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Record.6

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 平日の昼間

 影村は携帯端末への着信に気が付く。メッセージの送り主はとある大会運営からだった。彼は携帯端末の画面を開き、メッセージの文面を読んだ。そこには影村が出場する大会の内容が書かれていた。

 4月22日 午後19時00分

 牧野南蔦みなみまきのづたテニストーナメント 

 場所:牧野南蔦公園テニスコート
 参加費:7500円
 参加サークル名 アウトサイダーズ 影村義孝 1名


 影村は黙って画面を閉じた。放課後彼は駅の改札口を横切って縦長のコインロッカーの前へと向かう。ロッカーのカギを開けると、彼が愛用している軍用の縦長の布袋を取り出す。この袋の中にテニスウェア、愛用のラケット、テニスシューズ、タオルなど、テニスの試合に必要なものが色々と入っている。

 彼はそれを担ぐと帰宅する方角とは逆方向の電車へと乗り込んだ。そんな彼の背中を見つめる一人の女子高生の姿があった。彼女は女子テニス部の副主将の吉永だった。影村は彼女に気が付かず、NujabesやTHE Mad Capsule Marketsなどの音楽を聴きながら座席に座っていた。

 吉永は影村の様子を見ながら、川合にメッセージを送っていた。

 “帰りの電車でビッグフット発見!”
 “ビッグフット!まさか、地元が同じ方向なの?”
 “わからない、音楽聞きながらじっとしてる”
 “付いてっちゃう?(; ・`д・´)”
 “ストーカーじゃん(笑)”
 “だよねー!付いてっちゃえ!”
 “ケーサツ呼ばれる!あいつが!”

 影村を尾行しろという川合のメッセージに吉永は困惑したが、彼女は岡部への弄りネタができると思い、そっと彼の後を付けることにした。どんな恥ずかしい姿を晒すのか期待に胸を膨らませる吉永を余所に、影村はブレザーの上着を脱ぎ、その後カッターシャツを脱いだ。シャツの下にはテニスウェアが着こまれていた。ウェアから彼の腕が露わになるも、それを見た吉永は絶句する。尋常ではない筋肉の筋の入り方。遠目から見てもわかる程に鍛えこまれたそれは最早彫刻だった。

 「.........。(なんだよ...あの腕...どんだけ鍛え込んだらあんなに筋肉が隆起すんだよ!)」

 吉永は純粋に鍛えこまれた腕を見たのは初めてだった。影村は袋からバンダナを取り出した。吉永はビッグフットのあだ名の原因になっている影村の伸びきった前髪の下を見たことがない。

 「.........。」

 彼女は影村の素顔を見た。影村は前髪を上げてバンダナを巻き始めた。男らしく整った精悍な顔つき、その目は凛々しく、その眼差しは真っすぐに遠くを見る様に透き通っていた。彼女は日本人が忘れていたであろう凛々しく男らしい男性像を目の当たりにし胸が高鳴った。

 “事件!ビッグフットが素顔を晒した!”
 “え!本当!?”
 “電車の中で上半身だけテニスウェアに着替えてる。”
 “え、どう?イケメン?”
 “...男らしい”
 “意味不明よ!詳しく教えて!教えて!芸能人で言うと誰!?”
 “竹野内豊?の彫りを深くした感じ!”
 “うそ!?そこに居かったぁ!><”

 彼女はムフフフとにやけ顔で携帯端末で川合とメッセージのやり取りをする。彼女は巨大な影の接近に気が付いてなかった。がさりと物音がする。目の前に誰かが立っている。吉永は携帯端末から顔を上げると、そこに影村が立っていた。影村は彼女に気が付いてなかったようだ。

  “  まもなく、南牧野蔦 南牧野蔦 です。  ”

 低い声の電車のアナウンスが淡々と次の役の名前を伝える。吉永は精悍な影村の顔に目を奪われる。影村は電車が止まり、扉が開くと直ぐに下車していった。彼女は扉が閉まる音で我に返る。

 「.........。」

 吉永夏帆、生まれて初めての“いい男”を目にする。竹下とは全く対照的な格好良さを持つ影村。翌日、影村の素顔を撮影するのを忘れて落ち込んだ彼女の姿があったそうだ。
 

 南牧野蔦公園テニスコート

 南牧野蔦テニススクール主催のナイトテニストーナメント。その会場に影村はいた。

 「はい。男子シングルスですね...(デッケェ...何だこいつプロかよ)」

 受付の男性は影村の姿を見て目が点になっていた。圧倒的身長、体格。最早別の意味で場違いである。彼は受付を済ませると、更衣室で制服ズボンを脱ぎ、完全なテニスウェア姿となり、観客席のベンチへと腰掛ける。彼の隣でコンビニのおにぎりを頬張る一人の男の姿があった。ボサボサの髪に、白いTシャツ、紺色のズボン、オレンジ色のテニスシューズを履いており、ラケットはYonexの製品を使用していた。表情はどこかやさぐれていた。


 田覚浩正たかくひろまさ 職業 陣内東詰じんのうちひがしづめテニススクール ヘッドコーチ 

 後に影村達アウトサイダーズと契約し、海生代高等学校男子テニス部のコーチとして部の礎を築く男であり、この物語の語り部となる男である。

 「兄ちゃん、プロか?」
 「....いや。」
 「勿体ねぇな。」

 “受付ナンバー13番の田覚さんと18番の清水さん。まもなく試合が始まります。受付までお願いします。”

 「あんたほどの男なら、この大会よりもっと賞金の多いところへ行けると思うぜ。」
 「そうかい。」
 「じゃあ、また決勝戦でな。」

 田覚は立ち上がるとラケットバッグを持って自分が試合を行うコートへと足を運ぶ。影村は目で彼の背中を追うも、自分の試合前にコールされるアナウンスを聞き我に返る。

 “受付ナンバー22番影村さんと16番の川辺さん。まもなく試合が始まります。受付までお願いします。”

 試合前の受付を終えた影村は、ニューボールを貰って、ストレッチをしながら次の試合が始まるのを待っていた。無言でストレッチをする彼の姿を見て、対戦相手の川辺は開いた口が塞がらなかった。


 影村は体格が大きく筋肉も常人より発達しているが、その割に体の柔軟性が高く、股割りを行えば股間が地面についてしまう程に柔軟性がある。肩の柔らかさも尋常ではなく両腕の肘が背中の真中で触ることができる程に肩の可動域が広かった。

 川辺も今大会に参加する大人のテニス上級者である。今大会上位に食い込むほどの実力だった。影村は自分達の前に試合をしていた面々がコートから出てくると、彼は川辺と共に無言でコートに入った。2人はコートの真中にあるネットの前に立つ。

 川辺の身長は176センチ。対して影村は190センチあり、今大会最大身長だった。あからさまにこの大会で突出した強さを持つであろう彼を前に審判は困惑した。

 「では、これから影村さんと川辺さんの試合を始めます。試合は2セットマッチで行います。ではコイントスをします。影村さんどちらですか?」
 「表。」

 審判がコインを弾いてそれを手の甲と反対側の手で挟んでキャッチした。挟んだ上の手を離すと、コインは手の甲の上で表を向いていた。

 「影村さん、どちらを取りますか?」
 「コート。」

 影村は川辺のいる側のコートを指さした。川辺と影村の位置が入れ替わる。ゲーム中の次のコートチェンジで元の配置に戻る。通常コイントスで勝った場合はサーブを取る選手が多い中、影村は絶対にコートを選択する。彼はコートに入るなりその周囲の環境、照明の見え方などを分析する。夜間の照明は水銀灯が多く、眼に光が入ると視界に光の線が残りボールを見失うことがある。この為いきなりサーブ権を取るのではなく状況に合わせてサーブとレシーブを選んでいく。

 「1セットマッチ、川辺 トゥー サーブプレイ。」

 審判がコールを行い試合が始まった。影村はつま先で軽く飛びながら、ベースラインの内側でラケットを構えていた。川辺は彼の待機位置を見て困惑した。

 通常ファーストサーブを受ける側はベースラインの外側で待っているものだが、影村はラインの内側で待機するというスタイルである。今まで試合を行ってきた中でのイレギュラーな存在を前に彼はファーストサーブを打ち込む。上級者の成人男性が打ち込むサーブは優に150キロを超える。

 「......。(見たことないスタイルのやつだな。やりにくいわぁ。)」


 川辺の打ったファーストサーブは、サービスラインの真中を捉え影村のバックハンドサイドへ飛んできた。ボールがバウンドし、影村のバックハンド側へと直進するも、ボールは影村のコンパクトフォームから繰り出されたバックハンドスイングに捉えられる。ラケット面の真中、スイートスポットにクリーンヒットしたボールは川辺の打ったファーストサーブより速いスピードで、コート内の立ち位置とは反対側の誰もいない場所へバウンドした。川辺はただボールを目で追う事しかできなかった。

 「ラ...0 - 15ラヴ・フィフティーン...」

 審判も一瞬の出来事で、ポイントが入ったことに気が付かなかったため慌ててスコアをコールする。

 「......。(え――!?)」

 川辺はこれまのテニス人生で見たことのない状況に混乱する。気を取り直して次の立ち位置へと移動し、2球目のファーストサーブの構えに入る。

 影村の動きのプロセス。相手がサーブのトスを上げたところでその場でつま先で軽くジャンプするスプリットステップを行う。相手のラケットを持つ腕の肘の位置、ラケットの持ち方、ボールを打ち出す時のラケットヘッドのボールのあたり面を見て、どちらにボールを打つのかをその刹那の瞬間に予測して前へと出る。この時同時にフォアハンド、もしくはバックハンドの予備動作である肩を小さく回すテイクバックが完了しており、いつでもラケットを振り出せる状態となる。後はラケットをボールに当てて、相手のいない方向へボールを打つというものだが、これを毎ポイント熟すことは常人では到底不可能に近いものである。

 「ラ...0-30ラヴ・サーティ...」

 川辺は、影村がふざけているようには見えていなかった。これが彼のプレースタイルなのだと一瞬で理解した。審判は今まで見たことがないプレースタイルに言葉を失う。

 川辺が3球目のファーストサーブを打つも今度はコンパクトスイングされたフォアハンドの餌食となり3ポイント連続リターンエースの憂き目に遭ってしまう。150キロ台のサーブをベースライン内で叩き返される。次は回転系のサーブを打とうとするも、影村の威圧感により精神的に押されてダブルフォールトに終わってしまった。

 
 「チェンジコート...」


 影村と川辺がベンチを経由してコートを入れ替わる。テニスにおいて1セットマッチは1ゲーム、3ゲームと奇数ゲームごとにコートをチェンジするルールとなっている。大会によっては3ゲーム終了後にベンチで休憩をとる場合もある。

 影村が川辺からボールを貰う。1つをポケットに入れてもう1つをラケットでボールを突きながら移動してサーブを行う位置へと立った。影村はまるでウォーミングアップのようにリラックスした状態でサーブを打った。普通の何の変哲もない軽い球出しの様なフォーム。しかし影村の打ったそれは川辺のファーストサーブ以上に球速があった。

 「15-0フィフティーン・ラヴ

 川辺はこの時不思議な感覚に陥る。影村が撃ったウォーミングアップ程度のサーブ。飛びつけば届くものを川辺は全く身体が動かず、ボールに触れる事ができない。

 影村は淡々と次のサービス位置へと移動する。そしてまた同じようにウォーミングアップ程度のサービスを打つ。軽く打っているのに相手は全くボールを取ることができない。というよりはコースが判っているのに体が動かないのである。

 「30-0サーティ・ラヴ........40-0フォーティ・ラヴ......ゲーム影村...。」

 川辺はコートの上で起こっている状況が理解できずにただ淡々と影村にゲームを取られていく。サービスはファースト・セカンドサーブ関係なく全てをリターンエースされ、影村のサービスゲームでは体が1歩も動くこと敵わず、ラケットがボールに触れる事すらできない。

 「ゲームセット 6-0シックス・ラヴウォン バイ 影村...」

 審判はネットを挟んで握手する影村と川辺を見て、黙ってスコアボードを影村に渡した。影村はラケットを布袋へと入れる。布袋を担いだ影村はコートの外へと出て行った。このゲーム及び試合に不正はなかった。審判はこの大会の後に行われた運営の打ち上げの際、自身が今まで審判してきた試合の中で最速のゲーム終了記録だったと語る。その試合時間はたった8分と少しであった。


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