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Proving On 2

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 大会日程の初日、トーナメント3回戦、シードの竹下達にとってはこれが2回戦となる。静岡県代表が陣取っている観戦席では、矢留は下を向いてベンチに座っていた。

 彼は無表情ながらその目はギラついていた。彼は全中後の引退騒動の事を思い出していた。彼が出身の中学校の会議室で両親と笹原、吉岡、新貝を交えて話していた。自分はテニスから身を引きたい。その一心で話を始めた。全てを話し終わった後、新貝と吉岡は納得した。しかし彼の両親は違った。2人は頑なに反対し、矢留に強く当たった。

 “誠二!あんた!自分が何を言っているのかわかるの!?”

 “そうだぞ誠二!お前には才能がある!こうして協会を上げたプロジェクトに選ばれているんだ!それを投げ出してもいいと思っているのか!”

 “そうよ!誠二あんたの英才教育にいくらかかったと思っているの!”

 “それでも辞めたいというのか!テニスを!”

 “俺は...俺の身体ではもう!次のステージにはついていけない!”

 “では、高校まで続けてください。あなたとの契約はそれまでとしましょう。その代わり、今やめた時...ここできっちり違約金を払っていただきましょうか。そうですねぇ...我々の事業損失も考えて...。”


 彼の頭の中で笹原の言った残酷な言葉。思春期真っただ中の時分の心に深く突き刺さった大人の言葉。笹原の言葉に怒りに顔を歪める新貝と吉岡が印象に残っていた。

 彼にとって高校の部活はまるで刑務所の刑期を過ごすような悪夢と思えて仕方がなかった。どこへ行っても天才として担ぎ上げられた。自分の限界は自分がよく知っている。中学の3年間で彼の身体は確かに成長した。体力もついた。しかし、それでも埋まらないものがあった。


 人間は個々で違いはあるものの、生まれ持った筋肉量が決まっている。ボディビルの筋肉が大きく見えるのは、筋肉の量ではなく筋繊維の1本1本をトレーニングと栄養補給で太くしているからである。

 矢留誠二。身長167センチ。プレースタイルはボレーヤー、そしてドロップショットを軸とした戦略構築。本人は分かっていた。この先のステージで、小手先の技術が通用するのは小学生から中学生までであると。そして自身の体の成長が止まってしまったという事実。彼はもう自分が天才として第一線には立てないという事を悟っている。

 「.........。(小手先だけの技術では必ず限界が来る。トレーニングはした...でも筋肉は発達しなかった。俺の腕は細い、身長も無い...これと言って相手の意表を突けるような突飛な技量も無い。やっぱ、俺は才能なんて持っていないかった...俺はただの...早熟だ。)」


 「矢留君。次、竹下君とね。」
 「鉄子先輩...そうですね。」
 「彼、この半年弱でプレースタイルががらりと変わったわ。相当有意義な練習をしたのかもしれないわね...。」
 「でしょうね。彼、プレースタイルが守りから攻めに代わっている。」
 「気が付いてるわね。」
 「えぇ、友達ですから。」
 「...そう。」
 「鉄子先輩。いつもの頼みます。」
 「わかってるわよ。」

 桃谷が矢留の背中をポンと叩いた。

 「行って来なさい。」

 「はい。(おそらくこれが最後のインターハイ。俺はこの1戦が終わったら部活の第一線から退く。そして大会に出ず、緩やかにテニスを引退して辞める。これが俺に残された最後のルートだ。)」

 矢留はテニス場へと入ると、自分が試合を行うコートへと足を進める。コート横のベンチでは竹下がラケットバッグを置いて試合の準備をしていた。矢留の存在に気が付いた竹下は、爽やかな笑みを矢留へと向けた。

 「フフ、全県杯ぶりだね。」
 「あぁ。そうだね。竹下。」

 “...次は何をやりたいんだい?”

 “...本を読みふけるよ。安定した仕事にも就きたいと思ってる。ごく一般的な人間だからさ。”

 “フフ、それも自由だよ。でも、テニスから離れても俺達は友達さ。”


 「ベストオブ 8ゲームズプロセット 矢留 トゥ サービス! レディ! ナウ!」


 矢留がボールを持ってベースラインで待機していた。審判の試合開始コールが告げられる。矢留はトスを上げる。竹下はラケットを構える。彼はこの半年間でプレースタイルを大きく改変させた。その内の1つがベースラインでの立ち位置だった。

 「田覚さん...影村...。(俺がどこまで通用するのかはわからない。でもこのまま5人の天才の枠にとどまる訳にはいかない!)」

 竹下はこれまでの様にベースラインの後ろで平行に構えるのではなく、右足を一歩前に出し、クローズスタンス気味にレシーブの構えを取った。矢留がスピンサーブを放つ。速度は150キロ台だった。竹下はフォアハンド側へと打たれたサーブをウィンドミルスイングで高回転を掛け、高めにボールを打ち出し、ネット前に出てくる矢留を牽制する。

 矢留は竹下のボールの回転量が高いことを知っている。彼は無理してボールを打つのではなくロブボールを上げて前に出る機会をうかがう。竹下はボールを追う。そして高弾道のロブボールを打った矢留はラケットを構えながらネット前へと走った。竹下がストレートにボールを打つのではないかと予測した彼は、コート中央より右寄りのフォアハンド側へと配置を変える。

 「...。(来るフォアハンド...ネットの50センチ程度上...)」

 竹下が矢留の予測通りの位置へとバックハンドストロークを打つ。ボールの威力は、矢留が全中時代に対戦した当時の竹下のパワーと同程度だった。

 「......。(行ける。)」

 矢留はフォアハンドのブロックボレーを、竹下のがら空きになったフォアハンド側、ベースラインとサイドラインの交点いっぱいを狙う。竹下はわざと7割の力でバックハンドを打った。力に余裕が出たため次の予備動作を短縮できる。そして彼がボールを打った時点で足が浮いていた。ここで彼のスプリットステップが完了していた。矢留が竹下のバックハンドストロークをフォアハンドのブロックボレーで処理する。

 ボールは彼が狙った通り、竹下のいるコートのがら空きになったベースラインいっぱいへと飛んで行った。

 「........!(まさか...追い...つい...!)」

 竹下は既にボールがワンバウンドを始める場所の1メートル手前まで迫っていた。ボールが低く上がり、そのまま落ちて2バウンド目を迎えようとした時、竹下のラケットがボールを捉えた。

 竹下はそのままラケットを振り上げる様にスイングする。ボールはそのまま矢留がいないバックハンド側のサイドライン直上を飛んで行きベースラインの内側でバウンドし、そのままコート外へと走っていった。

 「0-15!」

 「キャー竹下くーん!」
 「ナイスフォアハンド!」
 「超爽やかぁ...!」

 矢留は表情を変えずにボールを拾う。そしてギラついた目を竹下に向けた。竹下は次のレシーブ位置で立っていた。矢留の表情が曇った。竹下が自分の予測した位置でボール待っている。

 「.........。(竹下...一体この半年で何があった。さっきのポイントゲームの時、お前は守りからカウンターショットを打った。1回戦の動画ではベースラインの内側でフォアハンドを打っていた。これまでのスタイルを捨ててまで進化したかったのか...いや...もしかして...開花しかかっている?。)」

 矢留は複雑な心境の中トスを上げる。

  “そうだぞ誠二!お前には才能がある!こうして協会を上げたプロジェクトに選ばれているんだ!それを投げ出してもいいと思っているのか!”

 「...。(いや、違う...俺は!)」

  “...本を読みふけるよ。安定した仕事にも就きたいと思ってる。ごく一般的な人間だからさ。”

 「......。(俺は...!)」

 矢留がサーブを打つ。球種はスライスサーブだった。サービスコート中央を狙って打たれたそれは、バウンド後竹下のフォアハンド側へと大きく曲がっていった。竹下はフォアハンド側へとボールを打つと予測していた。矢留が走り出す。竹下のフォアハンドがボールを擦り上げて矢留が走って来た位置を狙った。

 「........ッ!」

 矢留は竹下の打ったボールが、ネットの上を通過したところでグンと急速に下へと落ちていったところを見た。ボレーヤーの弱点である足元へのボール。矢留は膝を曲げてバックハンドのローボレーの態勢へと入る。

 「......クッ!」

 矢留は既に竹下が動き始めていることに気が付く。彼がいる位置よりも遠い場所へと撃ち込もうとしたローボレー。しかしそれは竹下に読まれていた。彼はネット前に落とされたボールに追いつき、下から上に振り上げるフォアハンドでボールを打つ。フォロースルーと共にそのまま走り去る。

 矢留はローボレーの処理に追われた直後で動けなかった。竹下は矢留のがら空きになったバックハンド側へとボールを打った。矢留のギラついた目が揺らぐ。

 
 “フフ、それも自由だよ。でも、テニスから離れても俺達は友達さ。”

 「......。(俺は...!)」

 “それでも辞めたいというのか!テニスを!”

 「......。(俺は...!)」

 “俺は...俺の身体はもう!次のステージにはついていけない!”

 「...おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!(俺は!)」

 矢留は走った。そして思いっきりジャンプする。まるでサッカーのゴールキーパーがシュートされたボールへ飛びつくようにジャンプしてラケットを出した。ラケットがボールに当たる。ゆっくりと流れる刹那の時間の中、矢留は上がり続けるボールを見上げる。

 「......。(あぁ、竹下...君だけだ...君だけだったよ...俺の一番の理解者は...君だったんだ...。)」

 矢留は倒れ込むとき、既に竹下が助走に入っている姿を視界にとらえる。竹下はそのまま飛び上がった。

 「......。」

 矢留は竹下がジャンピングスマッシュを決めるゆっくりとした時間の中、ふと全県杯の決勝戦生配信動画で見た、影村の大きな背中に描かれた波模様と、「海.」の文字を思い出した。

 “...うん。サーブ速かった。コースも読めなかった。彼のサーブを打つ時の体使いを見た時、無意識に綺麗って言っちゃったんだ。”

 「......。(竹下...挑むのか...海将に...。)」

 竹下のスマッシュが決まる。矢留は寝そべったままボールを見送る事しかできなかった。

 「0-30!」

 矢留は立ち上がってオムニコートの砂を払った。竹下の方を見る矢留、竹下は矢留に爽やかな表情を向ける。矢留はもう自分が何の為にコートに立っているのかもわからなくなっていた。桃谷達静岡県代表達が矢留の試合を一言も発することなく見守る。

 “...俺。高校終わったらテニス引退します。”

 桃谷は全県杯で八神に敗退した矢留がタオルを頭に被せて下を向いている姿を思い出す。そして眼鏡の下で、一粒の涙を流す。

 「....矢留君。(そう、それがあなたの選択なのね。わかったわ。わかったけど...。)」

 観客席から試合を見る桃谷。ボールへ食いつくように飛びついた矢留の姿を見て、それが彼のテニスという競技に対する最後の残り火だと悟った。


 矢留がトスを上げる。コートの外側を狙ったスライスサーブ。スピードはないが、回転量の多いそれはバウンド後の動作を狙ってのものだった。バウンドしたボールが急激に曲がって、竹下をフォアハンドを狙い、彼をコートの外側へと追い出す。矢留はすぐさまネット前へと走った。矢留は竹下がコートの外へと追い出された際、彼が打ち込んで来るであろうコースの予測をした。

 「......。(外へと出た。この場合ストレートは無い。クロス...俺のフォアハンド側へと打つかロブだ。)」

 竹下は矢留の予測通りフォアハンドの態勢に入り、クロス側へボールを打とうとラケットを振り上げる。竹下の脚と腕の筋力がフルに活かされ、それに腰の回転が乗った。全力で打たれたボールは矢留の予測通り、自分のクロス側へと放たれた。矢留は竹下が全力のフォアハンドストロークを打込む顔と、影村が初撃のサーブを打った時の顔が重なり、思わず肩に力が入った。


 矢留は左足を右足の外側へと踏み出し、ボールに対して壁を作る様に体勢を作る。そしてそのままラケットをボールへ合わせる様にフォアハンドのブロックボレーを当てる。

 「......!?」

 矢留はラケットにボールが当たった瞬間手に猛烈な反発力が発生した事に気が付く。その威力に手からラケットグリップが外れ、ラケットがすっぽ抜けた状態となる。ボールはそのまま矢留の後ろでバウンドしていった。矢留のラケットがコートの上にカランと乾いた音を立てて落ちた。

 「0-40」 

 「.........。(え...何...今の...まるで...海将。)」

 桃谷は手を口で塞いで動揺する。試合を見ていた佐藤も同じく竹下のボールに驚く。矢留のラケットを弾き飛ばした竹下のフォアハンド。1,800RPM台という回転数。それは最早世界で活躍するトップスピン系のプロ選手並みの強烈なフォアハンドだった。矢留は黙ってラケットを拾う。

 「.......。(あぁ...竹下...君は、本当に挑むんだね。世界へ。)」

 「矢留...。」

 「...竹下。」

 竹下は矢留の顔を見て動きを止める。中学3年生の全中最後の試合以降、大衆の前では決して笑わなかったであろう矢留が俯いた無表情からは、まるで初めて竹下と出会った時のような、何処までも純粋無垢なテニス少年の顔へと変わっていた。

 その後、試合は一気に竹下が優勢となり、ストローク戦でも矢留をコートの後ろへと追いやる攻めのストロークを展開する。矢留はが全く前に出る事を許されない状況で試合が進んでいき、あっという間にゲームが終わっていった。しかし、矢留も意地を見せ、ドロップショットを織り交ぜる戦略でゲームを取るなど健闘した。

 「ゲームセット マッチ ウォン バイ 竹下! 8-3! 」

 竹下の完全勝利で試合は幕を閉じた。ボレーヤーである矢留が、ボレーを封殺されての敗北。しかし、矢留の顔は悔しがるどころかとても清々しかった。

 「...次は海将とだね。」
 「フフ、全力でやるよ。」

 竹下と矢留が中央で握手をする。観客席からは拍手と黄色い声援が飛んでいた。矢留は荷物を仕舞い、ラケットバッグを背負う。竹下も同じくラケットバッグを背負うと、まるで純粋に友達と話す様に2人でコートを後にして歩き始めた。

 「竹下、全力でどこまで耐えられるか...じゃない?」
 「...フフ、ハハハッ!」
 「ハッハッハッハッハ!」
 「あー...行こうか。矢留。」
 「あぁ。竹下。短いテニス人生だったけど、君が俺の最後の相手でよかったよ。」
 「フフ、何を言うんだい。大人になっても続けられるだろ?趣味で。」
 「そうだな。俺はもう偽りの天才という縛りから解放されるんだ。」
 「何かあったのかい?」
 「...親に動画を見せたんだ。全県杯の...海将の試合。」
 「...どうだった?」
 「無言のまま俺の出発を見送ったよ。」
 「フフ、そうなるだろうね。八神の言う通りだ。俺達は挑戦者に戻ったんだ。」
 「本当にそうだな。海将によろしく伝えといてよ。」
 「フフ、俺は影村にも勝つよ。」
 「それはもっともっと先の未来の出来事かな?」
 「フフ、そうかもしれないね。本当に楽しみだ。」

 コートのアウトサイドで本当の友達に見せる笑顔で竹下と話をする矢留を見て、桃谷はハンカチで眼鏡の下の涙を拭いた。清代他数名の2年生部員達は、ただただ黙って卒業生を見送る様に矢留に向かって拍手を送った。
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