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Proving On
chronicle.20
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千葉県代表勢のテントで、田覚はまるで蛇に睨まれる小動物のように震えながら立ち尽くしていた。
「やぁ、何年ぶりだろうね。田覚君。」
「吉岡...昭三...さん...。」
田覚は一人の元プロ手に選手を前に固まる。吉岡昭三。元日本テニス界のエースにしてウィンブルドンベスト8という62年ぶりの快挙を成し遂げた大物。田覚とはファイヴ・パーソンプロジェクト以来の顔合わせだった。一緒にテント内にいた山城、横田兄弟、そして佐藤と竹下はいきなりの大物登場に開いた口が塞がらなかった。
「よ、吉岡...先生。」
「竹下君じゃないか。試合見てたよ。惜しかった。最後は龍谷君の方に軍配が上がったね。」
「...あと1歩でした。まさか、体力勝負で負けるなんて...。」
「いいんだ。結果は残念だったが。君が無事でよかった。負けたということは、次への課題が見つかったって顔だ。ゆっくり休むんだ。」
「はい...。」
吉岡は竹下へ労いの言葉を掛ける。田覚は吉岡を警戒した。竹下へリバースフォアハンドを教えたことについて蒸し返されると思ったのだろう。沈黙の中、彼は恐る恐る吉岡に質問しようとしたが、先に吉岡が口を開く。
「では田覚専属コーチ。残っているのは誰だい?」
「た、高峰・山瀬のダブルスペア、そして...」
「影村君か。」
「...影村を知ってるのですか。」
「あぁ...知ってるとも...。」
田覚は吉岡が影村の事を知っていることに驚く。田覚はずっと疑問に思っていた。影村は自分の事は一切話さなかった。ただテニスの腕前1つで田覚を納得させてのコーチ勧誘。影村の考案する練習は田覚が考えていた案より端々で理に適っていたり、コーチ代やコート代を草トーナメントで稼いできたりで信用を勝ち取っていた。
「だが、俺からは話せない。いずれ本人から話す時が来ると思うよ。」
「...そうですか。」
「ふふ、しかし今年の千葉県勢はすごいじゃないか。新貝君達以来のセンセーショナルを起こしている。次は、影村君の試合を見に行くとしよう...田覚君、少しいいかね?監督の池谷さんへは話を通してある。」
「.........え、あ、はい。」
田覚は吉岡の呼びかけに身震いし、一緒にテントを出て行った。残った学生5人は沈黙した。しかし後から山城、横田兄弟が抑えていた興奮を一気に解放した。
「すっげぇ!マジもんの吉岡昭三見ちまったぁ!」
「おぉ!貫禄半端ねぇ!徹!お前も見ただろあのオーラ!リアル昭三!リアル昭三だぞ!」
「あぁ、正直圧倒されたわ。流石日本テニス界のレジェンド...!」
興奮する3人を横目に佐藤は竹下への方へと顔を近づける。
「ねぇ、竹下君。吉岡さんと影村君って何で知り合いなんだろう。」
「フフ、そこまではわからないよ。でも、直ぐに名前が出てたって事は、俺達5人の天才と呼ばれるメンバー育成とはどこか違う所で知り合ってたのかもしれないね。」
「...そう。」
佐藤はどこか竹下を心配する表情で彼を見つめた。竹下はテントの入り口前に吉岡でも田覚でもない誰かがやって来た事に気が付く。そしてどこか怒りともとれる感情に震え出す。
「......。」
「竹下君、どうしたの?」
佐藤の心配を余所に竹下ゆっくりとが立ち上がり、テント入口の方をギッと睨む。山城と横田兄弟も固まった。1人のスーツ姿の中年男性が入ってきた。どこか悪賢そうな顔を見ただけで竹下の怒りが爆発しそうだった。
「こんにちは。竹下君。惜しかったですねぇ。試合を見てすぐに帰ろうと思ったんですが、一度君に挨拶しとこうと思い戻ってきました。」
「......。」
「ほぼ半年ぶりの再開だというのに穏やかではありませんねぇ。」
「...何しに来たんですか。笹原さん。」
竹下を含めた学生達の警戒の視線が笹原へと向かう。笹原は不敵な笑みを浮かべる。竹下は笹原を心底警戒した。
「ん~、惜しかったとは言いますが、所詮は学生の試合...貴方、まだ世界には出られませんねぇ。尤も、竹下君がそうでなかったとしても他の天才達は違いますけどね。君は八神君に勝ったことないじゃないですか...まぁ、そんな彼も仮に全国選抜で優勝したとして、全米オープンのジュニア部門に出たとしても、トップ4の彼らには遠く及ばないどころか、練習相手にもならないでしょうねぇ。日本国内だけに限ってはそうではない様ですがねぇ。」
何処か嫌味な言葉に学生達の警戒の視線が、怒りの視線へと変わる。笹原は下を向いてメガネの位置を直すと、再び竹下の方を見た。竹下はどこか安堵の笑みを浮かべる。そしてゆっくりと椅子に座って笹原へ言葉を返した。
「フフ、...それはどうでしょうか。高校生になれば、中学生よりも体が完成に近づいてくる。急成長するプレーヤーだっている。天才なんて言葉が通用しなくなるのも時間の問題ですよ。笹原さん。」
「......。」
「フフ、いいんですか?俺と龍谷、八神と矢留が戦っているブロックだけ見ていて...。」
「水谷君の事ですか...聞きましたよ。敗北したのは残念でしたねぇ...まぁ、どこの馬の骨ともわからない一般選手のまぐれ勝ちといったところでしょうに。」
竹下は笹原から水谷が敗れたことを聞くと、影村がやったのだと薄っすらと笑みを浮かべる。佐藤は竹下が影村の試合結果の報告を待ち望んでいた事にどこかムッとした。横田兄弟と山城は静かにハイタッチして影村の勝利を喜んだ。
「フフ、俺も一般選手ですよ。」
「...。」
「それに、水谷を倒した選手...今後俺達天才が霞んでしまう程に全国に名前を轟かせるでしょうね。」
「水谷君にギリギリで勝ったような選手など、次の試合でどうなるかわかりませんよ。」
「......。」
笹原は影村を超格下選手だと考えていた。しかし彼の言葉を聞いた、竹下ではない一人のメンバーが笹原の横に出て来た。副主将の山城だった。
「うちの主将をその辺のどこの馬の骨だかわからない一般選手と言いましたか。次はない?ギリギリ?スコア確認したんですか?」
「確認するまでも無いでしょう。どうせ準々決勝に来るまでに何ゲームか落としてるのでしょう。全試合相手をストレートのラヴゲームか2ゲーム以下で押さえて勝たない限り5人の天才には敵う筈もありません。」
山城は笹原を見てフッと笑みを浮かべた。笹原はそんな彼の態度が気にくわなかった。しかし山城の言葉に耳を疑う。
「あんた、うちの主将舐めてるぜ。」
「...どういう事でしょう。」
「あいつは、この試合が始まる前の合宿の時点で、全ての練習試合を手加減して6-0で終わらせている。シングルスグループ内の組分けの都合で竹下とは当たってねぇが。それに1回戦から今までの試合、あいつ1ゲームも落としてないんですわ。」
「そんな訳がないでしょう...あなた、自分が何を言っているのか...」
「じゃあ、この後八神と龍谷に確認してみて下さいよ。八神は鹿子フェスで、龍谷は都内の草トーで影村と当ってストレートで負けてますよ?」
「...いいでしょう。後ほど確認させていただきます。では竹下君。今度は人の少ないところでお話ししましょう。」
笹原はメガネの位置を直す。そして竹下達の敵意の籠った視線を向けられる中、後ろを振り返ってテントを後にしようとしたが、目の前に何か大きな人影が立っている。笹原はその威圧感に押された。何者かの視線が笹原を見下ろす。それは影村だった。
「フフ、おかえり、海将。」
「あぁ...」
「試合勝ったんだってね。おめでとう。スコアはどうだった?」
「6-0、6-0だ。」
「フフ、言うまでもないか。」
竹下と影村の会話を聞いた笹原の顔が強張る。自分達が手塩にかけてプロデュースしてきた、5人の内の一人である水谷相手にストレート勝ちした存在の出現。山城と横田兄弟はそれ見た事かと笹原の方に嫌味たらしい笑みを見せた。竹下も安堵の笑みを浮かべ、佐藤もどんなもんよと言わんばかりのどや顔を笹原へと向ける。
「...あ、貴方が海将...影村君ですか。(何だこの男は...体格は龍谷と水谷以上。それにこの威圧感...それになんだこの筋肉量と締まりは...筋肉が引き締まって血管が浮き出てるだと...。)」
「あんた誰だ。」
「...フフフ、6-0、6-0なんて貴方も冗談が下手ですね。影村君でしたか?あまり大人へはそういう嘘はつかない方がいいですよ?もっとも、次に進んでも残りの天才の一人、八神君に負けるでしょうが...。」
「おい、おっさん...記念にトーナメント表見てこい...」
「いいでしょう。では私はこれで。」
笹原は影村の隣を横切る。彼は去り際に影村の横顔を見た。堀が深く精悍な顔立ち、強い眼差しに整った顔。そして彼の目は果てしなく遠くを見ていた。笹原はテントを出て行った。佐藤がその後ろ姿をベーと舌を出して追い返す様にジェスチャーする。影村はそんな佐藤を見て「小学生かこいつ」と思ったが口にするのはやめた。
「...ね、ねぇ竹下君。あれは誰なの?」
「日本テニス協会連盟の重役にして俺達5人の天才を育成するプロジェクトを立ち上げた人だ。」
「ちょ、そんなすごい人にそんな態度でよかったの!?」
佐藤の言葉に山城と横田兄弟の顔が引きつる。
「お、俺、そんな偉い人にあんなこと言っちゃったの?竹下...。」
「フフ、副主将。ありがとうございます。」
「あ...あうあー。」
山城は頭が真っ白になってしまった。横田兄弟も自分達が笹原にどや顔をしてしまった事を後悔した。影村はどっしりとまったく気にしていない様子だった。
「影村君、体も大きいのに態度も大きいのね。」
「これでも遠慮してる方だ。」
「フフ、じゃあ後は山瀬と高峰だな。」
「お前...まさか。」
「フフ、そうだよ影村。俺は龍谷に負けた。ギリギリの試合でガス欠になっちゃった。」
「そうかい...ゆっくり休みな。次は3月だろ?」
「あぁ。そうするよ。それに、影村が勝ち進んだって聞いただけで安心したよ。次は君と当たってみせる。」
竹下は影村に笑みを見せる。影村もフッと口角を上げて竹下の方を見る。佐藤は2人の静かな友情の籠ったやり取りに割って入れなかったのかゲンナリしていた。千葉県代表テントを出た笹原はどこかムッとした表情で本部のトーナメント表を見に行く。そして各試合結果を見て自分の目を疑う。
「何だと...。」
影村が対戦してきたドロー表の記載。1回戦6-0・6-0、2回戦6-0・6-0、3回戦6-0・6-0、そして準々決勝の水谷戦6-0・6-0と記載されたスコアを前に、まるで幽霊でも見たかの様に背中がゾワッとする感覚を覚える。
“おい、おっさん...記念にトーナメント表見てこい...”
影村の言葉が彼の横顔と共にフラッシュバックする。笹原は拳を握った。表情はこわばり、自分が長年手塩にかけて育ててきた選手がストレートで潰された事に、一大プロジェクト失敗という悪い気配を感じ取る。
「......。(あり得ない...何だ...全国の猛者達相手だぞ...しかも天才の水谷もいるんだぞ...一体何だこの有り得ないスコアは...これでは...天才達が...我々の商品が霞んでしまう...。)」
笹原は震える手で眼鏡を掛け直す。そして携帯端末を操作して自分の所属する企業の事務所へ一本の電話を入れた。
「...笹原です。今日午後に行われる準決勝戦に撮影機材を持って行きたいので1名来ていただけますか?えぇ。8時20分ごろに集合でお願いします。よろしく頼みますよ。では。」
笹原は携帯端末の通話を切った後、それをポケットへと入れた。そして徐々に鬼気迫る表情を浮かべる。
「......。(なりません。あんなどこの馬の骨ともわからない一般の選手が、我々の作り上げた天才達よりも名を轟かせればプロジェクトがここで倒れてしまう!我が社はどれだけの損失となるか...しかしあの才能は異質だ...芽を摘んでやらないと...あんなものが世に出ては今後我々の障害にしかなりません...潰しましょう...この国で名も残らないほどに潰してやる...!)」
笹原はどこかヒステリックな様相を浮かべ、スコアボードの前に立ち尽くした。
「やぁ、何年ぶりだろうね。田覚君。」
「吉岡...昭三...さん...。」
田覚は一人の元プロ手に選手を前に固まる。吉岡昭三。元日本テニス界のエースにしてウィンブルドンベスト8という62年ぶりの快挙を成し遂げた大物。田覚とはファイヴ・パーソンプロジェクト以来の顔合わせだった。一緒にテント内にいた山城、横田兄弟、そして佐藤と竹下はいきなりの大物登場に開いた口が塞がらなかった。
「よ、吉岡...先生。」
「竹下君じゃないか。試合見てたよ。惜しかった。最後は龍谷君の方に軍配が上がったね。」
「...あと1歩でした。まさか、体力勝負で負けるなんて...。」
「いいんだ。結果は残念だったが。君が無事でよかった。負けたということは、次への課題が見つかったって顔だ。ゆっくり休むんだ。」
「はい...。」
吉岡は竹下へ労いの言葉を掛ける。田覚は吉岡を警戒した。竹下へリバースフォアハンドを教えたことについて蒸し返されると思ったのだろう。沈黙の中、彼は恐る恐る吉岡に質問しようとしたが、先に吉岡が口を開く。
「では田覚専属コーチ。残っているのは誰だい?」
「た、高峰・山瀬のダブルスペア、そして...」
「影村君か。」
「...影村を知ってるのですか。」
「あぁ...知ってるとも...。」
田覚は吉岡が影村の事を知っていることに驚く。田覚はずっと疑問に思っていた。影村は自分の事は一切話さなかった。ただテニスの腕前1つで田覚を納得させてのコーチ勧誘。影村の考案する練習は田覚が考えていた案より端々で理に適っていたり、コーチ代やコート代を草トーナメントで稼いできたりで信用を勝ち取っていた。
「だが、俺からは話せない。いずれ本人から話す時が来ると思うよ。」
「...そうですか。」
「ふふ、しかし今年の千葉県勢はすごいじゃないか。新貝君達以来のセンセーショナルを起こしている。次は、影村君の試合を見に行くとしよう...田覚君、少しいいかね?監督の池谷さんへは話を通してある。」
「.........え、あ、はい。」
田覚は吉岡の呼びかけに身震いし、一緒にテントを出て行った。残った学生5人は沈黙した。しかし後から山城、横田兄弟が抑えていた興奮を一気に解放した。
「すっげぇ!マジもんの吉岡昭三見ちまったぁ!」
「おぉ!貫禄半端ねぇ!徹!お前も見ただろあのオーラ!リアル昭三!リアル昭三だぞ!」
「あぁ、正直圧倒されたわ。流石日本テニス界のレジェンド...!」
興奮する3人を横目に佐藤は竹下への方へと顔を近づける。
「ねぇ、竹下君。吉岡さんと影村君って何で知り合いなんだろう。」
「フフ、そこまではわからないよ。でも、直ぐに名前が出てたって事は、俺達5人の天才と呼ばれるメンバー育成とはどこか違う所で知り合ってたのかもしれないね。」
「...そう。」
佐藤はどこか竹下を心配する表情で彼を見つめた。竹下はテントの入り口前に吉岡でも田覚でもない誰かがやって来た事に気が付く。そしてどこか怒りともとれる感情に震え出す。
「......。」
「竹下君、どうしたの?」
佐藤の心配を余所に竹下ゆっくりとが立ち上がり、テント入口の方をギッと睨む。山城と横田兄弟も固まった。1人のスーツ姿の中年男性が入ってきた。どこか悪賢そうな顔を見ただけで竹下の怒りが爆発しそうだった。
「こんにちは。竹下君。惜しかったですねぇ。試合を見てすぐに帰ろうと思ったんですが、一度君に挨拶しとこうと思い戻ってきました。」
「......。」
「ほぼ半年ぶりの再開だというのに穏やかではありませんねぇ。」
「...何しに来たんですか。笹原さん。」
竹下を含めた学生達の警戒の視線が笹原へと向かう。笹原は不敵な笑みを浮かべる。竹下は笹原を心底警戒した。
「ん~、惜しかったとは言いますが、所詮は学生の試合...貴方、まだ世界には出られませんねぇ。尤も、竹下君がそうでなかったとしても他の天才達は違いますけどね。君は八神君に勝ったことないじゃないですか...まぁ、そんな彼も仮に全国選抜で優勝したとして、全米オープンのジュニア部門に出たとしても、トップ4の彼らには遠く及ばないどころか、練習相手にもならないでしょうねぇ。日本国内だけに限ってはそうではない様ですがねぇ。」
何処か嫌味な言葉に学生達の警戒の視線が、怒りの視線へと変わる。笹原は下を向いてメガネの位置を直すと、再び竹下の方を見た。竹下はどこか安堵の笑みを浮かべる。そしてゆっくりと椅子に座って笹原へ言葉を返した。
「フフ、...それはどうでしょうか。高校生になれば、中学生よりも体が完成に近づいてくる。急成長するプレーヤーだっている。天才なんて言葉が通用しなくなるのも時間の問題ですよ。笹原さん。」
「......。」
「フフ、いいんですか?俺と龍谷、八神と矢留が戦っているブロックだけ見ていて...。」
「水谷君の事ですか...聞きましたよ。敗北したのは残念でしたねぇ...まぁ、どこの馬の骨ともわからない一般選手のまぐれ勝ちといったところでしょうに。」
竹下は笹原から水谷が敗れたことを聞くと、影村がやったのだと薄っすらと笑みを浮かべる。佐藤は竹下が影村の試合結果の報告を待ち望んでいた事にどこかムッとした。横田兄弟と山城は静かにハイタッチして影村の勝利を喜んだ。
「フフ、俺も一般選手ですよ。」
「...。」
「それに、水谷を倒した選手...今後俺達天才が霞んでしまう程に全国に名前を轟かせるでしょうね。」
「水谷君にギリギリで勝ったような選手など、次の試合でどうなるかわかりませんよ。」
「......。」
笹原は影村を超格下選手だと考えていた。しかし彼の言葉を聞いた、竹下ではない一人のメンバーが笹原の横に出て来た。副主将の山城だった。
「うちの主将をその辺のどこの馬の骨だかわからない一般選手と言いましたか。次はない?ギリギリ?スコア確認したんですか?」
「確認するまでも無いでしょう。どうせ準々決勝に来るまでに何ゲームか落としてるのでしょう。全試合相手をストレートのラヴゲームか2ゲーム以下で押さえて勝たない限り5人の天才には敵う筈もありません。」
山城は笹原を見てフッと笑みを浮かべた。笹原はそんな彼の態度が気にくわなかった。しかし山城の言葉に耳を疑う。
「あんた、うちの主将舐めてるぜ。」
「...どういう事でしょう。」
「あいつは、この試合が始まる前の合宿の時点で、全ての練習試合を手加減して6-0で終わらせている。シングルスグループ内の組分けの都合で竹下とは当たってねぇが。それに1回戦から今までの試合、あいつ1ゲームも落としてないんですわ。」
「そんな訳がないでしょう...あなた、自分が何を言っているのか...」
「じゃあ、この後八神と龍谷に確認してみて下さいよ。八神は鹿子フェスで、龍谷は都内の草トーで影村と当ってストレートで負けてますよ?」
「...いいでしょう。後ほど確認させていただきます。では竹下君。今度は人の少ないところでお話ししましょう。」
笹原はメガネの位置を直す。そして竹下達の敵意の籠った視線を向けられる中、後ろを振り返ってテントを後にしようとしたが、目の前に何か大きな人影が立っている。笹原はその威圧感に押された。何者かの視線が笹原を見下ろす。それは影村だった。
「フフ、おかえり、海将。」
「あぁ...」
「試合勝ったんだってね。おめでとう。スコアはどうだった?」
「6-0、6-0だ。」
「フフ、言うまでもないか。」
竹下と影村の会話を聞いた笹原の顔が強張る。自分達が手塩にかけてプロデュースしてきた、5人の内の一人である水谷相手にストレート勝ちした存在の出現。山城と横田兄弟はそれ見た事かと笹原の方に嫌味たらしい笑みを見せた。竹下も安堵の笑みを浮かべ、佐藤もどんなもんよと言わんばかりのどや顔を笹原へと向ける。
「...あ、貴方が海将...影村君ですか。(何だこの男は...体格は龍谷と水谷以上。それにこの威圧感...それになんだこの筋肉量と締まりは...筋肉が引き締まって血管が浮き出てるだと...。)」
「あんた誰だ。」
「...フフフ、6-0、6-0なんて貴方も冗談が下手ですね。影村君でしたか?あまり大人へはそういう嘘はつかない方がいいですよ?もっとも、次に進んでも残りの天才の一人、八神君に負けるでしょうが...。」
「おい、おっさん...記念にトーナメント表見てこい...」
「いいでしょう。では私はこれで。」
笹原は影村の隣を横切る。彼は去り際に影村の横顔を見た。堀が深く精悍な顔立ち、強い眼差しに整った顔。そして彼の目は果てしなく遠くを見ていた。笹原はテントを出て行った。佐藤がその後ろ姿をベーと舌を出して追い返す様にジェスチャーする。影村はそんな佐藤を見て「小学生かこいつ」と思ったが口にするのはやめた。
「...ね、ねぇ竹下君。あれは誰なの?」
「日本テニス協会連盟の重役にして俺達5人の天才を育成するプロジェクトを立ち上げた人だ。」
「ちょ、そんなすごい人にそんな態度でよかったの!?」
佐藤の言葉に山城と横田兄弟の顔が引きつる。
「お、俺、そんな偉い人にあんなこと言っちゃったの?竹下...。」
「フフ、副主将。ありがとうございます。」
「あ...あうあー。」
山城は頭が真っ白になってしまった。横田兄弟も自分達が笹原にどや顔をしてしまった事を後悔した。影村はどっしりとまったく気にしていない様子だった。
「影村君、体も大きいのに態度も大きいのね。」
「これでも遠慮してる方だ。」
「フフ、じゃあ後は山瀬と高峰だな。」
「お前...まさか。」
「フフ、そうだよ影村。俺は龍谷に負けた。ギリギリの試合でガス欠になっちゃった。」
「そうかい...ゆっくり休みな。次は3月だろ?」
「あぁ。そうするよ。それに、影村が勝ち進んだって聞いただけで安心したよ。次は君と当たってみせる。」
竹下は影村に笑みを見せる。影村もフッと口角を上げて竹下の方を見る。佐藤は2人の静かな友情の籠ったやり取りに割って入れなかったのかゲンナリしていた。千葉県代表テントを出た笹原はどこかムッとした表情で本部のトーナメント表を見に行く。そして各試合結果を見て自分の目を疑う。
「何だと...。」
影村が対戦してきたドロー表の記載。1回戦6-0・6-0、2回戦6-0・6-0、3回戦6-0・6-0、そして準々決勝の水谷戦6-0・6-0と記載されたスコアを前に、まるで幽霊でも見たかの様に背中がゾワッとする感覚を覚える。
“おい、おっさん...記念にトーナメント表見てこい...”
影村の言葉が彼の横顔と共にフラッシュバックする。笹原は拳を握った。表情はこわばり、自分が長年手塩にかけて育ててきた選手がストレートで潰された事に、一大プロジェクト失敗という悪い気配を感じ取る。
「......。(あり得ない...何だ...全国の猛者達相手だぞ...しかも天才の水谷もいるんだぞ...一体何だこの有り得ないスコアは...これでは...天才達が...我々の商品が霞んでしまう...。)」
笹原は震える手で眼鏡を掛け直す。そして携帯端末を操作して自分の所属する企業の事務所へ一本の電話を入れた。
「...笹原です。今日午後に行われる準決勝戦に撮影機材を持って行きたいので1名来ていただけますか?えぇ。8時20分ごろに集合でお願いします。よろしく頼みますよ。では。」
笹原は携帯端末の通話を切った後、それをポケットへと入れた。そして徐々に鬼気迫る表情を浮かべる。
「......。(なりません。あんなどこの馬の骨ともわからない一般の選手が、我々の作り上げた天才達よりも名を轟かせればプロジェクトがここで倒れてしまう!我が社はどれだけの損失となるか...しかしあの才能は異質だ...芽を摘んでやらないと...あんなものが世に出ては今後我々の障害にしかなりません...潰しましょう...この国で名も残らないほどに潰してやる...!)」
笹原はどこかヒステリックな様相を浮かべ、スコアボードの前に立ち尽くした。
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