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サワガニ
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「伊鳴ぃ、待ってや」
「歩幅お前のが長いやんけ」
後ろから文句を言いながらも早足で近づいてくる湊の姿を確認して、俺はエスカレーターへと足を乗せた。
とは言いつつ、端に寄って湊が追いつくのを待ってやる。湊は昔から俺の後ろを付いてきていた。
「もー!なんで先いくねん」
「チケット係のオネーサンに鼻の下伸ばしてたからほっといたっただけやん」
「なんやそれ!そんなんしてないし!」
高校の春休み期間の水族館は人でごった返していた。小学校中学校と遠足で来た水族館に、俺と湊は2人で訪れていた。
本当はもう1人の幼なじみである、森南(もりみなみ)と3人で来る予定だったのだが……。
「それにしても南のやつ、ほんまアホやなぁ」
「……せやなぁ」
「妹の風邪もろたんやろなぁ」
3人で来るはずだった水族館。立案者は南だったのだけれど、熱が出たと連絡があったのは湊と合流した後だった。
今のご時世のせいか、入館するには事前にEチケットを購入しなくてはならず、チケット代が勿体ないからと立案者不在ではあるが、俺たちは渋々入館することになった。
「湊と二人で水族館かぁ」
「なんや伊鳴、オレを独り占めやで?有り難がれや」
エスカレーターを降りてすぐ、湊が肩を組んできた。至近距離に湊の長いまつ毛があって、胸が苦しくなった。
花隈(はなくま)という苗字と明るめの髪の湊は、その可愛らしい顔の作りも相まって幼い頃から「こぐまちゃん」「テディ」なんてあだ名で呼ばれている。
今現在可愛いテディはサッカー部で大活躍。地方紙にも載ってしまう程、彼の愛称は有名になっている。学内外にファンもいるほどだ。
今ではそのタッパもあって、こぐまとは呼ばれなくなったが、高身長に甘いマスクは女子ウケが良いらしい。きゃーきゃーと黄色い声援を浴びている。
「お前かて、俺を独り占めやん?」
そう言って、湊の首に腕を回した。この距離感はまだ友達のはず。だから大丈夫だ。
「ほんまやなぁ。柔道部員に大人気、細い体で重量級を投げ飛ばす伊鳴と2人でなんて光栄やわー」
「投げてないわ。大外刈りやし」
肩を組みかえそうと湊の手が後ろに回った気配を感じて、ペシ、と頭を叩いた。そこまではあかん、近すぎる。
「そやっけ?」
「そやそや。さすがに投げんのはしんどいわ」
「伊鳴は変なとこ細かいからなぁ」
俺の事を伊鳴と呼び捨てるのは、幼馴染みである湊と南だけだ。
「湊がちゃんと覚えてないからやん」
湊を呼び捨てられるのも、俺と南だけ。それに僅かだが、優越感を感じていた。
「えー?伊鳴の事ならよーわかってるつもりやねんけどなぁ」
「何がやねん……!」
なんもわかっとらんくせによう言うわ。
悪態をつこうとしたが、言葉は続かなかった。横にいる湊がぽっかり口を開け、上を見上げるのが見えたからだ。
上だけでは無い、ドーム状の水槽通路は左右にも沢山の魚達が泳いでいた。
「……こんなんやったっけ?」
「覚えてるんより、凄いかも」
乗り気でなかった水族館への期待が高まったのは俺だけでは無いらしい。湊の瞳が子供のようにキラキラ輝いて、俺の腕を引いた。
「見てみて!カニ!カニ!」
湊がはしゃいでいるのはサワガニだ。そんな小さい蟹よりでかいカニの方が俺は好きだ。
だって美味しいし。
「小さいカニやん……そんなん川におるんちゃうん?」
「さすがにおらんやろ?あ!奥に隠れた!」
「おいおい!覗き込み過ぎんなって!」
「ご、ごめん……!」
柵から身を乗り出した湊を、後ろから抱きしめて俺は阻止した。
「子供も見とるし、真似したらあかんやろ?」
「その通りやな、すまん」
チラリと目線をやると、家族連れがカニを見ていた。四、五歳くらいの男の子が床にへばりついて奥に隠れたカニを見つめていて、それを両親が微笑ましく見守っている。
「湊もあんな風に見てたよなぁ」
「そやっけ?」
照れたように鼻を掻くのは、湊が誤魔化す時の癖だ。小学校の遠足でここに来た時、確かに男子数名はあの男の子のように床に張り付いていた。
先生に邪魔になるからと注意され、数人はすぐに立ち上がったけれど、湊は最後までへばりついていた。そんな湊の横に俺はずっと立っていたから良く覚えている。
「こんな小さい蟹の何がそんなにそそられるんやろなぁ」
「なんやろ、可愛いとこ?」
「それやったらカワウソとかアザラシちゃうん?」
「んー……なんかちょっと肉があるから、腹減ると言うか……」
「ええ……?」
食欲旺盛な運動部男子とはいえ、看過できない問題発言に眉を顰める。
「……そんなん言うけど伊鳴かて、かにしゃぶ食べたいとか思っとったやろ?」
「ぎくぅ!」
「ほらみぃ、お前のことはお見通しやねん」
甘いマスクに懐っこい笑顔で、地域の女子をメロメロにしている湊の頭ポンポンを、俺は能面のような顔で受け入れた。
心を無にしなくては、にやけてしまう。
「なんやねん、ちょっと俺より背ぇ伸びたからって……」
中学までは俺の方が背が高かったし、体格も良かった。湊はわりとちまっとひょろっとしていて、いつまでもこぐまちゃんだと思っていたのに。
俺の成長が緩やかになるタイミングで湊の成長期がきたらしい。あれよあれよという間に俺の背を抜かした湊の身長は、高校サッカーパンフレットによると178cmだ。しかもまだ伸びてる様子なのが腹が立つ。
「なんや小狐になったんが癇に障るか?」
「あほ!俺かて170はあんねん!何がこぎつねこんこんや!」
「そこまで言うてへんし……こぎつねこんこん?」
「……山の中ーって歌わすなあほ!」
俺のツッコミに、湊がぶはっと吹き出した。こいつがこんなふうに笑うのも、俺達の前だけだ。
高校に入ってからの湊は、なんかちょっとクールに見せようとしていて、幼なじみだというのに少し遠くなった気がしていたけれど、この笑顔を見れば杞憂だったのだろう。
湊と今まで通りの距離感で居られることが心地良くて、俺たちは次々と展示されている魚を見始めた。
「歩幅お前のが長いやんけ」
後ろから文句を言いながらも早足で近づいてくる湊の姿を確認して、俺はエスカレーターへと足を乗せた。
とは言いつつ、端に寄って湊が追いつくのを待ってやる。湊は昔から俺の後ろを付いてきていた。
「もー!なんで先いくねん」
「チケット係のオネーサンに鼻の下伸ばしてたからほっといたっただけやん」
「なんやそれ!そんなんしてないし!」
高校の春休み期間の水族館は人でごった返していた。小学校中学校と遠足で来た水族館に、俺と湊は2人で訪れていた。
本当はもう1人の幼なじみである、森南(もりみなみ)と3人で来る予定だったのだが……。
「それにしても南のやつ、ほんまアホやなぁ」
「……せやなぁ」
「妹の風邪もろたんやろなぁ」
3人で来るはずだった水族館。立案者は南だったのだけれど、熱が出たと連絡があったのは湊と合流した後だった。
今のご時世のせいか、入館するには事前にEチケットを購入しなくてはならず、チケット代が勿体ないからと立案者不在ではあるが、俺たちは渋々入館することになった。
「湊と二人で水族館かぁ」
「なんや伊鳴、オレを独り占めやで?有り難がれや」
エスカレーターを降りてすぐ、湊が肩を組んできた。至近距離に湊の長いまつ毛があって、胸が苦しくなった。
花隈(はなくま)という苗字と明るめの髪の湊は、その可愛らしい顔の作りも相まって幼い頃から「こぐまちゃん」「テディ」なんてあだ名で呼ばれている。
今現在可愛いテディはサッカー部で大活躍。地方紙にも載ってしまう程、彼の愛称は有名になっている。学内外にファンもいるほどだ。
今ではそのタッパもあって、こぐまとは呼ばれなくなったが、高身長に甘いマスクは女子ウケが良いらしい。きゃーきゃーと黄色い声援を浴びている。
「お前かて、俺を独り占めやん?」
そう言って、湊の首に腕を回した。この距離感はまだ友達のはず。だから大丈夫だ。
「ほんまやなぁ。柔道部員に大人気、細い体で重量級を投げ飛ばす伊鳴と2人でなんて光栄やわー」
「投げてないわ。大外刈りやし」
肩を組みかえそうと湊の手が後ろに回った気配を感じて、ペシ、と頭を叩いた。そこまではあかん、近すぎる。
「そやっけ?」
「そやそや。さすがに投げんのはしんどいわ」
「伊鳴は変なとこ細かいからなぁ」
俺の事を伊鳴と呼び捨てるのは、幼馴染みである湊と南だけだ。
「湊がちゃんと覚えてないからやん」
湊を呼び捨てられるのも、俺と南だけ。それに僅かだが、優越感を感じていた。
「えー?伊鳴の事ならよーわかってるつもりやねんけどなぁ」
「何がやねん……!」
なんもわかっとらんくせによう言うわ。
悪態をつこうとしたが、言葉は続かなかった。横にいる湊がぽっかり口を開け、上を見上げるのが見えたからだ。
上だけでは無い、ドーム状の水槽通路は左右にも沢山の魚達が泳いでいた。
「……こんなんやったっけ?」
「覚えてるんより、凄いかも」
乗り気でなかった水族館への期待が高まったのは俺だけでは無いらしい。湊の瞳が子供のようにキラキラ輝いて、俺の腕を引いた。
「見てみて!カニ!カニ!」
湊がはしゃいでいるのはサワガニだ。そんな小さい蟹よりでかいカニの方が俺は好きだ。
だって美味しいし。
「小さいカニやん……そんなん川におるんちゃうん?」
「さすがにおらんやろ?あ!奥に隠れた!」
「おいおい!覗き込み過ぎんなって!」
「ご、ごめん……!」
柵から身を乗り出した湊を、後ろから抱きしめて俺は阻止した。
「子供も見とるし、真似したらあかんやろ?」
「その通りやな、すまん」
チラリと目線をやると、家族連れがカニを見ていた。四、五歳くらいの男の子が床にへばりついて奥に隠れたカニを見つめていて、それを両親が微笑ましく見守っている。
「湊もあんな風に見てたよなぁ」
「そやっけ?」
照れたように鼻を掻くのは、湊が誤魔化す時の癖だ。小学校の遠足でここに来た時、確かに男子数名はあの男の子のように床に張り付いていた。
先生に邪魔になるからと注意され、数人はすぐに立ち上がったけれど、湊は最後までへばりついていた。そんな湊の横に俺はずっと立っていたから良く覚えている。
「こんな小さい蟹の何がそんなにそそられるんやろなぁ」
「なんやろ、可愛いとこ?」
「それやったらカワウソとかアザラシちゃうん?」
「んー……なんかちょっと肉があるから、腹減ると言うか……」
「ええ……?」
食欲旺盛な運動部男子とはいえ、看過できない問題発言に眉を顰める。
「……そんなん言うけど伊鳴かて、かにしゃぶ食べたいとか思っとったやろ?」
「ぎくぅ!」
「ほらみぃ、お前のことはお見通しやねん」
甘いマスクに懐っこい笑顔で、地域の女子をメロメロにしている湊の頭ポンポンを、俺は能面のような顔で受け入れた。
心を無にしなくては、にやけてしまう。
「なんやねん、ちょっと俺より背ぇ伸びたからって……」
中学までは俺の方が背が高かったし、体格も良かった。湊はわりとちまっとひょろっとしていて、いつまでもこぐまちゃんだと思っていたのに。
俺の成長が緩やかになるタイミングで湊の成長期がきたらしい。あれよあれよという間に俺の背を抜かした湊の身長は、高校サッカーパンフレットによると178cmだ。しかもまだ伸びてる様子なのが腹が立つ。
「なんや小狐になったんが癇に障るか?」
「あほ!俺かて170はあんねん!何がこぎつねこんこんや!」
「そこまで言うてへんし……こぎつねこんこん?」
「……山の中ーって歌わすなあほ!」
俺のツッコミに、湊がぶはっと吹き出した。こいつがこんなふうに笑うのも、俺達の前だけだ。
高校に入ってからの湊は、なんかちょっとクールに見せようとしていて、幼なじみだというのに少し遠くなった気がしていたけれど、この笑顔を見れば杞憂だったのだろう。
湊と今まで通りの距離感で居られることが心地良くて、俺たちは次々と展示されている魚を見始めた。
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