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第279話

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「はぁ……」

 逃げてきてしまった。

 駆け込んだ先は町のど真ん中に位置し、現状内部のレベルが一番高いと言われているダンジョン。
 当然できたばかりで名前もなく、だだっ広い草原にまるで巨大な水滴そのもの……つまりスライムが飛び跳ねているような奇妙な光景が広がっているのみ。

「あーどうしよう……」

 ああ言ってきた手前することはせねばならぬと、膝ほどの高さまで茂った草を押し倒し、相も変わらずコロコロとあちこちに転がっている実をひょいひょい拾い集める。
 傍から見れば子供の遊びにしか見えないのかもしれないが、これでもれっきとした仕事。
 供給が不安定な今こんなんでも結構重要な作業であり、集中しなくてはならないのだが……相も変わらず脳内をめぐるのは、これからどうしたらいいのかという悩み。

 絶対怒ってるよね……いやでもどうしろっていうのさ。

 どれだけ考えても私の結論は変わらない。
 勿論もう出来ないと迷うことはない、未来も、そして私の意志も決して揺るぐことはなく、計画は確実に進んでいる。
 明後日の朝、それが全ての始まりであり、全てを終わらせるための一歩だ。

 ……本音を言えば確かに彼女の言う通り、たとえそれがどんな人物であっても殺さなくて済むような方法がないか……なんて今でも考えている。
 そりゃ誰だって誰かを殺したくはない。殺すことそのものに対する忌避感は当然として、それ以上に死の冷たさ、苦しみを、たとえそれがどうしようもなく憎い相手だとしても与えたくはない。

 でもパンチ一発で考えが変わってくれる……なんて単純すぎる話、あり得ないのも分かってはいる。
 全てはもはやそんな段階をとうに過ぎ去っていて、その存在を知らない私からすれば現実感はないものの、数えきれない人々がどうにかしようと犠牲になり続けてきたんだと。勿論分かっている。

「はぁ……考えたくないなぁ」

 クレストが憎いか?
 当然憎い。筋肉は死んだ。それで私の知ってる人が何人も悲しい思いをした。
 辛くて心を閉ざしかけた人だっている。
 大切な人だったはずなのに、何もかもを忘れ去っていて、そのことに気付くことすら出来ない人がいる。

 無数に生まれた悲しみは今も連鎖を繰り返していて、間接的ではあるけどこうやって町……日本……いや、世界中がボロボロになって、きっと私の周りなんか比じゃないほどの絶望に叩きこまれた人だっているのだろう。
 電気の供給不足で病院の手当てが出来ず亡くなった方も出ているそうだ。

 起こったことを指折り数えていけば、手足が四十本あったところで足りはしないだろう。それだけのことが、今まさにこの瞬間も起こり続けている。
 そんな人たちからしたら、状況を変えられる力があるのに、元凶を殺す力があるのにどうして振るわないんだ? って絶え間なく湧き上がる怒りに苛まれるかもしれない。

 分かってる。
 許せない、そんなのは当然のことだ。
 でも本当に殺すしかないの? 他の手段はないの?
 結局力でねじ伏せてしまったら、また新たな憎しみが生まれるだけじゃないのか? クレストが目障りな国を潰して回っているのと、本質的には変わらないんじゃないの?

 そんな考えが脳裏にちらついて離れない。

「悪い奴……だから倒す……」

 そんな、白と黒で分ける様に安易な結論を付けていいのか?

 なんだか違う気がして、ごろりと草原へ寝そべる。
 青い空に太陽はなく、しかし不思議と昼間だと認識できるほどの光が満たされた奇妙な空間に一人、ただ思考の海に沈む。

 人には役割がある。
 頭がいいなら頭を使う、身体が強いなら体を使う。自分の出来ることを自分の出来る限りする、それが人。
 私は偶然だが誰よりも飛び抜けた力を手に入れてしまって、だから私に出来ることをする。

 でも……なんで同じ人間なのに、こうやって憎んで殺し合うんだろうなぁ。
 皆が幸せになれるなら一番いいのに。

「あー……」

 考えるのやーめた。

 なんとなしに『アイテムボックス』から希望の実をひとつ引っ張り出し、ころころ口の中で弄ぶ。
 強烈な甘みの爆発が口内を蹂躙し、停止した思考がしびれにも似た何かに満たされていく中……

「おい」
「うわっ」

 が、青い空が嵌め込まれ、何かに覆われることなどあり得ないはずの視界に、一人の顔が現れぱちくりと目を瞑ってしまった。

「なんだ、カナリアも来たの?」
「貴様馬鹿だろ。一人でちんたら一個一個拾ってどれだけ集められる?」

 顎をしゃくれさせ、見るからに馬鹿にした表情。
 だが私には分かる、彼女は本気で私が一人でやるのは時間の無駄だと思っている。

 ムカッと来た。

「む……『アクセラレーション』」

 視界が歪んだ。
 周囲の土が私の脚力に吹き飛ばされ、風にそよいでいた草は無残に飛び散る。

 そして現実の時間にして僅か一秒。

「……一秒で五百個くらいかな?」

 私たちの前には希望の実の小さな山が出来ていた。
 そう、アクセラレーションで加速し、ちまちまちまちま一つ一つ手で集めたのだ。

 風除けに被っていたお面を額に戻し、カナリアに向かって口角を吊り上げる。

「ふっ……」

 まあ私に掛かればこの程度ちょちょいのちょいよ。
 探索者になってからだれも見向きもしなかったこれを必死こいて集めてきたんだ、年季が違いますよ年季が。
 実を拾い集めることに関して言うのなら、もはや超すごいプロと言っても過言ではない。

 しかし直後、暴風が吹き荒れた。

「わっ」

 モンスターの攻撃!?

 ――いや違う、カナリアだ。

 彼女を中心として無数に風の渦が生まれてはダンジョン全体に散らばり、地面から何かを巻き上げている。
 一分ほどしてからだろうか、風の渦が一つの巨大な旋風へと姿を変え……

「いてっ」

 コツン、と一つの実が脳天を叩いた。

 ざ、ざ、ざ、ざざざざざざざざっ!

 雨だれあられ実の雪崩れ。
 数えるのも億劫なほど大量の実が私たちの頭上に降り注ぎ、私が必死にかき集めた実がまるでゴミのように埋め尽くされてしまった。

「何か言ったか?」
「何でもないっ!」
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