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Moving On
manuscript.29
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千葉県 市街道市 陣内東詰テニススクール
山城が照山に許可を取り、彼女に頼んで影村の稼いできた賞金の内で使っていない1回分のレッスン代を利用して、彼に練習する機会を与える。3年生が見守る中、影村は練習を始める。
「山城の動画を見て何事かと思ったが、影村が資金をモリモリ稼いでくる理由が分かった。あいつはたぶん強い。」
「...そうね。でも私達、影村君がラケットを振る姿、初めて見るかも。」
「照山も見た事なかったのか?」
「そうよ酒井。いつも試合の結果だけが送られてくるもの。私は試合を申し込むだけの状況だもの。」
「影村すまない...主将でありながら、俺はお前がラケットを握っている姿を見たことがない...。」
「泣くのか?お?」
「泣かねーよ酒井。」
3年生達は影村がラケットを振っている姿を見たことがなかった。山城が影村の試合状況の動画を撮影して3年生へ見せたのをきっかけに、3年生の中で彼の練習風景も見たいと声が上がった。この日最後のスクール生達が帰宅する時間に影村が入れ替わる様にコートへ入っていく。身長、体格の大きさにすれ違うスクール生達が彼をチラチラ見ていた。田覚はあらかじめ影村に渡された練習メニューを確認すると、こいつ正気かといった目で彼を見た。
「影村、アップ方法は実際にトッププロがやっているメニューだとして、それ以降のはハード過ぎないか?」
「いいや、これぐらいでないと足りないんだ。」
「しかし...」
「東越大の連中とは毎度この練習を行っている。」
「...東越大。名門の連中と練習しているのか。」
照山は影村が山瀬の兄である敏孝と知り合いなのは、前回の高峰と山瀬の試合で知ったが、まさか影村が東越大で彼らと練習しているとは思ってもいなかった。影村はコートのベースライン中央へと移動して軽くステップを踏んだ。田覚もベースラインへと下がる。そして影村と向かい合った。3年生達は影村が持っているラケットに驚いた。
「な、なぁ、あのラケット...」
「錘だらけ...ごりっごりのトップヘヴィか。」
「あのラケット、ライノックスの...どうしてあんなにも使いづらい超トップヘヴィウェイトバランスのラケットを持ってるのかしら。」
3年生達は影村のラケットを見て、重すぎて大衆向けではないと不評だった上にさらに錘を付けるという、その有り得ないスタイルに困惑する。彼らの脳裏で影村に対して振れるのかという疑いの目を向ける。影村はラケットを上に上げて左右に軽く振った。それは練習開始の合図だった。
「始めてくれ。」
「あぁ...。」
田覚は影村へ緩くボールを打った。影村は軽くステップしながらボールを打つ。ラケットヘッドを立てたまま肩を小さく回した独特のテイクバック。田覚からのボールがバウンドする前に小さく回される肩と同時に、ラケットを引いた状態が完成する。しかし3年生達が驚いたのは打音だった。小さなフォームで最高のパフォーマンスを発揮することを旨とした影村の打ち方から、その技量も然る事ならがら、ボールの打点が体の前で捉えられている。
「なんだあれ...ボールを軽く打ってるのに、なんか殴ったような音がしてるぞ。」
「えぇ、それだけ影村君のスイングが適正な打点位置でボールを捉えているのよ。あんなことできるプレーヤーそういないわ。」
影村の打つボールは一般のプレーヤーが打つパコンッとった軽い音ではなく、1球打つごとにドゴッという鈍い音がしていた。まるで何か鈍器でボールを殴っているようだった。軽く打っているように見えるがその実ボールの威力は言わずもがなの高威力であった。
「......既に高校生レベルの域じゃねぇよなあれ。」
「あぁ、バックハンドですら超小さくテイクバックして打ってるのにあの威力。どんだけ筋力あんだよ。」
「えぇ、驚異的な胸筋と体幹部ね。あんなにも無駄を削っているフォーム、見るのは初めてよ。」
影村は田覚とストレートの打ち合いをしながら徐々に前へと進み、今度はベースラインの内側でボールを打ち始める。彼はバウンドしてきたボールが上がりきる途中で打つライジングショットを基本ベースとしてラリーを展開するプレースタイルだった。照山はボールがバウンドして上がりきる前に、影村のラケットが正確にボールを捉える状況を見た時、彼の基本スタイルを理解した。
「...影村君、ライジング系のストローカ―よ。」
「ライジングってあまり威力が無いって日本の有名プレーヤーが言ってたんだけど、これ見たら完全に間違いだわ。」
「えぇ岡部、ライジングでも威力が出る様に、彼はボールの打点を前で捉えてる。スイングの軌道も前を意識してる。」
「コンパクトでそれでいて高威力、しかもライジング気味のショットで相手に返すって、それって相手からすると...」
「とんでもなくやりづらいわ。自分が相手にボールを打って、次の態勢に入る時点でもうボールが返ってきているもの。」
「ですよねー。」
影村はボールをゆったりと打っている。彼がウォーミングアップを行ってから5分が経つ。田覚の表情が曇る。ずっとラリーが続いている。ずっとずっとである。しかしこの違和感は何だろうか。3年生達も影村と田覚のラリーに違和感を感じた。酒井は一筋の冷や汗を垂らしながら、何かに気が付いたようにボソリと発言する。
「...あいつ...ボールをネットに掛けたりアウトしてない。」
「嘘....。」
「お、おい!それって1回もミスってないって事じゃねぇか。」
「もう最初の1球から5分打ち合ってる。私、怖い...。」
3年生達はゾッとした。永遠と最初の1球目が続く。同じ球を同じ場所へ、そして相手へ同じ位置へボールを打たせるようにコントロールしており、尚且つ田覚がとても打ちやすい場所へと落ちるため、田覚もミスをすることができなかった。
「...。(おいこれずっと1球目じゃねぇか。しかもなんだ?この感覚は...安心感?俺はあいつと一定ペースでラリーしてるのか。だとしたら影村はとんでもない技量を持ってることになるぞ!プロのヒッティングパートナーでもこうはならねぇよ!)」
田覚はボールを強く打ったり6割の力で影村のフォアハンド、バックハンドへとボールを出すが、すべて同じ高さでネットを通過し、同じバウンド位置でボールが落ち、田覚が打ちやすい同じ場所へバウンドする。
「...。(俺...もしかしてとんでもない化物と練習を始めちまったんじゃねぇか?...まぁ、あん時の試合で薄々感づいてはいたが...。)」
影村が田覚とラリーを初めて10分が経過した。田覚はしびれを切らしてボールを強く打ち込むも影村はそれをいとも簡単に返してしまう。彼はこのラリーが地獄の入り口か何かに思えた。影村は田覚に気持ちよくボールを打たせている。しかしそれが長い時間続くとストレスへと変わる。影村はそれを狙っていた。打ち込んでこい、打ち込んでこいと待つように、相手にストレスをかける。彼はスイス時代にこれをサークルメンバー達でやっていた。まずアンディがキレて撃ち込み始める。その後にジャックが続き、マルコスがキレて打ち込んだ後に最後に影村が打ち込む。ローマンは機械の様に撃ち込まれたボールをどこか黒い笑顔をしながら淡々と返球していた。
「打ち込むぞ!ストレートから全面ラリーだ!」
「...フッ。」
影村は大きく1回ジャンプした。全面ラリーの開始。田覚がラリーのフラストレーション発散の為なのか、全力でボールを打ち始めた。田覚は影村を左右に振る。シングルスコートの左右端へとボールを打つ。影村はその全てをストレートに打ち込んでダウンザラインで返した。田覚はボールを何とかクロスへ打って影村へと返すが、影村はまたダウンザラインで返球する。
「あぁ、つらぁい...」
「自分がやられた時を想像するとヤバイよねコレ。」
酒井と岡部は目を覆っていた。体力が尽きた田覚はボールをネットへかけた。田覚はボールが入ったカゴの乗ったカートをサービスラインの中央へと置く。ボール出し練習が始まる。田覚は渡された練習メニュー通りにボールを打ちだす。3年生達はボール出しのやり方を見てゾッとした。前、後ろと縦横無尽にランダムなボール出しが行われた。ただし条件があり、ボールがバウンドした時点で次の球出しが行われるという鬼畜クラス級のボール出しであった。影村はこれを休むことなく10分間続けた。
「......10分続けるとかどんな体力だよ。」
「普通ボールがバウンドしたタイミングに次のボール出しとか、まだ打ってる途中なのにもう次の移動を考えなきゃいけないのか。」
「...これ、とんでもない練習方法ね。常に次のボールへの対処を強要しているわ。(もしかして、彼はこれを永遠とクリアするまでやらせられたが故のコンパクトフォーム?)」
影村は息を散らした。両手を両膝について中腰になりながら、血の匂いがする肺からの息を感じ、大量の汗を流していた。3年生達はもう彼が怒涛の勢いで出されるボールを打ちまくっていたことに戦々恐々した。1時間程度の練習が終わる。たった1時間だった。その1時間の中で普通の学生ならぐったりと倒れ込む内容の練習メニュー。コートに戻った彼はプロテインを一気に飲み干した。岡部は影村へ声をかける。
「練習お疲れ様。影村...こんな激しすぎる練習をずっとしてきたのか?」
「あぁ...3月末まで毎日やっていた。ここ最近は試合詰めで土日の東越大の面子との練習だけだが。」
「こんな練習を毎日...。」
「それじゃあ、俺は着替えてくるぜ。先輩達、もう帰るだろう?」
「あぁ、それじゃあ待ってるぜ。」
千葉県 市街道市 某所 笹林亭
影村と酒井に続いて、この店に始めてくる岡部と照山が店に入ってきた。
「いらっしゃいネ...大人数だね!」
「4人だ。」
「大人数じゃないね。22時だから飲み屋の客が流れてくる思ったネ」
「そうか。」
「そっちのテーブル席行くネ。」
「へーい」
酒井は店主と気さくに話している。影村達はカウンターの向かい側にある4人掛けの席へと座る。壁に貼られた沢山のメニュー店主曰く酔っ払い客のリクエストが増えた結果らしい。照山はメニュー表を開く。
「俺と影村は決まってるんだ。2人はゆっくり決めてくれ。」
「酒井、オススメあるのか?」
「あるぜ。」
「じゃあ、俺も同じ奴頼むか。」
「私、ハーフサイズがいいわ。中華料理ってボリューム凄いじゃない。」
「OK!」
「すいませーん。汁なし担々麺一つ大盛のカシューナッツ増し、2つは普通、一つハーフサイズ。あとから揚げ2皿と炒飯3つ!」
「アイヨー!」
酒井はまるで通い慣れているようにさらりと店主へメニューを注文する。岡部と照山の2人は、汁なし担々麺を食べててはそのエキゾチックな風味に何らかの中毒性染みた新感覚の味を感じた。その後誰かが店へと入ってくる。
「いらっしゃいネ!」
「おう。」
「え、田覚コーチ!?」
「ここ俺の行きつけ。あ、汁なし一つ。」
「アイヨー!」
田覚はカウンターへ座る。そして4人の方を向いて水を飲みながら会話を始めた。田覚はまず影村の練習メニューに触れる。
「しっかし影村。今日の練習内容見て俺は驚いたぞ。あのメニュー、お前らの学校の連中にやったらどうなるだろうな。あ、食べながらていいぞ。」
「竹下以外は脱落だろうな。」
「はっはっは!山瀬なんかにやらせたら秒で蒸発するだろうな。」
「...ッフ。」
「で、お前らこれからどうするんだ?このまま影村に資金を稼がせることが続くと、こいつが公式戦に出られなくなっちまう。それに、いま一般の草トーナメントの全体管理をする、日本テニス連盟協会の運営委員会で、影村についての噂が広がっている。その内影村が非加盟の試合以外は草トー出禁になるぞ。照山ちゃん、何か策は考えているのかい?」
「えぇ、それが問題ですね。1人でも多く戦力を確保したい。今の海生代は竹下君と高峰君、山瀬君がいる。でも、もっと戦力がいるわ。実績を出し続けないと...今は支援の手が欲しいから。」
「活動資金か...学校の部費でも雀の涙。コートを取られたのはでかいな。まぁ、学校のコートなんて一般のテニススクールに比べれば中途半端なクレーコートみたいなものだしな。」
「えぇ、高峰君が今クラウドファンディングを募集し始めたところです。それに顧問の峰沢先生も同じく近隣の町内会や、商店街に寄付のポスターを貼って活動している状態です。あまりうまくいってませんが。」
「重森め...あいつやりすぎたな。マジで男子テニス部を潰す気だったんだな。」
照山を始めとした海生代高校の面々は、田覚の口から重森の名前が出たことに驚く。特に照山は汁なし担々麺を食べる箸を止める。彼女は田覚へ真剣な顔で質問する。
「あれ、田覚コーチ。重森先生を知っているんですか?」
「知ってるも何も、重森っていやぁ千葉で有名な全国優勝まで行ったプレーヤーだぞ。北瀬の女王って呼ばれてたんだぜ?高3でテニスコート上から退いたけどよ。」
「......。」
重森が元全国屈指の超高校級女子テニスプレーヤーだった事実を知って3年生達は動きを止めた。影村はまるで機械の様に栄養補給のため炒飯と汁なし担々麺とから揚げ、それに添えてあった大きなパセリを貪り食っていた。固まった3年生と料理を貪り食う影村を前に、店主が田覚の注文したメニューを彼のカウンター席に置いた。
「アイヨ、汁なしね。」
「お、センキュー店主。」
「お、回鍋肉くれ。腹減ってんだ。」
「アイヨー。」
「あ、あの、田覚さん。重森先生って、そんな過去があったんですか?」
「あぁ、そうだぜ。」
「教えてもらってもいいですか?」
店主は頷く。影村はまだ空腹なのか、追加注文で回鍋肉を頼んだ。田覚は重森の過去を話し始める。それは彼にとって青春時代に残した後悔でもあった。夜の20時、笹林亭を出た場所から見える踏切。その奥に見える黒い水平線を背に、航空障害灯をちらつかせる工場が集団を作り、まるで巨大な一つの建物の様に夜の闇の中でその存在感を高らかに誇示していた。
山城が照山に許可を取り、彼女に頼んで影村の稼いできた賞金の内で使っていない1回分のレッスン代を利用して、彼に練習する機会を与える。3年生が見守る中、影村は練習を始める。
「山城の動画を見て何事かと思ったが、影村が資金をモリモリ稼いでくる理由が分かった。あいつはたぶん強い。」
「...そうね。でも私達、影村君がラケットを振る姿、初めて見るかも。」
「照山も見た事なかったのか?」
「そうよ酒井。いつも試合の結果だけが送られてくるもの。私は試合を申し込むだけの状況だもの。」
「影村すまない...主将でありながら、俺はお前がラケットを握っている姿を見たことがない...。」
「泣くのか?お?」
「泣かねーよ酒井。」
3年生達は影村がラケットを振っている姿を見たことがなかった。山城が影村の試合状況の動画を撮影して3年生へ見せたのをきっかけに、3年生の中で彼の練習風景も見たいと声が上がった。この日最後のスクール生達が帰宅する時間に影村が入れ替わる様にコートへ入っていく。身長、体格の大きさにすれ違うスクール生達が彼をチラチラ見ていた。田覚はあらかじめ影村に渡された練習メニューを確認すると、こいつ正気かといった目で彼を見た。
「影村、アップ方法は実際にトッププロがやっているメニューだとして、それ以降のはハード過ぎないか?」
「いいや、これぐらいでないと足りないんだ。」
「しかし...」
「東越大の連中とは毎度この練習を行っている。」
「...東越大。名門の連中と練習しているのか。」
照山は影村が山瀬の兄である敏孝と知り合いなのは、前回の高峰と山瀬の試合で知ったが、まさか影村が東越大で彼らと練習しているとは思ってもいなかった。影村はコートのベースライン中央へと移動して軽くステップを踏んだ。田覚もベースラインへと下がる。そして影村と向かい合った。3年生達は影村が持っているラケットに驚いた。
「な、なぁ、あのラケット...」
「錘だらけ...ごりっごりのトップヘヴィか。」
「あのラケット、ライノックスの...どうしてあんなにも使いづらい超トップヘヴィウェイトバランスのラケットを持ってるのかしら。」
3年生達は影村のラケットを見て、重すぎて大衆向けではないと不評だった上にさらに錘を付けるという、その有り得ないスタイルに困惑する。彼らの脳裏で影村に対して振れるのかという疑いの目を向ける。影村はラケットを上に上げて左右に軽く振った。それは練習開始の合図だった。
「始めてくれ。」
「あぁ...。」
田覚は影村へ緩くボールを打った。影村は軽くステップしながらボールを打つ。ラケットヘッドを立てたまま肩を小さく回した独特のテイクバック。田覚からのボールがバウンドする前に小さく回される肩と同時に、ラケットを引いた状態が完成する。しかし3年生達が驚いたのは打音だった。小さなフォームで最高のパフォーマンスを発揮することを旨とした影村の打ち方から、その技量も然る事ならがら、ボールの打点が体の前で捉えられている。
「なんだあれ...ボールを軽く打ってるのに、なんか殴ったような音がしてるぞ。」
「えぇ、それだけ影村君のスイングが適正な打点位置でボールを捉えているのよ。あんなことできるプレーヤーそういないわ。」
影村の打つボールは一般のプレーヤーが打つパコンッとった軽い音ではなく、1球打つごとにドゴッという鈍い音がしていた。まるで何か鈍器でボールを殴っているようだった。軽く打っているように見えるがその実ボールの威力は言わずもがなの高威力であった。
「......既に高校生レベルの域じゃねぇよなあれ。」
「あぁ、バックハンドですら超小さくテイクバックして打ってるのにあの威力。どんだけ筋力あんだよ。」
「えぇ、驚異的な胸筋と体幹部ね。あんなにも無駄を削っているフォーム、見るのは初めてよ。」
影村は田覚とストレートの打ち合いをしながら徐々に前へと進み、今度はベースラインの内側でボールを打ち始める。彼はバウンドしてきたボールが上がりきる途中で打つライジングショットを基本ベースとしてラリーを展開するプレースタイルだった。照山はボールがバウンドして上がりきる前に、影村のラケットが正確にボールを捉える状況を見た時、彼の基本スタイルを理解した。
「...影村君、ライジング系のストローカ―よ。」
「ライジングってあまり威力が無いって日本の有名プレーヤーが言ってたんだけど、これ見たら完全に間違いだわ。」
「えぇ岡部、ライジングでも威力が出る様に、彼はボールの打点を前で捉えてる。スイングの軌道も前を意識してる。」
「コンパクトでそれでいて高威力、しかもライジング気味のショットで相手に返すって、それって相手からすると...」
「とんでもなくやりづらいわ。自分が相手にボールを打って、次の態勢に入る時点でもうボールが返ってきているもの。」
「ですよねー。」
影村はボールをゆったりと打っている。彼がウォーミングアップを行ってから5分が経つ。田覚の表情が曇る。ずっとラリーが続いている。ずっとずっとである。しかしこの違和感は何だろうか。3年生達も影村と田覚のラリーに違和感を感じた。酒井は一筋の冷や汗を垂らしながら、何かに気が付いたようにボソリと発言する。
「...あいつ...ボールをネットに掛けたりアウトしてない。」
「嘘....。」
「お、おい!それって1回もミスってないって事じゃねぇか。」
「もう最初の1球から5分打ち合ってる。私、怖い...。」
3年生達はゾッとした。永遠と最初の1球目が続く。同じ球を同じ場所へ、そして相手へ同じ位置へボールを打たせるようにコントロールしており、尚且つ田覚がとても打ちやすい場所へと落ちるため、田覚もミスをすることができなかった。
「...。(おいこれずっと1球目じゃねぇか。しかもなんだ?この感覚は...安心感?俺はあいつと一定ペースでラリーしてるのか。だとしたら影村はとんでもない技量を持ってることになるぞ!プロのヒッティングパートナーでもこうはならねぇよ!)」
田覚はボールを強く打ったり6割の力で影村のフォアハンド、バックハンドへとボールを出すが、すべて同じ高さでネットを通過し、同じバウンド位置でボールが落ち、田覚が打ちやすい同じ場所へバウンドする。
「...。(俺...もしかしてとんでもない化物と練習を始めちまったんじゃねぇか?...まぁ、あん時の試合で薄々感づいてはいたが...。)」
影村が田覚とラリーを初めて10分が経過した。田覚はしびれを切らしてボールを強く打ち込むも影村はそれをいとも簡単に返してしまう。彼はこのラリーが地獄の入り口か何かに思えた。影村は田覚に気持ちよくボールを打たせている。しかしそれが長い時間続くとストレスへと変わる。影村はそれを狙っていた。打ち込んでこい、打ち込んでこいと待つように、相手にストレスをかける。彼はスイス時代にこれをサークルメンバー達でやっていた。まずアンディがキレて撃ち込み始める。その後にジャックが続き、マルコスがキレて打ち込んだ後に最後に影村が打ち込む。ローマンは機械の様に撃ち込まれたボールをどこか黒い笑顔をしながら淡々と返球していた。
「打ち込むぞ!ストレートから全面ラリーだ!」
「...フッ。」
影村は大きく1回ジャンプした。全面ラリーの開始。田覚がラリーのフラストレーション発散の為なのか、全力でボールを打ち始めた。田覚は影村を左右に振る。シングルスコートの左右端へとボールを打つ。影村はその全てをストレートに打ち込んでダウンザラインで返した。田覚はボールを何とかクロスへ打って影村へと返すが、影村はまたダウンザラインで返球する。
「あぁ、つらぁい...」
「自分がやられた時を想像するとヤバイよねコレ。」
酒井と岡部は目を覆っていた。体力が尽きた田覚はボールをネットへかけた。田覚はボールが入ったカゴの乗ったカートをサービスラインの中央へと置く。ボール出し練習が始まる。田覚は渡された練習メニュー通りにボールを打ちだす。3年生達はボール出しのやり方を見てゾッとした。前、後ろと縦横無尽にランダムなボール出しが行われた。ただし条件があり、ボールがバウンドした時点で次の球出しが行われるという鬼畜クラス級のボール出しであった。影村はこれを休むことなく10分間続けた。
「......10分続けるとかどんな体力だよ。」
「普通ボールがバウンドしたタイミングに次のボール出しとか、まだ打ってる途中なのにもう次の移動を考えなきゃいけないのか。」
「...これ、とんでもない練習方法ね。常に次のボールへの対処を強要しているわ。(もしかして、彼はこれを永遠とクリアするまでやらせられたが故のコンパクトフォーム?)」
影村は息を散らした。両手を両膝について中腰になりながら、血の匂いがする肺からの息を感じ、大量の汗を流していた。3年生達はもう彼が怒涛の勢いで出されるボールを打ちまくっていたことに戦々恐々した。1時間程度の練習が終わる。たった1時間だった。その1時間の中で普通の学生ならぐったりと倒れ込む内容の練習メニュー。コートに戻った彼はプロテインを一気に飲み干した。岡部は影村へ声をかける。
「練習お疲れ様。影村...こんな激しすぎる練習をずっとしてきたのか?」
「あぁ...3月末まで毎日やっていた。ここ最近は試合詰めで土日の東越大の面子との練習だけだが。」
「こんな練習を毎日...。」
「それじゃあ、俺は着替えてくるぜ。先輩達、もう帰るだろう?」
「あぁ、それじゃあ待ってるぜ。」
千葉県 市街道市 某所 笹林亭
影村と酒井に続いて、この店に始めてくる岡部と照山が店に入ってきた。
「いらっしゃいネ...大人数だね!」
「4人だ。」
「大人数じゃないね。22時だから飲み屋の客が流れてくる思ったネ」
「そうか。」
「そっちのテーブル席行くネ。」
「へーい」
酒井は店主と気さくに話している。影村達はカウンターの向かい側にある4人掛けの席へと座る。壁に貼られた沢山のメニュー店主曰く酔っ払い客のリクエストが増えた結果らしい。照山はメニュー表を開く。
「俺と影村は決まってるんだ。2人はゆっくり決めてくれ。」
「酒井、オススメあるのか?」
「あるぜ。」
「じゃあ、俺も同じ奴頼むか。」
「私、ハーフサイズがいいわ。中華料理ってボリューム凄いじゃない。」
「OK!」
「すいませーん。汁なし担々麺一つ大盛のカシューナッツ増し、2つは普通、一つハーフサイズ。あとから揚げ2皿と炒飯3つ!」
「アイヨー!」
酒井はまるで通い慣れているようにさらりと店主へメニューを注文する。岡部と照山の2人は、汁なし担々麺を食べててはそのエキゾチックな風味に何らかの中毒性染みた新感覚の味を感じた。その後誰かが店へと入ってくる。
「いらっしゃいネ!」
「おう。」
「え、田覚コーチ!?」
「ここ俺の行きつけ。あ、汁なし一つ。」
「アイヨー!」
田覚はカウンターへ座る。そして4人の方を向いて水を飲みながら会話を始めた。田覚はまず影村の練習メニューに触れる。
「しっかし影村。今日の練習内容見て俺は驚いたぞ。あのメニュー、お前らの学校の連中にやったらどうなるだろうな。あ、食べながらていいぞ。」
「竹下以外は脱落だろうな。」
「はっはっは!山瀬なんかにやらせたら秒で蒸発するだろうな。」
「...ッフ。」
「で、お前らこれからどうするんだ?このまま影村に資金を稼がせることが続くと、こいつが公式戦に出られなくなっちまう。それに、いま一般の草トーナメントの全体管理をする、日本テニス連盟協会の運営委員会で、影村についての噂が広がっている。その内影村が非加盟の試合以外は草トー出禁になるぞ。照山ちゃん、何か策は考えているのかい?」
「えぇ、それが問題ですね。1人でも多く戦力を確保したい。今の海生代は竹下君と高峰君、山瀬君がいる。でも、もっと戦力がいるわ。実績を出し続けないと...今は支援の手が欲しいから。」
「活動資金か...学校の部費でも雀の涙。コートを取られたのはでかいな。まぁ、学校のコートなんて一般のテニススクールに比べれば中途半端なクレーコートみたいなものだしな。」
「えぇ、高峰君が今クラウドファンディングを募集し始めたところです。それに顧問の峰沢先生も同じく近隣の町内会や、商店街に寄付のポスターを貼って活動している状態です。あまりうまくいってませんが。」
「重森め...あいつやりすぎたな。マジで男子テニス部を潰す気だったんだな。」
照山を始めとした海生代高校の面々は、田覚の口から重森の名前が出たことに驚く。特に照山は汁なし担々麺を食べる箸を止める。彼女は田覚へ真剣な顔で質問する。
「あれ、田覚コーチ。重森先生を知っているんですか?」
「知ってるも何も、重森っていやぁ千葉で有名な全国優勝まで行ったプレーヤーだぞ。北瀬の女王って呼ばれてたんだぜ?高3でテニスコート上から退いたけどよ。」
「......。」
重森が元全国屈指の超高校級女子テニスプレーヤーだった事実を知って3年生達は動きを止めた。影村はまるで機械の様に栄養補給のため炒飯と汁なし担々麺とから揚げ、それに添えてあった大きなパセリを貪り食っていた。固まった3年生と料理を貪り食う影村を前に、店主が田覚の注文したメニューを彼のカウンター席に置いた。
「アイヨ、汁なしね。」
「お、センキュー店主。」
「お、回鍋肉くれ。腹減ってんだ。」
「アイヨー。」
「あ、あの、田覚さん。重森先生って、そんな過去があったんですか?」
「あぁ、そうだぜ。」
「教えてもらってもいいですか?」
店主は頷く。影村はまだ空腹なのか、追加注文で回鍋肉を頼んだ。田覚は重森の過去を話し始める。それは彼にとって青春時代に残した後悔でもあった。夜の20時、笹林亭を出た場所から見える踏切。その奥に見える黒い水平線を背に、航空障害灯をちらつかせる工場が集団を作り、まるで巨大な一つの建物の様に夜の闇の中でその存在感を高らかに誇示していた。
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