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Proving On

chronicle.37

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 影村の打込んだサーブが全国の一般市民に与えた衝撃は大きなものだった。テニスを知らない学生達がその生放送を見て興奮し、その当時幼少期であったテニス少年達へ憧れを抱かせた。テニスが趣味の社会人達は見逃し放送で後の彼の活躍を期待し、テニス関係者達の中では日本テニス界脱氷河期の兆しとも言われた。

 「...なんでしょう今のは!?」
 「ハッハッハッハッハ!」
 「いったい何が起きたのでしょうか...速度計...146マイルパーアワーです。」
 「これ1.609をかけるとキロになるんですよ。」

 吉岡の言葉を聞いたタゴザエモンが、視聴者のコメントからキロ換算された速度を見つける。

 「にひゃ、235キロ!?ハッハッハッハッハッハ!」

 影村の出鱈目な速さのサーブに吉岡が思わず笑ってしまった。そして実況のタゴザエモンも思わず笑ってしまった。動画に流れるコメント蘭が「はえぇぇぇ!」や「草」や「w」など世代を超えた笑いと驚きの列で埋め尽くされた。

 「よ、吉...吉岡さんこの...この速度は。」
 「いやぁ、これもう日本人離れしてますよ。」
 「あーっと八神選手、これはもう取れんだろうと言わんばかりに腰に手を当てて影村選手を見て笑ってます。影村選手、淡々と次のサービス位置へ移動しています。」
 「彼にとっては日常ですからねぇ。速いサーブを打つ人は自分から見るとボールがよく見えますから、若干遅く見えると思いますよ。」
 「間髪入れずに影村選手がポイントを取りました。」

 日本人界隈では見ない速度が出て興奮する観客を余所に、それを日常的に見ている主審は冷静に周りを見てマイクに口を近づけた。

 「Quiet please. Resuming the game.静かに。ゲームを再開します。 Thank you.」

 審判が影村にサーブを打つように視線を送る。八神がラケットを構えた。審判の言葉通り観客席が静まり返るあたり、日本の国民性が窺える。影村がルーティンを終えてベースラインの後ろでラケットを構える。八神は体の重心を左右に揺らして体が硬直しないようにしていた。

 「......(2球目...。)」

 八神は影村がトスを上げる姿を確認する。鹿子テニスフェス同様影村は同じ位置、同じルーティン、同じトス、同じ体使いでサーブを打ち込もうとする。

 「.........。(勝負はあいつがサーブを撃ち出すまでのほんの一瞬。)」

 影村のラケットが振り上げられようとした手前、八神がスプリットステップを行った。

 「......!!(見えた!フォアハンドサイド!スライス!来る!)」

 八神は影村のかすかな体の傾きを見てコースと球種の予測を立てた。その予測は外れではなかった。彼がサーブを撃ち出すためラケットを振り上げる直前までは。

 「.........。」

 影村はラケットを振り上げる刹那、八神が自分が打とうとした場所に移動を始めている事に気が付く。影村の肩甲骨周囲が少しだけ隆起する。そして強靭な体幹部を空中で捻り、まるでスイングの軌道を変えるかのようにラケットを振り上げる。ラケットは影村から向かってボール正面へと当たった。

 「.......!!」

 ボールは八神が予想した方向とは逆となるバックハンドサイドへとバウンドし、そのままコート外側へと逃げていった。速度は190キロ程度まで落ちたフラットサーブだった。

 「30-0」

 「.........。(お、おい...影村おまえ...今何しやがった...。)」

 「.......フッ。」

 八神は動揺し、影村は静かに笑った。自分にコースと球種の変更を選ばせるまでに成長した八神の姿を見て喜んだ。八神は一体何が起きたのか全く分かっていなかった。

 「...。(逆を突かれた...あーもう!すっげぇ!最高だ海将!)」

 ただでさえ一瞬を見逃せばサービスエースを取られかねない影村のサーブ。恐らく拾えたとしても高威力に弾かれるのだろう。八神はもうワクワクと彼への畏怖が止まらなかった。

 「今のサーブは威力が落ちましたがこれはどういう事でしょうか。」

 「...これはちょっと私でもわかりませんよ。恐らく、恐らくでしょうが、空中姿勢を無理矢理変えて別の場所にサーブを打ったんでしょうね。絶対真似できないし、してはいけないやり方ですね。普通だったら肩壊しますよ。」

 「それだけ影村選手の身体が超人的という事ですね。八神選手が今上を向いて笑顔で深呼吸しました。我々の予想をのはるか先を行く海生代高校、海将の異名は伊達ではありません影村選手。」

 影村は肩をグルグル回し、まるで肩の可動域を調整するようにストレッチを行った。静岡県で動画を見ている桃谷は佐原の隣で影村のサーブを見て、携帯端末を持っている手を震わせる。

 「影村君...貴方...一体何者なの?」
 「鉄子ちゃんどうしたの?確かにサービスエースとったけれど、スピード遅いよ?」
 「...いえ、佐原さん。彼、今八神君の予測した位置とは真逆の方向へサーブを打ったのよ。」
 「...え?」
 「...物理的に不可能よ。いったいどうやって...。(あぁ、もう!どうして学校の授業が終わってすぐの時間に試合が始まったのよ!何も準備できないじゃない!)」

 「...っていう事はさ、鉄子ちゃん。海将君は八神君の動くところを、トスを上げてラケットを振る間の一瞬で見て判断したってこと?」

 「...そうなるわ。彼の取れないサーブ...謎は深まるばかりよ...。」

 佐原は桃谷の言葉を聞いて固まった。桃谷はメガネを曇らせて端末の画面を見る。そして学校でなければ「録画してでも解明しようと思ったのに」と心の中で悔しがった。

 影村がトスを上げる。八神が一瞬を見逃すまいと驚異的な集中力を発揮する。目は瞬きを忘れ、眼は潤いを保とうとする機能を止める。彼がラケットを振り上げる。この瞬間だけが彼に対抗できる策へと続く唯一の瞬間だった。

 「......。(来る!バックハンド!)」


 影村がファーストサーブを打つも、それは八神が予測したバックハンドのスライスではなく、フォアハンド側へのフラットサーブだった。

 「40-0」

 「......。(どうなってるんだ...さっきみたいな変な動きはしていないぞ。読み違えた?...いいや、違うな。そう簡単には取らせてはくれねぇよな。海将...。)」

 影村のサーブの球種とコースの予測を外す八神。観客席では高峰が影村のサーブを見てその動きを研究しようとしていた。あわよくば自分の試合で意表を突くために再現しようと企んだようだ。

 「.........。(構えは小さく、モーションは大きく...体は膝と上半身のねじれ...それでいて肘を背中いっぱいに...いっぱい...いや、あいつの肘、背骨の真中まで食い込んでる...!)」

 高峰は自分の肘を背中へ持って行こうとするが、肩甲骨の内側にある筋肉と筋という筋がすぐに痛みという危険信号を出し、すぐさま本能的に動作を止めに掛かった。高峰はこの時、彼のサーブは、彼にしかできない唯一無二の代物なのだと理解する。新貝もそれに気がついていたようだった。彼は最初の1球目で影村のサーブがトッププロと同じかそれ以上になにか洗練されたものだと判断した。

 「......影村ッチ、一体どんだけすげぇ身体してる訳?イテテテ...」
 「君も気が付いたか。」
 「肘が背骨の真中まで食い込んでます。」
 「あの全身の柔軟性が...そのバネが、彼の高威力のサーブを支えている。それに彼のサーブは...」

 「っすね。ただ力任せで速いっていうそれじゃない...全く実力はお察しすけど...身内でも引くわ...あのサーブ...わかればわかる程相手にとっちゃ絶望じゃん。」

 「そうだな...影村君のあのサーブは速いだけじゃない。フォーム、トスの位置、極端なクローズスタンス...サービスまでのルーティン...そのどれもが全部同じ。そして彼の一瞬の判断力と相手の行動を読む心理的要素の読みの強さ...彼のサーブには、戦術と戦略が組み込まれている。だから取れない。」

 「...だとしたらいよいよ八神ッチが追い込まれるっす。」

 「あぁ、そうだな。(だが、2球目のサーブは一体...振りだしでコースを変えた?しかしそんなことが可能なのか?)」

 高峰は新貝の言葉を聞いて興奮に手が震える。一方、龍谷達は影村の2球目のサーブがどうなっているのかがわからない状況で何か話していた。

 「龍谷、あいつ2球目とんでもない事ばしよった。」
 「あぁ、振り出しでコース替えよったな。八神の顔見てわかる。あいつのサーブはどうなっとるんじゃ。」
 「宰ちゃん。もしかしたら海将ちゃんの筋肉...触ったら柔らかいじゃなかろかねぇ。」

 「あのクローズであれだけのボールば打てる瞬発力の塊...ありゃぁマジもんの怪物じゃけえ。来年のインターハイば楽しみじゃ。」

 龍谷が影村のサーブを見て、来年のインターハイが楽しみだと言った時、堀部は彼の喜々と狂気の入り混じった笑みを浮かべた姿に一歩引き気味だった。八神の応援をしている女子高生達が影村のサービスルーティン中に叫ぶ。彼女達は女性の勘とでもいうのか、影村のサーブを見て八神のメンタルに何か悪いことが起きそうだと胸騒ぎを覚えたのだろう。

 「八神くーん!」
 「コース読めるよ!八神くーん!」
 「ファイトー!」
 「ガンバッテ――!」

 不安と心配の入り混じった表情を浮かべる彼女達が影村のサービスの構えを見て声を止める。影村のトスが上がる。八神は影村のサービスを読み取ろうと必死に集中する。

 「.........。(......センターか...アウトコースか...フラットか、スライスか...今までの試合であいつが打ってきたファーストサーブはフラットかスライスのどちらかだ...この局面、フラットの可能性があるな...。)」

 影村は体の曲げから力を解き放ちファーストサーブを打ち込む。コート中にまるで壁を鞭で叩いたかのような音が聞こえる。影村の打ったコンマ数秒後、ボールがネットの白帯に直撃した。ボールはそのまま直角に落ちた。しかし、観客達が驚きと絶望を見たのはその後だった。

 「白帯が...あんな大きく上下だと...。」
 「っそだろ...どんだけ威力あんだよ。...」
 「めっちゃ揺れたぞ...ボールボーイがシングルスポール直すとかどんだけだよ。」
 「で、でもセカンドサーブが...ファーストよりもスピードが落ちるはずだ。」
 「あぁ、八神のチャンスだな。」

 強豪校の観戦者達は影村のフラットサーブの威力を見て動揺し、八神が影村のファーストサーブが入らなかったことに安堵する。セカンドサーブは落とせば相手にポイントが入る。所謂ダブルフォールトである。大体の選手はここでスライス、スピン、キックといったサーブを打ち、ストローク戦を展開する。影村はポケットからボールを取り出してラケットでそれを突きながらサービスの位置まで戻る。

 東越大では影村の試合を見ているテニス部メンバー達の姿があった。

 「お、影の奴外したな。この国内で初めてお披露目じゃねぇの?」
 「フフフフ、そうだね森野。影ちゃんがファースト外すのなんて珍しいや。」
 「で、八神は少し安堵してるんじゃね?」

 「...通常はそこで速度を犠牲にしてスライスなどの変化球を入れて戦術とゲームを構築するんだ。トッププロの世界だと、生半可なボールを打っちゃったら即リターンエースだね...フフッ。」

 「でも、影のサーブ...一番怖いのは...。」
 「フフフフ、それはこれから会場中の皆が体験するんじゃないかな?」

 影村がラケットを構えてファーストサーブ同様に同じ位置、同じフォームで変わらずの様子だった。影村のラケットを振り上げる動作を見た東越大の敏孝が、森野が、そして海外でパソコンの画面越しに彼の試合を見る、今はまだ見ぬであろう怪物2名がほくそ笑む。

 「......。(セカンドサーブ...来る!スライス!バックハンド!)」

 八神は影村のセカンドサーブを読む。スプリットステップによりバックハンド側へと飛び出す。影村がラケットを振り上げる。トスされたボールの左側を狙ってラケットのスイートスポットが直撃し、そしてそのままラケットは振り降ろされる。影村の打ち込んだサーブは八神の予想した通り、彼のバックハンド側へと撃ち込まれた。ボールの速度は180キロ台後半だった。

 「..........!!!(やはり速度を落としたか!飛びつけば取れる!ストローク戦に!)」

 八神は相手がスライスサーブを打つだろうと見込んでラケットを振った。ボールは回転によってバウンド後、彼が計算して振り出したラケットを無視して、どんどんと遠ざかっていく。そしてボールはラケットの旋回範囲を逸脱してコートの外側へと逃げていった。

 「フフフ...ハッハッハッハッハ!」

 東越大から試合中継を見ていた敏孝があくどそうに笑う。森野はやれやれといった表情で敏孝を見る。日本のテニス界の常識を全否定して破壊していく。そんな影村の姿を見た海外にいる怪物2人が喜々として公式戦に出て来た彼の姿を見て手放しで喜んで大笑いした。

 「ハリー!ヨシタカに何かやったなぁ!ハハッ!HAHA!クリス!よくやったぞ!おいジャック見たか!早く対戦してぇよ!ヨシタカ!HAHAHAHA!」

 「お前の親友やるじゃねぇか!よっしゃ!全部叩き壊して早く上がってこいヨシタカ!HAHA!」

 新貝と高峰は手を震わせた。噂には聞いていたが、それを実現できる選手はこの国にいない。しかしそれを実現させてしまう影村。謎の多い取れないサーブ、明らかに常識を超えたパワーとスタミナ、そして物静かな性格からくる相手に表情を読み取らせないポーカーフェース。

 「フゥゥゥ...。(どうする...天才...)」

 その全てがある上で、この世界の日本国内で机上の空論と言われ、公式戦で実践できるものが誰一人いなかったサーブを行えるだけの技量の引き出し。

 「...そんなことできんのかよ。」
 「......。」
 「.........。」

 ここにいる誰もが言葉を出せなかった。そして全国にいるこの試合中継を見ている強豪校の選手達へ、「今まで使った選手がいなかったのではないか」という不確か且つ不自然ではあるが、「実際にそれが成された」という、ある一種の証明染みたものを見せつけられる一方的な情報を提示され、そしてその情報が彼らの頭脳の内にインプットされているであろう、日々の練習で培われてきたこれまでのテニスの常識に大きなひび割れを生じさせる。

 「リバース...サーブ...だと...できるのか...そんなことが...。」

 八神は影村を見て立ち尽くした。

 「Game Yoshitaka,  Yoshitaka leads,2-0. 」

 審判が影村のサービスゲームキープを告げる。影村の試合を会社の端末から見ていた笹原は、あまりの衝撃に立ったまま黙り込み、こぶしを握った手を震わせ、さらに目に入れたくもなかった情報を強制的に見せつけられたためか悔しさに口元を震わせた。
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