青い海と赤い海

山河李娃

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私が代わりに死ぬことにした

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今年はまだ決まってないのか。隣の和室からそう聞こえた。夏だというのにゾッとするような寒さが体の芯に染み渡る。

この村ではウクゴミトヒという風習があった。10年毎に一人が神の生贄として海へと沈められる。過疎化が進んだこの村では若い人が少なかったからなかなか見つからないらしい。生贄の条件は若いということ。要するに私もその対象であった。

心が恐怖により寒くなり体が震えていた。人間は寒くなると体を温めるために震えるだろうが私の心は温まることはなかった。

残酷な風習のように見えるが、そうでもしなければこの村は持たない。元々漁業を生業としているこの村ではある時から魚が取れなくなった。結果としてこの風習は生まれた。

法律上殺人罪に問われそうな物だが、誰も村から出ることはないのでバレることもない。本当のことを言えば基本的に村から出ることは周りの大人から止められるからだ。

生贄はくじ引きか自主的に決めることになっていた。決まらなければくじ引きによって生贄を決めることになっていた。このままだと私が生贄になるかもしれないし、友達がなるかもしれない。それならいっそのこと私が生贄になって死んだ方が良いかもしれない。

友達が犠牲になるぐらいなら私が死のう。みんなのために死ねるのならば私は怖くなんか無い。そう決心して父に伝えることにした。

和室の襖を開けると暗い雰囲気が漂っていた。地縛霊とか生霊の類が乗っ取ろうとしているようにさえ感じてしまう。

「お父さん。話しがあるの」
「どうした?何かあったのか?」
言い出そうにも時間がかかってしまう。親に言うとなると少し躊躇しなければならない気がした。
「私が生贄になることにしたの。それなら村のみんな助かるでしょ?だから私がするわ。」

「...そうか。美恵がしたいなら私はやめて欲しいとは言えないな。正直やって欲しくはなかったが止めても美恵は聞かないだろうから。美恵はみんなに優しいからそういうことにしたんだろう。明後日は朝が早いから今日と明日はゆっくり休みなさい」
「お父さんおやすみなさい」

そっと襖を閉じると震えるような声で父が泣いていることに気がついた。私は親孝行を何もすることが出来なかった。私は親不孝者として明後日死ぬ。
私はすぐにベットに横たわった。私は涙を堪えようとしたが、涙が溢れ出てくる。父が一人手で育ててくれたのに何でこんなに私は親不孝なんだ。

私は泣きながら寝る。

➖次の日➖
私は朝早く起きて近所の人達に挨拶をすることにした。私が生贄になることを伝えるために。

近所の人達はありがとうございますなどと感謝の言葉を伝えてくれたが悲しんでいる様子の人達はいなかった。風習だからなのだろうか?みんな人が死ぬことに慣れているのだろう。

その日私が明日死ぬと言うのに快晴の天気だった。
最後の最後に幼なじみの海斗の家に行くことにした。あまり海斗には伝えたくはなかった。海斗が私が生贄になるなんて知ったら悲しむだろう。行こうとしても悲しませたく無いと言う心のブレーキが私の足を止めようとする。

私はそれでも彼の家に行かなければならない。急に明日私が生贄になることを知ったらと思うと早目に伝えとくべきだと思ったから。

私が海斗の家の前に着くと一旦立ち止まった。私が明日死ぬなんて言い出そうにも言えない。インターホンのボタンは触れても押そうにも押せない。死ぬことよりも海斗が悲しむことの方が私にとっては怖かった。

泣きそうになりながらも平常心を保とうとしながらインターホンを押す。足音が聞こえた。この足音は海斗だとすぐにわかった。

「おはよう。こんな朝早くにどうしたの?」
彼の何も知らなそうな無垢な様子を見て胸が締め付けられて声が出なかった。涙を堪えきれず、ぽろぽろ涙が溢れ出てくる。人生って無情なんだね。15年の海斗との思い出も明日で消えちゃうんだよ?

「なんで泣いてるの?!」
彼は動揺をしていた。そりゃそうだよ。海斗の前で急に泣いたからね。
「私生贄になることにしたの。だから今日で海斗と会えるのが最後になるかもしれないから来たの。そもそも生贄になるのは嫌だった...でも私以外の誰かが死ぬのはもっと嫌だったの。誰かが死んじゃって私が生贄になればよかったって反省するぐらいならこれでよかった」

少し静かな時間が過ぎた。多分彼はこの状況を受け入れられていない。でもこれで良かったんだ。海斗が生贄にならなくて済んだんだから。

「嘘だよね...?」
「本当だよ。これで良かったの」
「じゃあ俺が生贄になるよ。美恵が死ぬのなんて絶対に嫌だ」

「もう無理よ。みんなに私が生贄になることは伝えたから」
「わかった...今から海に行かない?最後にまた美恵と遊びたいから」
私は無言で頷いた。多分彼は私が意思を変えないことを悟ったのだろう。

青い海は陽の光でダイヤモンドのようにキラキラと反射していた。久しぶりに来てみたけど何も変わっていなかった。少し生温い海の水は潮風と共に私を包む。

結局海斗は海に来たけどぼーっと立っていた。このまま悲しませるなら最後ぐらい楽しまないと。私は彼に海水を投げつけるようにしてかける。彼はわっと驚いていた。
「やったな。こっちも手加減しないよ」
そう言うと彼は容赦なく私に水を飛ばしてくる。

海斗の顔に笑顔が戻ってきた。やっぱり私が悲しませちゃ駄目だ。とにかく彼とは良い雰囲気のまま別れたい。私は追いかけ追いかけられながらも必死に遊んだ。水を掛け合ったり足を砂で埋めてみたりして。

そうこうしている内に日が沈みかけていた。
日が水平線に沈み込むとき日光が線のようになっていた。それは私たちを別れされるための境界線のように。

「はぁ楽しかった。今日はありがとう。忘れないで。私はいつでも海斗と一緒だからね。海斗の記憶に残るなら私はいつでも海斗と会いに行けるから」
私は出来るだけ笑顔を絶やさないようにした。海斗を悲しませなくないから。

海斗は少し俯いて顔を近づける。
彼は無言で片腕で私の背中を支えてもう片方の手で私の顎を軽く支えた。彼の手はタコがあり決して柔らかそうな手には思えなかったがその時は柔らかく感じる。ビードロを扱う様に優しくキスをした。
オーソニガラムのように純粋で不器用な....

少し照れくさそうに彼は好きだと私に耳元で囁く。
結局私は恥ずかしくて何も言葉にできなかった。
そのまま長い間沈黙が続いた。そしてじゃあと言い海斗は帰っていった。

私は彼に対して何も答えられないまま別れることになった。それでも良かった。海斗と一つになれた気がしたから。

暗くなった夜道を私は一人で歩いていた。外灯は沢山の虫が戯れていた。

家についてただいまと言ったが父はお帰りとは言わなかった。父は疲れていたのかすっかり眠っていた。明日の準備で忙しかったのだろう。私は体に付いた海水を洗うためにシャワーを浴びる。髪は潮の匂いがして少しべとっとしていた。誰も居ないこの状況は明日も似た様な感じなのだろう。

37度のシャワーとシャンプーの泡は潮の匂いどころか心の未練さえも洗い流していく。

身体をバスタオルで拭いてすぐに着替えた。疲れていたのかそのままベッドに死人の様にそのまま倒れ込んだ。私は死んじゃっても海斗と一緒にいられるから大丈夫。もう何も怖くない。今日はしっかり寝られそうだ。

知らない内に朝になっていた。今日はウクゴミトヒの日。私がみんなを救えるんだ。布団から身体を起こすとすぐに顔を洗った。準備のために急がなければならない。

まずは生贄となる為に化粧をした。白粉を顔に塗ると少し大人になったように感じた。化粧とかあんまりしたことなかったから....

準備をし終えて外へ行くと少し肌寒く感じた。外はまだ暗く少し明るくなり始めている。山の淵が明るく、美しいオレンジ色がぼんやりと。

歩いていると誰とも会うことは無かった。この日は港に着くまでは誰とも会ってはいけないらしい。

町はやけに静かだった。一応音はするのだけれどもそれは人の声とかじゃなくて風が吹いたりしていたから。それぞれの家には幕が掛かられていた。何か切なくなるような雰囲気が町中を覆っている。

裸足で歩いてそこまで向かうのだが、痛みを特に感じることは無かった。砂利を踏むと痛いはずなのに。何故かわからないけど落ち着きは不思議とあった。

結局海斗と会えたのは昨日が最後だった。

私は港に着くと生贄のための白い死装束を着せられて禊を受けた。甘酒の匂いが私の身体に染み渡る。死装束は相当手間をかけて作られたのであろう。肌触りが良く、刺繍が丁寧にされていた。

最後の最後に海斗に会えたら良かったのにと思うと悲しくなった。

箱に入っていると少し揺れたかと思うと少しずつ水が入ってきた。もう私、死ぬんだ。そっと目を閉じて息を止めた。不思議と苦しくはなかった。それどころか何かふんわりする様な気持ち良ささえ感じられる。1分、2分、3分と過ぎてゆく内に気が遠のいていった。いつの間にか私は宙に浮いていた。多分死んでしまったのだろう。その日の海は真っ赤に染まっていた。

神は慈悲深いから涙でその日だけ赤く染まるんだってさ。

ありがたいことに私はそのままこの世界に霊として漂うことになった。まだ海斗にのことで心残りがあるからだろう。

ウクゴミトヒから数ヶ月して私のお墓が建てられていた。毎日のように海斗はお墓に来てくれた。いつも見守ってるよ。

その日の海はいつも通り青かった。
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