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花咲き誇る宮
タシュがトゥフタと出会う少し前の事
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その日、トゥフタはいつもよりも早く目が覚めた。寝所に寝転がったまま夜から朝へと部屋へ差し込む光が強くなっていく様子をぼんやりと眺めて過ごしていた。
「トゥフタ様、沐浴のお時間です」
「もうそんな時間か……わかった」
ノックと共に入ってきたエベツがそう告げると、トゥフタはゆっくりと体を起した。大きな窓から差し込む朝日は、温もりを含んでいて気持ちが良い。
ぐい、と腕を上げ伸びをする横で、薄布で顔半分を隠したエベツが静かに待機している。
毎日同じ時刻に呼びに来るこの女官は、滅多な事では表情を変えない。何度か笑わせようとしたり、コミュニケーションを図ろうと話しかけた事もあったけれど、全てにそっけなく返されていた。
毎日毎日同じような言葉のやりとりしか無い、代わり映えの無い日々にいい加減飽き飽きする。そもそもエベツ以外と言葉を交わす事も禁じられているのだから、単調な生活に飽きるなという方が難しい。
沐浴場へと歩を進めたトゥフタの横を、仕事をしている女中たちが頭を下げてすれ違う。一定の距離を保ち、近づいてくる事は無い彼女たちは、トゥフタが通り過ぎると何やら井戸端会議を始めた。
「あれは何を話している?楽しそうだ」
「他愛の無い事でございます」
「他愛無いなら私も参加しても良いか?」
「申し訳ございません、沐浴のお時間でございますから」
一歩先を歩くエベツが、目線も合わさず却下してきた。
「そういえば我が女王、クロレバはどうしているだろう?最近見ないが」
「お元気にご公務をこなされています」
「そうか。元気なのか。今度はいつこちらの宮に来るだろう?」
「私はトゥフタ様付きですので、クロレバ様のスケジュールは存じません」
平坦な口調に、トゥフタはこれ以上聞いても無駄だと悟り、口を噤んだ。今日も昨日と同じような一日が始まるのかと思うと、全てのやる気を無くしそうになる。
無言のまま石畳の通路を抜けて辿り着いたのは、タイルで美しく彩られた窓の無い部屋だった。入り口には武器を持つ衛兵が二人立っている。
衛兵へ視線だけ送ると、二人はすぐに膝をつき頭を下げた。その横を通り抜け、部屋の中へ入ったトゥフタは、中央で足を止めた。
目の前でエベツが口元を覆った薄布以外を取り去り、沐浴着へと着替えるのを何の感情も無く見つめる。
着替え終わったエベツは、トゥフタの服を手慣れた様子で脱がし、沐浴着を着せた。荒い麻素材のエベツの沐浴着に対し、シルクをからみ織りした肌触りが良い逸品だ。
この沐浴場には、室内に体を洗うスペースと扉を開けて外に出れば、露天風呂という二つの湯室があった。まずは室内の方へ進むと、エベツは泡立てた蜂蜜石鹸でトゥフタの全身をマッサージするように洗い始めた。
「湯にもご一緒しますか?」
「いや、一人で良い」
「かしこまりました。こちらで先に出て待機しております」
泡を洗い流し終えると、エベツは湯室を出ていった。
タイルや宝石で彩られた幾何学的なアラベスク模様の湯室を抜けると、木々で囲まれた大きな露天風呂へと続いていてる。白い床を踏みしめ、片足ずつ温かい湯へと浸けていく。
ゆっくりと全身を沈めていくと、温かさに体の力が抜けてくる。朝からエベツが一緒にいて、眠る時も扉の前で衛兵が聞き耳を立てている。そんな生活の中、唯一一人の時間と言えるのがこの時間だ。この時間がなければ、トゥフタの精神は早々に壊れていたかもしれない。
風が吹き、木々を揺らした。木々の隙間から海が見えれば良いのに。一度も見たことの無い、大きな海。煌めく美しい水面を見つめる体験がしてみたい。
何度も見ている森だけの景色だが、何度見ても美しいと感じた。遠くを見ていると美しさと同時に望郷の思いに駆られる。ここで生まれ育ったはずなのに。
整然と整理され、人々の心にも波風が立つ事の少ないこの平和な国において、数少ない感情が沸き上がる一時だ。
また、木々が揺れた。さきほどの風で揺れたのとは少し様子が違う。野生動物が迷う事もあるので、兎でもいるのだろうとトゥフタは目もやらない。
それよりも穏やかな海をただ見つめていたかった。
「……ム?」
聞き覚えの無い音に、トゥフタはそちらを向いた。そこに見た事のない背の高い男が立っていて、トゥフタの心臓は早鐘の如く鼓動を始めた。
「何者だ?」
「あれ……男か?男なら良いだろ?俺も入れてくれないか?」
トゥフタの問に答える事無く、無礼にも男は湯面を揺らしトゥフタへ近づいてくる。
「止まれ」
城に守られて育ち、悪意や敵意を向けられた事の無いトゥフタの睨み等、まるで効かないようだ。至近距離まで来た夜のように漆黒の瞳の男は、トゥフタ達とは違う、褐色の肌を持っていた。
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その日、トゥフタはいつもよりも早く目が覚めた。寝所に寝転がったまま夜から朝へと部屋へ差し込む光が強くなっていく様子をぼんやりと眺めて過ごしていた。
「トゥフタ様、沐浴のお時間です」
「もうそんな時間か……わかった」
ノックと共に入ってきたエベツがそう告げると、トゥフタはゆっくりと体を起した。大きな窓から差し込む朝日は、温もりを含んでいて気持ちが良い。
ぐい、と腕を上げ伸びをする横で、薄布で顔半分を隠したエベツが静かに待機している。
毎日同じ時刻に呼びに来るこの女官は、滅多な事では表情を変えない。何度か笑わせようとしたり、コミュニケーションを図ろうと話しかけた事もあったけれど、全てにそっけなく返されていた。
毎日毎日同じような言葉のやりとりしか無い、代わり映えの無い日々にいい加減飽き飽きする。そもそもエベツ以外と言葉を交わす事も禁じられているのだから、単調な生活に飽きるなという方が難しい。
沐浴場へと歩を進めたトゥフタの横を、仕事をしている女中たちが頭を下げてすれ違う。一定の距離を保ち、近づいてくる事は無い彼女たちは、トゥフタが通り過ぎると何やら井戸端会議を始めた。
「あれは何を話している?楽しそうだ」
「他愛の無い事でございます」
「他愛無いなら私も参加しても良いか?」
「申し訳ございません、沐浴のお時間でございますから」
一歩先を歩くエベツが、目線も合わさず却下してきた。
「そういえば我が女王、クロレバはどうしているだろう?最近見ないが」
「お元気にご公務をこなされています」
「そうか。元気なのか。今度はいつこちらの宮に来るだろう?」
「私はトゥフタ様付きですので、クロレバ様のスケジュールは存じません」
平坦な口調に、トゥフタはこれ以上聞いても無駄だと悟り、口を噤んだ。今日も昨日と同じような一日が始まるのかと思うと、全てのやる気を無くしそうになる。
無言のまま石畳の通路を抜けて辿り着いたのは、タイルで美しく彩られた窓の無い部屋だった。入り口には武器を持つ衛兵が二人立っている。
衛兵へ視線だけ送ると、二人はすぐに膝をつき頭を下げた。その横を通り抜け、部屋の中へ入ったトゥフタは、中央で足を止めた。
目の前でエベツが口元を覆った薄布以外を取り去り、沐浴着へと着替えるのを何の感情も無く見つめる。
着替え終わったエベツは、トゥフタの服を手慣れた様子で脱がし、沐浴着を着せた。荒い麻素材のエベツの沐浴着に対し、シルクをからみ織りした肌触りが良い逸品だ。
この沐浴場には、室内に体を洗うスペースと扉を開けて外に出れば、露天風呂という二つの湯室があった。まずは室内の方へ進むと、エベツは泡立てた蜂蜜石鹸でトゥフタの全身をマッサージするように洗い始めた。
「湯にもご一緒しますか?」
「いや、一人で良い」
「かしこまりました。こちらで先に出て待機しております」
泡を洗い流し終えると、エベツは湯室を出ていった。
タイルや宝石で彩られた幾何学的なアラベスク模様の湯室を抜けると、木々で囲まれた大きな露天風呂へと続いていてる。白い床を踏みしめ、片足ずつ温かい湯へと浸けていく。
ゆっくりと全身を沈めていくと、温かさに体の力が抜けてくる。朝からエベツが一緒にいて、眠る時も扉の前で衛兵が聞き耳を立てている。そんな生活の中、唯一一人の時間と言えるのがこの時間だ。この時間がなければ、トゥフタの精神は早々に壊れていたかもしれない。
風が吹き、木々を揺らした。木々の隙間から海が見えれば良いのに。一度も見たことの無い、大きな海。煌めく美しい水面を見つめる体験がしてみたい。
何度も見ている森だけの景色だが、何度見ても美しいと感じた。遠くを見ていると美しさと同時に望郷の思いに駆られる。ここで生まれ育ったはずなのに。
整然と整理され、人々の心にも波風が立つ事の少ないこの平和な国において、数少ない感情が沸き上がる一時だ。
また、木々が揺れた。さきほどの風で揺れたのとは少し様子が違う。野生動物が迷う事もあるので、兎でもいるのだろうとトゥフタは目もやらない。
それよりも穏やかな海をただ見つめていたかった。
「……ム?」
聞き覚えの無い音に、トゥフタはそちらを向いた。そこに見た事のない背の高い男が立っていて、トゥフタの心臓は早鐘の如く鼓動を始めた。
「何者だ?」
「あれ……男か?男なら良いだろ?俺も入れてくれないか?」
トゥフタの問に答える事無く、無礼にも男は湯面を揺らしトゥフタへ近づいてくる。
「止まれ」
城に守られて育ち、悪意や敵意を向けられた事の無いトゥフタの睨み等、まるで効かないようだ。至近距離まで来た夜のように漆黒の瞳の男は、トゥフタ達とは違う、褐色の肌を持っていた。
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