれると嬉しい」

 わたくしは未だ顔の火照りがおさまらないのに、トマス様はただほがらかで……少し、くやしかったですわ。

「君には何の得もないかな? 頭くらいは撫でてあげられる」

 そう言ってトマス様はぽんぽんと頭を撫でてくださいましたの。
 子ども扱いされてるみたいで歯がゆいけれど、でも……トマス様だとうれしく存じてしまうんですの。

「髪型が崩れてしまうから、夕方だけにしてもらっても構わなくて?」

 トマス様はくすりとお笑いになりましたの。

「それでこそアストリッドらしい。そうするよ」

「おやすみなさい」

「お休み。また明日」

 そうしてわたくしは、暖かな気持ちを抱いて眠ることができたのですわ。

  * * *

 だいぶご無理をさせてしまったけれど、トマス様は順調に快方かいほうに向かいましたわ。
 あの日の夜も、治ってからも、わたくしはトマス様のお体がご健勝けんしょうでいらっしゃるようにと祈り続けていましたの。
 もし万が一のことがあったら、修道院に入ってトマス様の天よりの慰めと平安をお祈りするつもりでしたわ。

 けれど、領主とその嫁が入れ違いに倒れてしまったので執務が滞ってしまっていましたの。
 夜になってもトマス様はなかなか部屋にお戻りにならないでいましたわ。
 わたくしは数日ぶりにトマス様と同じベッドの上で寝られると思うと鼓動がうるさくて……。
 開かない扉にじっと耳を向けて、寝ようかと悩んで寝られないでいましたの。

「トマス……様……?」

 ようやく帰っていらしたトマス様は、返事もなさらずに真っ直ぐこちらへ来て……。
 お体は少し桃色に近づいて湯気が立っていたんですの。
 そしてベッドまで来ますと……。
 トマス様は、どさりと覆いかぶさって来たのですわ!

「やっ……んっ……今日は激しくてよ、どうしたの……?」

 胸の上に感じるトマス様の確かな重みが、苦しいけれど暖かくて……。
 普段トマス様は焦れったいくらいなのに今日は性急だから……一気に体が熱くなりましたの。
 少し会えなかっただけで我慢できないっていうくらいに求められるなんて、嬉しくて。
 息をするにも不自由になるほどにきゅんとなって、段々と鼓動が高まってきましたわ……!

 なのに……トマス様の息は次第に安らかになって……。
 目を開けて確かめると、トマス様はわたくしの胸で眠っていましたの。

「可愛いって言った妻を置いて先に夢の国に行ってしまうなんて、仕方のないひとね。……お疲れさま」

 部屋に戻るまで睡魔に耐えて、この胸で安心していただけたのかと思うと、わたくし少し幸せになれたのですわ。
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