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右腕の時計
しおりを挟む「ねえ。それ、付けにくくない?」
職場の同僚に話しかけられて、足を止める。
首をかしげる私に、同僚は右手首を振ってみせる。
「わ、ほんとだ。腕時計、右手にしてるんですね」
後輩が顔を覗かせて、驚いた。
「三田村さん、右利きだよね?」
私ははいと端的に答えた。
「邪魔になりません? てか、どんだけ器用なんですか! 付けにくくないんですか?」
私の何倍も大仰に口数多く、後輩はまだ驚いていた。
「邪魔、にはならないかな」
私は苦笑を浮かべることしかできない。
「付けにくくはあるんですか?」
「それも、ないけど」
穴が開くほど私の右手に注力して、後輩は身を屈めた。
それほど可笑しいことだろうかと、内心焦りながら笑顔を繕う。
「もしかして、両利きなの?」
「いえ、そういうわけでも、ないんですけど」
じゃあなんで、と。二人は答えを求める顔をした。
2人に見つめられて、私の笑顔は少し強ばったかもしれない。
「慣れ、ですかね」
私の心配をよそに、二人は興味を削がれた様子で目の鋭さを和らげた。
「じゃあ、今さら左につけるのは違和感を感じるんだ?」
「多分。つけたこと、ないですけど」
こぼれた苦笑にすら、二人は軽い相づちを返すだけだった。
「慣れって怖い」
「怖いって、あんたもやってみればいいじゃない。案外すぐに慣れるかもよ?」
二人はようやく私から視線をそらし、後輩は立ち上がりながら髪をかきあげた。
「えー、私は無理ですよー!だって、ガチャガチャ言うじゃないですかー」
「あんた、特に音しそうだよね」
「それ、落ち着きがないって言ってます?」
二人で盛り上がり始めた会話に胸を撫で下ろす。
まるで私がいなくなったみたいな盛り上がりかたで、少しすると先輩が会話に加わった。場の空気がさらに賑やかになる。
私は何も言うことなくそのままフェードアウトして、仕事に戻った。
「ねえ」
朝。まだベッドにいる彼に呼びかける。
布団がにわかに動いて、彼が起きたことを知らせてくれた。
「付けてくれない?」
私は彼の前に右手と時計を差し出した。
「ん~」
のそのそと布団から2つの手がのぞく。
その手は器用に私の右手に腕時計を付けて、またのそのそと布団の中に戻っていく。
私は腕時計のつき心地を確認して、布団に潜り込んだ彼に笑顔を向ける。
「ありがとう」
カーテンから射す日差しは薄明かるく、静かにゆっくりと私を満たしてくれる。
これは小さな愛情確認。
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