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ミューズの名

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「セーナーどうした?機嫌いいじゃん」

 プレイ用の荷物は、店の屋上に建てられたプレハブの中に置くよう決められている。出勤し、その部屋に入ったセナは気安く肩に触れられて振り向いた。そこには小型のスーツケースを転がした、背が小さく目が丸いベビーフェイスの少年が立っていた。この店の先輩の一人、ルカである。

「まあ……最近調子良いから」

「らしいな。初めての客が4日連続で来たんだって?すげー」

「5日目はセナが休みで、その後にまた三連続で来たよ。たまたまだけど、ラッキーだよね」

 キャスト同士の交流は少ない店だが、ルカは人懐っこく、キャストだけでなく、黒服や店長とも話しが出来る稀有な存在だった。個人情報に厳しいこの店では、他のキャストの情報はよっぽどじゃないと回らないはずだが、この件は黒服たちの間でも話題になったらしいからルカの耳にも入ったのだと思われた。

 セナの事も入店当初から気にかけてくれている、女の子のような見た目のわりに面倒見の良い男だ。

「カッコイイの?」

「んー……どっちかと言えば、可愛いかな」

「その後も来てる?」

「さすがに出勤日全部に来られるのも怖いから、週一に二時間来てって言っといた」

「うわー贅沢」

「だって毎日来られてもプレイ内容被るし」

「それ守ってるのそいつ?」

「まあまあかな。たまに破るけど、まあ……良い奴だよ」

「てか、先輩なんだから敬語使えよ!」

「だってルカ年下みたいに見えるし」

 少年というより最早美少女のような見た目をしたルカだが、信じられない事に正真正銘26歳らしい。可愛い見た目のわりには年功序列に厳しく、モラルやルールを遵守するタイプで、店の中ではちょっと目立つ存在だ。

 失礼なセナの態度にも、口では怒りつつケラケラ笑って答えてくれるルカは、ルックスが良いわりに指名客が少ないらしい。こうやって二人で話していても楽しいし、他のキャストと話をしているのを見てもコミュニケーション能力が劣っているとは思えないので指名が少ないのは不思議だ。だからと言って求められてもいないアドバイスをセナからするつもりは無かった。人の世話を出来るほどの余裕なんて、この店で働く人間の何割が持ち合わせているのだろうか。だからこそ、こうやって気に掛けてくるルカの存在は珍しいのだ。

 セナがここで働き始めて三か月が経つ。仕事内容に最初ぎょっとしたけれど、やっと仕事も軌道に乗って来たところだ。不思議なもので一人太い客がつくと、他の客からも指名が入るようになってくるらしい。『予約しないと遊べない』経験が男を駆り立てるというのは、店長の言葉だ。自分も男だけれど、他の男の男心なんて分からない。凌太がどうしてセナにハマって、毎週のように来てくれてるのかも分からない。それが、いつまで続くのかも、いつか飽きられるものなのかも分からないのだ。

「そういえば、この店って粘膜の接触禁止なのに、キスはだいたい皆してるのどうなの?」

「ああー……まあ、オレはしないけど、手っ取り早く人気出すためにはした方が良いって店長は言うよな」

「キスでも病気移るとおもうんだけど」

「まあ、粘膜同士禁止ってのは建前で、して貰えてラッキーって客に思わす為――くらいに考えとけば良いんじゃね?」

「そんなもん?」

 棚の上に乗せてある大きなスポーツバッグを引っ張りながら、セナは不服そうに肩を竦める。

「セナは結構キスするの?」

「ううん、なんか嫌だからあんまり」

「そっか。だよな」

 心なしか返事したルカの声に安心したような響きが混ざった。

「キスは、まあ……好きなやつとしたいよな」

「……こんな店で働いて、ルカって好きな人とか出来るの?」

 意外な乙女のような言葉に、思わず吹き出しそうになったが、怒られそうなのでなんとか堪える。こんな店で働いて、というのは男の欲情を曝け出されても対応せねばならず、醜い部分を見る事も多いからだ。女はドロドロしていると良く言うけれど、男だってドロドロしている。余りにも汚い部分を見すぎて、心の繊細な人は人間不信に陥ってしまうんじゃないだろうか。自分が精神的に図太くて良かったと、セナは常々感じていた。

「出来るよ。セナにもきっと出来るさ。頑張れよ」

「ってことはルカは好きな人いるってこと?」

「えーっと……そ、そろそろ部屋の準備しなきゃ怒られるから、オレ部屋に行くな!」

「もう!人には色々聞くわりに、自分の事は秘密にするんだからルカは」

「ハハ、また時間ある時にな!」

 ガラガラとスーツケースを引きずって、ルカは倉庫を出ていってしまった。

 好きな人、とルカに言われて頭に浮かんだ凌太の顔だった。先ほどルカと話題にしたせいかもしれないが、引っかかる。確かに凌太は見た目もわりとイケている部類に入るが、客とキャストなのに、付き合うなんてありえるのだろうか。

 セナが付き合えると思ったとしても、向こうからは金で割り切った性欲処理の相手としか見られていないかもしれないのに。相手の立場になって考えてみればみるほど、付き合うというのは現実的ではない気がしてくる。

 なんとなくため息が出て、どうして凌太が来ない日はこんなにも寂しく思うのだろうかと、暮れかけてきた夕陽を見て少し心がざわついてくる。

 荷物を取りに来た他のキャストの足音が近づいてきて我に返る。今日も数件予約が入っている事を思い出し、セナは慌てて今日のプレイルームへと向かっていった。

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