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Prologue 2

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 ランチタイム終了間際の笹林亭。

 田覚の話に聞き入っている4人の高校生達。海生代高校男子テニス部の黄金時代の突入に、最も胸を躍らせたのは陣内だった。田覚は杏露酒を片手に話を進めていく。

 「海生代とあの釜谷南、それに八王子殿村学院の高等部...今聞いてもあり得ない話だよな。」
 「あぁ、陣内...今の俺達じゃ考えられねぇよ。昔から強豪校だったろ、その2校。」

 「...俺鳥肌立ってきた。全試合6-0を2セットからの1ポイントも落としてないとかどんだけ化け物なんだ。」

 「えぇ...確かにすごいです。でもおかしいです。天才相手に圧倒的すぎます。あぁ、もしかして...」

 影村の強烈な強さに疑問を持ったマネージャーの小原は、田覚に話を盛っていないかと疑いの目を向ける。しかし田覚は即答する。

 「いや、疑うのも無理はねぇ。だが話を盛るつもりはねえ。普通に考えたらあり得ねぇよ。1ポイントも落とさないとか。俺もそう思った。だが、あいつは伝説のスパルタコーチ、ハリー・グラスマンの最後の傑作と言われている。恐らくスイスに渡った約7年間でみっちり扱かれたんだろうよ。」

 「...ハリー・グラスマン?」

 「あぁ、お前達、元歴代世界ランク1位の選手を知っているか?そのほとんどの選手に、どこかでハリーのコーチングが関わっているのさ。」

 「...!」

 田覚は杏露酒を一口飲んだ。そして天井を眺めながら影村の生い立ちについて話始めた。

 「5人の天才は作られた天才。しかし龍谷と竹下は本当に才を持っていた。影村...あれはマジもんの天才だった。しかし大人達がそれを認めなかった...それにあいつは幼少期、この国で開催されたU-12の予選でP.T.S.Dを患ったんだ。」

 「...え?」

 「心的外傷後ストレス障害...過度なトラウマの原因が引き金となって発症する病気。戦場で戦った元兵士、苛烈ないじめによって苦しんだ人間に多く発症する...あいつは...影村は小学生でそれを発症した。幸いにもあいつは親の仕事の都合でスイスへと旅立った。さっきテレビで吉岡が言っていたよな。」

 「はい、とあるサークルに入ったと。そこには世界ランク上位選手達がいたとか。」

 「そうだ小原。あいつは才能を持っていた、小学生の低学年で大人をも打ち負かすパワーのフォアハンド、そして全身の体の柔軟性、人よりも量の多い力強く、それでいて柔らかくて太いインナーマッスル。それにいち早く気が付いたのはハリー・グラスマンだ。」

 「...それじゃあ、天才達が彼のサーブを取れなかったのは...。」

 「そうだ...今考えると改めて恐ろしい。あいつはその身体の柔軟性、特に肩の可動域の異常な広さ...打ち出す寸前に肩甲骨の角度を変え、空中に飛び出す際、任意の方向へと重心を曲げる事によって、鞭のように腕をしならせる。それによってボールを捉える面を変えることができた。故に相手はサーブが取れない。極端なクローズスタンスによって目隠しされて読めないボールが更に読めなくなる。読んで正解したとしてもそれに気が付かれれば変えられる。相手は疑心暗鬼に陥って動きを止める。ボールはそいつの目の前を通過する。」

 「.......!!」

 陣内は田覚の言葉を頭の中で再現した。それは彼にとっては新しい発見であり、そして一切真似できないであろう芸当だった。彼は全身という全身に寒気が走り、箸を持つ手を震わせた。

 「それじゃあ、初代海将は...ラケットをスイングする直前で、球種とコースを変えられるって事すか!?」
 「陣内...その通りだ。」
 「......ぉいマジかよ。」
 「...信じられない。」

 陣内の予測を田覚は否定しなかった。その状況に小原と残り2人の部員の背中にも寒気が走った。小原は海将影村の恐ろしい才能と天から授かった能力に只々驚く。

 「まぁ、まだ引出し山ほど持ってるんだが、あいつの試合を見ればそれは一目瞭然だ。日本の学生テニス界にトッププロが遊びに来たようなもんだった。ローマンやジャック、アンディやマルコスも自国に帰れば同じ状況だったと聞く。地獄のような練習量と密度、賞金のあるガチの試合へ有無を言わさずに強制参加させられ、戻ったら苛烈なトレーニング。そんな毎日を送っていたんだ...あいつら5人は世界各国の才能ある連中よりも優勝した大会の回数、獲得賞金、打ったボールの数、走った距離の長さ、トレーニングで錘を上下に動かした回数から何から何までが圧倒的に多い。」

 「...才能は一つじゃないのか。」

 「そうだ陣内。天才と努力...普通はどちらが上だろうと考える...だが奴ら5人がハリーから受けた教育は違う。そんなことを考えている暇があったら数をやれ、試合だろうがなんだろうが毎日が競争だ。まず動け、本能のままに能動的に無意識にそれを熟せ...ただ己が機械であるが如く...全てを高水準で回し尽くせ。ハリー仕込みの教育だ。」

 田覚から聞いたハリー・グラスマンの教育方針。近い将来ファイブナンバーズと呼ばれる5人の過去を聞けた事に小原達は心躍った。

 「海生代の黄金時代...一体彼らはどんな活躍をしたのですか?」

 「まぁ、小原。慌てるな...奴らは全県杯の後、毎月強豪校と練習試合に明け暮れた。いつしかコーチの俺もそれに参加することになっていた。あ、ちゃんと影村から裏でこっそりもらってたから気にするな。ボランティアじゃない。」

 「...ははっ。(抜かりねぇな、初代海将。)」

 陣内は影村が自分のいる学校が強豪校になった後も律儀に賞金を稼ぎ続け、その中から田覚への支払いをきちんと行っていたことに呆れた笑いを浮かべ尊敬した。

 「...釜谷南や殿村との合同練習...海生代高校がやっている練習を見た途端、2校の連中は顔を引き攣らせていたのは覚えている。それだけ苛烈に見えたそうだ。実際、影村が小学生の時に実施してた練習内容だったらしいが、ありゃぁ大人達でも倒れる程のものだ。結局練習試合は海生代が圧勝、ダブルスは釜谷南が本職にしてたから少し善戦したらしいがな。」

 「その後はどうなったんですか?」

 「あぁ、その後も大阪の長谷部鴻東寺、石川の北陸北見沢東、神戸の神戸松榮、宮城の仙台宮岩、四国の東徳島学院、栃木の川之島、群馬の馬淵坂下...その他強豪校らから練習試合の申し込みが殺到して、峰沢さんを困らせてたっけか。」

 「海将は全部の試合を?」

 「奴は各校の主戦力メンバーと1戦やって終わっていた。後は練習、指導、裏方に回っていたな。あいつは毎週末に山瀬の兄がいた東越大のメンバー達、そして噂を聞き付けたジャパンオープンに参戦するプロ選手を相手にヒッティングパートナーのバイトをしてそれを練習としていたようだ。」

 「マジすか...。」
 「海将って化け物ね。」
 「あぁ、もう俺達の常識が吹き飛んじまいそうだ。」
 「いったいどんな教育を受けたらああなるんだ。」

 笹林亭の店主が暖簾を片付けていた。ランチタイムが終わったようだ。田覚は店主の方を見た。店主は彼に笑顔で手を向けて手首をプラプラさせてまるで気にするな、ゆっくり話してろと言いたげな表情だった。

 「...お前達、時間は?練習はいいのか?」
 「今日はもう帰りなんです。最近の土日は午前中しかコート借りられなくて。」
 「そうか。俺も今日は休みだからな。あ、話してくれと言ったのはそっちだからな。」
 「付き合いますよ田覚さん。」
 「お、陣内調子がいいな。」

 田覚は空になった杏露酒の入っていたグラスをカウンター上部へと置いた。店主は酔い覚ましにと彼に柿のスライスを出し、いつも店に来てくれる学生達に感謝の意を表したのか、彼らにもそれを出した。

 「ホレ、これいつもありがとうのサービスネ。」

 「お、店主ありがと。」
 「あざーっす!」
 「ありがとうございます!」
 「ありがとうっす!」
 「ありがとう!」 
 「夜の準備と仕込みしながら話聞いてるヨ。」
 「あぁ、すまねぇ店主。」

 店主は油落としの洗剤が付いた布で、海生代高校の男子テニス部員達が映っているであろう写真が入った額縁を取外し、それを拭ったあと元の位置へと戻す。田覚は海生代高校の面々らが写った写真に目を通す。影村と竹下のにこやかな顔を見てフッと笑うと柿をかじりながらまた語り始めた。

 「数々の練習試合を熟してきた海生代の連中が満を持して次のインターハイに挑む。今度は竹下、高峰、山瀬だけでなく影村が参戦することになる。全県杯で優勝したのに、何故かあいつは大小各県大会ドローのシード選手ではなかった。何か裏があったんだな。」

 「...何かあったんですか!?」

 「当時変だとは思ったが、俺達はそれに気が付かなかった。まぁ、あいつはウォーミングアップのようなペースで予選の全ての試合を圧倒的な強さで終わらせ、そそくさと県大会の場へ出場した。県大会も1回戦から全く危なげも無く、全て6-0・6-0で相手を叩き潰した。影村はもうノリに乗っていた。全県杯でチームメイトだった3年生の横田兄弟の一人、徹との試合も全く寄せ付けずだった。」

 影村の強さは全県杯で、そして数々の練習試合で全国の猛者達へ瞬く間に知れ渡った。海生代高校男子テニス部主将。略称 “海将” と呼ばれたその少年が背負う海生代の部活動ジャージ。

 酒井がデザインし、千明らがそれを具現化した最高傑作である「海.」の文字を見た途端、試合会場の選手達がその姿をまるでゴジラでも現れたかのように凝視し絶望した。この時期、海生代に入ってきた次世代の戦力も錚々たる面子で、高校生にして賞金の出る草トーナメントで優勝賞金、準優勝賞金を狙えるほどの実力者が4名程いたそうだ。

 「他の学校の連中には同情するわ...もし俺が学生でもお前らが着てるジャージ見たら絶望するわってレベルだったしな。それだけあの世代の連中が異常だったんだ。集団で歩かれてみろ、たちまちヒソヒソ声でヤベー奴ら呼ばわりだ。」

 「調子に乗ってたんですね。」
 「いいや小原、決してそうでもない。」
 「そうなんですか?」

 「あぁ、影村の背中を見た連中は皆無意識に真剣な表情になって言葉を発さず寡黙になった。なんだろうな。場がピリッと締まったんだろうな。竹下もいるし、そして何より、影村のハリー・グラスマン式スパルタ教育の甲斐もあったのかもしれねぇ。」

 「...それってまさか。」

 「あ、あぁ。そのまさかだ。影村がやってる練習で只々雑念を捨てろ、試合終了の1ポイントまで徹底して調子に乗るな。常に俯瞰して、次の手段を考えろと無意識のうちにそれが染み込む様に叩き込まれるからな。よく訓練されてたんだよ。まぁ、クール系男子が好きなお嬢様層には人気があったかもな。」

 「...なるほど。陣内。私達、明日からクール系男子テニス部になるわよ。」
 「いや、部員13人いるんだぞ。どうやって統制取んだよ。」
 「そ、そこは...田覚さんにハリー・グラスマン式の練習を...」
 「死人が出るぞ。」
 「はっはっは...まぁ、あながちそう言えるかもな。」

 田覚は小原と陣内が会話している所を見る。彼から見た2人はどこか竹下と佐藤のやり取りみたいで微笑ましかった。酔い覚ましに水を飲みながら柿をムシャムシャと食べ始める。咀嚼してそれを飲み見込むと、カウンターから椅子へと座って続きを話し始める。

 田覚から影村と竹下の後輩達へ。Proving On2では、圧倒的強さで進撃を開始した海生代高校の黄金期。2年生になったメンバー達がインターハイ本戦開会式に参加する場面から物語が語られる事となる。
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