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第4話 影法師には黒い死を
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ボクは騒がしい人間の話し声で目を覚ました。やはり家は無人というわけではなかったようだ。
大きく伸びをして、ついでに欠伸もしてみたが、それでもまだ目は完璧には冴えてくれない。
辺りを見回すと、眠りに落ちる前と比べても幾分か暗く、小窓から差し込む青白い光は月明かりと見える。
一陣の風が納屋に吹き込み、身を刺す程に冷えた外気が体毛越しにもこたえた。こんな寒い中で狩りなど、猫のすることではない。かといって二度寝する気にならない程度には目が覚めてしまった。
手持ち無沙汰だから人族の会話でも盗み聞くことにする。
「あなた、今日の新聞読みましたか。またペスト騒ぎですって」
「おいおい、またかい。震災が来たと思ったら今度は伝染病かい。明治から数えて二千人は死んだろう。どれだけ猛威を奮ってくれたら気が済むのだろうね、ペストというのは……ありゃネズミが病原菌を運ぶらしいじゃないか。いつになったら政府は東京中からネズミを撲滅させる気なんだい」
「あの政策は捕まえるのが一般人ですからね。捕まえるそのときに注意をしないと、逆にペストに感染してしまいそうで」
「そうとも。いっそ政府が大勢の猫を一斉に街に放てば良さそうなものだが」
「あら、そう簡単にはいかないようですよ。なんでもペストにかかったネズミを食べた猫までペスト持ちになるんだとか」
「なんだい。それじゃあきりがないじゃないか」
「まあ、北里先生が頑張っておられるそうですけどね。なかなか……」
会話が打ち切られて、ひとりが立ち上がる気配がした。
「私、ちょっと探しものがありますの。ちょっと出てきますね」
「ああ」
玄関の引き戸が開く。そして最悪なことに足音がまっすぐこちらへ向かって来て、潜伏中の納屋の入り口で、南京錠にがちゃがちゃと鍵が差し込まれた。
大変なことになった。
ボクは慌てて箪笥から窓へ飛び移り、半ば転げ落ちるようにして地面に降り立った。
が、不運とは立て続けに襲来するものである。間の悪いことに、ちょうど右前足を接地させた場所に枯れ葉が落ちていたのだ。
かしゃと明らかな音を立てて枯れ葉は潰れた。気がついたときにはもう遅く、主の奥様としっかりと目が合ってしまった。
「ああ、猫! シッシ!」
奥様が叫んだときにはもうボクは走り出していた。
心の中は、もうぐちゃぐちゃだった。
ペストが何なのかは知らないが、どうやらネズミに付くもので、ヒトを死に至らしめることもあり、大いに恐れられているというのは彼らの会話を聞いたボクには明らかだった。
今、ようやくわかった気がする。
もしかしたらあのとき、親子と鉢合わせたあのとき、母親はボクがペストを持っていると思い、我が子に間違っても触れさせまいとしたのではないか。
ボクは、生まれながらの黒い猫で、幼いとき些細なことで起きた喧嘩に巻き込まれ、耳を切った。
黒でなくては、ボクではない。
猫でなくては、ボクではない。
耳が切れていなくては、ボクではない。
だが、黒だから不幸の象徴だ。
猫だからペストを運ぶ。
耳が切れているから売り物にならない。
どうしてこうもヒトから忌み嫌われる存在になってしまったのか、考えても結論は出ない。
人族に隷属するのが嫌ではなかったのかと問われれば、確かにそうであろう。だが、だから人族からの風当たりがどうであれ関わりがないとは、どうしてもいえない。ボクは、都会に生まれてしまった動物である以上、人族とは切っても切れない関係にある。獲物を取る狩り場は人族が創った街、寝るのも人族が作った構造物の中だ。ボク個人の意思には反しているものの、いわば依存関係にある人間からの嫌われ者であることがどれだけ苦しいことか。悟ったつもりではいたが、このときの僕はまだ十分に解っていなかった。
大きく伸びをして、ついでに欠伸もしてみたが、それでもまだ目は完璧には冴えてくれない。
辺りを見回すと、眠りに落ちる前と比べても幾分か暗く、小窓から差し込む青白い光は月明かりと見える。
一陣の風が納屋に吹き込み、身を刺す程に冷えた外気が体毛越しにもこたえた。こんな寒い中で狩りなど、猫のすることではない。かといって二度寝する気にならない程度には目が覚めてしまった。
手持ち無沙汰だから人族の会話でも盗み聞くことにする。
「あなた、今日の新聞読みましたか。またペスト騒ぎですって」
「おいおい、またかい。震災が来たと思ったら今度は伝染病かい。明治から数えて二千人は死んだろう。どれだけ猛威を奮ってくれたら気が済むのだろうね、ペストというのは……ありゃネズミが病原菌を運ぶらしいじゃないか。いつになったら政府は東京中からネズミを撲滅させる気なんだい」
「あの政策は捕まえるのが一般人ですからね。捕まえるそのときに注意をしないと、逆にペストに感染してしまいそうで」
「そうとも。いっそ政府が大勢の猫を一斉に街に放てば良さそうなものだが」
「あら、そう簡単にはいかないようですよ。なんでもペストにかかったネズミを食べた猫までペスト持ちになるんだとか」
「なんだい。それじゃあきりがないじゃないか」
「まあ、北里先生が頑張っておられるそうですけどね。なかなか……」
会話が打ち切られて、ひとりが立ち上がる気配がした。
「私、ちょっと探しものがありますの。ちょっと出てきますね」
「ああ」
玄関の引き戸が開く。そして最悪なことに足音がまっすぐこちらへ向かって来て、潜伏中の納屋の入り口で、南京錠にがちゃがちゃと鍵が差し込まれた。
大変なことになった。
ボクは慌てて箪笥から窓へ飛び移り、半ば転げ落ちるようにして地面に降り立った。
が、不運とは立て続けに襲来するものである。間の悪いことに、ちょうど右前足を接地させた場所に枯れ葉が落ちていたのだ。
かしゃと明らかな音を立てて枯れ葉は潰れた。気がついたときにはもう遅く、主の奥様としっかりと目が合ってしまった。
「ああ、猫! シッシ!」
奥様が叫んだときにはもうボクは走り出していた。
心の中は、もうぐちゃぐちゃだった。
ペストが何なのかは知らないが、どうやらネズミに付くもので、ヒトを死に至らしめることもあり、大いに恐れられているというのは彼らの会話を聞いたボクには明らかだった。
今、ようやくわかった気がする。
もしかしたらあのとき、親子と鉢合わせたあのとき、母親はボクがペストを持っていると思い、我が子に間違っても触れさせまいとしたのではないか。
ボクは、生まれながらの黒い猫で、幼いとき些細なことで起きた喧嘩に巻き込まれ、耳を切った。
黒でなくては、ボクではない。
猫でなくては、ボクではない。
耳が切れていなくては、ボクではない。
だが、黒だから不幸の象徴だ。
猫だからペストを運ぶ。
耳が切れているから売り物にならない。
どうしてこうもヒトから忌み嫌われる存在になってしまったのか、考えても結論は出ない。
人族に隷属するのが嫌ではなかったのかと問われれば、確かにそうであろう。だが、だから人族からの風当たりがどうであれ関わりがないとは、どうしてもいえない。ボクは、都会に生まれてしまった動物である以上、人族とは切っても切れない関係にある。獲物を取る狩り場は人族が創った街、寝るのも人族が作った構造物の中だ。ボク個人の意思には反しているものの、いわば依存関係にある人間からの嫌われ者であることがどれだけ苦しいことか。悟ったつもりではいたが、このときの僕はまだ十分に解っていなかった。
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