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第四章 心の傷
第十八話
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藍里は突然のことにびっくりした。まだこの家の中にはさくらがいるかもしれないと思うと藍里はどしようって思ったら狼狽えるが、泣いている時雨を突き放すことはできない。
きっとさくらのことで泣いているのであろう。20も上の男性が泣き喚くのは初めて見た藍里。そして初めて父親以外の男性に抱きつかれたのがこんなシチュエーション。
いつかは願ってはいたのだがまさかこんな形で願いが叶うのかと……。自分の近くで大人の男性が自分の腕の中にいる感覚、なんとなく自分の父親に抱きついた時の自分を思い出す藍里。
父のことを抱きしめた小学生の頃、あの温かい体温、もさもさの髪の毛。さくらとは違った男の人の独特の香り。忘れてはいたが、なんとなく似ていた。藍里は少しぎゅっと抱きしめた。その中でずっと時雨は泣いている。いつもニコニコとしていたのに。初めて見た彼の弱さを知ることになった。
五分ほどして時雨は少しずつ呼吸も落ち着いてきて、藍里からキッチンタオルをもらい涙を拭って眼鏡をかけ、最後に鼻をすすって台所にある丸椅子に座った。
「ごめん、抱きついたりして……しかもこんな情けないところを見せてしまったよ」
「ううん、ビックリしたったけど。もしかしてママのことで?」
時雨は頷いた。さくらの部屋に行こうとしたが時雨に引き止められた。
「多分今日はダメだと思う、1人にしてやったほうがいい。食事は持っていくし、機嫌良くなったら良くなったで彼女のペースに合わせるしかない」
「こういうこと初めてじゃないよね。ごめんなさい」
「謝ることじゃないよ、僕は何もできなくて不甲斐ないって気持ちでいっぱいなんだ」
時雨はグッと口を閉じる。彼はさくらから前の夫、綾人から受けたモラハラを全て聞いている。不定期に彼女が不安定になるたびに寄り添っていたのだが今日はもう耐えられなかったようだ。
「藍里ちゃんのお父さんのことを悪くいうつもりはないし、したくはないけども……離婚して離れても彼女の心の傷はとにかく深い。心の暴力は目に見えない、その傷はずっとさくらさんの心をえぐり取って。僕が美味しいものを作っても抱きしめても宥めてもなんともならない……それが悔しい」
時雨は再び涙が溢れるがすぐ左手で拭った。藍里もさくらと一緒に逃げたのだが逃げる前から常に不安定だったし、当たられていたし、逃げてからも施設にいる時もまだまだ怯え、離婚が決まって再び地元の近くに戻ってからも、時雨がいても時折襲ってくる不安定さは藍里にもどうすることもできなかった。
もうさくらは綾人から離れて何もひどいことも言われてもされてもいないのに、なんでだろうって思うしかなかった。ここしばらく時雨といる時はあんなに笑うようになったのに、もう自分にヒステリックに泣き叫ばれることもないとホッとしていたのに、藍里も時雨の涙に泣きそうになったが涙は出なかった。
「悔しがることないよ。ママは時雨くんと一緒になってから笑うようになったし。それにいつも料理してくれるじゃん……家事だって。それだけでも私は助かってるよ」
そう藍里がいうと、時雨は小さくありがとう、と言った。
「……今日は賄い食べてくるんだっけ」
「うん。でも時雨くん料理好きだから少し時雨くんの料理食べたいけど……今からでは無理だよね」
時雨は何も手付かずの台所を見たが横に首を振った。そして冷凍庫を開けた。
「こういう時のために冷凍食品ってのがあるんです」
目を真っ赤にしながらもニカっといつものように笑った時雨。冷凍庫にはいくつかの冷凍食品。藍里は笑った。冷凍ポテトを取り出した。
「私はこれを揚げるだけでもいいけどこれを使ってジャーマンポテトとかチーズグラタンとか好き。簡単なんだもん」
「簡単でいいんだよ。揚げなくても炒めたりトースターでチンするだけ。今日はどっちがいい?」
「じゃあ……チーズ乗せ。これだったら私もできる」
「おう、じゃあご飯は炊けてるんだけど……卵スープ作るよ」
「はぁい」
さっきまでしんみりと静かだった台所が明るくなった。2人で台所にいることはよくあるがほとんど時雨が料理をしてて、その傍で藍里は話をしてることが多かった。
時雨も手を動かしているうちにいつも通りに笑顔になっていく。藍里はグラタン皿を出して以前時雨がやってたようにバターを塗ってポテトを入れて塩胡椒し、ピザチーズをのせた。そしてその上に青のりを皿に乗せた。
「前よりも手際いいね」
「見てたからね、時雨くんの」
「……覚えてくれてたんだね。あ、それに刻んだベーコン乗せると皿に美味しい。さくらさんが好きなんだ」
「ふふっ」
「なんなんだい」
時雨が割った卵をかき混ぜて温めたスープの中に入れる。
「ママのことを常に考えているもん」
「ハハッ、そりゃさくらさんも好きなんだもん。あ、ちょっとトイレ行ってくるからスープ見といてね」
藍里は少し心が苦しくなる。やはり時雨はさくらの恋人。トースターの中にいれてタイマーをセットする。トースターの窓からポテトの上で少しずつ溶けていくチーズを眺めていく。
「……さくらさんも……も?」
ふと口に出す藍里。その、「も」という言葉に引っかかった。
きっとさくらのことで泣いているのであろう。20も上の男性が泣き喚くのは初めて見た藍里。そして初めて父親以外の男性に抱きつかれたのがこんなシチュエーション。
いつかは願ってはいたのだがまさかこんな形で願いが叶うのかと……。自分の近くで大人の男性が自分の腕の中にいる感覚、なんとなく自分の父親に抱きついた時の自分を思い出す藍里。
父のことを抱きしめた小学生の頃、あの温かい体温、もさもさの髪の毛。さくらとは違った男の人の独特の香り。忘れてはいたが、なんとなく似ていた。藍里は少しぎゅっと抱きしめた。その中でずっと時雨は泣いている。いつもニコニコとしていたのに。初めて見た彼の弱さを知ることになった。
五分ほどして時雨は少しずつ呼吸も落ち着いてきて、藍里からキッチンタオルをもらい涙を拭って眼鏡をかけ、最後に鼻をすすって台所にある丸椅子に座った。
「ごめん、抱きついたりして……しかもこんな情けないところを見せてしまったよ」
「ううん、ビックリしたったけど。もしかしてママのことで?」
時雨は頷いた。さくらの部屋に行こうとしたが時雨に引き止められた。
「多分今日はダメだと思う、1人にしてやったほうがいい。食事は持っていくし、機嫌良くなったら良くなったで彼女のペースに合わせるしかない」
「こういうこと初めてじゃないよね。ごめんなさい」
「謝ることじゃないよ、僕は何もできなくて不甲斐ないって気持ちでいっぱいなんだ」
時雨はグッと口を閉じる。彼はさくらから前の夫、綾人から受けたモラハラを全て聞いている。不定期に彼女が不安定になるたびに寄り添っていたのだが今日はもう耐えられなかったようだ。
「藍里ちゃんのお父さんのことを悪くいうつもりはないし、したくはないけども……離婚して離れても彼女の心の傷はとにかく深い。心の暴力は目に見えない、その傷はずっとさくらさんの心をえぐり取って。僕が美味しいものを作っても抱きしめても宥めてもなんともならない……それが悔しい」
時雨は再び涙が溢れるがすぐ左手で拭った。藍里もさくらと一緒に逃げたのだが逃げる前から常に不安定だったし、当たられていたし、逃げてからも施設にいる時もまだまだ怯え、離婚が決まって再び地元の近くに戻ってからも、時雨がいても時折襲ってくる不安定さは藍里にもどうすることもできなかった。
もうさくらは綾人から離れて何もひどいことも言われてもされてもいないのに、なんでだろうって思うしかなかった。ここしばらく時雨といる時はあんなに笑うようになったのに、もう自分にヒステリックに泣き叫ばれることもないとホッとしていたのに、藍里も時雨の涙に泣きそうになったが涙は出なかった。
「悔しがることないよ。ママは時雨くんと一緒になってから笑うようになったし。それにいつも料理してくれるじゃん……家事だって。それだけでも私は助かってるよ」
そう藍里がいうと、時雨は小さくありがとう、と言った。
「……今日は賄い食べてくるんだっけ」
「うん。でも時雨くん料理好きだから少し時雨くんの料理食べたいけど……今からでは無理だよね」
時雨は何も手付かずの台所を見たが横に首を振った。そして冷凍庫を開けた。
「こういう時のために冷凍食品ってのがあるんです」
目を真っ赤にしながらもニカっといつものように笑った時雨。冷凍庫にはいくつかの冷凍食品。藍里は笑った。冷凍ポテトを取り出した。
「私はこれを揚げるだけでもいいけどこれを使ってジャーマンポテトとかチーズグラタンとか好き。簡単なんだもん」
「簡単でいいんだよ。揚げなくても炒めたりトースターでチンするだけ。今日はどっちがいい?」
「じゃあ……チーズ乗せ。これだったら私もできる」
「おう、じゃあご飯は炊けてるんだけど……卵スープ作るよ」
「はぁい」
さっきまでしんみりと静かだった台所が明るくなった。2人で台所にいることはよくあるがほとんど時雨が料理をしてて、その傍で藍里は話をしてることが多かった。
時雨も手を動かしているうちにいつも通りに笑顔になっていく。藍里はグラタン皿を出して以前時雨がやってたようにバターを塗ってポテトを入れて塩胡椒し、ピザチーズをのせた。そしてその上に青のりを皿に乗せた。
「前よりも手際いいね」
「見てたからね、時雨くんの」
「……覚えてくれてたんだね。あ、それに刻んだベーコン乗せると皿に美味しい。さくらさんが好きなんだ」
「ふふっ」
「なんなんだい」
時雨が割った卵をかき混ぜて温めたスープの中に入れる。
「ママのことを常に考えているもん」
「ハハッ、そりゃさくらさんも好きなんだもん。あ、ちょっとトイレ行ってくるからスープ見といてね」
藍里は少し心が苦しくなる。やはり時雨はさくらの恋人。トースターの中にいれてタイマーをセットする。トースターの窓からポテトの上で少しずつ溶けていくチーズを眺めていく。
「……さくらさんも……も?」
ふと口に出す藍里。その、「も」という言葉に引っかかった。
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