2 / 15
命をかける聖女
しおりを挟む
「今から王太子殿下のもとへ参りますが、注意点が3つあります」
メラルゥルの支度が整った際、侍女から注意事項を告げられた。
「1つ、殿下のおわす室内にある物以外には手を触れないこと。2つ、例え殿下に声をかけられたとしても殿下のおわす室内では決して声を出さないこと。3つ、命に代えても殿下の病を完治させること。以上です。わかりましたか?」
本来王太子殿下からのお言葉に返事をしないなど、不敬の罪で処刑されてもおかしくないことではあるが、メラルゥルにそんな知識はなく、もとよりメラルゥルに許された言葉は服従、もしくは謝罪のみ。
「はい」
と小さく返したメラルゥルに侍女は念のためもう一度だけ先程の注意事項を告げると、彼女を王太子が休まれている部屋へ案内した。
中へ入ると、王太子殿下の私室にしては絵画の一枚すら飾られていないシンプルな部屋の真ん中に、大きなベッドが鎮座し、そのすぐ脇に美しいドレスを纏った年若い女性とその母親程の年齢の女性が座っている。
入り口脇でメラルゥルを待たせると、侍女は壮年の女性の元へ歩みより何かを耳打った。
すると女性二人は立ち上がり、そのまま真っ直ぐメラルゥルの方へ──と言うよりは入り口へと向かった。
すれ違い様に壮年の女性が一言だけ
「身命惜しまず尽くしなさい」
と告げた言葉にメラルゥルは声を出さずに静かに頭を垂れた。
女性たちが出て行き、室内には侍女とメラルゥル、そして天蓋に遮られて見えはしないがベッドにいるであろう王太子殿下のみとなった。
そしてすぐに侍女も
「何かあればテーブル上のベルを鳴らしなさい。わかりましたね」
そう告げて出て行った。
聖女の力を使うにあたって、第三者の目があったとしても何の支障もないので、本来であれば無人になる必要はない。
ただ、聖女とその力を受ける者の二人きりになれば癒しの力が増し、その精度が上がるのも周知の事実であった。
怪我や病で患者の命が尽きようとしているならば、二人きりにするべきだとの配慮がなされることは多い。
それだけ王太子殿下が危険な状態にあるのだと、メラルゥルは大きく息を吸い込んだ。
ゆっくりベッド脇に進み、先程まで女性が座っていた椅子をどけると天蓋の中に入って床に膝立ちになる。
ベッドには確かに男性が眠っていた。
倒れて何日くらいなのか、頬が痩けてはいるものの美しい顔立ちをしている。
布団を少しだけめくって男性の左手を両手で握ると、直に感じる重い病。
メラルゥルに医学の心得も知識もないが、患者の重篤さは手を触れればすぐに感じることが出来る。
メラルゥルは、これは確かに私の命と引き換えでなければ治せないかもしれないと、チラリと頭の隅で思った後、瞳を閉じて癒しに集中した。
メラルゥルが王太子殿下の治療を始めて10時間経った。
日々朝から晩まで人を癒し続けてきたメラルゥルにとって、それくらいの時間誰かを癒すのは特別なことでも何でもなかった──が、今日のメラルゥルには違っていた。
骨折の患者の骨を治すのと、腕が失くなってしまった患者の腕を復元させるのとではメラルゥルの負担は全く違う。
後者のそれは長時間全力を以てあたり、その人一人を癒すと、その日は勿論そこから数日、聖力が枯渇してしまうこともある。
そんな全力を出し続けての10時間。
最早メラルゥルは身命惜しまずの言葉通り、自らの命を燃やして尚王太子殿下に向き合い続けていた。
そしてその命さえも尽きかける寸前、閉ざされていたドアが突然開いた。
だがメラルゥルは、集中していた為か、振り返る力すら無くなっていた為か、ひたすら王太子殿下の手を握っていた。
ドアを開けた人物は大股でメラルゥルの元へと歩み寄ると、何かを大声で叫び始めた。
朦朧としているメラルゥルには何を言っているのか理解は出来ない。
ただ、これでようやく死ねるのかと、そんな安堵の気持ちを最後にメラルゥルは意識を失った。
メラルゥルが目を覚ましたのは、あれから一週間経ってのことだった。
今まで暮らしてきた教会であてがわれていた部屋とは違い、質素ではあるが清潔な部屋。
すきま風も入ってこず、自分がベッドで寝ていたことにも驚いた。
今までは、不潔でボロボロの、部屋とは言えない様な場所に、敷布団もなく、床で毛布一枚にくるまって眠っていたのだ。
それが、大きくはないがきちんと足を伸ばせるベッド、清潔な布団、枕まである。
メラルゥルは、自分は死んでここは天国なのかと納得して再び目を閉じた。
次にメラルゥルが目を覚ましたのはそれから半日経った頃だった。
ゆっくり辺りを見るも人の気配はなく、ベッド脇の小さなテーブルに水差しがあることに気付くと、急に喉が渇いてきた。
上半身を起こそうとするが力が入らずうまく起き上がれない。
仕方なく寝たままではあるが水差しに手を伸ばしたところで、距離感がつかめなかった為に無情にも床に落としてしまった。
ガチャンと音を立てたことで、見ずとも割ってしまったのだとわかって青ざめる。
さすがにここが天国ではなく、死んでいなかったのだと気付いたメラルゥルが、この後に待つ折檻に身体を小さくしていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
返事をして良いのかどうか悩む間もなくドアが開き、外から見たことのある侍女が入ってくる。
「すぐに医師が参ります。それまでもうしばらくお待ちください」
侍女はそう言うと、手際よく割れた水差しを片付けて新しい物を持ってくるよう別の侍女に言い付ける。
言葉通りすぐやって来た医師の診察を受け、メラルゥルは少しだけ現状を理解した。
王太子殿下への癒しから一週間経っていること。
死ぬ寸前ではあったが、聖女の力が働いたのかギリギリで生きながらえたこと。
そして
「聖女様の力は我々に計ることは出来ません。失ってしまったのか、そうではないのか、お教えいただけますかな?」
老齢の医師は抑揚のない声でメラルゥルに問いかける。
そんな風に自分に何かを問われることがなかったメラルゥルは、答えに詰まった。
聖女の癒しの力はこんこんと湧き出る清水の様なもの。
全てを掬い使い尽くしたとしても時間が経てば再び満ちる。
それは多分誰もが知るところだ。
だが、命を燃やしたメラルゥルの聖力が真に枯渇したかそうでないかはメラルゥル本人にしかわからない。
実際、今の現状としてメラルゥルの力は半分以上戻っているが、それを告げればまたあの教会での地獄の日々が待っているのだ。
それに、どのみちメラルゥルには言葉を発することを許されていない。
俯き黙るメラルゥルに、医師は更に告げる。
「そう言えば聖女様は自らの意思で話すことを禁じられているとか。では単刀直入にいきますかの。今、力はあるかないか。あるならば首を縦に。ないならば首を横に振ってくだされ。······念のために言っておきますが、嘘はつかない方が御身のためですぞ」
医師の静かで強い声に、メラルゥルは観念して首を縦に振った。
メラルゥルの支度が整った際、侍女から注意事項を告げられた。
「1つ、殿下のおわす室内にある物以外には手を触れないこと。2つ、例え殿下に声をかけられたとしても殿下のおわす室内では決して声を出さないこと。3つ、命に代えても殿下の病を完治させること。以上です。わかりましたか?」
本来王太子殿下からのお言葉に返事をしないなど、不敬の罪で処刑されてもおかしくないことではあるが、メラルゥルにそんな知識はなく、もとよりメラルゥルに許された言葉は服従、もしくは謝罪のみ。
「はい」
と小さく返したメラルゥルに侍女は念のためもう一度だけ先程の注意事項を告げると、彼女を王太子が休まれている部屋へ案内した。
中へ入ると、王太子殿下の私室にしては絵画の一枚すら飾られていないシンプルな部屋の真ん中に、大きなベッドが鎮座し、そのすぐ脇に美しいドレスを纏った年若い女性とその母親程の年齢の女性が座っている。
入り口脇でメラルゥルを待たせると、侍女は壮年の女性の元へ歩みより何かを耳打った。
すると女性二人は立ち上がり、そのまま真っ直ぐメラルゥルの方へ──と言うよりは入り口へと向かった。
すれ違い様に壮年の女性が一言だけ
「身命惜しまず尽くしなさい」
と告げた言葉にメラルゥルは声を出さずに静かに頭を垂れた。
女性たちが出て行き、室内には侍女とメラルゥル、そして天蓋に遮られて見えはしないがベッドにいるであろう王太子殿下のみとなった。
そしてすぐに侍女も
「何かあればテーブル上のベルを鳴らしなさい。わかりましたね」
そう告げて出て行った。
聖女の力を使うにあたって、第三者の目があったとしても何の支障もないので、本来であれば無人になる必要はない。
ただ、聖女とその力を受ける者の二人きりになれば癒しの力が増し、その精度が上がるのも周知の事実であった。
怪我や病で患者の命が尽きようとしているならば、二人きりにするべきだとの配慮がなされることは多い。
それだけ王太子殿下が危険な状態にあるのだと、メラルゥルは大きく息を吸い込んだ。
ゆっくりベッド脇に進み、先程まで女性が座っていた椅子をどけると天蓋の中に入って床に膝立ちになる。
ベッドには確かに男性が眠っていた。
倒れて何日くらいなのか、頬が痩けてはいるものの美しい顔立ちをしている。
布団を少しだけめくって男性の左手を両手で握ると、直に感じる重い病。
メラルゥルに医学の心得も知識もないが、患者の重篤さは手を触れればすぐに感じることが出来る。
メラルゥルは、これは確かに私の命と引き換えでなければ治せないかもしれないと、チラリと頭の隅で思った後、瞳を閉じて癒しに集中した。
メラルゥルが王太子殿下の治療を始めて10時間経った。
日々朝から晩まで人を癒し続けてきたメラルゥルにとって、それくらいの時間誰かを癒すのは特別なことでも何でもなかった──が、今日のメラルゥルには違っていた。
骨折の患者の骨を治すのと、腕が失くなってしまった患者の腕を復元させるのとではメラルゥルの負担は全く違う。
後者のそれは長時間全力を以てあたり、その人一人を癒すと、その日は勿論そこから数日、聖力が枯渇してしまうこともある。
そんな全力を出し続けての10時間。
最早メラルゥルは身命惜しまずの言葉通り、自らの命を燃やして尚王太子殿下に向き合い続けていた。
そしてその命さえも尽きかける寸前、閉ざされていたドアが突然開いた。
だがメラルゥルは、集中していた為か、振り返る力すら無くなっていた為か、ひたすら王太子殿下の手を握っていた。
ドアを開けた人物は大股でメラルゥルの元へと歩み寄ると、何かを大声で叫び始めた。
朦朧としているメラルゥルには何を言っているのか理解は出来ない。
ただ、これでようやく死ねるのかと、そんな安堵の気持ちを最後にメラルゥルは意識を失った。
メラルゥルが目を覚ましたのは、あれから一週間経ってのことだった。
今まで暮らしてきた教会であてがわれていた部屋とは違い、質素ではあるが清潔な部屋。
すきま風も入ってこず、自分がベッドで寝ていたことにも驚いた。
今までは、不潔でボロボロの、部屋とは言えない様な場所に、敷布団もなく、床で毛布一枚にくるまって眠っていたのだ。
それが、大きくはないがきちんと足を伸ばせるベッド、清潔な布団、枕まである。
メラルゥルは、自分は死んでここは天国なのかと納得して再び目を閉じた。
次にメラルゥルが目を覚ましたのはそれから半日経った頃だった。
ゆっくり辺りを見るも人の気配はなく、ベッド脇の小さなテーブルに水差しがあることに気付くと、急に喉が渇いてきた。
上半身を起こそうとするが力が入らずうまく起き上がれない。
仕方なく寝たままではあるが水差しに手を伸ばしたところで、距離感がつかめなかった為に無情にも床に落としてしまった。
ガチャンと音を立てたことで、見ずとも割ってしまったのだとわかって青ざめる。
さすがにここが天国ではなく、死んでいなかったのだと気付いたメラルゥルが、この後に待つ折檻に身体を小さくしていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
返事をして良いのかどうか悩む間もなくドアが開き、外から見たことのある侍女が入ってくる。
「すぐに医師が参ります。それまでもうしばらくお待ちください」
侍女はそう言うと、手際よく割れた水差しを片付けて新しい物を持ってくるよう別の侍女に言い付ける。
言葉通りすぐやって来た医師の診察を受け、メラルゥルは少しだけ現状を理解した。
王太子殿下への癒しから一週間経っていること。
死ぬ寸前ではあったが、聖女の力が働いたのかギリギリで生きながらえたこと。
そして
「聖女様の力は我々に計ることは出来ません。失ってしまったのか、そうではないのか、お教えいただけますかな?」
老齢の医師は抑揚のない声でメラルゥルに問いかける。
そんな風に自分に何かを問われることがなかったメラルゥルは、答えに詰まった。
聖女の癒しの力はこんこんと湧き出る清水の様なもの。
全てを掬い使い尽くしたとしても時間が経てば再び満ちる。
それは多分誰もが知るところだ。
だが、命を燃やしたメラルゥルの聖力が真に枯渇したかそうでないかはメラルゥル本人にしかわからない。
実際、今の現状としてメラルゥルの力は半分以上戻っているが、それを告げればまたあの教会での地獄の日々が待っているのだ。
それに、どのみちメラルゥルには言葉を発することを許されていない。
俯き黙るメラルゥルに、医師は更に告げる。
「そう言えば聖女様は自らの意思で話すことを禁じられているとか。では単刀直入にいきますかの。今、力はあるかないか。あるならば首を縦に。ないならば首を横に振ってくだされ。······念のために言っておきますが、嘘はつかない方が御身のためですぞ」
医師の静かで強い声に、メラルゥルは観念して首を縦に振った。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


だいたい全部、聖女のせい。
荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」
異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。
いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。
すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。
これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です
葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。
王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。
孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。
王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。
働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。
何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。
隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。
そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。
※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。
※小説家になろう様でも掲載予定です。

番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。


淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

【完結】たぶん私本物の聖女じゃないと思うので王子もこの座もお任せしますね聖女様!
貝瀬汀
恋愛
ここ最近。教会に毎日のようにやってくる公爵令嬢に、いちゃもんをつけられて参っている聖女、フレイ・シャハレル。ついに彼女の我慢は限界に達し、それならばと一計を案じる……。ショートショート。※題名を少し変更いたしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる