6 / 11
第6話 海
しおりを挟む
最近至は不機嫌だ。というのも花火大会中に勝手に葵と花火を見ていたということを知ってひどくご立腹だった。せっかくの夏祭りが台無しだと至は葵につめ寄って喧嘩になりそうだった。歌恋に対しても、どうせ俺のことなんて、と卑屈な態度を取る。まるで幼子のようだ。ぱっと見た感じはとっても大人びていて何でもできるクールな男性なのに、実は幼いというギャップ。少しばかり安心した。つまり、完璧すぎないほうが楽だ。
毎日夏休みだというのに、至の束縛心はおさまらないらしい。
顔を合わせている時間も長いし、休み中は死神の仕事を手伝う時間も増えている。ちょっとばかり気まずい。
「葵には昔惹かれていた時期があったよ。でも、今は至が一番だから」
さみしそうな後姿の至に声をかけた。
昔惹かれていたということを隠していると変に疑われるかもしれない。
「惹かれていたのか……」
一言セリフを吐き捨てると、こちらを見る。
「俺を一番に思ってくれるならそれでいい。過去の歌恋も含めて俺は好きだから」
さらっときゅんとするセリフが耳に入る。
さすが至。隠さないストレートな性格だ。
今日は四人で海だ。
まさに真夏の快晴といった感じで青い海、青い空が美しい。
電車を降りるとそこには、たくさんの人が水着でビーチに密集していた。
夏休み中ということもあって家族連れも多く海の家は賑わっていた。
夏風が頬を撫でる。
香りも夏の香りがした。
大切な人、至がもしいなくなったらどうするのだろう。
元に戻るだけなのかな。
明日香は漣がいなくなることを知らない。
いなくなるその時まで知らないほうがきっと幸せだと思う。
明日香のことを思うと複雑な気持ちになる。
「漣は泳がないのか?」
「小さい頃溺れてから、海は眺めるものとなってる。泳げないんだよ」
漣は小さい時の恐怖をずっと抱えていた。
緊張しながら水着を披露する。
これも至が買ってくれたものだけど、露出は少なめを希望した。
至も他の人に肌を見せないほうがいいということで、ラッシュガードを着ることにした。
スタイルに自信がない歌恋は水着を披露することは恥ずかしいことだった。
至は気にしなくていいというけど、どうしても自分の体形が好きにはなれない。
明日香もあまり派手な格好を好まないので肌を露出しない格好でよかったと思う。
明日香は筋肉があり、引き締まった体型をしていた。
運動部に入ったこともなく、ただ家の手伝いをしていた歌恋は健康的な肌色でもなく、引き締まった筋肉もない。
「かき氷買ってきたぞ」
至はお金をいつも払ってくれた。
かき氷くらい四神の家にとって痛くもかゆくもないのだろうけど、そんなささやかな優しさが好きだった。
買ってきたのはレインボーかき氷というらしく、カラフルなシロップで覆われていた。
「このシロップ甘いね。イチゴの香りとレモンの香りとメロンの香りが混ざり合ってる」
「かき氷のシロップって色が違っても味は同じらしいぞ」
「気持ちの問題ってことかな」
「果汁も入ってないし、色のせいで香りがするような気がするということなのかもな」
かき氷で舞い上がってしまうなんて、恥ずかしいな。
「これからもっと楽しいことがあるから、もう無理しなくていいから」
そっと耳元で囁かれる。
「やっぱり、俺、死にたくないかな」
めずらしく漣の口から弱気な言葉が出た。
「母親と父親の秘密が気になるんだ。何で、離婚しなきゃいけなかったのか。謎の手紙が気になってさ」
『名前を似せても好きな人を諦めることはできませんでした。ごめんなさい、幸せになってください』という内容の手紙のことだろう。名前を似せるというのは誰と誰の名前を似せていたんだろう。
至が調べているからいずれ分かると思うんだけど。
「まだ調査中だ。近々報告できるだろう」
「なぜ私のお父さんと漣くんのお母さんは再婚したんだろうね。たしか同じ歳で同じ学校出身だったから、知り合いだったのかな」
同じ高校だとは聞いた。昔から恋仲だったのか、それは不明だった。
「私なら、子どもを置いて幸せになるのは辛いと思う」
「俺の母は、子どもを置いて幸せになったからな」
たしかに幸せなのかもしれない。わがままな娘に振り回されて大変だけど、嫌がってはいなかった。
むしろお義母さんこと、漣の実母は歌恋を嫌っていた。歌恋さえいなければもっと幸せなのにという感じがしていた。
ずっと体で感じていた疎外感。
至と同居を始めてからそれがなくなった。
お金の心配もしなくていい。
大切にしてくれる。
至は仕事が忙しく、家にいる時間は思ったよりも少なかった。
「歌恋ちゃんは至くんと幸せなの?」
「そうだね。幸せだよ」
「私も幸せだよ。祭りの後に、海の計画を立てて、二人きりで手を繋いだんだ」
明日香は少し照れながら嬉しそうに報告してくれた。
死神は残酷だ。この先の未来を知っているのにあえて伝えてはいない。
歌恋自身も未来のことはわからないけど、今楽しいのは事実だ。
「あれ? お姉ちゃんじゃない?」
苦手で嫌いな妹の夏香がなぜか海に来ていた。
友達が多いし、近いから会ってもおかしくはないけど、タイミングが悪すぎる。
露出も甚だしい水着を着用している。
若い男性に声をかけられてニコニコしているようだった。
いつわりの笑顔。
嘘で塗り固めた性格。上っ面だけいい人のふりをしている。
いつも悪いのは歌恋。
愛想がないのは歌恋。
嫌われるのは歌恋。
おねえちゃんなんだから、という魔法の言葉で虐げられてきた。
嫌な言葉を発する時の表情だ。
右眉が上がる。口角が上がる。
本音を言う時の声のトーンは低い。
「そんなに肌を見せないなんて、よっぽど自信がないのね」
自信がないのもあったけど、昔やけどを負ったことがあった。
やけどの跡を見られたくはない。それは妹のせいだった。
妹がかんしゃくを起こしてあついお湯の入ったコップを投げつけたことがあった。
割れたマグカップの破片でケガもした。
熱いお湯は服の上から体にかかった。
コップのぶつかる衝撃で打撲になり割れたガラスの破片で出血もした。最悪だった。
ずっと我慢していた。
どんなに辛くても歯をくいしばっていた。
妹にたたかれたこともある。あざは消えたけど、心の傷は消えない。
出口の見えない辛い日々だった。
耐えることしかできない日々。
年々関係は悪化していた。
至がいなかったら、ここから抜け出すことはできなかった。
思い出すだけで寒気と吐き気がする。
嫌な感じが全身を襲う。
目の前の悪魔を見て、恐怖に包まれた。
まだ逃げることはできないのだろうか。
鋭い妹のまなざしが怖い。
「まだ荷物もあるし、取りに来なよ」
「とりあえず至が揃えてくれたから、大丈夫」
「もしかして、自分は特別なんて思ってるんじゃない? 遊ばれてるだけ。からかわれているだけなのにね」
いじわるな言い方。
辛い日々を思い出す。
「男に媚びるなんてらしくないんじゃない? 地味なあなたのことをどうして愛するって言うの?」
たしかにその通りだ。
顔立ちも性格も地味なことはわかっている。
黙っていても次々告白される妹とは違う。
派手な洋服を着こなせる妹とは違う。
「至さん。お姉ちゃんを嫁にするなんて冗談なんでしょ。私と真剣に付き合ってみない? 私、今フリーだから」
笑顔がまぶしい。海が似合う妹は華がある。
「顔色が悪いな。歌恋、大丈夫か?」
至はいつも味方になってくれる。
体が硬直して動けない。
過去の記憶が体を固めてしまう。
そんな歌恋のことを察したのか、至は攻撃態勢をとる。
彼の睨んだ顔は勇ましく鋭い。
「本気に決まってるだろ。歌恋以外考えられないから」
そんな言葉を微笑みで交わす妹の夏香。
「いつでも気がかわったら会いに来てよ」
「妹の夏香って言ったな。昔から青龍の末裔、青龍葵を好きだったそうだが、相手にされてないらしいな。彼は歌恋のことが好きだからな」
至はお見通しのようだった。葵はたしかに好きだと言ってくれた。
昔から葵は夏香にはなびかないとは思っていたけど、夏香も他の男性と付き合っていたので、葵への好意は本気だとは思わなかった。
少し焦った口調になる。
「私は、本気で葵のことを好きだったわけじゃないんだから」
むきになる夏香。
「俺たち神の血を引くものは心の清らかさがわかるんだよ。お前の場合、暴力やいやがらせをしているから、泥沼のような濁りしか見えないんだよ」
「泥沼ですって?」
「汚いヘドロが体中をむしばんでいる色が見えるんだよ」
「適当なことを言わないでしょ。いつか選び間違えたと後悔するわよ」
髪の毛を掻きながら、自分が一番美しく見える角度で誘惑する目をする。
「金輪際、歌恋には近づかないでほしい」
「言われなくても、身内だなんて思ってないし」
「嫌がらせをしたら、俺が黙っていない。彼女にやけどを負わせたことはわかっているからな」
やけどのことを話していないのに、至は気づいていたのだろうか。
死神の力で調べたに違いない。
妹はヒステリーな表情をして、その場を立ち去った。
「勝手に調べてごめん。やけどのことは花嫁として調査したときにわかっていた」
「私、あまり素肌を出したくないんだよね」
「どんな過去も受け入れるつもりだ。どんな傷もどんなあざも気にしないから」
優しい人だな。こんな人に出会えるなんて幸せだ。
「妹の夏香からは危険な予感がした。何か仕掛けてくる可能性が高い。なるべく俺がそばにいるから」
「ありがとう」
本当は妹に会った瞬間体が凍った。
怖かった。何をされるんだろう。何を言われるんだろう。
何も言えない歌恋はただ、相手の言葉の刃を受けるしかできなかった。
「ひどい妹だね」
近くで見ていた明日香が激怒していた。
「慣れてるから」
本当はあの視線が怖かった。
でも、自分をずっとごまかしていた。
自然と涙が出る。今まで味方と言える人は葵だけだった。
でも、彼は直接妹に何か言うとか守るわけではなかった。
辛い時に傍にいてくれた。
でも、至は違う。真向勝負で挑んでくれた。守ってくれた。
それがとても嬉しかった。
自然と涙があふれる。
「ありがとう」
そう言うと、至は優しく微笑む。
「ずっと守るから」
明日香はうらやましそうな声で「いいな。ずっと守ってくれるなんて素敵じゃない」と言う。
贅沢者だと思う。今まで辛抱してきた甲斐があったのかな。
これからは、辛いことだけじゃないのかな。
私たちは四人で足首だけ海に浸かり、海の波を体で楽しんだ。
水をかけあって、笑いあう。
太陽の日差しは高くまぶしく、足の水がとても心地いい。
水面に反射する太陽の光が夏らしさを感じる。
もしかしたら、妹が何か仕掛けてくるかもしれない。
そのことが頭の隅で引っかかっていた。
でも、至に全部預けよう。
一緒に生きていくのだから。
いつの間にか結婚への決意は固まっていた。
海に来ていた夏香は、ナンパされることで自分への価値を見出し、飽きた頃に近所に住む葵に連絡を取っていた。
【これから、会えない?】
メッセージを送る。夏香は自分中心なので、突然の誘いなんかは平気だ。
いつも強引に相手の懐に入り込む。
葵はいつもは適当に断っていたが、失恋という事実に夏休みはどんよりした毎日を送っていた。
気持ちを伝えても、時すでに遅し。
両思いだったとしても、既に結婚前提の相手がいる歌恋。
どうしようもなく寂しい気持ちだった。
【歌恋おねえちゃんも海に来てるみたい】
【婚約者がいるんだろ】
【これから、会いに行くよ】
夏香は強引に葵を誘っていた。
葵にはいつも告白めいたことを言っていた。
好きだと言っても流されてしまうので、ちゃんと告白をしたことはなかった。
なんとなく葵は歌恋のことを好きなのだと思っていた。
葵はイケメンで、ビジュアルとしては四神至に引けをとらない。
今、付き合うなら葵しかいない。他の男子ではだめだと夏香は思っていた。
「私、今日は帰るね」
一緒に来ていた引き立て役の女子たちに別れを告げて、自分勝手に帰宅する。
葵を手に入れれば、四神には劣るとしても、準じた彼氏ができる。
四神至があまりにも姉を想うので、悔しくなり、葵の元へ急いだ。
「久しぶり」
葵の家に上がり込む。
「海に行ってきたのよ。無性に葵に会いたくなってさぁ」
甘えた声を出す。たいていの男はこれで落ちる。
でも、葵はいつも落ちてはくれなかった。
「最近、失恋したんだ」
「死神男が現れてお姉ちゃんをさらっていった件?」
「俺は、妹の夏香が姉をいじめていることになにもできなかった。だから、歌恋の相手としては失格だと思ってる」
「葵もお姉ちゃんが好きだとか言い出すわけ? 正気? それに、私はいじめていないけど」
「言葉の暴力があの家には蔓延していた。家族全体の態度もひどい。俺は、ただ寄り添うことしかできなかった。四神みたいに住処を用意したり、家族から離すほどの経済力はないから」
無力感を拳に込める。強く握った拳は痛いくらい手のひらに食い込んでいた。
「俺を誘うのはアクセサリーとか嫌がらせの一種なんだろ」
「違う。私は本気よ」
「何人もの男がわがままに付き合えなくて交際から離脱しただろ」
「私が飽きただけよ」
「みんな呆れてるのに気づかないのか。最初は笑顔なのに、どんどんものを買ってほしいとかわがままがエスカレートしていくから、別れてるんだよ」
「私は葵が好きよ。他の人なんて、葵への気持ちとは全然違う」
「俺は、夏香が好きじゃない。海で、歌恋に会ったっていうから、俺がおまえを呼んだんだよ。お前は何をするかわからない爆弾だからさ」
「はぁ? 何よそれ、人を危険物みたいに言わないでよ」
「俺はずっと歌恋を想い続けるよ。それがかなわぬ恋でもね」
お姉ちゃんのどこがいいのよ。
あんなに冴えない地味な女になんで四神も葵も惹かれてるの?
わかってくれる男友達に慰めてもらおう。
夏香に好意を持っている人なんていくらでもいるんだから。
夏香は負けず嫌いで、姉のことが大嫌いだった。
いつも葵が手に入らないから、ちやほやしてくれる男を探して付き合っていた。
好きじゃなくても、アクセサリーは身に着けるもの。
そんな感覚で、彼氏を作っていた。
「もし、四神の家に睨まれたら、ただじゃ済まされないってわかってるよな? あの一族に法律は通用しない。特別な家柄なんだから」
「姉妹という事実は変わらないでしょ。私はお姉ちゃんと交流したいだけなの」
おもちゃがいなくなって寂しくなった子供のように夏香は不機嫌になり、そのまま誰かと連絡を取りながら葵の家から姿を消した。
その様子を見て、スマホに入っている歌恋の写真を眺めて葵は紅茶を一口飲んだ。
せめて俺にできることがあれば、力になりたいと。
毎日夏休みだというのに、至の束縛心はおさまらないらしい。
顔を合わせている時間も長いし、休み中は死神の仕事を手伝う時間も増えている。ちょっとばかり気まずい。
「葵には昔惹かれていた時期があったよ。でも、今は至が一番だから」
さみしそうな後姿の至に声をかけた。
昔惹かれていたということを隠していると変に疑われるかもしれない。
「惹かれていたのか……」
一言セリフを吐き捨てると、こちらを見る。
「俺を一番に思ってくれるならそれでいい。過去の歌恋も含めて俺は好きだから」
さらっときゅんとするセリフが耳に入る。
さすが至。隠さないストレートな性格だ。
今日は四人で海だ。
まさに真夏の快晴といった感じで青い海、青い空が美しい。
電車を降りるとそこには、たくさんの人が水着でビーチに密集していた。
夏休み中ということもあって家族連れも多く海の家は賑わっていた。
夏風が頬を撫でる。
香りも夏の香りがした。
大切な人、至がもしいなくなったらどうするのだろう。
元に戻るだけなのかな。
明日香は漣がいなくなることを知らない。
いなくなるその時まで知らないほうがきっと幸せだと思う。
明日香のことを思うと複雑な気持ちになる。
「漣は泳がないのか?」
「小さい頃溺れてから、海は眺めるものとなってる。泳げないんだよ」
漣は小さい時の恐怖をずっと抱えていた。
緊張しながら水着を披露する。
これも至が買ってくれたものだけど、露出は少なめを希望した。
至も他の人に肌を見せないほうがいいということで、ラッシュガードを着ることにした。
スタイルに自信がない歌恋は水着を披露することは恥ずかしいことだった。
至は気にしなくていいというけど、どうしても自分の体形が好きにはなれない。
明日香もあまり派手な格好を好まないので肌を露出しない格好でよかったと思う。
明日香は筋肉があり、引き締まった体型をしていた。
運動部に入ったこともなく、ただ家の手伝いをしていた歌恋は健康的な肌色でもなく、引き締まった筋肉もない。
「かき氷買ってきたぞ」
至はお金をいつも払ってくれた。
かき氷くらい四神の家にとって痛くもかゆくもないのだろうけど、そんなささやかな優しさが好きだった。
買ってきたのはレインボーかき氷というらしく、カラフルなシロップで覆われていた。
「このシロップ甘いね。イチゴの香りとレモンの香りとメロンの香りが混ざり合ってる」
「かき氷のシロップって色が違っても味は同じらしいぞ」
「気持ちの問題ってことかな」
「果汁も入ってないし、色のせいで香りがするような気がするということなのかもな」
かき氷で舞い上がってしまうなんて、恥ずかしいな。
「これからもっと楽しいことがあるから、もう無理しなくていいから」
そっと耳元で囁かれる。
「やっぱり、俺、死にたくないかな」
めずらしく漣の口から弱気な言葉が出た。
「母親と父親の秘密が気になるんだ。何で、離婚しなきゃいけなかったのか。謎の手紙が気になってさ」
『名前を似せても好きな人を諦めることはできませんでした。ごめんなさい、幸せになってください』という内容の手紙のことだろう。名前を似せるというのは誰と誰の名前を似せていたんだろう。
至が調べているからいずれ分かると思うんだけど。
「まだ調査中だ。近々報告できるだろう」
「なぜ私のお父さんと漣くんのお母さんは再婚したんだろうね。たしか同じ歳で同じ学校出身だったから、知り合いだったのかな」
同じ高校だとは聞いた。昔から恋仲だったのか、それは不明だった。
「私なら、子どもを置いて幸せになるのは辛いと思う」
「俺の母は、子どもを置いて幸せになったからな」
たしかに幸せなのかもしれない。わがままな娘に振り回されて大変だけど、嫌がってはいなかった。
むしろお義母さんこと、漣の実母は歌恋を嫌っていた。歌恋さえいなければもっと幸せなのにという感じがしていた。
ずっと体で感じていた疎外感。
至と同居を始めてからそれがなくなった。
お金の心配もしなくていい。
大切にしてくれる。
至は仕事が忙しく、家にいる時間は思ったよりも少なかった。
「歌恋ちゃんは至くんと幸せなの?」
「そうだね。幸せだよ」
「私も幸せだよ。祭りの後に、海の計画を立てて、二人きりで手を繋いだんだ」
明日香は少し照れながら嬉しそうに報告してくれた。
死神は残酷だ。この先の未来を知っているのにあえて伝えてはいない。
歌恋自身も未来のことはわからないけど、今楽しいのは事実だ。
「あれ? お姉ちゃんじゃない?」
苦手で嫌いな妹の夏香がなぜか海に来ていた。
友達が多いし、近いから会ってもおかしくはないけど、タイミングが悪すぎる。
露出も甚だしい水着を着用している。
若い男性に声をかけられてニコニコしているようだった。
いつわりの笑顔。
嘘で塗り固めた性格。上っ面だけいい人のふりをしている。
いつも悪いのは歌恋。
愛想がないのは歌恋。
嫌われるのは歌恋。
おねえちゃんなんだから、という魔法の言葉で虐げられてきた。
嫌な言葉を発する時の表情だ。
右眉が上がる。口角が上がる。
本音を言う時の声のトーンは低い。
「そんなに肌を見せないなんて、よっぽど自信がないのね」
自信がないのもあったけど、昔やけどを負ったことがあった。
やけどの跡を見られたくはない。それは妹のせいだった。
妹がかんしゃくを起こしてあついお湯の入ったコップを投げつけたことがあった。
割れたマグカップの破片でケガもした。
熱いお湯は服の上から体にかかった。
コップのぶつかる衝撃で打撲になり割れたガラスの破片で出血もした。最悪だった。
ずっと我慢していた。
どんなに辛くても歯をくいしばっていた。
妹にたたかれたこともある。あざは消えたけど、心の傷は消えない。
出口の見えない辛い日々だった。
耐えることしかできない日々。
年々関係は悪化していた。
至がいなかったら、ここから抜け出すことはできなかった。
思い出すだけで寒気と吐き気がする。
嫌な感じが全身を襲う。
目の前の悪魔を見て、恐怖に包まれた。
まだ逃げることはできないのだろうか。
鋭い妹のまなざしが怖い。
「まだ荷物もあるし、取りに来なよ」
「とりあえず至が揃えてくれたから、大丈夫」
「もしかして、自分は特別なんて思ってるんじゃない? 遊ばれてるだけ。からかわれているだけなのにね」
いじわるな言い方。
辛い日々を思い出す。
「男に媚びるなんてらしくないんじゃない? 地味なあなたのことをどうして愛するって言うの?」
たしかにその通りだ。
顔立ちも性格も地味なことはわかっている。
黙っていても次々告白される妹とは違う。
派手な洋服を着こなせる妹とは違う。
「至さん。お姉ちゃんを嫁にするなんて冗談なんでしょ。私と真剣に付き合ってみない? 私、今フリーだから」
笑顔がまぶしい。海が似合う妹は華がある。
「顔色が悪いな。歌恋、大丈夫か?」
至はいつも味方になってくれる。
体が硬直して動けない。
過去の記憶が体を固めてしまう。
そんな歌恋のことを察したのか、至は攻撃態勢をとる。
彼の睨んだ顔は勇ましく鋭い。
「本気に決まってるだろ。歌恋以外考えられないから」
そんな言葉を微笑みで交わす妹の夏香。
「いつでも気がかわったら会いに来てよ」
「妹の夏香って言ったな。昔から青龍の末裔、青龍葵を好きだったそうだが、相手にされてないらしいな。彼は歌恋のことが好きだからな」
至はお見通しのようだった。葵はたしかに好きだと言ってくれた。
昔から葵は夏香にはなびかないとは思っていたけど、夏香も他の男性と付き合っていたので、葵への好意は本気だとは思わなかった。
少し焦った口調になる。
「私は、本気で葵のことを好きだったわけじゃないんだから」
むきになる夏香。
「俺たち神の血を引くものは心の清らかさがわかるんだよ。お前の場合、暴力やいやがらせをしているから、泥沼のような濁りしか見えないんだよ」
「泥沼ですって?」
「汚いヘドロが体中をむしばんでいる色が見えるんだよ」
「適当なことを言わないでしょ。いつか選び間違えたと後悔するわよ」
髪の毛を掻きながら、自分が一番美しく見える角度で誘惑する目をする。
「金輪際、歌恋には近づかないでほしい」
「言われなくても、身内だなんて思ってないし」
「嫌がらせをしたら、俺が黙っていない。彼女にやけどを負わせたことはわかっているからな」
やけどのことを話していないのに、至は気づいていたのだろうか。
死神の力で調べたに違いない。
妹はヒステリーな表情をして、その場を立ち去った。
「勝手に調べてごめん。やけどのことは花嫁として調査したときにわかっていた」
「私、あまり素肌を出したくないんだよね」
「どんな過去も受け入れるつもりだ。どんな傷もどんなあざも気にしないから」
優しい人だな。こんな人に出会えるなんて幸せだ。
「妹の夏香からは危険な予感がした。何か仕掛けてくる可能性が高い。なるべく俺がそばにいるから」
「ありがとう」
本当は妹に会った瞬間体が凍った。
怖かった。何をされるんだろう。何を言われるんだろう。
何も言えない歌恋はただ、相手の言葉の刃を受けるしかできなかった。
「ひどい妹だね」
近くで見ていた明日香が激怒していた。
「慣れてるから」
本当はあの視線が怖かった。
でも、自分をずっとごまかしていた。
自然と涙が出る。今まで味方と言える人は葵だけだった。
でも、彼は直接妹に何か言うとか守るわけではなかった。
辛い時に傍にいてくれた。
でも、至は違う。真向勝負で挑んでくれた。守ってくれた。
それがとても嬉しかった。
自然と涙があふれる。
「ありがとう」
そう言うと、至は優しく微笑む。
「ずっと守るから」
明日香はうらやましそうな声で「いいな。ずっと守ってくれるなんて素敵じゃない」と言う。
贅沢者だと思う。今まで辛抱してきた甲斐があったのかな。
これからは、辛いことだけじゃないのかな。
私たちは四人で足首だけ海に浸かり、海の波を体で楽しんだ。
水をかけあって、笑いあう。
太陽の日差しは高くまぶしく、足の水がとても心地いい。
水面に反射する太陽の光が夏らしさを感じる。
もしかしたら、妹が何か仕掛けてくるかもしれない。
そのことが頭の隅で引っかかっていた。
でも、至に全部預けよう。
一緒に生きていくのだから。
いつの間にか結婚への決意は固まっていた。
海に来ていた夏香は、ナンパされることで自分への価値を見出し、飽きた頃に近所に住む葵に連絡を取っていた。
【これから、会えない?】
メッセージを送る。夏香は自分中心なので、突然の誘いなんかは平気だ。
いつも強引に相手の懐に入り込む。
葵はいつもは適当に断っていたが、失恋という事実に夏休みはどんよりした毎日を送っていた。
気持ちを伝えても、時すでに遅し。
両思いだったとしても、既に結婚前提の相手がいる歌恋。
どうしようもなく寂しい気持ちだった。
【歌恋おねえちゃんも海に来てるみたい】
【婚約者がいるんだろ】
【これから、会いに行くよ】
夏香は強引に葵を誘っていた。
葵にはいつも告白めいたことを言っていた。
好きだと言っても流されてしまうので、ちゃんと告白をしたことはなかった。
なんとなく葵は歌恋のことを好きなのだと思っていた。
葵はイケメンで、ビジュアルとしては四神至に引けをとらない。
今、付き合うなら葵しかいない。他の男子ではだめだと夏香は思っていた。
「私、今日は帰るね」
一緒に来ていた引き立て役の女子たちに別れを告げて、自分勝手に帰宅する。
葵を手に入れれば、四神には劣るとしても、準じた彼氏ができる。
四神至があまりにも姉を想うので、悔しくなり、葵の元へ急いだ。
「久しぶり」
葵の家に上がり込む。
「海に行ってきたのよ。無性に葵に会いたくなってさぁ」
甘えた声を出す。たいていの男はこれで落ちる。
でも、葵はいつも落ちてはくれなかった。
「最近、失恋したんだ」
「死神男が現れてお姉ちゃんをさらっていった件?」
「俺は、妹の夏香が姉をいじめていることになにもできなかった。だから、歌恋の相手としては失格だと思ってる」
「葵もお姉ちゃんが好きだとか言い出すわけ? 正気? それに、私はいじめていないけど」
「言葉の暴力があの家には蔓延していた。家族全体の態度もひどい。俺は、ただ寄り添うことしかできなかった。四神みたいに住処を用意したり、家族から離すほどの経済力はないから」
無力感を拳に込める。強く握った拳は痛いくらい手のひらに食い込んでいた。
「俺を誘うのはアクセサリーとか嫌がらせの一種なんだろ」
「違う。私は本気よ」
「何人もの男がわがままに付き合えなくて交際から離脱しただろ」
「私が飽きただけよ」
「みんな呆れてるのに気づかないのか。最初は笑顔なのに、どんどんものを買ってほしいとかわがままがエスカレートしていくから、別れてるんだよ」
「私は葵が好きよ。他の人なんて、葵への気持ちとは全然違う」
「俺は、夏香が好きじゃない。海で、歌恋に会ったっていうから、俺がおまえを呼んだんだよ。お前は何をするかわからない爆弾だからさ」
「はぁ? 何よそれ、人を危険物みたいに言わないでよ」
「俺はずっと歌恋を想い続けるよ。それがかなわぬ恋でもね」
お姉ちゃんのどこがいいのよ。
あんなに冴えない地味な女になんで四神も葵も惹かれてるの?
わかってくれる男友達に慰めてもらおう。
夏香に好意を持っている人なんていくらでもいるんだから。
夏香は負けず嫌いで、姉のことが大嫌いだった。
いつも葵が手に入らないから、ちやほやしてくれる男を探して付き合っていた。
好きじゃなくても、アクセサリーは身に着けるもの。
そんな感覚で、彼氏を作っていた。
「もし、四神の家に睨まれたら、ただじゃ済まされないってわかってるよな? あの一族に法律は通用しない。特別な家柄なんだから」
「姉妹という事実は変わらないでしょ。私はお姉ちゃんと交流したいだけなの」
おもちゃがいなくなって寂しくなった子供のように夏香は不機嫌になり、そのまま誰かと連絡を取りながら葵の家から姿を消した。
その様子を見て、スマホに入っている歌恋の写真を眺めて葵は紅茶を一口飲んだ。
せめて俺にできることがあれば、力になりたいと。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
転生したら悪役令嬢だった婚約者様の溺愛に気づいたようですが、実は私も無関心でした
ハリネズミの肉球
恋愛
気づけば私は、“悪役令嬢”として断罪寸前――しかも、乙女ゲームのクライマックス目前!?
容赦ないヒロインと取り巻きたちに追いつめられ、開き直った私はこう言い放った。
「……まぁ、別に婚約者様にも未練ないし?」
ところが。
ずっと私に冷たかった“婚約者様”こと第一王子アレクシスが、まさかの豹変。
無関心だったはずの彼が、なぜか私にだけやたらと優しい。甘い。距離が近い……って、え、なにこれ、溺愛モード突入!?今さらどういうつもり!?
でも、よく考えたら――
私だって最初からアレクシスに興味なんてなかったんですけど?(ほんとに)
お互いに「どうでもいい」と思っていたはずの関係が、“転生”という非常識な出来事をきっかけに、静かに、でも確実に動き始める。
これは、すれ違いと誤解の果てに生まれる、ちょっとズレたふたりの再恋(?)物語。
じれじれで不器用な“無自覚すれ違いラブ”、ここに開幕――!
本作は、アルファポリス様、小説家になろう様、カクヨム様にて掲載させていただいております。
アイデア提供者:ゆう(YuFidi)
URL:https://note.com/yufidi88/n/n8caa44812464
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる