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Moving On

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 草トーナメント決勝戦前。

 龍谷は、中学生の頃から彼を支え続けたマネージャーであり、彼女の伊草香織いぐさかおりと話していた。伊草はとても大人しい淑女で、病気がちだったが、龍谷と道を共に歩み始めると、塞ぎがちだった性格も明るくなった。

 いつも彼を気に掛け、優しい言葉をかけ、励まし、努力する彼を温かく見守った。龍谷はそんな彼女の事を大事に思っていた。彼は全中の時にできなかった東京旅行を伊草と二人で満喫中だった。そんな中テニスの腕が鈍らないように、草トーナメントに参加していた。正直に言うと、彼女にいいところを見せたかっただけである。

 「九州に相手おらん言うて、東京でばってるんに、なんでこげな大会ば出るん?」
 「こん大会ば賞金がデカとぉ、香織にええもん食わせたろう思もぉてのぉ...」
 「もぉ、そげなこと言っとると、足元救われるっちゃよ。」
 「そ、そうかのぉ...」
 「もう、宰ちゃんは直ぐに突っ走るんねぇ。」
 「へへへ...」

 龍谷宰は九州では最早敵なしだった。最後全中でも、持ち前のパワーとスピードで愛知の水谷、静岡の矢留には勝った。しかし神奈川代表の八神には勝てなかった。そんな彼も東京へ行けばもっと世界が広がるのかもしれないという期待を込めての草トーナメント参加だった。彼はトーナメントを順当に勝ち進み、今回賞金につられてやってきた影村と決勝戦を対戦する。

 「...さて、久しぶりにマネの仕事するばい。」

 伊草は手帳を取り出し、フェンス越しに龍谷の試合を見る。八神に3-6、4-6で敗北した悔しい光景を思い出す彼女。それから龍谷は全力で練習に励んだ。高校が始めると、真っ先にレギュラー争奪戦のランキング戦で勝利の山を築いた。今の彼は打倒八神をスローガンに掲げていた。


 東京都杉並区松山東運動場テニスコートで、ネットを挟んで大柄な2人の少年が向かい睨み合う。

 「こ、これより、龍谷選手と影村選手の決勝戦を行います。」

 審判は身長の低い若い女性でもはや猛獣を前に動けない小動物だった。背の高い選手は見てきたが、最早二人は、彼女が見てきた選手とは別次元のオーラが漂っていた。

 伊草は影村を見ると、脚が震えた。身長、大きな体格。全身の筋肉の引締まり具合。彼女は龍谷と並ぶ選手が他にもいたのかと驚いた。

 「宰ちゃん...(なんじゃ、あの大男...なんて筋肉ばしよるん!)」

 伊草はフェンスの網をぎゅっと握った。審判の女性は2人の巨大な筋肉ムキムキの大男を目の前に、その圧に押されてガタガタと震えながら試合を進行する。

 「こ、コイントスです!」

 「裏じゃ!」
 「表だ。」

 審判はコインを上に弾くとそれを地面に落とした。コイントスは龍谷の勝ちだった。

 「わしサーブやるけん。ねぇちゃんはようボールよこしぃ。」

 「は、はい...(やばいやばい!この人達絶対やばいよ!何人か殺っるよ!)」

 龍谷は審判からボールを受け取った。彼は坊主頭をポリポリと掻きながらボールを突きながらベースラインへ下がる。影村はベースラインの後ろに下がって龍谷の様子を見る事にした。龍谷はサーブの構えに入る。彼のサービスフォームはオープンスタンスという、影村のクローズスタンスとは対照的な体を前に開いた状態でサーブを打つスタイルだった。

 影村は軽快にステップをしながら龍谷の方を見て、骨格や筋肉の付き具合、そして彼のフォームから推測するサーブのコースと速度を読み取る。龍谷はトスを上げてそのまま体を捻じり左足を軸に右足を前に寄せる。膝の屈伸から貯め込まれたエネルギーが、体の捻じれを戻すときに一気に解放される。それはラケットのスイングに全て変換された。

 ドゴンとラケットがボールを殴っているような音が辺りに響く。球種はフラットサーブ、コースはサービスラインフォアハンド側。オープンスタンスの強烈なサーブ。ボールはバウンドすると影村のフォアハンド側をぶち抜くように通過しようとした。龍谷のサービスのスピードは190キロを軽く超えていた。

 その刹那、審判はあまりの迫力に体を固まらせ、龍谷はあくどそうに笑う。スローモーションの感覚が一気に元に戻ると同時に、龍谷の打ったファーストサーブのボールの軌道上に影村のラケットのスイートスポットがぶつかった。影村はボールへ飛びつくようにステップし、超コンパクトなフォアハンドスイングを駆使し龍谷のサーブを彼のバックハンド側へと撃ち返した。

 「.....!(ハハハ!やっぱのぉ!東京の草トーはこうじゃなかと楽しかなかばい!)」

 「...。(あぁ、このパワー、アンディ...。)」


 影村が撃ち返したボールを龍谷が走りオープンスタンスからの片手バックハンドで打ち返す。ただのバックハンドではない。通常フォアハンドよりも威力が劣ることの方が多いバックハンドだが、龍谷のそれは最早フォアハンドと同じ威力で打つことができた。

 「ハッハッハ!」

 龍谷は楽しさに浸りながら影村のバックハンド側へとボールを打ち返す。しかしすでにバックハンド側に影村の姿があり。コンパクトテイクバックによって、彼の両手バックハンドの準備が完了していた。影村がバックハンドから龍谷の虚を突き、彼のコートのフォアハンド側アウトラインギリギリに真っすぐボールを打ち込む。所謂ダウンザラインと呼ばれるそれは、一度決められると対処が難しいものだった。龍谷は反応できずボールをやり過ごした。

 「.....ラ、0-15ラブ・フィフティーン!」

 「うおぉぉぉ!すげぇ!」
 「今のボールえっぐぃ!」

 興奮する観客を余所に影村はラケットの少しずれたガットの目をギリギリと触って元に戻す。龍谷と影村の今のラリー時間はたった5秒と少しだった。それは最早草トーナメントのレベルを逸脱していた。伊草は動揺した。バケモノがいる。彼女は手帳を持つ手が震えていた。

 龍谷は次のサービス位置へと向かう。ラケットでボール突く速さが通常の人間より速かった。そして手でボールを突く速さも同じだった。彼はサービスの構えに入る。影村は静かにジリジリとベースラインの内側へと迫る。龍谷がトスを上げるとともにスプリットステップを行い半歩前へと出る。


 龍谷はオープンスタンスからのフラットサーブを今度は影村のコートサービスラインのセンターへと打ち込む。影村は肩を小さく回すテイクバック動作からボールを迎え入れラケットスイングを合わせフォアハンドを打ち込んだ。ボールは龍谷の足元近くに猛スピードで返球される。彼は力技でラケットを振り、ネットの上ギリギリを通して影村のフォアハンド側へと返す。

 「......!(なんでもう居るんじゃぁ!そこに!)」

 影村はネット前へ詰めていた。龍谷の返したボールをブロックボレーで返す。速い速度でまたもや龍谷の足元にぼるを返球する。龍谷もネット前へと近づきながら力ずくでボールを打つと真っすぐ直進した。影村はフォアハンド側に返って来たボールを、今度は龍谷のバックハンド側へと返す。

 「......。(バックハンドがら空き!)」

 龍谷はすかさずバックハンドのブロックボレーでボールを影村のバックハンド側へと返す。影村はフォアハンド側からラケットを背中へと回して手首を裏返す。龍谷の打ったボールが影村の背中回しに出されたラケットに当たり、打った自分の身体側へと返る。

 「......っ!(なんじゃ!どげん身体しとるんじゃこいつ!)」

 龍谷は自分のボディに帰って来たボールを処理しようと、思わずボールをネットの2.5メートルほど上に打ち上げてしまった。龍谷の前に彼に背中を向けたままジャンプする影村の姿があった。影村はそのまま強烈な背筋と肩を使ってラケットを後ろに振り背面スマッシュを決めた。

 ボールは龍谷の後ろへとまるで投げやりのように飛んでいきベースラインの内側へと落ちる。

 観客が静まる。龍谷の瞳が揺らぐ。影村はあくどそうな笑みを浮かべ着地した。

 「.........!(なんじゃこいつは...わしの...わしの見たこと無かプレーヤーばい!)」

 国内に5人の天才以外敵なしといわれる龍谷。彼はこの日ショックな出来事に直面した。影村は着地すると表情を変えずに次の位置へと移動した。

 「...ラ、0-30ラヴ・サーティ。(なんなのこの子達...!トッププロなんて呼んだ覚えないわよ!)」

 龍谷は大きく深呼吸するとボールを突きながらベースラインへと下がっていった。審判は気が気ではなかった。190キロから200キロのサーブを打つ龍谷のサーブをジャッジするのに手いっぱな上に影村とのもはや予測もつかないラリー戦や前衛戦を繰り広げるためボールを追いきれなかった。

 「.......。(どうやら、わしゃエンジン全開にせねばいけんのぉ!)」

 龍谷はサーブの構えに入る。彼は渾身の一撃を撃ち出さんとばかりにトスを高々に上げ、思いっきり体に力を入れた。影村はこのフォームに見覚えがあった。スイスで切磋琢磨したメンバーの一人、芝のコートが得意なジャック・ロブロドだった。

 「......。(ジャック...。)」

 ジャックのサーブはバウンドしてから不思議と地面を縫うように早く低空飛行だった。彼はこのサーブでヨーロッパ中のスピン系プレーヤーの墓標を築いていった。影村も彼に勝ったのは数回だった。メンバー達はこのサーブを毒蛇ヴァイパーと呼んでいた。

 「...ぉぉあ゛っ!」

 龍谷が声と共に猛烈なフルスイングでフラットに若干のスライス回転が乗った球足の速いサーブが打ち出される。影村は龍谷が自分を外に出すため彼のフォアハンド側を狙う。影村は既にフォアハンドの準備が整っていた。ボールは思った以上に蛇行しなかった。影村はラケット面を合わせて龍谷の方へと返した。影村はラリー戦をのぞんでいた。

 「...!(ラリー戦か!おもっしれぇぇぇ!)」

 龍谷は比較的緩めに返って来たボールを、まるでパワーをためる様に大きく振りかぶり、思いっきり打ち出した。凄まじい音と共に打ち出されたボールは程よくスピンがかかり、影村の立っている位置のフォアハンド側へと向って行った。影村はアンディとのパワーラリー勝負を思い出していた。練習の時に行うパワーラリー勝負。相手のラケットが振れなくなるまで永遠とフォアハンドのみを狙って打ち合う勝負。影村とアンディは体力バカだったため、いつも勝負の決勝戦を行っていたほどだった。

 「...フン!」

 影村は龍谷のフォアハンドを狙って打ち返す。打ち返されたフォアハンドを龍谷はまたフォアハンドで打ち返す。そして影村もまたフォアハンドでそれを打ち返すといったパワー型のフォアハンドストロークの応酬が永遠と続く。しかしそれは影村のプレースタイルに気づかされないまま龍谷が押されてゆくことになる。

 「...!(なんじゃ!球が返ってくるのが速い!なんじゃけぇこりゃぁ!)」

 龍谷はまだ影村のプレースタイルに気が付いていなかった。影村はコンパクトなテイクバックから相手のボールがバウンドしきる前のボールを打つライジング気味のストローク。5回ほどラリーが続いた時点で、龍谷が後ろへ下がらされていく。影村がベースラインの内側でボールを打つのに対して、龍谷はベースラインの1メートル後ろで打たされていた。

 「.........ックゥ!」

 龍谷のボールがネットにかかって落ちた。影村と龍谷のパワーラリーの初発4球のボールのスピードは軽く150キロを超えていた。審判はキャパシティがオーバーしていた。

 「0-40ラヴ・フォーティ!(ヤバイヤバイヤバイヤバイ!この子達マジでやばいボール飛んでこないで!)」

 審判の女性は2人のあまりのボールの威力と速さに半べそを掻いて震えていた。見かねた他のスタッフがコートに入ってきて審判台へと近づいた。少しの間スタッフと審判が話し合うと、今度は男性が審判台へと上がり審判の交代を宣言する。女性の審判は恐怖のあまりダッシュでコートから出て行った。

 「すまない君達。」

 「よか。」
 「あぁ。」

 影村も龍谷もそれぞれが淡々と返答を返すとさっさと自分のポジションへと突いた。龍谷は混乱していた。今までに見たことない無名の選手。そんな選手に天才と持ち上げられた自分が1ゲーム取られそうになっている。相手は同じ体格の男。龍谷は深く深呼吸して、ボールを突いた。龍谷はまた先ほどと同じく全力でサーブを打つもネットに引っ掛ける。

 「.........。(スピンサーブで崩してみるかのぉ。)」

 龍谷はトスを上げた後、若干体気後ろ気味に偏った。影村はそれを見過ごさなかった。龍谷はスピンサーブを放つ。通常回転系のサーブを打つと球速は落ちるが、龍谷の場合はファーストサーブより少し落ちるだけで、180キロ台をキープしていた。影村はコンパクトテイクバックからバックハンドの態勢に入り、ボールが跳ね上がる前にラケットにボールを当てた後すぐに振りぬいた。リターンエース。サービスはバウンドによって効果を発揮する前に対処されていた。

 「...ゲーム、影村!」

 「............(なんじゃ...何なんじゃこやつは!これほどの衝撃があったか!わしから1ゲーム取りよった...国内5人の天才以外に敵なしと云われたわしが...こりゃぁ...楽しかばい!これ程の衝撃があったのぉ!わしゃ、最高に幸せもんじゃ!)」

 国内で5人の天才以外に1ゲームを取られる。龍谷は空を見て大きく息を吸う。伊草は衝撃を受ける。影村の事を社会人と思った彼女は、彼がどこかの企業スポンサーの下でプレーしているであろう社会人選手だと思っていた。

 第2ゲーム影村にサービスゲームが回って来た。影村は淡々と表情を変えず、龍谷から打たれたボールをキャッチした。一つをポケットに入れて、残り1つをラケットで突きながらベースラインの後ろへ下がる。影村は1回だけボールを突くとサービスの構えに入る。

 「......。(なんじゃ、1回しかボール突かへんのか。何ちゅう...クローズ...。)」

 影村はサーブを打ち終わった。龍谷は既に影村のサーブが打ち終わっていたことに気が付く。彼の頭は混乱していた。今日この試合で、彼の中で “常識という名の何か” が崩壊した。

 「15-0フィフティーン・ラヴ!」


 「......。(速度は180キロぐらいなのに、なんで取れんのじゃ。なんでじゃ。いや、なんじゃこの感覚は...動けない...身体が動けんじゃと!?)」

 影村のサービスは相手にとってかなりの驚異だった。極端なクローズスタンスにより、ラケットの軌道が見えにくい。全ての球種を同じトスで打つ。さらには肩の可動域が広く、ラケットがボールに当たる直前で読みを変えてコースを打ち分けることができる。

 「30-0サーティ・ラヴ.....40-0フォーティ・ラヴ....。」


 影村のサーブに反応できない。龍谷は影村のサーブが飛んでくるであろう位置を予測するも、ラケットの振りだしの軌道が読めず。更に的確に狙った場所をついてくるので体が反応できないでいた。

 「ゲーム、影村...。」

 「......。(こりゃぁ...飛んでもなかバケモンに出会ってまったかもしれんぞ。)」

 審判は影村のゲームを終わらせる速度が速すぎて唖然としていた。東京都杉並区の一角にあるテニスコートで、メディアに知られることのない決勝戦が人知れず静かに幕を開けた。
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