虚空のディストピア

橘 はさ美

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第1節 〜施設脱出編〜

第5話 忌憚の銃弾

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思わず、目を見開いた。
さっき見た能力達ですらBかCランクなのに、この⋯名前からして女性だろう。このアノマリーはSランクなのか⋯
恐ろしく強いアノマリーも存在するようだ。
そう他人事のように考えていた。

だがよく考えてみれば、あの男はアノマリーを逃がしている。この超危険なアノマリーが解放されてしまったら一体どうなるんだ?

それはまさに⋯地獄絵図だろう。

俺は冷や汗を垂らしつつ、部屋から出てまた廊下を走った。


――さらに廊下を歩くと、いよいよ開けた空間が見えてきた。
あそこが出口であればいいが。

⋯だが、そんなに施設が狭い訳でも無く。

慣れない体で歩くことに辟易へきえきしていると、奥から騒がしい声が聞こえる。

「――れ!⋯⋯!」

少し進んだ所で倒れたカートに身を隠し、覗いてみる。

左側にいるのはさっき殺されていた部隊と同じ格好をした人だ。右を向いて銃を構えて、今にも発砲しようとしている。

目線を銃口の先に向けるとそこには長い銀髪の少女が立っていた。服装を見るからに、俺と同じアノマリーであろう。

横顔でわかるその美形に、いささ見蕩みとれていると隊員が発砲した。ぼーっとしていた俺は、叩き起されるようにはっとした。

「あっ⋯!」

思わず声が出てしまった。何も撃つことは無いだろう。あんなに幼い少女に対してあんな装備を着て。

若干のいらつきを覚えながらも、当たれば死ぬだろうなと少女の方を見た。

しかしそこでは、俺が想像していたのとは違う事が起きていた。

少女は変わらず立ち尽くしている。
変わっていたのは⋯隊員の方。
喉と頭部から大きく出血し、倒れていた。

目の前の謎すぎる状況に俺は混乱した。
しかし、少女の背後から別の隊員が後頭部を狙っていた。

俺は脊髄反射のように、カートから落ちたであろうメスに手を伸ばし、思い切り隊員のこめかみに投擲とうてきした。

「危ないっ⋯!」

すると隊員は、そのまま活動を停止したロボットのように固まって倒れた。
投げたメスは、頭を貫通して壁に突き刺さっていた。

⋯初めて、人を殺めてしまった。

だが俺はその事を気にも留めずに、少女に駆け寄った。

「大丈夫か!」

相変わらず立っている少女の顔を覗き込む。
怪我はしていないようだ。良かった。

「⋯問題無い。あなたがいなくても私は死ななかった」

銀髪の少女が口を開く。
間近で見たその顔は、透き通るような翡翠ひすいの瞳に、彫刻のように高い鼻、整った顔立ちだった。
まるで絹のように艶のある細い髪の毛は、わずかな風でさえも揺らいでいた。

「⋯ここから出ないか?今のうちに」

じとっと俺の顔を見たあと、ぼそっと呟いた。

「言われなくてもそのつもり」

可愛げ無いなこいつ。
しかし今は脱出が最優先だ。
俺は何も言葉を発せずに通路を歩いた。

やはり、この少女もついてくる。
全く口を開かないので、無言の空間が出来ていた。
流石に気まずいな⋯

「き、きみ、名前は?」

逡巡しゅんじゅんした後、俺に答えた。まっすぐ目を見て。

「たしか⋯⋯十束とつか緋奈ひな

その名前を聞いた瞬間、おぞましい寒気を感じた。
全身の鳥肌が立ちに立ちまくっていた。

十束緋奈。さっきの資料に書いていたSランクのアノマリー。大量に人を殺した凶暴なやつだ。

俺がここで生き残っているのも奇跡なのでは⋯?
今ある命に感謝しよう⋯

「そそそ、そうか、十束さんかぁ⋯はは⋯」

また会話が途切れてしまった。このままだと不愉快だと殺されてしまうぞ。何か考えろ、質問でもなんでもいい。

「そ、その、十束さんは何歳なの?」

しまった⋯!女性に年齢を聞くなんて、俺とした事が禁忌を犯してしまった。
もっと他にあっただろ。好きな食べ物とか、好きなふりかけとか。
ほら、十束さんも口を開かないじゃないか。
今度こそ殺される⋯!

お母さんに俺を産んでくれてありがとうとか天に嘆いていたら、少女が予想外の言葉を放った。

「⋯十束緋奈という名前以外の事はあまり覚えていない」

名前以外覚えてないだと?記憶喪失でも患っているのだろうか。

「じ、じゃあこの施設にはどうやって連れて来られたの?」

首を傾げる十束さん。

「⋯⋯寝て起きたら捕まってた」

殺した自覚が無いだと?
捕まる前、暴れていたと資料に書いてあったぞ。

驚きを隠せない俺。

「Sランクっていうのは⋯?」

「S⋯らんく?なんの事?」

自分がSランクアノマリーであることも分かっていないらしい。実はそこまで危なくない子なのか、はたまた無自覚に人を殺すヤバい子なのか。

ほとんど俺の質問攻めのような会話をしていると、10mほど前に、4人の隊員が立ちはだかった。

銃をこちらに向けている。
撃たれると思った俺は、思わず地面にうずくまってしまった。

「ドドドドド」

放たれる銃弾。

―しかし、俺に銃弾が当たることは無かった。
顔を少し上げ、前を見た。

そこでは惨事が起きていた。
前の隊員から1人ずつ、自分の銃で自分の頭を撃ち、倒れる。

「う、うわぁ!こんなの、無理に決まってる!!」

後ろにいた隊員は1人逃げようとするが、何者かに操られたかのように自分の頭を撃ち抜いて倒れた。

後ろを見ると、手を前に伸ばす十束さんがいた。
なるほど、”共感覚”とはこの事だったのか。
相手の意識を乗っ取り、操る。

「⋯⋯これ痛いからあんまりやりたくない」

と言いながら頭をさすっていた。
いとも簡単に、殲滅せんめつしてしまった。流石はS認定されるだけある能力だ。こんな恐ろしい能力、俺も戦いたくはないな。
この子が敵でない事に、心底ほっとした。


奥に、一際大きなゲートが見えた。あそこがいよいよ出口らしい。
開閉にはカードキーが必要だった為、前に倒れていた隊員からもぎ取り、センサーに通した。そして緑に点灯する”開”のスイッチを押した。
ブザーが大きく音を立て、赤い回転灯が回る。

「⋯行こう、十束さん」

俺は開き出すゲートの前で、横に並ぶ十束さんの顔を見て言葉を放った。
ゲートが開き、なだれ込む風。

「⋯⋯緋奈でいい」

一言呟いたその横顔は、少し笑みを浮かべている様にも⋯見えなくも無かった。
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