雨嫌いな私が雨を好きになるまで

麻木香豆

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第八話

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 ネチネチときたあの言いがかり、ものにあたる音、言葉ではわからない威圧。

 そして雨。

 仕事の疲れ、お酒の酔い、生理中のメンタルの乱れ、はじめてのお店、緊張、そして生身の若い男。

 もう体も心も限界だった。

 ああ、頑張らなくては私も藍里も生活できなくなる。でもこんな辛い思いをして……

 でも綾人と結婚した時に比べたら……でも……でも……私が我慢してたら……


 急に視界は暗くなった。

 何か覆いかぶさった。少しあったかい。
「お客様、どうかされましたか。早く、こちらに……」
 ……この声は、あの板前の。

 私の体は浮いた。
 えっ、ちょっ……これ……!?

 お姫様抱っこ?!

 雨の音、下駄の音……。
 そんなに大柄ではなかった彼に抱えられて私はどこか屋内に運ばれたようだ。

「大丈夫かしら。つづはらくん、奥のお座敷まで運んで」
 おかみさんの声だ。私は気力がなくぐたんとしている。運ばれるがままだ。

 私は布団のようなところに横になった。ふと目を開けるとあの板前さんがずぶ濡れだ。 
「すいません、おかみさんが色々と用意してもらってますが風邪ひきますから僕が体を拭きますね」
 私は声も出ずゆっくりと頷いた。
 自分は拭かず、私を拭いてくれて……。

「橘さん!」
 あ、事務長……。

「お薬、飲んだほうがいいんじゃないか」
 そんな飲める気分ではない。

「どこか体調が悪いのですか? 持病とか」
「精神科に通ってるから安定剤飲まないと」
 やめて、こんな初対面の人にあけすけに。ほれに心療内科よ。

 って言えないまま意識はグアングアンと回る。

「その薬って……なんですか。見せてください」
 事務長がカバンの中から無造作に出す。ああ、ナプキン……やめてよ。
「そうだ、生理もあるから貧血……」
「それじゃなくてお薬を」
「あった、これだ」
 板前さんは一度手を止めて私の薬を見た。

「……先程アルコール飲まれてましたよね。いま多分これ飲んだらダメですよ。危険です」
 そうだ、医者からも普段はアルコールを控えるように、飲んだら薬は控えろと言われていた。

「詳しいねぇ」
「……ええ、僕も昔飲んでました。そこまで詳しくないですが今はゆっくり休養と睡眠と栄養補給です」
「へぇ……」
「旅行中だけどしっかり休まないと……きっと1日目だから疲れたんでしょう」
 おかみさんも来てくれて着替えを持ってきてくれた。

「……僕は先に支社に戻るよ」
 と事務長はこっそり声をかけられたが気持ち悪かった。

「僕は店に戻ります。早く着替えて。体調落ち着くまでここにいてください」
「……ありがとうございます……」
 ようやく声が出た。

「あの、あなたも身体を拭いて」
「あっ、そうだった……ありがとうございます。僕はあっちで着替えます」
 ……気づかなかったなんて。

 綾人は私が体調を崩しても何もしてくれなかった。私が痛い、辛いと言ってもそれが全部うるさいのか
「寝ろ」
 それだけだった。

 隣の部屋に移った板前さん。ああ、この襖越しに……着替えてるのかしら。って何考えてるんだろう私。

 私も着替えることにした。簡易的な黒のワンピースだがサイズはフリーサイズのおかげか余裕で入った。

 よろよろしながらナプキンを持ち、立つ。トイレで替えないと。

 コンコン

 扉を叩く音。

 板前さんだった。服はもう着替えていた。髪はしっとり濡れている。

「……大丈夫ですか? 濡れたお洋服を取りにきました」
 カゴを持っていたから私は手に持っていたナプキンをポッケに入れて服を入れる。

「お手洗い、どこですか?」
「ご案内します、歩けますか……はい、履き物も」

 なんて至れり尽くせり。体は冷えるが手を差し伸べてくれた彼の体は中から温かいものを感じた。彼も雨に打たれて冷たくなっていたのに。

「……すいません、私のために」
「大丈夫ですよ、さくらさん」

 えっ、なんで私の下の名前を……。ああ、店に入る時にたしか書いた記憶。

「僕、つづはらと申します。つづはら、しぐれ」
 なんて珍しい名前。

「僕、最後までいるので帰りは泊まり先に送って行きますよ」
 ……泊まり先だなんて。あの仕事の下宿先だなんてバレたら……。

「そこまで……しないでいいわ」
 するとつづはらさんが私の手を握った。
「……させてください」
 えっ。

「……あなたに一目惚れ、したんです」
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