シノノメナギの恋わずらい

麻木香豆

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シノノメナギの妄想

第26話 寄り添う

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 昼前には病院から出て、ランチをし、地元の会館に着いた。ここで落語家が定期的に寄席をやっているのは知っていた。人気大喜利番組の出演者も来ていたらしいがわたしは全く落語に無縁だったからなぁ。
 会館のホールは人で賑わっていた。お年寄りが多い中、若い人もちらほら。心なしか女性の割合が多い。
「鯉鯉さんは若手だからね、女性のファンも多いんや」
 ネットで顔を見たけどわたしの好みではなかった。声は好きなんだけどね。彼女たちは鯉鯉さんのどこが好きなんだろう。顔? 声? 彼の落語という人はどれだけいるのだろう。

 常田くんがなんと前から三列目の真ん中を取ったものだからすごく観やすい。小さいホールだからとても近い。あまりライブとか演劇とか観ないからドキドキする。
 だがわたし以上にドキドキしてる人が横にいる。常田くんだ。まだ鯉鯉さん来てないのに舞台上を見つめる。
 鯉鯉さんの寄席は初めてで蛙さんの時は関西にいた時はよく観に行ってたそうだ。
 なんか落ち着かないようでソワソワしてる。その様子が可愛い。

 部屋が暗くなり、スポットライトが舞台に照らされる。出囃子が始まり、そこに大柄の着物の大人がやって来た……。これが鯉鯉さん。

 写真よりもイケメン! 

「……蛙師匠そのものや」
 隣にいた常田くんがそう小さく呟いたからふと観たら目から涙が流れていた……。



 ◆◆◆

 鯉鯉さんもそのほかの落語家も面白くて生で聞くのもいいなぁと。すごく感動した。いや、わたし以上に感動してるのは常田くんで。今わたしたちは列に並んでいる。CDや本やグッズを買った人が参加できるサインと握手会。わたしもこういうの並ぶの初めてだけど、常田くんがさらに落ち着かない。てかこんな姿見るの初めてである。

 もう目の前まで来てるけど、鯉鯉さんは丁寧にファンの方に対応してて終わった後の女性陣たちの反応がキャーキャーと乙女のよう。
 わたしは惚れやすいのだが芸能人とか非現実的な人に対してはそういう感情が持てず。そりゃ仙台さんとか門男さんとかリアルで会える人たちに対しては心の中でキャーキャーいっちゃうから気持ちは分からなくもない。

 とうとうわたしたちの番。常田くんはわたしの背中を押してわたしの後ろに隠れる。ちょっと……先に行けばいいのに。
「梛、先に行って」
「えええっ、ちょっと……」
 鯉鯉さんは不思議そうな顔して私たちのやりとりを見てる。

 そしてわたしが目の前に立つと鯉鯉さんは笑った。
「こんにちは、はじめまして」
 イントネーションが常田くんと同じ……て関西の人だもんね、この人も。
「は、はじめまして……初めて生で見ました。落語を」
「それはそれは! ここの会場めっちゃ声通るし気に入ったから。お姉さんもまたきてや」
 あ、鯉鯉さんにはわたしは女に見えたのね。近くで見ると顔はタイプでなかったのに惚れてしまう。

 目の前で彼が書いた落語入門の本にサインをしてもらった。そして大きな両手でわたしの手を握ってくれた。……ちゃんとわたしの目を見て。
「おおきに」
 なんかいろいろ話したいのに話せない。これもリアルの恋と同じ。
「あ、ありがとうございました……」
 わたしは頭放心状態。手渡されたサイン入りの本を持ってスタスタと歩く。

 はっ! わたしは我に返った。そうだ、常田くん。振り返ると彼もドキドキして鯉鯉さんと話をしている。
「蛙師匠の寄席、関西にいるときに通ってました。もう10年以上前ですけど」
 なんかいつもよりもたどだとしく、緊張してる。
「君、関西の子?! だね、アクセントが関西やな。て、僕も寄席の時に同行させてもらってたんだ……もしかして……」
「蛙師匠によく手紙を書いて、お返事もらってました」
「あ、思い出したわ!……浩二くんだっけ。常田浩二くん。目の病気はようなったんか? 親父が心配しとった」
「まぁ、ボチボチ……」
「ほんまか。伝えておきます、今日来てくれておおきにな」
「もう出で立ちも語りも仕草も蛙師匠そのもので、関西にいた時を思い出しました……っ……師匠の最後の寄席も見れなくて……師匠の味を活かしつつも鯉鯉さんのスタイルもちゃんとできてて……」
 常田くんが泣いてる。大粒の涙を流して。わたしは駆け寄った。ここまで思い入れがあったのか。

「うちの父も闘病中です。浩二くんのこと話したら励みになります。……また寄席見に来てや、奥さんと」

 奥、奥さん! そう見えるの? 鯉鯉さんが固まった常田くんとわたしを見て何か気づいたようだ。

「違ったらすんません、ステージからちょうど二人が寄り添って落語聞いてるの見えたから……仲睦まじく。だから夫婦かと」
 そう見えたんだ……照れ臭くなる。

「夫婦ではないけど僕の大切な人です。また連れてきます」
 ……大切な人。涙を拭いてわたしの手を握ってくれた。とても強く。

「それはそれは仲がよろしいこと。また手紙も待ってるで」





 ホールのベンチで鼻水を啜る常田くん。
「恥ずかしかったわ、あんなところ見せてしもうて」
「ううん、すごく好きだってわかった。とても励みになってたのね、常田くんにとって」
「ああ。蛙師匠の引退の寄席と採用試験がかぶってしもうてな、見に行けんかったんや。だからもう生で見れへんと思ったけど……その日の再現のようだった。もちろん鯉鯉さんらしさの表現も良かった」
 とまた涙をこみ上げる常田くん。わたしはハンカチを渡す。おおきに、と眼鏡をあげて目頭に当てる。

「にしても梛が僕の奥さんか……」
「うん……そう見えたのかな」
 奥さんだなんて、わたしの方が年上だし姉さん女房になるわね。
「泣いてばっかじゃダメやな。思いは伝えられたし。……もう後悔ない」
 後悔? 常田くんはカバンから何か書類を出した。

「今度な、梛を連れて実家に帰りたい。親に会わせたい」
「えっ」
 そ、それってさ。結婚前にお付き合いしてる人を親に紹介したいってやつよね? でも結婚できないのに。まさかプロポーズ? いやだ、何も心の準備してない。ドキドキ。その書類は婚姻届? こんなプロポーズあり?

「実はな、また手術しよかって言われとる」
 ……。

「明日、館長と話してな……長い間入院するかもしれん。したからと言って完全によくなるとは限らんけどな、若い体力のあるうちにってな」
 婚姻届かと思ったのは手術の同意書と手術の説明が書いてあった。しかもヘラヘラ笑いながら真剣な話をする。

「梛とは入籍できないし、家族じゃないから同意書かいてもらえへんからな、実家帰って親に書いてもらうからそのついでに……て、梛?」

 ……。



 
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