耳のある影法師

星野響

文字の大きさ
上 下
4 / 6

第4話 影法師には黒い死を

しおりを挟む
 ボクは騒がしい人間の話し声で目を覚ました。やはり家は無人というわけではなかったようだ。

 大きく伸びをして、ついでに欠伸もしてみたが、それでもまだ目は完璧には冴えてくれない。

 辺りを見回すと、眠りに落ちる前と比べても幾分か暗く、小窓から差し込む青白い光は月明かりと見える。

 一陣の風が納屋に吹き込み、身を刺す程に冷えた外気が体毛越しにもこたえた。こんな寒い中で狩りなど、猫のすることではない。かといって二度寝する気にならない程度には目が覚めてしまった。

 手持ち無沙汰だから人族の会話でも盗み聞くことにする。

「あなた、今日の新聞読みましたか。またペスト騒ぎですって」

「おいおい、またかい。震災が来たと思ったら今度は伝染病かい。明治から数えて二千人は死んだろう。どれだけ猛威を奮ってくれたら気が済むのだろうね、ペストというのは……ありゃネズミが病原菌を運ぶらしいじゃないか。いつになったら政府は東京中からネズミを撲滅させる気なんだい」

「あの政策は捕まえるのが一般人ですからね。捕まえるそのときに注意をしないと、逆にペストに感染してしまいそうで」

「そうとも。いっそ政府が大勢の猫を一斉に街に放てば良さそうなものだが」

「あら、そう簡単にはいかないようですよ。なんでもペストにかかったネズミを食べた猫までペスト持ちになるんだとか」

「なんだい。それじゃあきりがないじゃないか」

「まあ、北里先生が頑張っておられるそうですけどね。なかなか……」

 会話が打ち切られて、ひとりが立ち上がる気配がした。

「私、ちょっと探しものがありますの。ちょっと出てきますね」

「ああ」

 玄関の引き戸が開く。そして最悪なことに足音がまっすぐこちらへ向かって来て、潜伏中の納屋の入り口で、南京錠にがちゃがちゃと鍵が差し込まれた。

 大変なことになった。

 ボクは慌てて箪笥から窓へ飛び移り、半ば転げ落ちるようにして地面に降り立った。
が、不運とは立て続けに襲来するものである。間の悪いことに、ちょうど右前足を接地させた場所に枯れ葉が落ちていたのだ。

 かしゃと明らかな音を立てて枯れ葉は潰れた。気がついたときにはもう遅く、主の奥様としっかりと目が合ってしまった。

「ああ、猫! シッシ!」

 奥様が叫んだときにはもうボクは走り出していた。

 心の中は、もうぐちゃぐちゃだった。
 ペストが何なのかは知らないが、どうやらネズミに付くもので、ヒトを死に至らしめることもあり、大いに恐れられているというのは彼らの会話を聞いたボクには明らかだった。

 今、ようやくわかった気がする。
もしかしたらあのとき、親子と鉢合わせたあのとき、母親はボクがペストを持っていると思い、我が子に間違っても触れさせまいとしたのではないか。

 ボクは、生まれながらの黒い猫で、幼いとき些細なことで起きた喧嘩に巻き込まれ、耳を切った。

 黒でなくては、ボクではない。

 猫でなくては、ボクではない。

 耳が切れていなくては、ボクではない。

 だが、黒だから不幸の象徴だ。
 猫だからペストを運ぶ。
 耳が切れているから売り物にならない。
 どうしてこうもヒトから忌み嫌われる存在になってしまったのか、考えても結論は出ない。

 人族に隷属するのが嫌ではなかったのかと問われれば、確かにそうであろう。だが、だから人族からの風当たりがどうであれ関わりがないとは、どうしてもいえない。ボクは、都会に生まれてしまった動物である以上、人族とは切っても切れない関係にある。獲物を取る狩り場は人族が創った街、寝るのも人族が作った構造物の中だ。ボク個人の意思には反しているものの、いわば依存関係にある人間からの嫌われ者であることがどれだけ苦しいことか。悟ったつもりではいたが、このときの僕はまだ十分に解っていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

影、歩く

七尾えるも
現代文学
この世の不条理さ、不合理さ、そして非情さのすべてを詰めた。短編集です。 第一話「影、歩く」:人気歌手リュミエールとそれを取り巻く社会の不合理さに憤る青年は、あくる日、リュミエールを殺害することを決意する。リュミエールの死後、青年は何を悟るのか。 第二話「欠乏の時代」:女性社会が到来した。青年漫画やアニメ、小説は焚書坑儒の対象となり、作家たちが処刑された。彼らに感化された読者も「危険思想」として断罪された。それはさながらアメリカの禁酒法時代の再現にも思えた。漫画家である青年は、目まぐるしくも、何も変わらない社会を嘆き、現代において我々が見落としているものはなんだったのかを問いかけた。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

孔雀色の空の下

萩尾雅縁
現代文学
一話読み切り短編集。 見る角度で色彩の変わる孔雀色のような、そんな物語を目指しています。 「小説家になろう」掲載作の加筆・修正版です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

処理中です...