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Moving On

manuscript.34

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 自販機内のジュースが音を立てて取り出し口へと落ちてゆく。

 第2試合を終えた影村は管理棟にある自販機で飲み物を買って取り出していた。後ろから明るい性格の茶髪の女子高生が、まるで父親を引っ張って誘導していく子供のように教員の手を引いていた。

 「あ、ちょっと!先生どこ行くんですか!こっちですこっち!」
 「あぁ、すまんすまん。あっちだな。」
 「鉄子ちゃんが早く来ないとタダではおかないって言ってましたよ。」
 「はいはいはい!わかったからそんなに引っ張らないでぇ!」

 茶髪の女子高生と教員はそのまま迎えに来た藤嶋と合流しベンチへと案内されていった。影村はそれを横目にジュースを飲み干すと、空き缶をゴミ箱へと捨てベンチへ戻ろうと振り返った。するとそこに八神の姿があった。彼は影村を見上げる。竹下とはまた違い、テレビに出てくるようなアイドル歌手と思えるほどの見た目容姿のせいか、彼の後ろには携帯端末で写真を撮影しようと構える女子高生や、中学生プレーヤー達の姿が散見された。

 「...お前は。」

 「......。」
 
 後ろに八神が立っていた。初対面の相手に「お前」といった時点で影村は失礼な奴だと感じたが、そこはぐっとこらえた。見下ろす影村に見上げる八神。2人は暫く無意識に目を合わせる。両者の目はぎらついている。

 「.......。」

 影村は片手をポケットに手を突っ込んでその場を去ろうとしたがすぐ目の前にもう一人の男子高校生が現れる。物静かだがぎらついた眼。本を片手に歩いてくる少年は矢留だった。

 「.....何だこのタイミングはよ。」

 八神は矢留を睨む。矢留と影村と八神はそれぞれ互いを見ていた。影村はフッと笑い、何もなかったかのようにその場を去っていく。矢留は影村の背中を見送った。

 「......。(鉄子先輩が押されるわけだ。デカイ背中だ。そして間違いなく。あの男は強い。)」
 「なんだお前のところのチームも勝ったのか。」
 「......。」
 「全中後の合宿以来だが、不気味なぐらい静かなのは変わってねぇようだ。」
 「...男は黙って背中で語るものだ。」
 「へっ、龍谷みてぇなこと言ってんじゃねぇ。お前のチームと当たったら潰してやるからな。」

 八神は矢留に背を向けてベンチへと戻って行った。

 「......。(もろに背中で語ろうとしてんじゃん。)」

 矢留は八神がベンチへと戻ろうとして後ろにいた女子高生や女子中学生に取り囲まれるところを見ていた。矢留の後ろから桃谷が歩いてきた。

 「あの子が八神君ね。」
 「...はい。あの人が元全中王者です。」
 「特徴はコートカバーとカウンターショットね。常に走り回って相手を翻弄し...」
 「ダウンザラインへのカウンターショットを狙う。」

 矢留は八神と竹下が対戦した全中男子シングルスの決勝戦を思い出す。竹下が八神へサーブを打ち長時間のラリー戦を行っていたのが印象的だった。矢留はジュースを買うと、桃谷へ当時の話をし始める。

 「俺がまだ柱が高3年生だったころの最後の全中シングルスの決勝戦。竹下は八神と対戦して、全力を出し切った。両者コート上を走り回った。アングルショットとダウンザラインの応酬。まるでコートが小さく思える程に彼らの動きは大きかった。」

 「矢留君...。」

 「俺はその時考えた。あぁ、俺はこんな連中と肩を並べてたんだってね。まさにバケモノ2人だった。一体この5人以外に追いつく人間はいるのだろうか。中学校のトーナメントのすべての大会の本戦準々決勝、準決勝、決勝を5人で争う状態がずっと続いた。」

 「5人が上位へと昇って優勝争いを行う。俺や龍谷以外は皆それが普通だと思っている。だけど、今日俺はこの均衡が崩れるのはもっと早いんじゃないかと思いました。」

 桃谷の背筋がぞっとした。彼女の脳裏に現れたのは影村のビジョンだった。彼女はベンチから管理棟へと向かってくる際中、道行く人々が影村がJOPランク持ちのプロプレーヤーをストレートで下したという話題を聞いた。矢留はジュースを取り出すとベンチへと戻って行った。

 東越大ベンチでは山瀬信行が兄の敏孝に、卒業から高校へ上がるまでの短期間に行った特別練習の代償にコスプレさせられた時の写真を見て「あの時断りゃよかった」といった表情で悔いていた。

 「なんだ、お前の彼女か?」
 「か...カァー!」
 「カラスか。」
 「カラスじゃなぁい...!」

 影村は山瀬の携帯端末で開かれた、彼がコスプレさせられた時に撮影された写真を見て、それが信行の彼女だと思ってしまったようだ。影村は眉間にしわを寄せて山瀬の写真を見る。すると隣から音も無くぬっと現れた敏孝に背中を叩かれる。敏孝はどこかあくどそうな笑みで影村に自分の携帯端末で撮影した信行の写真を見せていく。

 「フフフ、さすが俺の弟だろ?影ちゃん。メイクは専門学校の同級生が仕上げて、衣装も服飾デザイン科の子にボディラインに合わせて製作してもらってさ。」
 「おい、そんな事させたら性癖歪むぞ。」
 「フフフ...もう信行はこちら側の世界の住人さぁ...。」

 「ちがーう!違うって影村君!ぼ、僕は男の子だよぉ!」
 「フフフ、え?ノブそうだよ。男の娘だよ。」
 「ヤメテー!」

 「.........。(やべぇ奴らがいるな。)」

 影村は森野の方を見る。森野は悟りを開いて瞑想している。もう制御が利かない敏孝の更生を半ば諦めているという表情だった。

 「森野さ...。(悟ってやがる。)」
 「あぁ、影村か。次の試合もよろしく頼むぞ。」
 「あ、あぁ...。(なんかゲッソリしてる。)」

 影村は自分のラケットを眺めた。このラケットを貰ったのは、彼が12歳の時だった。P.T.S.Dの呪いにもがき苦しみ、頭の中で鳴り響く少年少女の罵詈雑言の限りを振り払おうと、血走った眼に鬼気迫る表情。そして常に全力でボールを打ち込んでいたどうしようもない頃の自分に、救いの手を差し伸べた一人のテニスプレーヤーから貰ったものだった。

 「......。」
 「そのラケット、大事な人からもらったんだっけ?」
 「あぁ。無冠の帝王と呼ばれた、遠い昔の選手さ...。」

 “やるよ。これぐらい頑丈なラケットじゃないと、すぐに壊してしまうからな。”

 影村はとある無冠の帝王の言葉を思い出してベンチを立った。それに続いて雑談をしていた鈴子、山口が立ち上がると他のメンバーもラケットを持って立ち上がった。第3試合が始まる。彼らはコートへと入る。桃谷は影村達をマークしていた。次、もし彼らと試合で当たることがあった時の戦略を考えなければならないからだった。そこへ嶋藤と一人の女子高生と、教員が通り掛かった。桃谷とは対照的で元気そうな女子高生が彼女に声をかける。

 「あ、鉄子ちゃん!どうしたんですか?東越大の試合見るんですか?」
 「えぇ、佐原さん。差し入れの件ありがとう。みんなベンチにいるわ。もう第3試合の相手の情報は伝えてあるわ。私はあの大きな子の試合を見るから、後よろしくね。」
 「お任せください!エッヘン!」
 「2年生2人は来てないのかしら?」
 「あー、朝まで一緒にいたんだけど、数学の先生に捕まってなぜか特別授業させられてるわ。単位足りてるのに。」
 「相変わらず理不尽ね。」
 
 桃谷は東越大のメンバーの中で最年少の影村の姿を見ていた。彼は近い将来脅威となる。もしプロの選手がストレート負けしたという情報が正しければ、彼はこの大会の中で最も強者ということになる。唯一の救いは、シングルスのトーナメントではないことぐらいだろう。彼が勝っても総合で負けてしまえばそれまでだからだ。同級生のもう一人のマネージャーである佐原愛実さはらめぐみは不思議そうな顔で桃谷を見つめる。

 「鉄子ちゃん...さてはコートの上にいる大きな彼に興味があるの?一目惚れ?」
 「年下相手にそれはあり得ません。確かに私は面倒見のいい方ですが。それだけは絶対にないわ。」
 「ふーん...。ん?ん!?年下?年下!?」
 「えぇ、そうよ。矢留君達と同じ世代みたいね。」

 桃谷は指でメガネの位置を直す。彼女は影村が今年のインターハイに出ていないことに疑問を感じた。佐原は桃谷に手を振る。

 「じゃあ、鉄子ちゃん。私達ベンチ行ってるね。」
 「えぇ。あ、主将。次の試合は3番コートよ。場所間違えないで。」
 「あぁ。任せろ。じゃあな。おい、トミー行くぞ。」
 「富頭だ。トミーじゃない。おいってなんだおいって!」

 嶋藤は佐原とトミーことテニス部顧問の教員である富頭英二とがしらえいじを連れてベンチへと戻って行く。桃谷は黙り、ベンチ席に座って影村のいる東越大チームの試合を見る。一方、管理棟前では八神が女子高生達の対応に追われていた。彼はつくづくマネージャーが欲しいと感じていた。そこへ神奈川商工大学の面々が到着する。相沢はまたかといった表情で八神の方を見ていた。

 「うわー。やっぱ芸能事務所に声がかかってるやつは違うねぇ。」
 「性格は結構上から目線でひどいけどな。」
 「あー、分かる。でも相沢の後輩なんだろ?」
 「あぁ、近所のガキンチョで同じ中学校、高校だ。じゃ、迎えに行ってくるわ。」

 相沢は八神を迎えに行くように彼へと近づいた。すると八神を取り囲んでいた女子高生達が一斉に彼を睨み付けた。相沢はラケットを担いで仁王立ちになった。

 「ちょっと、何よ!邪魔しないでくれる!?」
 「そうよ、私未だ撮影終わってないんですけど!」
 「八神君サインちょうだい!」
 「写真撮ってぇ...!」

 「アンタらのそれで八神が試合に間に合わなかったら棄権になりますが、負けた時どう責任取ってくれるんですか?」

 「.........。」

 「試合の方を応援してください。八神行くぞ。次は5番コートで試合だ。」
 「わかった。」

 八神は助かったといった表情で、女子高生や中学生らを押し退けて神奈川商工大学のメンバーと合流した。メンバー達は八神を可愛がるように背中を叩いたり、「ウェーイ」とふざけて肩を組んだりしていた。八神は振り返ると、どこか寂しそうに彼の背華夏を見つめるファン達に笑顔で手を振る。女子高生や女子中学生らが目をハートにして頭から煙を出している。そしてキャーキャーと叫びながら八神の背中を見送る。

 「東越大チームのシングルス1の奴、JOPプロに勝ったんだってな。」
 「....あぁ、さっき。富士宮恵泉学園のマネージャーがそいつの事見てたな。あの顔、相当警戒してる感じだったぜ。」
 「富士宮恵泉学園って矢留が入学したところか。あそこも鹿子不動産絡みの学校だったんだな。」
 「八神と矢留が参加している上に東越大チームにはプロに勝っちまう大学生まで参加してる。絶賛荒れてるな。この大会。」

 「...?あいつ、俺と同じ高校1年生だぞ。さっき通りすがりでその話を聞いた。」

 「......えぇ――――!?」

 「ハハッ...行くよ先輩達。」

 神奈川商工大学の面々は固まった後、全員一緒にリアクションした。八神はラケットを脇に挟んでポケットに手を突っ込んだまま笑いながら5番コートへと進んでいった。相沢以外の面々が八神の笑う姿を見たのは初めてだった。彼らは珍しい事もあるものだと云わんばかりの表情で互いに顔を合わせ、次の第3試合が行われる5番コートへと足を進めた。
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