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きみといたいから。

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 カノジョがいきなり、仕事を辞めたいと言ってきた。

 別に結婚をしているわけでも、同棲しているわけでもないカノジョが。


「なんで?」


 咄嗟に口をついて出た言葉。勢いで読んでいた雑誌を閉じてしまう。


「やりたいことがあるの」


 美幸はまっすぐな目で答える。 


「何?」

「ハンドメイドアクセサリーの販売」


 最近、美幸の家に遊びに来る度に見かけた肌色のトレー。今日もローテーブルの横にある。作りかけのアクセサリーと一緒に。今まで気にも止めなかったが、これ見よがしに置いていたのか。


「ああ、よく作ってたね。趣味じゃ駄目なの? 仕事やめる必要ある?」


 そもそもハンドメイドアクセサリーは、副業的なものだと認識している。それをわざわざ仕事を辞めてまでやる必要はあるのだろうか? この疑問は、世論だと思うけど。


「ない」


 美幸はキッパリと言いきった。なんだ、分かってるんじゃないか。


「じゃあ、辞めなくて良いんじゃないの?」


 美幸の表情が強ばる。やめる必要はないとわかっていながら、やめるとわざわざ言ってきた立場で。一心に背中を押してくれると思ったのだろうか。それとも、他の何かを期待した? 思い当たった言葉に、俺は落胆した。


「結婚、期待してる?」


 美幸は息を呑んだ。

 やっぱり、美幸は痺れを切らせたのだ。結婚資金は二人で貯めよう。結婚後も共働きしよう。という美幸も賛成した約束に。だから自ら進んで選んだ定時上がりの事務員を、辞めるなんて言い出したんだ。歳も歳だからもう結婚したいと言いたいのかもしれないが、俺はそんなこと思ってない。


「しないよ」


 たとえ同棲可能な収入があっても、同棲はしない。俺は結婚までは別居が良い。これも、伝えていたはずだ。思い当たる節があるのだろう。美幸は俯いた。

 結婚。そのための、切り札か。にしてもハンドメイドアクセサリーなんて、切り札にしては弱すぎだろ。今日呼ばれた理由が、こんなことのためだったのかと思うと、なんだか気落ちした。閉じた雑誌を開く気にもならなくて、呆然とする。テレビの音が、実に耳障りだ。 


「期待はしてない。貯金はそれなりにあるし、一人暮らしも当分は継続できます」


 食い下がるのか。胸くそ悪い。俺の顔も、見れやしないで。


「じゃあ、何?」


 今度は別れでも切り出されるのか? なんて憶測が、胸を抉る。


「そんなカノジョでもいいですか」

「は?」


 耳を疑う。驚きに、体が固まった。


「無収入になるかもしれないので」


 その言葉に、俺の今までの考えが、吹き飛んだ。美幸はこちらの目をまっすぐ捉えて離さない。真一文字に口を結んで、これでもかと目を見開いて。照明の光じゃない光に、目を艶めかせている。

 なんだこれ、胸が詰まる。気持ち悪い。

 ただじっと答えを待っている美幸に、何かを返さなければと焦る。言葉で繕おうとするが、間ばかり生まれてやりきれない。


「そんなこと、どうでもいいよ。てか、そんなことで別れるなんて言わない」


 声が震えないように、細心の注意を払った。言葉で繕うなんて、無理だった。


「頑張んなよ。応援してるから。あと」


 恥ずかしさに口をつぐんだ。勢いのまま言いそうになった言葉を引っ込めようとして、逡巡した。でも、代わりの言葉は思いつかない。

 癖で、眼鏡を持ち上げる。


「美幸との結婚、考えてないわけじゃないから」


 返ってきた笑顔に、安堵する。


「ありがとう」


 俺の目を見てお礼をのべる美幸に、思わず立ち上がる。突然のことに驚いたか、美幸が不安そうな顔で俺を見上げていた。


「飲み物、取ってくる」

「うん」

 

 美幸はまた嬉しそうに笑う。

 俺は平常心を保ちながら、リビングをあとにする。リビングの端。まだ見慣れないラック。その上にはオシャレな小皿や小物、それにピアスがあった。美幸は、ピアスホールを開けていないのに。

 ついさっきまでの自分を思い返して、後ろぐらい気持ちに襲われる。

 美幸は結婚も、別れも、考えていなかった。ただ、やりたいことができたと、本気なんだと。約束を破ってもやりたいことができたのだと、伝えたかったんだ。一緒に決めた未来だから。偽らずに真っ正面から、了承を得ようとしたんだ。

 なんだそれ。カッコ悪い。“普通”に拘ってる俺、すごくカッコ悪い。

 当たり前のように仕事して、結婚を考えてるカノジョがいて、みんなと同じように、俺も美幸も、こつこつと生きてきた。

 それが今、無価値に感じる。

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