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第百六十八話

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 きゅう、と瞳孔が縮む。
 ひゅう、と私の喉が息を吐き捨てた。

「……っ! 『ステップ』っ」

 ぞっとするような感覚に従い唱えた無意識のスキル発動、それが私の命を助けたのだと理解するのにそう長い時間はいらなかった。
 地面へ飛び降りながら見たのは、先ほどまで私が立っていた場所の皮膚が一瞬盛り上がり、直後無数の天を衝くほど長い針に覆われる光景。

 もし一秒でも反応が遅れたら頭から足まで串刺しだった。

 ただちょっと頑丈でちんたら地面を這っているだけじゃない、あれには明確に敵を殺す殺意がある。
 たとえその巨体の上であろうとそれは決して安息の地ではない、むしろ登って来た私こそが間抜けだったのだ。
 自分から処刑場に飛び込んでいたなんて笑いごとにもならない。

 見られている。
 泡立つ皮膚の感覚。人々の注目を浴びるなんて気持ちのいいものじゃない、これは殺意と悪意に満ちたモンスターの意志そのものだ。

 幾千、幾万の全身へ広がる瞳が、幾ら逃げようと私を追い続ける。
 無数の視線を潜り抜けた先に広がる新たな視線は、このモンスターに死角がないのだと、どこに逃げようと必ず追い続けるらしい。

「死角のない視覚、なんちゃって」

 走って木の裏に隠れたところで、現状のどうしようもなさに頭を抱える。

 困った、あれはちょっと強すぎる。
 長距離からカリバーを伸ばして叩くのは反動があるので駄目、アクセラレーションで殴るのも結局殴るものからの衝撃がその分大きくなり反動があるのでダメ、接近すると串刺し。

「魔法、使いたいなぁ……ほんと」

 こんな時筋肉ならどうするのだろう。
 何となくだが、針の攻撃とかも関係なく近づいて殴り飛ばしたり、切り飛ばしたりしている気がする。

「おっと」

 顔のすぐそばに延びてきた針が木を貫く。
 10メートルほどだろうか、思ったより接近を許してしまった事に内心舌を打ち、小走りで森の奥へと歩みを進める。

 ずらしていなかったら顔が吹き飛んでいた、接近に気が付けないなんて少し考え過ぎたか。

「『ステップ』……『ステップ』……」

 右、左、腹の横、後ろ。
 観察を兼ね周囲を動き回る度、このナマコは針を伸ばし必ず私の隙を突こうと攻撃を仕掛けてくる。
 それにしても目が多すぎてキモイ、せめてぐりんぐりん動かすのをやめろ。

 周りをぐるぐるぐるぐる、どんな速度で動き回ろうと無数にある目が必ず追ってくる。
 一度補足した相手は決して逃がさない執念、巨体である故に全力の私の逃走には追い付くことが出来ないが、そもそもこいつを倒さない限り何も終わらない私にとって何の意味もなさない。

「ん?」

 ふと、正面に立った時違和感に気付いた。

 格上と戦う時、真正面に立つということは基本的に悪手だ。
 私たちだって横より前にいる敵の方が攻撃しやすく、当然大体のモンスターだって正面に立たれた方が攻撃を当てやすい。
 もはや真正面に立たない立ち回りというのは呼吸をするのと同じことで、半年以上戦ってきた私にもそれは身についている。

 常に敵の右か左、必ず顔と顔を直線で合わないように凌ぐ。
 だから気付くことが出来なかった。

「ふぅ」

 ズ……ズズ……

 再度真正面に立った瞬間、今までとは比べ物にならないほどの勢いで這い寄り始めるデカナマコ。
 血走った無数の瞳は限界まで見開かれたままこちらを向き、ナマコの口……口って言っていいのかあれ……多分口がぐっぽりと漆黒の穴を見せつけてきた。

 てらてらとした数知れない触手が口内で蠢く。
 キュウリ器官だかキャビア器官だか知らないが、あれの一本一本すらもとんでもない力があるのだろう……最初落ちて来た時、この巨体をこれらで支えていたのだから。
 真正面に立つなんて自殺行為だ。こんなのに絡まれてしまえば力を出す余裕もなく絡みつかれ、縛られ、引きちぎられ、食いつくされる。

 なら諦めた? もうだめだと食い殺されるために近寄った?

 いや、違う。

「正面には、やっぱり針ないんだね」

 繰り返し耳元を掠める・・・・・・細長い針。
 何度も何度も伸ばし、縮め、私を貫こうと暴れまわる。

 しかし私には届かない。
 ただ無意味に背後の巨木が、大量に開けられた指ほどの穴によって自重に耐えることが出来なくなり、悲鳴を掻き立てゆっくり折れた。

 そう、この棘は口の周りにだけは配置されていないのだ。
 正確に言うとちょっと下の方には生えているのだが、体の曲線によってまっすぐ伸ばそうと土へ埋まってしまう。
 動き回っていた時、一瞬だけ針の攻撃が止む瞬間に違和感を覚え、何度も何度も周囲を動き回ってあぶりだすことが出来た。

 今までの戦いとは真逆、首(?)の動きに合わせ常に真正面を取り続ける。
 私の身体の小ささも相まってこれなら針に当たることはほとんどない、ちょっと当たりそうなのも軽く体を捩じるだけで済む。

 ついぞ針で串刺しにすることは無理と悟ったのだろう、一層のこと這い寄る速度を進めるナマコ。
 踏み潰すつもりか、それとも丸呑みにするつもりか、どちらにせよ素直に食らってしまえばただ事ではない。

 怖い。

 近寄れば近寄るほど振動はより一層激しいものとなる。
 トラックに轢かれた時なんて比にならない恐怖だ、足が勝手に逃げようと踵が引ける。

 まっすぐ正面に構えたカリバー、震えぬよう密着させた脇から生ぬるい汗が垂れた。


「あっ」


 一際大きく開いた口から音を立て、何かの液体に濡れる触手たちが殺到する。

「『巨大化』ァッ!」

 その時、初めてナマコが天高く慟哭した。

 ナマコの口内にカリバーが挿入された瞬間、MPの限りを注ぎ込んで行った巨大化。
 それは内臓も、今にも飛び出そうとしていた触手すらも潰し、まるでいかめしパンパンに詰め込まれたもち米のように彼の中を埋め尽くした。

 しかし彼が突進していた時の勢いがなくなるわけでもなく、口の際の際にいた私へ巨大質量と速度の合わさったエネルギーが襲い掛かり、足先が地面へとめり込んでいく。

『――――――――――――ッ!!!』
「っつ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああっ!」

 無数の骨が子気味良い音を立て折れるのが聞こえた。

 しかし勢いは止まらない。
 カリバーを握る……いや、もはやただ引っかかっているだけの私はそのまま延々と押し続けられ、恐ろしく長く感じる時間の後、漸く止まった。
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