上 下
173 / 363

第173話

しおりを挟む
 翌日の朝。
 アリアお手製のベーコンエッグとパン、サラダにオニオンスープというシンプルかつ王道の食事を終えた琉希と芽衣は、満足げに家を去っていった。

「まったく、掃除くらいしてから帰って欲しい」

 そう、私が惨状に気付き言い出す前に。

 散らばった菓子のゴミ、零れた食べカス、しっちゃかめっちゃかになったリビングの様子は中々に酷い。
 いったいこれを片付けるのが誰かと言えば、同然この家の家主である私たちなわけで。

 痛む頭を抑える私へアリアが笑顔で肩をすくめた。

「まあまあ、楽しめたみたいだしいいんじゃないかしら?」
「別に……勝手に押し寄せてきただけだし」

 ちょっと広くて寂しいかもと思っていたこの賃貸が、たった二人が遊びに来ただけで窮屈に感じてしまった。
 そして去った今、以前は感じなかった不思議な空虚感を強く意識してしまう。

 また皆集まるならソファとかも欲しい、かも。
 椅子も買った方が良いよね……ゲームにも手を出してみようかな。

 ふと考え事をしていたからかもしれない、壁へ掛けられていたアリアの小さなポーチへ手が引っかかり、中身を床へばら蒔いてしまった。

「あ、ごめん。私が拾っとくから掃除しといて」
「い、いや、私がやるわ! 自分の鞄だもの!」

 いそいそとポーチの中身を集め入れていく彼女。

 中身、といってもみたところ大したものはない。
 折りたたまれた古そうな紙、透けたところから見る限り地図だろうか? それといくつかのカード、財布、小袋……どれもそこらへんにありそうなものばかり。

 そういえば彼女の記憶のカギ、この中に無いのかな。

 派手なところもなく地味、しかし結構頑丈なつくりをしているようであまりほつれなどもない、堅実な彼女の性格を示しているようにも見える。
 確かこのポーチは彼女を山で拾った時持っていたものだ、これから何か情報が手に入ればいいのだが。

「いいって、私が落としたんだからさ」

 一緒にしゃがんで拾い集めていく。
 どうやらカードケースの蓋が衝撃で空いてしまったらしい、一枚一枚落ちたカードを差し込んでいく途中、はたと指先が止まる。

 古ぼけたカードだった。
 恐らく発行されてから大分時間がたっているのだろう、プラスチックに印刷された文字は随分とかすれているし、カードの端っこは何かにぶつけたのか小さく欠けてしまっている。

「ん……ほけ……ん……保険証?」
「それはっ!」
「あ……」

 今まで聞いたことがない、アリアの本当に焦り裏返った声。
 驚いた隙を突いて私の手から奪い去られるカード。

 でも私はしっかりと見た。

 見てしまった・・・・

「っ! ちがっ、これはっ、違うのっ!」
「……っ、ね、ねえ……いまの……って……」


 掠れながらも、消えかけながらも、確かに『結城 アリア』と書かれた名前を。

 同じ苗字、同じ瞳の色、全てが同じ。
 まるで、親子のように。

「アリアは……知ってたの……?」
「そう、ね」
「知っててずっと黙ってたの……!?」

 慣れないはずなのに懐かしい味。
 似通った容姿。
 不思議と落ち着いてしまう隣。
 あり得ない。相手は元々体を弱らせていた人間、出会ったばかりの私が決して甘えたりなんてするはずがないのに。

 彼女の声は優しくて、見知らぬ相手とは思えぬほど心地がいいもので。

 本当は、どこか私も気付いていたのかもしれない。
 本能的なところで、理論ではなく心で……それでも他人のようにふるまっていたのは、失った時が恐ろしかったから。
 目を逸らし続けていた、今を楽しむためだけに。

 一度ほつれた糸は、決して元の姿を取り戻せないというのに。

「フォリアちゃん……」
「っ! 寄るなっ!」

 伸ばされた手を払いのける。
 奥でアリアは傷付いたような顔をしていて、その表情が一層私の感情を引っ掻き回した。

 



 どうすればよかったのか、どう答えればよかったのか分からない。
 でも、きっともう見なかったことには出来ない、いつか必ず口に出してしまうだろう。
 今まで通りにいかないことだけは分かって、壁に干された協会のコートだけを手に家を出た。

 走って、走って、走って走って、でに目的地もなく延々と足を動かすなんて無理なことで……気が付いたら私は協会の前に居た。

 この一か月で見知った何人かの探索者、受付で何やら書類を整備しているウニ、皆を無視して奥へと進む。
 そんな私なのに、それでも明るく挨拶をしてくるみんなの声が、自分の感情が何なのかすら言うことの出来ないみじめな私の背中に刺さった。

 何も聞きたくない、だれとも関わりたくない。

「はぁっ、くそ、くそっ!」

 上がった息で目指したのは執務室、今の私に残された唯一の場所。

 見えない目線が怖くて、聞こえない声が五月蠅くて、カーテンも、扉の鍵も全部閉じる。
 いつものんびり座って、部屋へ行き交う人の話を聞いていた椅子へ腰かけているのに、これっぽっちも落ち着くことが出来なくて、真っ暗な部屋の端っこに座り込んだ。

「どうしたらいいのか……もうわかんないよ……」

 恐ろしく冷えた指先で顔を覆う。

 記憶の中にだけある恐ろしく冷たい瞳、一か月間触れ合ってきた優しく暖かい目線。
 全くの同一人物が私へ注いできた両極端の感情は、幾ら思い返したところで全く嚙み合ってくれない。
 でも、もっと昔、全てが狂う前のママは、きっと今のアリアと同じ表情をして、同じ態度で私に接してくれていた。

 きっと大人な心を持っていたら、彼女のすべてを許してまた一から始めて行こうと言い出せるのだろう。
 でも私には出来ない。
 彼女が全てを思い出した時、今と同じ態度で私に接してくれると、絶対的な確信をもって言い切れないから。

 怖い。
 怖くて怖くて仕方がない。
 もう一度裏切られたら、もう一度捨てられたら、もう一度……

『お前は私の子供なんかじゃないッ!』
「……っ!」

 恐怖からコートの中で抱きしめた二の腕へ、爪が食い込み血が流れた。

 脳裏へこびりついたママの言葉、別れる前の最後の言葉。
 忘れて、でもそのたびに思い出して、耳を塞いでも目を瞑っても、ふとした拍子にあの時の映像と声が流れ続ける。

 最初に捨てたのはママの方だ。
 だから今度は、裏切られる前に、捨てられる前に

「――私が、捨てるんだ」

 でもなぜか口にした途端、胸が酷く苦しくなる。
 鼻の奥がつんと痛くなって、肩が震えて……生ぬるいナニカに濡れる顔を、無理やり膝へとうずめた。
しおりを挟む
感想 26

あなたにおすすめの小説

ラック極振り転生者の異世界ライフ

匿名Xさん
ファンタジー
 自他ともに認める不幸体質である薄井幸助。  轢かれそうになっている女子高生を助けて死んだ彼は、神からの提案を受け、異世界ファンタジアへと転生する。  しかし、転生した場所は高レベルの魔物が徘徊する超高難度ダンジョンの最深部だった!  絶体絶命から始まる異世界転生。  頼れるのは最強のステータスでも、伝説の武器でも、高威力の魔法でもなく――運⁉  果たして、幸助は無事ダンジョンを突破できるのか?  【幸運】を頼りに、ラック極振り転生者の異世界ライフが幕を開ける!

レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~

喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。 おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。 ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。 落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。 機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。 覚悟を決めてボスに挑む無二。 通販能力でからくも勝利する。 そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。 アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。 霧のモンスターには掃除機が大活躍。 異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。 カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。

異世界転移ボーナス『EXPが1になる』で楽々レベルアップ!~フィールドダンジョン生成スキルで冒険もスローライフも謳歌しようと思います~

夢・風魔
ファンタジー
大学へと登校中に事故に巻き込まれて溺死したタクミは輪廻転生を司る神より「EXPが1になる」という、ハズレボーナスを貰って異世界に転移した。 が、このボーナス。実は「獲得経験値が1になる」のと同時に、「次のLVupに必要な経験値も1になる」という代物だった。 それを知ったタクミは激弱モンスターでレベルを上げ、あっさりダンジョンを突破。地上に出たが、そこは小さな小さな小島だった。 漂流していた美少女魔族のルーシェを救出し、彼女を連れてダンジョン攻略に乗り出す。そしてボスモンスターを倒して得たのは「フィールドダンジョン生成」スキルだった。 生成ダンジョンでスローライフ。既存ダンジョンで異世界冒険。 タクミが第二の人生を謳歌する、そんな物語。 *カクヨム先行公開

俺だけLVアップするスキルガチャで、まったりダンジョン探索者生活も余裕です ~ガチャ引き楽しくてやめられねぇ~

シンギョウ ガク
ファンタジー
仕事中、寝落ちした明日見碧(あすみ あおい)は、目覚めたら暗い洞窟にいた。 目の前には蛍光ピンクのガチャマシーン(足つき)。 『初心者優遇10連ガチャ開催中』とか『SSRレアスキル確定』の誘惑に負け、金色のコインを投入してしまう。 カプセルを開けると『鑑定』、『ファイア』、『剣術向上』といったスキルが得られ、次々にステータスが向上していく。 ガチャスキルの力に魅了された俺は魔物を倒して『金色コイン』を手に入れて、ガチャ引きまくってたらいつのまにか強くなっていた。 ボスを討伐し、初めてのダンジョンの外に出た俺は、相棒のガチャと途中で助けた異世界人アスターシアとともに、異世界人ヴェルデ・アヴニールとして、生き延びるための自由気ままな異世界の旅がここからはじまった。

どこかで見たような異世界物語

PIAS
ファンタジー
現代日本で暮らす特に共通点を持たない者達が、突如として異世界「ティルリンティ」へと飛ばされてしまう。 飛ばされた先はダンジョン内と思しき部屋の一室。 互いの思惑も分からぬまま協力体制を取ることになった彼らは、一先ずダンジョンからの脱出を目指す。 これは、右も左も分からない異世界に飛ばされ「異邦人」となってしまった彼らの織り成す物語。

天職はドロップ率300%の盗賊、錬金術師を騙る。

朱本来未
ファンタジー
 魔術師の大家であるレッドグレイヴ家に生を受けたヒイロは、15歳を迎えて受けた成人の儀で盗賊の天職を授けられた。  天職が王家からの心象が悪い盗賊になってしまったヒイロは、廃嫡されてレッドグレイヴ領からの追放されることとなった。  ヒイロは以前から魔術師以外の天職に可能性を感じていたこともあり、追放処分を抵抗することなく受け入れ、レッドグレイヴ領から出奔するのだった。

ダンジョンで有名モデルを助けたら公式配信に映っていたようでバズってしまいました。

夜兎ましろ
ファンタジー
 高校を卒業したばかりの少年――夜見ユウは今まで鍛えてきた自分がダンジョンでも通用するのかを知るために、はじめてのダンジョンへと向かう。もし、上手くいけば冒険者にもなれるかもしれないと考えたからだ。  ダンジョンに足を踏み入れたユウはとある女性が魔物に襲われそうになっているところに遭遇し、魔法などを使って女性を助けたのだが、偶然にもその瞬間がダンジョンの公式配信に映ってしまっており、ユウはバズってしまうことになる。  バズってしまったならしょうがないと思い、ユウは配信活動をはじめることにするのだが、何故か助けた女性と共に配信を始めることになるのだった。

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

処理中です...