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星になりたい男
星野さんはアヤさんを知りたい。
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「ほんと、俺ってアヤさんの事何も知らないんだな……」
情けなくそう吐き捨てた目の端が何かが動いたのを捕らえた。動体視力にも自信がある。マンションの植込みの向こうに、黒い何かが確かに動いた。野良猫はかなり少なくなった地域だが、黒猫だろうか?
近づいてみると、なんとそこにはアヤがちょこんと座っていた。
「アヤさん!?」
「慧斗さん……すみません、呼ばれてないのに来てしまって」
名前を呼ぶと、アヤは振り向いた。元々細身ではあるが、その細さに拍車がかかっている。大事な人の死が、彼をこうさせたのかと思うと胸が締め付けられた。
「いつからここに!?」
「二時間くらい前ですかねえ」
「変な人とか居ませんでした?」
「ああ、蹴ってくださいって人とか、食事に誘ってくれる人とか寄ってきて、面倒なのでここに隠れてたつもりなんですけど……見つかっちゃいましたね」
力なく笑うアヤには、いつものどこか飄々とした軽やかさではなく、本当にどこかに行ってしまいそうな儚さがあった。
「もう!連絡つかないから心配してたんですよ?」
「連絡……?」
ポケットの中から携帯電話を取り出して、不思議そうに首を傾げる。何度も画面をタップしているが、黒い画面のままである。
「……アヤさん、それって充電が切れてませんか?」
「あ、そっか。……だから誰も呼んでくれなかったんですね」
魂が抜けたようなアヤの姿に、慧斗の本能がこれはヤバいと警報を鳴らす。ただ、全てを受け入れる。息をするだけの状態。死んでいないだけのこの状態には、痛いほど覚えがあった。
「とりあえず夜も遅いんで、うちに入りませんか?」
「良いんですか?僕、呼んで貰ってないのに」
「良いに決まっているでしょ?!アヤさんなら、俺はいつでも家にいて欲しいんですから」
慧斗をじぃと見つめる丸い目は、濡れていた。目の周りは、何度も擦ったのか赤くなっていた。何も言わず立ち尽くすアヤを、今すぐ抱きしめたくなった。性的に、ではなく、愛情で。
「今夜は少し涼しいみたいですよ。温かいカフェオレでもどうです?差し入れにもらった美味しいクッキーも食べましょうよ」
こくり、と頷いたのを確認し、慧斗は車いすの向きを変えた。
ちゃんと着いてきてくれるかと心配になり、何度か振り返る。アヤはとぼとぼと、いつも持ち歩いているキャリーバックを転がしながら、慧斗の後ろにぴったりとくっついてマンションへと入っていった。
・
二人が部屋に入ったのを待っていたかのように、窓の外は雨になった。そのまま外にいたなら、アヤはびしょ濡れになってしまっていただろう。それを防げただけでも良かった。
「ほら、座って下さい」
「あ……失礼します」
アヤが初めて部屋に来た時は、この部屋に椅子は一脚も無かった。慧斗には必要なかったからだ。でも、今は一つだけ、オシャレな椅子が置いてある。アヤが座るために買った、デザイナーズチェアだ。
革張りのヴィンテージ風の椅子は、買った当時からアヤのお気に入りで、彼の指定席になった。
その椅子に座る時、アヤはいつも笑顔だった。しかし、ちょこんと体を小さくして座るアヤには、楽し気な雰囲気は全くない。
何か会話をしようと口を開くが、ぱくぱくと空気を吐き出すだけになってしまう。慧斗は会話の糸口を見つけられないまま、コーヒーメーカーでカフェオレを二つ淹れ、一つをアヤに手渡した。
「熱いですから、気を付けて下さい」
「……あの、今日はプレイは……?」
カップを手渡すと同時にそう言われ、慧斗は目を丸くする。
「し、しませんよ!俺、アヤさんと連絡取れなくて心配してたんですよ?!」
「そう、なんですか?」
「会いたいって思って電話しても、留守電になっちゃうし。一体何があったんですか?」
「それは……」
「言えませんか?」
アヤは明らかに言葉を濁そうとしたが、慧斗はそれをさせたくなかった。坂下からじゃなく、アヤから聞きたい。アヤの言葉で聞きたい。
真っすぐな目で、アヤを見つめる。アヤは、慧斗の瞳を伺うように覗き込んでいる。
「アヤさんと連絡つかなくて、俺坂下さんに連絡したんです。そしたら、アヤさんの大切な人が亡くなったって聞かされました」
アヤの綺麗な目が大きく開かれた。慧斗の顔が反射するその瞳を、水分で包みこんだ。表面張力でギリギリを保ってはいるが、一度でも瞬きをすれば、雫が落ちてしまう。
それは慧斗が初めて見るアヤの表情だった。
慧斗はアヤについて知らなさすぎる。アヤの顔を見て、改めてそう思った。
「す、スミマセン、勝手に……」
「い、いえ、あの、良いんです。そっか坂下さんが……」
「したくないなら、無理強いはするつもりないです。でも、もし少しでも俺に話しても良いって思うなら、俺は聞きたいです」
アヤがカップを握りしめると、カフェオレが少し揺れた。その小さな波が収まるまで、二人の視線はカップの中に注がれた。
「坂下さんのいう通り、僕の大切な人は亡くなりました」
「大切な人……それは、家族の方ですか?」
そうであってほしいと思いながら、慧斗は口を挟んだ。
「いいえ、血のつながりはありません。でも彼は僕が好きで、僕も彼が好きでした」
「えっと……それは、恋人?」
この問いかけにも、アヤは小さく首を振る。
「僕たちの関係を現すのに、その表現は適切じゃないんです」
「好きで、大切だけど恋人でも家族でもない……?」
まるで禅問答でもされているかのようだ。
頭を悩ます慧斗を見て、アヤは再びカフェオレを見つめた。まだ一滴も飲まれていない乳白色の液体は、呼吸をする動きと連動じて、水面が揺れている。
「慧斗さんは凄いです。初めてお会いした時は、死にそうな顔をしてたのに……ホント、見違えるようです。部屋は綺麗になったし、お風呂も一人で入れる。お料理だって出来るし、バスケまで始めてしまう。最後には自分で会社まで作っちゃって……目に見えて成長していて、凄いです」
「え?あ、ありがとうございます。アヤさんにそう言われると嬉しいなあ」
突然の誉め言葉に頬を掻きつつも、アヤの言いたいことが分からず首を捻った。
「慧斗さんの成長を感じる度に、僕嬉しくて。未来があるって素敵だなって。――でも、少し苦しかったんです」
「それはどうしてですか?」
「彼には未来が無いって、慧斗さんを見る度に思い知らされました。会うたびに顔色が良くなって、明るくなって、前向きになっていく慧斗さん。彼はその真逆でした。会うたびに顔色は悪くなって、弱気になって。彼は僕にこう言い続けました『きっと私の事を忘れてしまう』って
」
カフェオレの中に一滴が落ち、丸い大きな波紋が出来た。
「アヤさん……」
一点を見つめ、止まらない涙を拭くこともしないアヤは、声を震わせ言葉を続けた。
「僕は彼に救われた。彼が全てだったんです。ゴミの捨て方も、彼に教わったんですよ僕」
「アヤさん、落ち着いて」
「僕の全部は彼だった!彼の望むように生きたし、彼の為に生きてきた。なのに、もういない。いないんです。僕は――僕はどうしたら良いんです?彼の指示で生きてきたのに。一緒に死ぬことも出来なかった。彼が僕に生きろって言うから!!死ねなくなったんです!」
声に嗚咽が混じる。一言話す度、涙が零れ落ちた。そこにはいない彼に向かて、何度も何度も言葉を投げる姿は痛々しさまであった。
情けなくそう吐き捨てた目の端が何かが動いたのを捕らえた。動体視力にも自信がある。マンションの植込みの向こうに、黒い何かが確かに動いた。野良猫はかなり少なくなった地域だが、黒猫だろうか?
近づいてみると、なんとそこにはアヤがちょこんと座っていた。
「アヤさん!?」
「慧斗さん……すみません、呼ばれてないのに来てしまって」
名前を呼ぶと、アヤは振り向いた。元々細身ではあるが、その細さに拍車がかかっている。大事な人の死が、彼をこうさせたのかと思うと胸が締め付けられた。
「いつからここに!?」
「二時間くらい前ですかねえ」
「変な人とか居ませんでした?」
「ああ、蹴ってくださいって人とか、食事に誘ってくれる人とか寄ってきて、面倒なのでここに隠れてたつもりなんですけど……見つかっちゃいましたね」
力なく笑うアヤには、いつものどこか飄々とした軽やかさではなく、本当にどこかに行ってしまいそうな儚さがあった。
「もう!連絡つかないから心配してたんですよ?」
「連絡……?」
ポケットの中から携帯電話を取り出して、不思議そうに首を傾げる。何度も画面をタップしているが、黒い画面のままである。
「……アヤさん、それって充電が切れてませんか?」
「あ、そっか。……だから誰も呼んでくれなかったんですね」
魂が抜けたようなアヤの姿に、慧斗の本能がこれはヤバいと警報を鳴らす。ただ、全てを受け入れる。息をするだけの状態。死んでいないだけのこの状態には、痛いほど覚えがあった。
「とりあえず夜も遅いんで、うちに入りませんか?」
「良いんですか?僕、呼んで貰ってないのに」
「良いに決まっているでしょ?!アヤさんなら、俺はいつでも家にいて欲しいんですから」
慧斗をじぃと見つめる丸い目は、濡れていた。目の周りは、何度も擦ったのか赤くなっていた。何も言わず立ち尽くすアヤを、今すぐ抱きしめたくなった。性的に、ではなく、愛情で。
「今夜は少し涼しいみたいですよ。温かいカフェオレでもどうです?差し入れにもらった美味しいクッキーも食べましょうよ」
こくり、と頷いたのを確認し、慧斗は車いすの向きを変えた。
ちゃんと着いてきてくれるかと心配になり、何度か振り返る。アヤはとぼとぼと、いつも持ち歩いているキャリーバックを転がしながら、慧斗の後ろにぴったりとくっついてマンションへと入っていった。
・
二人が部屋に入ったのを待っていたかのように、窓の外は雨になった。そのまま外にいたなら、アヤはびしょ濡れになってしまっていただろう。それを防げただけでも良かった。
「ほら、座って下さい」
「あ……失礼します」
アヤが初めて部屋に来た時は、この部屋に椅子は一脚も無かった。慧斗には必要なかったからだ。でも、今は一つだけ、オシャレな椅子が置いてある。アヤが座るために買った、デザイナーズチェアだ。
革張りのヴィンテージ風の椅子は、買った当時からアヤのお気に入りで、彼の指定席になった。
その椅子に座る時、アヤはいつも笑顔だった。しかし、ちょこんと体を小さくして座るアヤには、楽し気な雰囲気は全くない。
何か会話をしようと口を開くが、ぱくぱくと空気を吐き出すだけになってしまう。慧斗は会話の糸口を見つけられないまま、コーヒーメーカーでカフェオレを二つ淹れ、一つをアヤに手渡した。
「熱いですから、気を付けて下さい」
「……あの、今日はプレイは……?」
カップを手渡すと同時にそう言われ、慧斗は目を丸くする。
「し、しませんよ!俺、アヤさんと連絡取れなくて心配してたんですよ?!」
「そう、なんですか?」
「会いたいって思って電話しても、留守電になっちゃうし。一体何があったんですか?」
「それは……」
「言えませんか?」
アヤは明らかに言葉を濁そうとしたが、慧斗はそれをさせたくなかった。坂下からじゃなく、アヤから聞きたい。アヤの言葉で聞きたい。
真っすぐな目で、アヤを見つめる。アヤは、慧斗の瞳を伺うように覗き込んでいる。
「アヤさんと連絡つかなくて、俺坂下さんに連絡したんです。そしたら、アヤさんの大切な人が亡くなったって聞かされました」
アヤの綺麗な目が大きく開かれた。慧斗の顔が反射するその瞳を、水分で包みこんだ。表面張力でギリギリを保ってはいるが、一度でも瞬きをすれば、雫が落ちてしまう。
それは慧斗が初めて見るアヤの表情だった。
慧斗はアヤについて知らなさすぎる。アヤの顔を見て、改めてそう思った。
「す、スミマセン、勝手に……」
「い、いえ、あの、良いんです。そっか坂下さんが……」
「したくないなら、無理強いはするつもりないです。でも、もし少しでも俺に話しても良いって思うなら、俺は聞きたいです」
アヤがカップを握りしめると、カフェオレが少し揺れた。その小さな波が収まるまで、二人の視線はカップの中に注がれた。
「坂下さんのいう通り、僕の大切な人は亡くなりました」
「大切な人……それは、家族の方ですか?」
そうであってほしいと思いながら、慧斗は口を挟んだ。
「いいえ、血のつながりはありません。でも彼は僕が好きで、僕も彼が好きでした」
「えっと……それは、恋人?」
この問いかけにも、アヤは小さく首を振る。
「僕たちの関係を現すのに、その表現は適切じゃないんです」
「好きで、大切だけど恋人でも家族でもない……?」
まるで禅問答でもされているかのようだ。
頭を悩ます慧斗を見て、アヤは再びカフェオレを見つめた。まだ一滴も飲まれていない乳白色の液体は、呼吸をする動きと連動じて、水面が揺れている。
「慧斗さんは凄いです。初めてお会いした時は、死にそうな顔をしてたのに……ホント、見違えるようです。部屋は綺麗になったし、お風呂も一人で入れる。お料理だって出来るし、バスケまで始めてしまう。最後には自分で会社まで作っちゃって……目に見えて成長していて、凄いです」
「え?あ、ありがとうございます。アヤさんにそう言われると嬉しいなあ」
突然の誉め言葉に頬を掻きつつも、アヤの言いたいことが分からず首を捻った。
「慧斗さんの成長を感じる度に、僕嬉しくて。未来があるって素敵だなって。――でも、少し苦しかったんです」
「それはどうしてですか?」
「彼には未来が無いって、慧斗さんを見る度に思い知らされました。会うたびに顔色が良くなって、明るくなって、前向きになっていく慧斗さん。彼はその真逆でした。会うたびに顔色は悪くなって、弱気になって。彼は僕にこう言い続けました『きっと私の事を忘れてしまう』って
」
カフェオレの中に一滴が落ち、丸い大きな波紋が出来た。
「アヤさん……」
一点を見つめ、止まらない涙を拭くこともしないアヤは、声を震わせ言葉を続けた。
「僕は彼に救われた。彼が全てだったんです。ゴミの捨て方も、彼に教わったんですよ僕」
「アヤさん、落ち着いて」
「僕の全部は彼だった!彼の望むように生きたし、彼の為に生きてきた。なのに、もういない。いないんです。僕は――僕はどうしたら良いんです?彼の指示で生きてきたのに。一緒に死ぬことも出来なかった。彼が僕に生きろって言うから!!死ねなくなったんです!」
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