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Proving On

chronicle.17

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 八神は静かに佇んでいる。その周りにいるファンの女子学生達は、まるでアイドルを見る目でうっとりと彼を見つめるも、騒ぎ出す人間は誰一人いなかった。強豪校の面々は只々どっしりと座って構える者、早く試合が始まらないかソワソワしている者とそれぞれ個性が出ている。

 「.........。(さぁ、海将。相手は俺と同じ天才。そして龍谷とタメを張れるだけのパワーとスタミナを持ち合わせている。水谷のパワーが乗った高速サーブを、爆発力のあるフォアハンドをお前はどう返す。見せてくれ。)」

 レシーブの構えで待機する影村の様子を見ながら、八神は頭の中でじっと好奇心と予測を行ったり来たりさせていた。桃谷はコート上の大男2人の様子を見て、好奇心からくる高揚を何とか抑えている状況だった。

 「......。(始まる。化物同士の戦いが...相手は5人の天才の中でも龍谷君と並んでパワーとスタミナがある水谷君。でも、パワーという1点においては5人の天才の誰よりも強い。すでに日本代表の強化選手候補にも選ばれてる彼にどう対処するか見ものね。)」

 桃谷は冷静に分析を試みるも、その手は震えている。隣に座っている重森は彼女の手を見て、試合が始まる時点でここまでの緊張感を生む現在の状況に異常さを感じていた。1回戦で見せた衝撃。2回戦で見せた何者も寄せ付けない強さ。そしてこの試合で大勢のギャラリーがいる中、420グラム級の鈍重なラケットを構える影村を見る。しかし彼の顔色からは緊張の2文字は見られない。重森は田覚が影村をリスペクトした理由が分かった気がした。

 私立八星高校応援。主将の佐後良明さごよしあきは副主将の後藤巧ごとうたくみ、そしてマネージャーの久江知美ひさえともみを始めとした総勢10名で試合を見ている。

 「水谷め。やる気になっとるな。デラ楽しそうな顔してるわ。実際俺らも楽しみにしてたし。なぁ後藤。」
 「佐後。水谷の奴海将の情報聞いて、脚も鍛え込むつっていつもサボってたケッタ自転車の東山公園登坂トレやってたぜ。」
 「あの人が海将...水谷君より体格が大きい。」
 「久江。動画撮っとけ。これから重要な資料になる。」

 久江は頷いた。動画を撮影しようとしていたのは彼女達だけではなく、他の強豪校も同じ事を行っていた。その後この動画をどこかの学校の末端の生徒が投降したことにより、影村の名前が一気に全国へと広がってしまったため、全国選抜本戦に出場した際、すでに“海将を第1に警戒すべし”という空気が生まれていた。

 「.........。(相手は八神と龍谷を負かした奴だ。こいつぁ、最初っから本気100%でやらんとでらマズいな。)」

 水谷は最初からか最後まで完全燃焼する覚悟を決めた表情になる。整ってはいるが男らしくキリッとした顔つきになった彼は、ラケットで突いたボールを左手に持ち替えてそのまま3回ボール突くと、右足を残したまま左足を後ろへと引く。そしてそのままトスを上げた。オーソドックスな後ろ足を軸足へ引き寄せて力をためるサーブフォーム。綺麗なトロフィーポーズと呼ばれる体勢から繰り出される相手を圧倒するパワー。それが上乗せされたファーストサーブ。彼はスカッドサーブと呼ばれる威力の高いファーストサーブを打つプレーヤーだった。

 「......。(まずは...。)」

 水谷のサーブトスが上がる。わずか1コンマ数秒のゆっくりとした時間の中、八神を含めた強豪校の面々、影村のクラスメイトがそのボールに釘付けとなる。水谷の左足が軸足である右足へと引き付けられる。曲げられた膝が伸びあがり、ラケットをスイングする力へと変換される。水谷がラケットをぶん回すように振り上げる。トスによって上がったボールが振り上げられたラケットのスイートスポットに捉えられる。そしてその驚異的な腕力を活かしたスイング力に乗せられたボールは、まるでピストルの撃鉄に弾かれて飛んで行く弾丸の様に、初速イコール全速力のスピードを手に入れ、影村のいるコートのサービスライン外側へと着地する。水谷のラケットがボールを捉え、約コンマ7秒というわずかな時間で着弾したそれは、コート外側へと逃げる様に飛んで行こうとした。誰もが水谷のサービスエースを確信した。



 「.....!?」



 バウンドするボールの先に、もうラケットのスイートスポットがあった。影村のスイングしたラケットがすでに水谷が打ち下ろしたサーブのボールを捉えていた。観戦者達の顔が驚き固まる。殆どの者が水谷のトスに注目し、影村がいつの間に動いたのかわからず、それを見ていた人間達もまさか彼がサーブのトスが上がる時点で、コートのベースライン内側へ2歩程度踏み出していた事にも気が付かなかった。

 「......。」

 常盤は影村がラケットをスイングしている刹那の一瞬に目を奪われる。堀が深く精悍であるがどこか涼しげで凛とした顔立ち。ボールを見る鋭くギラついた眼光、上半身の回転に引っ張られるようにばさりと捻じれる黒いVネックのテニスウェア。ボールを捉えて力で押すときの腕の筋肉の隆起と浮き出る血管。そして力強く躍動する脚。

 「......。(美しい...。)」

 それはまさに躍動感満ち溢れる芸術作品の絵画の如く美しく、美術部である常盤の目に映り込んだ。影村のコンパクトフォームからラケットが一気に振りぬかれる。ボールは水谷のいるコートのバックハンド側のベースライン際へと跳ね返る。影村はスイス時代にハリーのスパルタ指導の下、小学生の自分へ容赦なく打ち出され続けるトッププロ選手達の200キロ越えのファーストサーブを拾っていた事を薄っすらと記憶に思い出しながらラケットを振った。影村からすれば一瞬だった。しかし観客席から見たその状況は、たったの一瞬がとても長く引き伸ばされたかのように見えた。ボールは走る様にコートの外へと出て行き、水谷の後ろにあるフェンスへと当った。


 「ぁ、ラ...0-15!」


 「うおぉ―!」
 「200キロをエースで返したー!?なんだアイツは!?」
 「今ベースラインの内側だぞ!?」
 「俺今の状況が一瞬過ぎてわからなかった!何が起きた!パパーン!って!」

 強豪校の1年生や2年生達が興奮する。久江の手が震え、眼は影村を捉えてじっと見つめていた。佐後と後藤も何も言えず固まったままだった。最早高校生の域を逸脱したレベル。第1セット第1ゲームのファーストポイントは影村が先取する。水谷は目を見開き、額には一筋の汗が流れる。圧倒的な強者を前にした緊迫感と緊張感に押され、彼の顔が歪む。

 「.........。(初見でぶち抜きやがった...何故コースが読めた...何だあの男は...どらやべぇ。)」

 水谷の頭の中が情報で錯綜していた。テニスのサーブにはポイント決定後20秒以内に打たないとならないルールがある。呼吸を整えて1つ1つ整理していくも、考えがまとまるまでの時間を貰えない状況となった彼は、とりあえず次のサーブを打つことにした。

 「.........。」

 トスが上がる。影村がスプリットステップを踏み、静かにラケットを構える。上がったトスのボールが止まる手前、影村はコースを予測し、ベースラインの内側へと1歩入る。

 「......。(狙う!バックハンド!がら空き!)」

 水谷がラケットを振り上げるタイミングで影村は既にラケットを小さくテイクバックさせていた。水谷からファーストサーブが放たれる。ボールは影村の予測通りバックハンドへと飛んで行く。影村はベースライン内でバックハンドストロークを撃ち出す。影村の打ったボールは水谷のバックハンド側へと返る。水谷も影村のバックハンド側へとボールを打とうとするも、ボールがフラット回転により球筋が伸びてきた為、自分の足元のほんの30センチ手前でバウンドする。

 「......っ!」

 自分が打ち込んだサーブが、影村のブロックリターンの要領が混じったコンパクトなフォームから繰り出されるリターンによって返される。水谷がサーブから次の予備動作に入る最中に足元へ返球される。水谷は咄嗟にラケットでボールを返すも、ボールはネットの上2.3メートル付近まで上がる。まるでそこへボールが来るであろうという事を見込んで既に移動していた影村が、飛んできたボールを軽めのスマッシュで撃ち落とす。

 「0-30!」


 「...嘘だろ。」
 「おい見たかよ佐後。水谷が封殺されたぞ。」
 「あ、あぁバックハンドを狙う作戦か?」
 「それだけだったら既に水谷が動いて対処している。あいつ、意図的に...」
 
 「いや、200キロ近いサーブをベースラインの内側で打ち返すことができても、あの位置へのコントロールが...」

 八星高校の生徒達の表情が強張る。水谷は影村が意図的に自分の足元を狙ったのだと予測した。

 「......。(あいつでらやべぇな。バックハンドに打込むと予測したまではいい...だが思いっきり俺の足元狙って返してきたのは想定外。つーか、点取った時のリアクションも無しか...まるで流れ作業やっとるみたいだ。)」

 水谷はラケットでボールを突きながら次のサーブ場所へと移動する。影村はどこか淡々とした表情で次の配置へとついた。影村のクラスメイトの女子テニス部3人組は影村と水谷の企画外の強さに空いた口が塞がらなかった。男子2人組は楽しく試合を観戦している様子だった。常盤に至っては影村が最初のリターンエースを決めた時のその一瞬が忘れられなかったようで、影村を見ては赤面する状況であった。

 「........。(...最初のリターンエースは驚いたわ。まさか200キロクラスのサーブをベースラインの内側で叩き返すなんて...でも、水谷君の代名詞のフォアハンドがまだ見れてないわね。)」

 太陽光を反射させ眼鏡を光らせながら分析をする桃谷。彼女は徐に部活動の試合を記録するノートへ影村と水谷の試合内容を記録し始めた。水谷は大きく深呼吸するとラケットで突いたボールを左手に持ち替え2回バウンドさせた。ラケットを構えると影村の方をじっと見つめる。

 「......。(こいつぁ、マジもんだわ。)」

 水谷はトスを上げる。彼は龍谷と似ているようで性格は正反対だった。動の龍谷に対し、水谷は静のパワー系プレーヤーだった。勢いに任せた豪快なプレーではなく、冷静に戦略も編み込んで試合を展開することができる。

 「.........シィ!!」

 水谷が思いっきりラケットを振り上げ、頭の上でボールを擦り上げたスピンサーブが放たれた。異常に発達した腕から繰り出されるスピンサーブは、180キロという速さがあり、その回転量も一般人の打つスピンサーブの比ではない。ボールは影村のフォアハンド側へとバウンド後、まるで竹下のフォアハンドストロークの様な威力を発揮した。コートの外へと飛び出す推進力、2m近く飛び跳ねるボール。影村のラケットが当たる。ボールはまた水谷の足元へと落ちる。

 「ぬぉ!」

 水谷はまた足元に返ったボールを打ちあげる。ネットの上3メートルを超えた辺りで影村はストローク戦の態勢に入る。ボールがバウンドして高く上がりきるところを狙ってラケットをスイングする。影村独特のコンパクトスイングによるフォアハンドストローク。水谷のフォアハンド側へと打たれたそれは、彼に自慢の一撃を打ってくれと云わんばかりに打ちやすい位置でバウンドする。

 「......!(これが取れるか!)」

 水谷の腕に力が入り発達した腕の筋肉が隆起する。佐後、後藤、久江を含めた八星高校勢は、水谷代名詞のフォアハンドが来たかと云わんばかりに目を見開いてボールの行方を追った。水谷はラケットを思いっきりスイングする。ラケットのスイートスポットにボールが当たり、コート中にボンッと鈍い打音を響かせる。まるでファーストサーブが飛んで来たかと云わんばかりのスピードでボールが影村のコートへと向って行く。

 影村はラケット面を合わせるように、そしてラケットを押し出すようにボールへと当てた。ボールはまた水谷の打ちやすいフォアハンド側へと返っていく。八神はニヤリと笑った。「あいつもやられてやがる。」と心に思いながら試合を観戦する。

 「......うぉら!」

 水谷は2発目のフォアハンドストロークを放つ。影村は猛烈に飛んでくるフォアハンドストロークをコンパクトスイングのフォアハンドで打ち返す。ブロックリターンというテクニック。本来はラケット面を飛んでくるボールに合わせるだけという技。それを改良した影村のフォアハンド。ラケットヘッドを立てて面を作りながら足を曲げ、肩を小さく回してテイクバックを作りスイング。飛んできたボールがラケット面にヒットしたと同時に腕、大胸筋及び体幹部の運動連鎖を使いラケットの反発に更なるエネルギーを加える。そしてボールがバウンドして上がりきる前、若しくは上がりきったところを狙うライジングショットのようにボールを捉える事により、相手の態勢が整う前に攻めることができる。無論、現実でそれを行うにはトップアスリート級の筋力が要求される。

 「......なっ!」

 水谷は自分が打ったフォアハンドがもう返ってきたことに驚く。大振りのフォアハンドを打った反動で体勢が整わない彼の目の前をボールが通過する。水谷は諦めなかった。グンと足を踏ん張り、そのままボールへと飛び出した。何とかボールを拾い打ち返すも、前のポイントの時と同様、ネットの前へと移動してきた影村にスマッシュで処理される。

 「0-40!」

 「...天才のフォアハンドが効いてない。」
 「あんなのラケットごと持って行かれるだろ。」
 「腕力も水谷以上という事か...化物だ...。」

 強豪校の選手達がヒソヒソと話をする。影村のクラスメイト達はポイントが決まった後の歓声を上げる暇もないほどに驚いていた。水谷は絶句した。彼は試合前まで、影村を天才に挑む挑戦者で、自分からどれだけのゲームポイントを毟り取れるかという思いでいた。


 「......。(...八神達の言っていたことはマジだったか...こいつは...俺が...)」


 コート上で呆然と影村を見つめる水谷の姿を、観客席からニヤリと笑って見下ろす八神。

 「そうだ水谷。5人の天才の時代は終わった。これから俺達はただの挑戦者へと戻るんだ。」

 八神は腕を組んだ。そして影村の方を見ると、彼との再戦を渇望した。この八神の言葉を聞いた他の観客達は、今このコートに立っている水谷に対し、影村が挑戦して幾つのゲームポイントを取れるかという状況ではなく、 “ 海 将 ” 影村というバケモノの中のバケモノに対し、水谷がどこまで抵抗できるかという状況下であるとようやく理解したのだった。
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