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第322話

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 私の世界から持ってきた本と、この机へ安置されていた本。
 二冊は並べれば瓜二つ、いや、まったく同じ見た目。
 そう……例えるのならば、上巻と下巻とでもいうべき姿をしていた。

「そう、か」

 私達は魔法を使えない。
 いや、正確に言うのなら『スキル』という形以外での魔法を使うことは出来ない。
 こちらの世界の人間と異なり私たちは魔力と関係のない進化をしているし、それ故に身体は元々魔力を扱えるようになんて出来ていない。
 だからダンジョンシステムによって魔力操作の補助をしてもらい、それで初めて魔法を発動させることが可能になる。

 勿論練習をすればいつかは出来るのだろう、だがどうやってやればいいのかなんてこれっぽっちも思い浮かびそうにない。
 もしかしたら長い戦いや経験で少しずつ学んでいき、いつか理解するのかもしれない。
 しかし私にそんな時間は無い、残されていない。

「んん……どうしたら……」

 これは困った、二冊を小脇に抱えてしゃがみ込む。

 二冊あればしっかりとした魔法が発動できるのは間違いないのだ。
 一冊でもカナリアは確かに不完全ながら起動させていたし、この本の中身はちらっと見た感じで中に描かれてる魔法陣の断片は明らかに別物。
 つまりまるきり内容の同じ上巻同士、ではない……はず。

 取りあえずそれっぽいことをやってみる、か。

「……! 魔法発動!」


 ……何も起こらない。
 しぃん、とした地下室の静寂が鼓膜や脳髄へ非常によく染みる、虫歯の時に思い切り氷系アイスを齧ったくらい。

 がじがじと頭を掻きまわし、ひらりと虚空を舞った一本の髪の毛がきらりと光った。

 いや、待てよ。
 もう一つ私は魔力ってのを知っているじゃないか。
 なんたってそいつを私は必死にかき集めてこの一年生きてきたんだ、ダンジョン駆けずり回ってその小さな石片を拾って。

 そう、魔石だ。
 魔力で出来たその塊はそのまま電池の様に使い捨てすることも、『純化』という過程を通すことでより高品質な燃料として扱うことも出来る。
 そいつらはどうやって使っていた? 装置にぶっこめば魔力が駆け巡って動いてたんじゃあないか?
 魔石は無い、だが魔力で出来たものなら丁度ここにある。

 まあ、魔力で出来ているというか馬鹿みたいに過剰摂取しすぎてたせいで、魔力に置き換わって行ってるものだが。

「試す価値はある」

 ぶちりと指先のほんの数ミリを噛み千切る。
 垂れた血は二冊の間に生まれた燐光を放つ魔法陣へ静かに垂れ……途端、激しい光が溢れ出した。

「……っ」

 人の身体は食べたもので出来ている、たんぱく質や糖質、それに……えーっと、油とか?
 じゃあ私はどうだ? 魔力の匂いを嗅いで、魔力を食らって生きている私の身体は、一体何で作られている?

 そう、魔蝕によって完全に変異した私の身体は、きっとほとんどが魔力そのものに等しいんじゃないか。
 ちょっとばかり乱暴な理論かも知れないがそれを直接ぶっかけてしまえば、それは魔力を注入しているのと大して変わりはしないだろう。

 既に発動する内容は知っている・・・・・、忘れるわけがない。
 なら後は意思を見せるだけだ。スキルだって魔法の一種だ、これはスキルにちょっとばかりの自由度を足しただけなのだから。

「『直せ』」

 予想は確信に、確信は現実に。

 まるで私の呼吸へ呼応するかのように明滅する二冊の本、彼らの無数のページが風もないのにぺらぺらと激しく捲れ始める。
 各ページに仕組まれた奇妙な模様は一つ、また一つと意思を持ったかのように虚空へその線を刻み、ふと気が付くと球形の巨大な光へと姿を変えた。

 立体魔法陣、カナリアはこれをそう呼んでいた。
 ただの平たい魔法陣と異なりいくつもの魔法陣が重なり一つの術となる、立体を成すことで大量の情報を書き込める複雑な術だと。
 それは例え各個人の僅かな揺らぎによって大きく変化する固有魔法ですら、理論上は誰にでも扱うことが出来る様に構築できる、と。

 無意識だ。
 夏の終わりかけにフラフラと飛ぶ我が白熱電球へ引き付けられるくらいに、傷付いた手をその光球へと突き刺す。

「……出来た」

 熱も、衝撃も、痛みも無かった。
 一瞬だ、一度瞬いたその直後に全ては終わっていた。

 今しがた深紅の血が溢れ出していたはずの私の指先は、見慣れたちょっとばかしタコ・・の出来た普通の手へと戻っていた。
 いや、それだけじゃない。
 肩や手に走っていたはっきりとした痛み、クレストによって生み出されたそれらすらもが綺麗さっぱりに消え去っていた。

「『復元』、か」

 もし回復魔法なら、きっと傷跡がほんのちょっとばかしでも残っていただろう。
 それは対象の持つ治癒力を上げて傷を塞ぐからだ、切り裂かれたならそこには薄い皮や肉が生まれて色は周囲といささか異なっている。
 だがこの手はどうだ、まるきり元通りだ……復元、その名の通りに。

 やはりブレイブさんは、彼の正体は……

「やはり、見てしまったか……」
「――!」

 どこか諦観の気配を含んだ声が突如背後から飛んできたのは、私が力を失うように地面へ落ちた本を慌てて抱きかかえたその時だった。

「サイズを聞くのを忘れていたんだ、君の服や靴を用意しようと思ってさ。あれじゃあ街に出るとき目立つからね……」
「やっぱりスニーカーとかは無いんだ、こっちの世界・・・・・・
「技術が一気に進歩したのはここ三十年らしいからね、僕達から見たら色々ちぐはぐなんだ。インフラだってまだ日本・・には遠く及ばないよ」

 後ろを振り返ることはない。
 だが彼がどんな顔をしているのか、どういった感情を抱えているのかは分かっていた。
 いや、むしろ十二分に理解していたからこそ、私は振り返ることが出来なかった。

「ブレイブさん……いや、の貴方は……誰?」

 男の喉が震える、彷徨い留まる場所を見つけられないかのように。
 躊躇い、恐怖、困惑、悲哀を吐き出したくとも出来ないのだ、自分にはその権利が無いのだと。

「僕は……」
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