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第二百三十話

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「んぁ……?」

 ぱちりと目が覚めた。

 なんだかよく分からないが凄い解放感だ。
 そう、言うなればプチっとプリンのお尻にある突起をへし折り、ぷりんと中身が完璧に出たかのようなすっきりとした感覚。
 あれ? この感覚をいつでも体験できるプチっとプリンってすごい商品なのでは?

 ふむ……ん?

「あれ……手が……?」

 ふと自分が出した声にも違和感を覚える。

 ぼんやりとした記憶の中、私は恐ろしい姿になっていた。
 自分の背丈なんて超えているはずの木が笑ってしまうほど小さくて、あの雪狐を何匹も一度に切り裂いて、妙に何もかもが敵に見えて……

 ――夢、だったのかな。

 琉希を殺した。
 小さな声で必死に叫ぶ彼女を、何度もこの手で叩き潰した。
 私は掌にべったりと張り付いた紅い液体を見て、どこか愉快な気持ちにすらなって、そのうっとおしく感じた存在を必死に狙った。

 あの時、確かに私は怪物・・だった。
 妙に現実を伴った記憶の中で、確かにそれだけは覚えている。

「――起きたか」
「……っ、おま……え……!」

 見覚えのある金髪、しかしそれはママではなかった。
 ピン、と尖った耳、私と近い目線、正面へ広がるどこか偉そうな顔つき。

 この人……いや、こいつは……!

「『アクセラ……』」
「戻りましたよー! タクシーの予約出来ました、後三十分くらいで……あ! おはようございますフォリアちゃん!」

 がばりと開いた扉の向こう、琉希のいつも変わらない明るい声音、笑顔があった。

「まあ積もる話はあるにしても、もう少し落ち着ける場所に移動してからにしようではないか」
「あ……うん」

 妙な虚脱感。
 怒り、衝動、一瞬で沸き上がった恐ろしいほどの感情は、沸き上がった時と同じく、唐突かつ一瞬にして消え去った。

 琉希が何も言わない。
 それに考えれば、何かをするつもりなら私が寝ている間にしているだろう。
 頭や感情は正直追いつかないが、今は下手に襲い掛かるより話した方が良いかもしれない。

.
.
.

 今となってはどこか懐かしく感じてしまう、小さなアパートのリビング。
 寝ているママをベッドへ寝かし、温かな紅茶を淹れた後からカナリアと琉希の話は始まった。

「――ってことがありまして」

 琉希から語られたのは、私が意識を失い……いや、怪物となり果ててから二日間の出来事、そして金髪のこの人……カナリアについてであった。

 ダンジョンシステムという概念、『魔蝕』なる病気、どれをとっても頭が痛くなるほど厄介で、どうしようもないほど複雑だ。
 あと大体私の家庭環境が悪いのはこの人のせいでもあると。

 しかし琉希の言葉に心底憤慨した顔で、カナリアがバシバシと机を叩く。

「まて! わざとではないんだ、全ては偶然が重なった故の悲劇なんだよ!」
「諸悪の根源が何言ってるんですか……ああフォリアちゃん、この人の話は真面目に聞かなくていいですよ。特に人格面で若干破綻しているところがあるので」
「私は至って正常だっ!」
「寝てるママに悪いから机叩くのやめて」

 正直のところ彼女については……かなり複雑だった。

 あの冷たい瞳、とげとげしい言葉は今でも恐ろしいほど脳裏にこびり付いているし、思い出すだけでも息が詰まる。
 正しくトラウマとでもいうべきものだ。
 それにあの日から私の人生は大きく変わり、嫌な事、辛いこと、苦しいことが何度も何度も何度も何度もあって、その度にそばにいてくれたら、また会えたらと思っていた。

 いや、率直に言えば許せないのだろう、私は。
 でも怨み言をずっと吐くのはなんだか嫌な気持ちになって、だから口に出すことは躊躇われて、もやもやした気持ちが胸に渦巻いている。

 だがそもそも、彼女がママの体内へ入ってしまったのは不幸な事故であり、更に私の病気、魔蝕なるものを食い止めてくれたのも彼女であったらしい。

 琉希のアイデアで急ごしらえした深紅の腕輪。
 しかし私の身体にはそれも効かず、どうしようもなくなったあの時カナリアが琉希へ手渡したのは、私を殺すためではなく、治すための剣であった。

 そしてその剣は彼女にとって絶対に変えようのない、本当に大切なものであったらしく、それを語ることすら嫌気がさすようで、口にする度に眉をひそめている。

「おかげで六年の研究は全て無駄になった……もうおしまいだ……」
「創り直したりは……」
「無理だ! む! り! 材料が足らん時間が足らん何もかもが足らん!!」

 やはりばしばしと叩かれる机。

「あの剣って一体何だったんです?」

 琉希の質問に私も頷く。

 ぼんやりと覚えているが、見た目は大きな紅い結晶から削り出されたような剣であった。
 確かに綺麗だったのかもしれないが、そこまで彼女が執着し、心底絶望する理由も分からない。

「あれは……魔天楼、即ちあそこに突っ立つ蒼の塔と全く同じ構造で、それを限界ま小型にしたものだ。突き刺した先から魔力を無理やり引きずり出すことが出来る」

 私たちの肉体を同時に貫いた深紅の剣。
 それは二つに分断され、私と琉希の体内へ完全に融合、体内の魔力を常時汲み上げることで『魔蝕』の発症を食い止めることに成功した。

 魔蝕に関して苦しむことは恐らくないとは彼女の言葉。

「はぇ……よく分かんないけどすごそうだね」
「そう! 超天才の私が苦労の末創り上げたんだぞ、超凄いに決まってるだろ!」

 なんだろうこの人、凄いんだろうけどなんか素直に凄いって言いにくい。
 そして琉希が言った意味が何となく分かった。

 この人に悪意はないのだろう。
 だから恨もうにも恨めない。あれだけの事があり、恨めしさが積もりに積もってるのに、どうにも最後まで感情が沸き上がらない。

「これで話すべきことは終わった。アリアの肉体には魔法をかけてある、目が覚めるまでそっとしておいてやれば直に元の生活へ戻れるだろう。体内の魔力は私の肉体の再構成に使ったから、レベル等はリセットされてしまっているがな」

 そしてママに関しても気にすることはないと彼女は言った。

 彼女が目を覚ました時記憶が戻っているかは定かではないものの、きっともどっていたとしても私たちの関係は変わらないと。
 本当かどうかなんて分からない。
 それでもまあ、これまでのアリア・・・を見る限りきっとそうなのだろう。

「そっか……ありがとう。琉希も、凄い大変だったでしょ」

 二人へ頭を下げる。

 彼女が過去に私達へした行為は兎も角として、私と琉希の命の恩人であるという事実は変わらない。
 こうやって意識を保っていられるのは
 その点に関しては心から感謝していた。

「ふん……」
「まあ私は結果から言えば何もできなかったんですけどね……」

 沈黙。

 しかしちらりとカナリアは窓の外を覗くと椅子を立ち、何も言わずに扉へ手を掛けた。
 何も持たず、白いワンピース一枚。

「あ……」

 何と彼女に声を掛ければ良いのか分からない。
 きっとそれは彼女の方も同じで、私にしたことを一切気にしていないというわけではないのだろう。
 先ほど話す度、気まずそうに私の方を視線を向けていたのを見ればわかる。

 何か行動するときあまり相手の心情などを考えていないようだが、しかし気付いてしまえば無視はできない。
 やはり、きっとこの人は悪人ではないのだろう、多分。

「ちょいちょい! どこ行くんですか!」

 しかしそのワンピースの裾をがっしりと掴む腕、琉希だ。

「用事が終わったんだからここに居る意味もないだろう」

 うっとおし気に払おうとするも力の差から勝てないと気付き、渋々聞き返すカナリア。

「二人共……分かってませんね! 明日は何の日だと思ってるんですか!?」

 明日……?

 私と同じ金色の瞳が訝し気にこちらを見る。
 貴様何か分かるのかと、多分彼女はそう言いたいのだろう。

 いや、私を見られても分からないんだけど。

「クリスマスですよクリスマス! イブですけど! 折角皆無事に帰って来られたんです、ケーキとかチキン焼いて盛大にパーティしましょう!」
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