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第21話:魔女の敵に「一緒に生きよう」と彼は言った件
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魔女の裁判は、すぐに収束した。
悪いのは、革命家の娘。
悪いのは、レジスタンスの発信源『リブレリーア』。
悪いのは、すべてあの令嬢。
愚かなのは、魔女を束ねるヴァーテンホール。
それでも子爵はなにも咎められることなく、すべて穏健な魔女たちの思惑通りに事が進んだ。
悪役を演じたあの娘の嘘を知るのは、たったの数人だった。
そして、彼女の行方は誰にもわからなかった。
***
涙が全然止まらない。よくあの場所で涙腺が決壊しなかったと思う。
ひとりで立つこともできないくらい、頭が割れそうなくらい、私は泣いていた。
その間、泣きじゃくる私をダイドはずっと抱えてくれた。
今も。ダイドの腕の中、また馬でお尻を痛めながら暗い夜道を駆け抜ける。
「ラピス。大丈夫?」
ダイドの優しい声が頭に響く。それだけで、少し頭が割れそうになった。
息もできないくらい。こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。
無反応でいるわけにもいかず、私は重たい頭を振った。やっぱり激痛がした。
「追手も来てないみたいだ。いったん、俺の家に行くけど、それでいい?」
私は黙ったまま2度小さく頷き、ダイドにしがみついた。
「…………分かった。」
――あの時。
メアリーから魔女の裁判の場所を聞き出した時。私はまたもダイドを頼ってしまった。
メアリーにドレスを急ごしらえで着せてもらい、町民たちの目も憚らず、私はダイドの家に駆けこんだ。
そして、馬であの場所まで走ってもらったのだ。
我ながら、人に甘えないと何もできないのだと実感する。
無力すぎて、自分を呪いたくなる。
何が『ラピス・ラズリは未完成を埋める石』だ。未完成だし未熟じゃないか。私の名は体を表す気がないとしか思えない。
ダイドには念のため覆面をしてもらったが、荒事にならなくて本当に良かった。
これでダイドまで魔女に追われる羽目になったら、目も当てられない。
だけれど魔女たちは、誰一人として私たちを追ってこなかった。
――子爵の顔ときたら。
何よ、あんなに青ざめちゃって。
なんだか今更ながら可笑しくなってきた。おかしくなっているのは私の頭の方だとは思うのだけれど。
ブレトンも、ミケルも、アーノルドも変な顔してた。
でも多分、もう一生会わないだろう。
ああ、目が熱い。涙ってなんでこんなに熱いのだろう。
***
「ベッド、使っていいから。」
ダイドの家に着くと、ダイドは温かいミルクを入れてくれた。
「悪いから……床で寝るわよ。」
やっとまともに声が出た。
「ダメ。さすがにそれは、俺が困るから。」
「……ダイドまで困らせたら、私は舌を噛み切って死ぬべきね。」
私は頷いて、ベッドの上に腰を掛けた。
温かいミルクは体に沁みた。甘くて、優しい。
「これからどうしよう……。」
ぼんやりと呟いた。
なんにも考えていなかったのだ。
「身分証とか、城においてきちゃった。お金も……。」
「うん。そうだね。でも、今日は疲れたでしょう。だからもう寝な。」
ダイドがぽんと、頭を撫でてくれた。もう頭は痛まなかった。だけどぼろりと涙が落ちて、ミルクに波紋を作った。
「……ラピス。」
「うっ……――」
ああ、だめだ。
嗚咽が醜く零れた。これは、取り繕えるような感情の嵐ではなかった。
私は何度も呻いて、再び咳き込むくらい咽び泣いた。
ダイドが肩を抱いて優しく何度も頭を撫でてくれた。
「ねぇラピス。しばらくうちにいたらいいよ。」
「……どうして?」
「きっと子爵が君を探す。」
びくっとした。
それは、ある意味想定内だった。あんな結末を子爵は認めないだろう。
「君のご両親のところに君を届けることもできるけれど。そこはきっとすぐ見つかってしまう。」
「……此処だって同じじゃない?」
「俺はシラを切りとおす自信があるからね。灯台下暗しともいう。此処なら子爵以外の魔女はほとんどいないしね。まぁ、ご両親にこの複雑な話をするっていうなら、それは止めないけど。きっと誰かの協力がなければ、匿うのは無理だよ。」
「……はは。つい昨日までヴァーテンホールの愛人を名乗っていたくせに、私がその魔女の長を貶めて、すべての魔女から恨みを買ったって話をしたら、彼らきっと卒倒するわね。」
非常に話しにくい。私だってもうすぐ20歳だ。これから大変な両親を巻き込むのは気が引けるし、やっぱりアルブにいるのは危険だと思った。
「迷惑じゃないの……?」
「迷惑じゃないよ。少し不自由な思いはさせてしまうけれど。しばらくうちに留まって、これからどうするか決めればいい。」
私は頷いた。
そして気が付けば意識が途切れ、眠りに落ちていた。
***
がやつく店内。紅茶と、少しの煙草の匂い。小説のページをめくる音。
そして、向かいの椅子が引かれた音。
「……図太いね。君。」
ダイドがいつも昼間に利用している屋外カフェ。テーブルを挟んで向かい側にブレトンが座った。
「何がですか?」
ダイドは首を傾げた。
「神経の話をした。」
「ははっ、まぁ昔から心臓には毛が生えている気がしてます。」
ブレトンは呆れた顔をした。それはこのたとえ話への同意のサインでもあった。
「あの晩の、次の日も普通に出勤してたよね。」
「あの晩?何の話ですか?」
シラを切る。
「……ラピスは今どこ?」
「ラピス?城にいないんですか?」
切る。
「いないよ。ご存知のとおり。荷物は全部城にあるけどね。」
「あはは、城から逃げ出す若い娘の話は時々聞きますね。」
切る。
「……ほんと、いやらしいくらい。食えねぇな。君。」
ブレトンはため息をついた。
ダイドはふふっと笑った。
「褒めてないから。」
「褒め言葉ですよ。」
あのブレトンが口で勝てない。
「子爵が後日君の家に向かう。ラピスがいるなら、出してください。」
「どうして?」
ダイドの目が鋭くなった。口はまだ笑っている。
「俺には、何の話だかさっぱり見えませんけれど。」
前置く。
「決死のお芝居にいちゃもんをつけるのは、観客としてマナーがなっていないと思いますよ。興ざめだ。」
「…………いい度胸だね。本当。」
ブレトンは眉をひそめた。
「不躾なのは詫びますよ。なんせ生粋の武民だ。あまり期待しないでもらいたい。」
ダイドは立ち上がった。
「いつも俺の家まで尾行てくれるのは構いませんが、家の中まで押し入った時は子爵家相手とはいえ、容赦しませんよ。正当防衛です。」
「……気づいてたんなら、声をかけてくれてもよかったんだよ?」
ブレトンがにやっと笑った。
「すみません。俺、人見知りするので。」
嘘つけ、とブレトンは心の中で叫んだ。
本を畳み、お金を置いてダイドは席を立つが、数歩歩いたところで思い出したように振り向いた。
「ブレトンさんは、本当はラピスに逃げてほしいと思っているでしょう?」
ブレトンは少し目を見開いた。
「そのほうがお互い幸せだ、って。今だって、子爵がラピスに会ったところで決着がつかないと思ってる。」
「……君さ。」
「できることは納得のいかない挨拶だけだ。ラピスは面と向かってさよならを言った。その勇気を、尊重してはいかがですか。」
ブレトンは顔をしかめたまま、何とか笑顔を取り繕った。
「君、本当に嫌な奴だね。」
「はは!ブレトンさんほどじゃないです。」
そう言ってダイドは軽く会釈をし、去って行った。
「まーじムカつくな。あんにゃろう。」
ひとり残ったブレトンの、独り言。
***
「どういうことですの!?」
悪役を演じる際、モデルにされたご令嬢が叫ぶ。
「あの小娘が!革命家の娘!?しんっじられませんわ!」
ミケルに事の顛末を聞いたリリスは憤っていた。
「まぁ本人が、そう言い切っちゃったからね……。」
「あんな世間知らずそうで無垢な小娘が!そんなはずありませんわ!」
「うん。褒めてるのか、けなしてるのか、よくわからないけど、同意だよ。あれは嘘だね。」
ミケルは苦笑いをした。
「どうしてですの!?」
「うーん。リリスには難しいかもしれないけれど。」
ミケルはリリスを撫でながら言う。
「身を破滅させることで、相手を救えるなら、自分の方を壊したい。と思う感情は存在するんだ。」
「……はぁ?」
ああ、やっぱりわからないらしい。
「身を呈して、相手を救いたい。それくらい愛しているということだよ。」
「…………愛……。」
リリスは少し拗ねたような顔をした。
「私には分かりませんわ。私は、ハッピーエンドしか認めたくないもの!私が幸せで、相手が幸せな愛が良いわ。」
ミケルはははと笑い、そんなリリスを優しく抱きしめた。
「そうだね。俺も、誰にも死んでほしくなんてなかったよ。」
「し!?死んだんですの?!あの方!?」
「あっ……あはは。違う違う。そうじゃないよ。」
ミケルは慌てて訂正した。
「俺の大事な人の話。」
「……大事な人?」
初めて聞いた。
ミケルは社交界ですさまじくモテるが、特定の女性と浮名を流したことはなかった。その点は子爵と同じで、徹底していた。
「そう。その人もね、愛する人のために、自分を投げ打ったんだ。……や、自分だけじゃないな国ごと……――」
「……国?」
「ううん。今のは言い過ぎた。ごめん忘れてリリス。少し感傷に浸ってしまったみたいだ。」
ミケルはリリスを撫でて、微笑んだ。
「ミケルの愛したその人は……。」
「ん?」
リリスが純粋な目でミケルを見上げた。
「幸せだったのかしら?」
「……どうかな。」
「幸せだったら、いいわね。せめて。私はそれを望むわ。」
「そうだね……。優しいリリス。君はいつまでも純粋に、人を愛しておくれ。」
ミケルはとても寂しげに笑い、そして目を閉じた。
***
不思議だった。
1週間ほどたっても、子爵はおろか、ブレトンさえダイドの家を訪ねてこなかった。
あの時の覆面男がダイドだったことも、ダイドの家もばれているに決まっていたし、きっと私がまだ此処にいることもばれていると思った。それでも、本当に案外誰も私を探しに来なかった。
私はというと閉め切ったダイドの家の中、ずっと日の光も浴びずに1週間過ごしていた。
それは全然苦じゃなかった。そもそも本があればある程度引きこもりがちな性分なので、ダイドが持って帰って来てくれる本で時間をつぶすことができたのだ。
気になることと言えば、ダイドがずっと床の上に寝袋を置いて寝ていることだ。
この国にはほとんど四季がなく、年中通して温かいのだが、このままではさすがに風邪をひいてしまう。
「……存外、期待してたのかしら。」
子爵が私を探しに来ることを。
そう思うと、自分が愚かに思えて恥ずかしかった。
馬鹿だな。
こんな一庶民にいつまでもこだわるはずがない。
ちょっと考えればわかることだ。
勘違いしてはいけない。私は子爵の『特別な君』なんかじゃないのだ。
いつでも切り捨てられる。そういう雇用関係だったはずだ。
でも、最後に子爵が言ってくれた言葉。あれだけは忘れたくないし、本当に嬉しかった。
少なくとも、私は彼にとって温かい存在になれたのかもしれないと、自惚れられるから。
だって私は、そのために借金を払い終えるまでは、子爵の側で働くと決めたのだから。
「ただいま。ラピス。」
「あ、ダイド!お帰り!」
ダイドはまた片手に本を持って帰ってきた。私が笑うと、彼は優しい笑顔を返してくれた。
「な、なんかごめんね。いつまでも居座っちゃって……。」
「ううん。ひとり暮らしって案外寂しいからさ。新鮮でいいや。」
ああ、なんという善人なのだろう。
「新しい本?」
「うん。『ラピス・ラズリ』だよ。ラピスの名前の石の話だ。」
「!」
ドキッとした。
その本は、子爵の書庫で私が修理したあの本だった。本のサイズは少し小さかったが、おそらく同じものだろう。
「……あ、ありがとう。」
そして胸がズキリとした。どうしても城を思い出してしまったからだ。
「少しは元気出た?」
浮かない顔をしてしまったからだろう。ダイドは心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「あ!うん!もう結構!元気いっぱい!ご、ご飯作ってあるから食べて!」
「あ、ありがとう。」
「……料理は正直ダイドのほうが上手だけど……。」
「あはは、嬉しいよ。ありがとう。」
ダイドはどんな料理もおいしそうに食べてくれた。
「ラピス、今後どうするか。決めた?」
びくっとした。
その自問は、数千回すでに頭の中で行われ、一切回答が自分の中でも返ってこない問だったのだ。
「あ、急かしてるわけじゃないから。」
「う、うん。ありがとう。……や、正直どうしたらいいかって……思ってる。」
私は頭を少しひっかいて俯いた。
「でも、子爵への借金については、両親が用意した分と合わせて、返せるように。どこかで働きたいって思ってる。さすがに借金をしたままっていうのは、気持ちが悪いし。」
「……子爵に何処にいるかばれても?」
「ば、ばれない方法を考える。」
頭の悪い子みたいな回答だ。本当に私って頭に塩が足りないな。
「それだけは、やりたい。でもそれができるならきっとどこでもいい。アルブとブロイニュは、ちょっと危険そうだから……働くなら離れたいけど。」
もちろん、都に帰ることも考えたが、そこは子爵や貴族、それから革命軍を目の敵にする者たちと出会う可能性があるので、それも避けたかった。
ダイドは数秒黙って、私の方をじっと見て、意を決したように言った。
「たしかに。このままじゃ、それは叶わないね。」
「う、うん。だからどこかに……。」
「君が許してくれればだけれど。」
「え?」
ダイドの目が、まっすぐ刺さる。私の瞳に。
「此処を出るときは、俺も一緒に行くよ。」
「……え?」
「君が許してくれるなら、一緒に生きよう。ラピス。」
数秒。
その言葉の意味について思考した。
そしてそれが、ある種の告白めいたものであることに気づき、私の顔はひどく熱を持ってしまった。
「え!?」
聞き返す。これが精一杯だ。
そんな私を見て、ダイドは優しく微笑んだ。
「俺は、ラピスとなら楽しく生きれると思ってる。だから、どこにでも。君の許しがあれば、一緒に行くよ。」
「あ……あの!え……!?これって!?」
ああ、逃げ場がない。
今この密室で私に逃げ場はない。
「あはは!すごい顔。」
「すごい顔!?」
それはものすごく赤いという意味だろうか。
にっこりと笑ったダイドは、一度ゆっくりと瞬きをして、それから少し困った顔でもう一度微笑んだ。
「だけど、きっと君はもう答えを出してるね。」
「……え?」
ダイドのことは好きだ。こんなに優しい人はきっといないだろう。
だけど、首を横にも縦にも振れなかった。
私は、どうして固まってしまっているんだろう?
「私、は……。」
何か、言葉を絞り出そうとした。
その時だった。
――ドンドンドンドン!!!
ひどい音が玄関の戸から鳴り響いた。
「ひっ!?」
私は驚いて跳ね上がってしまう。
「下がってて。」
ダイドはすっと表情を鋭くし、剣を取って玄関まで向かった。
「誰?」
問う。
「私よ!メアリーよ!ラピス!いるんでしょう!?」
それは意外な人物だった。
「め、メアリー?」
何で?
ダイドはちらっと私の方を見て、どうするかの判断を目で仰ぐ。
私は首を振って沈黙を貫くことを伝える。
「お願いダイド!ラピスと話をさせて!ラピス!いるなら返事して!」
だがそれはある種の緊急事態を思わせる声で、私は怯んでしまった。
「……開けるよ?」
ダイドはその心を読みとったのか、剣を左手に持ったまま扉を開けた。
私の怯んだ体は、それを止める反射神経を持っていなかった。
「ラピス!」
扉の向こうにはメアリーがメイド姿のままそこに立っていて、部屋に飛び込んできた。
「メ、メアリーあなたどうして……!」
抱きついてきたメアリーをしっかり抱き留め、問う。
「ラピス……!あなたしかいないの、あなたしか止められないの!」
「え?は?」
メアリーの様子はまさしく必死だった。
「何の話?」
「子爵が!」
子爵。という言葉に思わず体が固まる。
「子爵が……!ミケル様を!」
「子爵がミケルを、何……?」
不吉な予感を感じた。
そしてそれは、やはり。
「殺すって……!」
的中するのだ。
一切、理由は分からないけれど。
***
自宅の庭園で、ミケルはベンチに座り本を読んでいた。
ふと、読んでいた本に影がかかったので、ミケルは顔を上げて本を閉じた。
「来るかなぁって思ってた。」
そして、そこに立っている子爵に柔らかく笑いかけた。
「ウィル。話があるんだよね。俺に。」
子爵は全く表情を変えずにゆっくりと近づき、ミケルが腰を掛けているベンチに座った。
無言。
沈黙の中、ミケルがにこにこしているのに対し、子爵の顔はこわばっていた。
「……俺から話すべき?ウィル。」
子爵は答えない。
ミケルはくすっと笑った。
「ラピス・リブレリーアは、見つかった?」
「……探していない。それに、その話じゃない。」
「探してない?ほんとかな。あんな大根役者の迫真の演技を見せられて、心打たれないなんて。」
子爵は答えない。ちらりともミケルのほうを見なかった。
「あの子が特別な理由はよくわかったよ。ウィル。悪いことを言わないから、すべてを放り投げてでも手を離すべきじゃない。あの子はさながら、特別な君の未完成を埋める、ラピス・ラズリだ。」
「……ミケル。」
ミケルはふうと息をついた。
「別に今のは、時間稼ぎとかじゃない。本当に伝えたいから伝えた話だよ。ウィル。それは忘れないでほしい。」
子爵は両手を合わせて人差し指を額に、親指を顎につけた格好でゆっくりと頭を下げた。
それはうなだれているように見えて、泣いているようでもあった。
「顔を上げてよ、ウィル。俺はお前を困らせたかった訳じゃないんだ。」
ざあっと風が吹いた。枯れた落ち葉が庭を往く。
「ただ、国王が憎かっただけなんだ。」
悪いのは、革命家の娘。
悪いのは、レジスタンスの発信源『リブレリーア』。
悪いのは、すべてあの令嬢。
愚かなのは、魔女を束ねるヴァーテンホール。
それでも子爵はなにも咎められることなく、すべて穏健な魔女たちの思惑通りに事が進んだ。
悪役を演じたあの娘の嘘を知るのは、たったの数人だった。
そして、彼女の行方は誰にもわからなかった。
***
涙が全然止まらない。よくあの場所で涙腺が決壊しなかったと思う。
ひとりで立つこともできないくらい、頭が割れそうなくらい、私は泣いていた。
その間、泣きじゃくる私をダイドはずっと抱えてくれた。
今も。ダイドの腕の中、また馬でお尻を痛めながら暗い夜道を駆け抜ける。
「ラピス。大丈夫?」
ダイドの優しい声が頭に響く。それだけで、少し頭が割れそうになった。
息もできないくらい。こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。
無反応でいるわけにもいかず、私は重たい頭を振った。やっぱり激痛がした。
「追手も来てないみたいだ。いったん、俺の家に行くけど、それでいい?」
私は黙ったまま2度小さく頷き、ダイドにしがみついた。
「…………分かった。」
――あの時。
メアリーから魔女の裁判の場所を聞き出した時。私はまたもダイドを頼ってしまった。
メアリーにドレスを急ごしらえで着せてもらい、町民たちの目も憚らず、私はダイドの家に駆けこんだ。
そして、馬であの場所まで走ってもらったのだ。
我ながら、人に甘えないと何もできないのだと実感する。
無力すぎて、自分を呪いたくなる。
何が『ラピス・ラズリは未完成を埋める石』だ。未完成だし未熟じゃないか。私の名は体を表す気がないとしか思えない。
ダイドには念のため覆面をしてもらったが、荒事にならなくて本当に良かった。
これでダイドまで魔女に追われる羽目になったら、目も当てられない。
だけれど魔女たちは、誰一人として私たちを追ってこなかった。
――子爵の顔ときたら。
何よ、あんなに青ざめちゃって。
なんだか今更ながら可笑しくなってきた。おかしくなっているのは私の頭の方だとは思うのだけれど。
ブレトンも、ミケルも、アーノルドも変な顔してた。
でも多分、もう一生会わないだろう。
ああ、目が熱い。涙ってなんでこんなに熱いのだろう。
***
「ベッド、使っていいから。」
ダイドの家に着くと、ダイドは温かいミルクを入れてくれた。
「悪いから……床で寝るわよ。」
やっとまともに声が出た。
「ダメ。さすがにそれは、俺が困るから。」
「……ダイドまで困らせたら、私は舌を噛み切って死ぬべきね。」
私は頷いて、ベッドの上に腰を掛けた。
温かいミルクは体に沁みた。甘くて、優しい。
「これからどうしよう……。」
ぼんやりと呟いた。
なんにも考えていなかったのだ。
「身分証とか、城においてきちゃった。お金も……。」
「うん。そうだね。でも、今日は疲れたでしょう。だからもう寝な。」
ダイドがぽんと、頭を撫でてくれた。もう頭は痛まなかった。だけどぼろりと涙が落ちて、ミルクに波紋を作った。
「……ラピス。」
「うっ……――」
ああ、だめだ。
嗚咽が醜く零れた。これは、取り繕えるような感情の嵐ではなかった。
私は何度も呻いて、再び咳き込むくらい咽び泣いた。
ダイドが肩を抱いて優しく何度も頭を撫でてくれた。
「ねぇラピス。しばらくうちにいたらいいよ。」
「……どうして?」
「きっと子爵が君を探す。」
びくっとした。
それは、ある意味想定内だった。あんな結末を子爵は認めないだろう。
「君のご両親のところに君を届けることもできるけれど。そこはきっとすぐ見つかってしまう。」
「……此処だって同じじゃない?」
「俺はシラを切りとおす自信があるからね。灯台下暗しともいう。此処なら子爵以外の魔女はほとんどいないしね。まぁ、ご両親にこの複雑な話をするっていうなら、それは止めないけど。きっと誰かの協力がなければ、匿うのは無理だよ。」
「……はは。つい昨日までヴァーテンホールの愛人を名乗っていたくせに、私がその魔女の長を貶めて、すべての魔女から恨みを買ったって話をしたら、彼らきっと卒倒するわね。」
非常に話しにくい。私だってもうすぐ20歳だ。これから大変な両親を巻き込むのは気が引けるし、やっぱりアルブにいるのは危険だと思った。
「迷惑じゃないの……?」
「迷惑じゃないよ。少し不自由な思いはさせてしまうけれど。しばらくうちに留まって、これからどうするか決めればいい。」
私は頷いた。
そして気が付けば意識が途切れ、眠りに落ちていた。
***
がやつく店内。紅茶と、少しの煙草の匂い。小説のページをめくる音。
そして、向かいの椅子が引かれた音。
「……図太いね。君。」
ダイドがいつも昼間に利用している屋外カフェ。テーブルを挟んで向かい側にブレトンが座った。
「何がですか?」
ダイドは首を傾げた。
「神経の話をした。」
「ははっ、まぁ昔から心臓には毛が生えている気がしてます。」
ブレトンは呆れた顔をした。それはこのたとえ話への同意のサインでもあった。
「あの晩の、次の日も普通に出勤してたよね。」
「あの晩?何の話ですか?」
シラを切る。
「……ラピスは今どこ?」
「ラピス?城にいないんですか?」
切る。
「いないよ。ご存知のとおり。荷物は全部城にあるけどね。」
「あはは、城から逃げ出す若い娘の話は時々聞きますね。」
切る。
「……ほんと、いやらしいくらい。食えねぇな。君。」
ブレトンはため息をついた。
ダイドはふふっと笑った。
「褒めてないから。」
「褒め言葉ですよ。」
あのブレトンが口で勝てない。
「子爵が後日君の家に向かう。ラピスがいるなら、出してください。」
「どうして?」
ダイドの目が鋭くなった。口はまだ笑っている。
「俺には、何の話だかさっぱり見えませんけれど。」
前置く。
「決死のお芝居にいちゃもんをつけるのは、観客としてマナーがなっていないと思いますよ。興ざめだ。」
「…………いい度胸だね。本当。」
ブレトンは眉をひそめた。
「不躾なのは詫びますよ。なんせ生粋の武民だ。あまり期待しないでもらいたい。」
ダイドは立ち上がった。
「いつも俺の家まで尾行てくれるのは構いませんが、家の中まで押し入った時は子爵家相手とはいえ、容赦しませんよ。正当防衛です。」
「……気づいてたんなら、声をかけてくれてもよかったんだよ?」
ブレトンがにやっと笑った。
「すみません。俺、人見知りするので。」
嘘つけ、とブレトンは心の中で叫んだ。
本を畳み、お金を置いてダイドは席を立つが、数歩歩いたところで思い出したように振り向いた。
「ブレトンさんは、本当はラピスに逃げてほしいと思っているでしょう?」
ブレトンは少し目を見開いた。
「そのほうがお互い幸せだ、って。今だって、子爵がラピスに会ったところで決着がつかないと思ってる。」
「……君さ。」
「できることは納得のいかない挨拶だけだ。ラピスは面と向かってさよならを言った。その勇気を、尊重してはいかがですか。」
ブレトンは顔をしかめたまま、何とか笑顔を取り繕った。
「君、本当に嫌な奴だね。」
「はは!ブレトンさんほどじゃないです。」
そう言ってダイドは軽く会釈をし、去って行った。
「まーじムカつくな。あんにゃろう。」
ひとり残ったブレトンの、独り言。
***
「どういうことですの!?」
悪役を演じる際、モデルにされたご令嬢が叫ぶ。
「あの小娘が!革命家の娘!?しんっじられませんわ!」
ミケルに事の顛末を聞いたリリスは憤っていた。
「まぁ本人が、そう言い切っちゃったからね……。」
「あんな世間知らずそうで無垢な小娘が!そんなはずありませんわ!」
「うん。褒めてるのか、けなしてるのか、よくわからないけど、同意だよ。あれは嘘だね。」
ミケルは苦笑いをした。
「どうしてですの!?」
「うーん。リリスには難しいかもしれないけれど。」
ミケルはリリスを撫でながら言う。
「身を破滅させることで、相手を救えるなら、自分の方を壊したい。と思う感情は存在するんだ。」
「……はぁ?」
ああ、やっぱりわからないらしい。
「身を呈して、相手を救いたい。それくらい愛しているということだよ。」
「…………愛……。」
リリスは少し拗ねたような顔をした。
「私には分かりませんわ。私は、ハッピーエンドしか認めたくないもの!私が幸せで、相手が幸せな愛が良いわ。」
ミケルはははと笑い、そんなリリスを優しく抱きしめた。
「そうだね。俺も、誰にも死んでほしくなんてなかったよ。」
「し!?死んだんですの?!あの方!?」
「あっ……あはは。違う違う。そうじゃないよ。」
ミケルは慌てて訂正した。
「俺の大事な人の話。」
「……大事な人?」
初めて聞いた。
ミケルは社交界ですさまじくモテるが、特定の女性と浮名を流したことはなかった。その点は子爵と同じで、徹底していた。
「そう。その人もね、愛する人のために、自分を投げ打ったんだ。……や、自分だけじゃないな国ごと……――」
「……国?」
「ううん。今のは言い過ぎた。ごめん忘れてリリス。少し感傷に浸ってしまったみたいだ。」
ミケルはリリスを撫でて、微笑んだ。
「ミケルの愛したその人は……。」
「ん?」
リリスが純粋な目でミケルを見上げた。
「幸せだったのかしら?」
「……どうかな。」
「幸せだったら、いいわね。せめて。私はそれを望むわ。」
「そうだね……。優しいリリス。君はいつまでも純粋に、人を愛しておくれ。」
ミケルはとても寂しげに笑い、そして目を閉じた。
***
不思議だった。
1週間ほどたっても、子爵はおろか、ブレトンさえダイドの家を訪ねてこなかった。
あの時の覆面男がダイドだったことも、ダイドの家もばれているに決まっていたし、きっと私がまだ此処にいることもばれていると思った。それでも、本当に案外誰も私を探しに来なかった。
私はというと閉め切ったダイドの家の中、ずっと日の光も浴びずに1週間過ごしていた。
それは全然苦じゃなかった。そもそも本があればある程度引きこもりがちな性分なので、ダイドが持って帰って来てくれる本で時間をつぶすことができたのだ。
気になることと言えば、ダイドがずっと床の上に寝袋を置いて寝ていることだ。
この国にはほとんど四季がなく、年中通して温かいのだが、このままではさすがに風邪をひいてしまう。
「……存外、期待してたのかしら。」
子爵が私を探しに来ることを。
そう思うと、自分が愚かに思えて恥ずかしかった。
馬鹿だな。
こんな一庶民にいつまでもこだわるはずがない。
ちょっと考えればわかることだ。
勘違いしてはいけない。私は子爵の『特別な君』なんかじゃないのだ。
いつでも切り捨てられる。そういう雇用関係だったはずだ。
でも、最後に子爵が言ってくれた言葉。あれだけは忘れたくないし、本当に嬉しかった。
少なくとも、私は彼にとって温かい存在になれたのかもしれないと、自惚れられるから。
だって私は、そのために借金を払い終えるまでは、子爵の側で働くと決めたのだから。
「ただいま。ラピス。」
「あ、ダイド!お帰り!」
ダイドはまた片手に本を持って帰ってきた。私が笑うと、彼は優しい笑顔を返してくれた。
「な、なんかごめんね。いつまでも居座っちゃって……。」
「ううん。ひとり暮らしって案外寂しいからさ。新鮮でいいや。」
ああ、なんという善人なのだろう。
「新しい本?」
「うん。『ラピス・ラズリ』だよ。ラピスの名前の石の話だ。」
「!」
ドキッとした。
その本は、子爵の書庫で私が修理したあの本だった。本のサイズは少し小さかったが、おそらく同じものだろう。
「……あ、ありがとう。」
そして胸がズキリとした。どうしても城を思い出してしまったからだ。
「少しは元気出た?」
浮かない顔をしてしまったからだろう。ダイドは心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「あ!うん!もう結構!元気いっぱい!ご、ご飯作ってあるから食べて!」
「あ、ありがとう。」
「……料理は正直ダイドのほうが上手だけど……。」
「あはは、嬉しいよ。ありがとう。」
ダイドはどんな料理もおいしそうに食べてくれた。
「ラピス、今後どうするか。決めた?」
びくっとした。
その自問は、数千回すでに頭の中で行われ、一切回答が自分の中でも返ってこない問だったのだ。
「あ、急かしてるわけじゃないから。」
「う、うん。ありがとう。……や、正直どうしたらいいかって……思ってる。」
私は頭を少しひっかいて俯いた。
「でも、子爵への借金については、両親が用意した分と合わせて、返せるように。どこかで働きたいって思ってる。さすがに借金をしたままっていうのは、気持ちが悪いし。」
「……子爵に何処にいるかばれても?」
「ば、ばれない方法を考える。」
頭の悪い子みたいな回答だ。本当に私って頭に塩が足りないな。
「それだけは、やりたい。でもそれができるならきっとどこでもいい。アルブとブロイニュは、ちょっと危険そうだから……働くなら離れたいけど。」
もちろん、都に帰ることも考えたが、そこは子爵や貴族、それから革命軍を目の敵にする者たちと出会う可能性があるので、それも避けたかった。
ダイドは数秒黙って、私の方をじっと見て、意を決したように言った。
「たしかに。このままじゃ、それは叶わないね。」
「う、うん。だからどこかに……。」
「君が許してくれればだけれど。」
「え?」
ダイドの目が、まっすぐ刺さる。私の瞳に。
「此処を出るときは、俺も一緒に行くよ。」
「……え?」
「君が許してくれるなら、一緒に生きよう。ラピス。」
数秒。
その言葉の意味について思考した。
そしてそれが、ある種の告白めいたものであることに気づき、私の顔はひどく熱を持ってしまった。
「え!?」
聞き返す。これが精一杯だ。
そんな私を見て、ダイドは優しく微笑んだ。
「俺は、ラピスとなら楽しく生きれると思ってる。だから、どこにでも。君の許しがあれば、一緒に行くよ。」
「あ……あの!え……!?これって!?」
ああ、逃げ場がない。
今この密室で私に逃げ場はない。
「あはは!すごい顔。」
「すごい顔!?」
それはものすごく赤いという意味だろうか。
にっこりと笑ったダイドは、一度ゆっくりと瞬きをして、それから少し困った顔でもう一度微笑んだ。
「だけど、きっと君はもう答えを出してるね。」
「……え?」
ダイドのことは好きだ。こんなに優しい人はきっといないだろう。
だけど、首を横にも縦にも振れなかった。
私は、どうして固まってしまっているんだろう?
「私、は……。」
何か、言葉を絞り出そうとした。
その時だった。
――ドンドンドンドン!!!
ひどい音が玄関の戸から鳴り響いた。
「ひっ!?」
私は驚いて跳ね上がってしまう。
「下がってて。」
ダイドはすっと表情を鋭くし、剣を取って玄関まで向かった。
「誰?」
問う。
「私よ!メアリーよ!ラピス!いるんでしょう!?」
それは意外な人物だった。
「め、メアリー?」
何で?
ダイドはちらっと私の方を見て、どうするかの判断を目で仰ぐ。
私は首を振って沈黙を貫くことを伝える。
「お願いダイド!ラピスと話をさせて!ラピス!いるなら返事して!」
だがそれはある種の緊急事態を思わせる声で、私は怯んでしまった。
「……開けるよ?」
ダイドはその心を読みとったのか、剣を左手に持ったまま扉を開けた。
私の怯んだ体は、それを止める反射神経を持っていなかった。
「ラピス!」
扉の向こうにはメアリーがメイド姿のままそこに立っていて、部屋に飛び込んできた。
「メ、メアリーあなたどうして……!」
抱きついてきたメアリーをしっかり抱き留め、問う。
「ラピス……!あなたしかいないの、あなたしか止められないの!」
「え?は?」
メアリーの様子はまさしく必死だった。
「何の話?」
「子爵が!」
子爵。という言葉に思わず体が固まる。
「子爵が……!ミケル様を!」
「子爵がミケルを、何……?」
不吉な予感を感じた。
そしてそれは、やはり。
「殺すって……!」
的中するのだ。
一切、理由は分からないけれど。
***
自宅の庭園で、ミケルはベンチに座り本を読んでいた。
ふと、読んでいた本に影がかかったので、ミケルは顔を上げて本を閉じた。
「来るかなぁって思ってた。」
そして、そこに立っている子爵に柔らかく笑いかけた。
「ウィル。話があるんだよね。俺に。」
子爵は全く表情を変えずにゆっくりと近づき、ミケルが腰を掛けているベンチに座った。
無言。
沈黙の中、ミケルがにこにこしているのに対し、子爵の顔はこわばっていた。
「……俺から話すべき?ウィル。」
子爵は答えない。
ミケルはくすっと笑った。
「ラピス・リブレリーアは、見つかった?」
「……探していない。それに、その話じゃない。」
「探してない?ほんとかな。あんな大根役者の迫真の演技を見せられて、心打たれないなんて。」
子爵は答えない。ちらりともミケルのほうを見なかった。
「あの子が特別な理由はよくわかったよ。ウィル。悪いことを言わないから、すべてを放り投げてでも手を離すべきじゃない。あの子はさながら、特別な君の未完成を埋める、ラピス・ラズリだ。」
「……ミケル。」
ミケルはふうと息をついた。
「別に今のは、時間稼ぎとかじゃない。本当に伝えたいから伝えた話だよ。ウィル。それは忘れないでほしい。」
子爵は両手を合わせて人差し指を額に、親指を顎につけた格好でゆっくりと頭を下げた。
それはうなだれているように見えて、泣いているようでもあった。
「顔を上げてよ、ウィル。俺はお前を困らせたかった訳じゃないんだ。」
ざあっと風が吹いた。枯れた落ち葉が庭を往く。
「ただ、国王が憎かっただけなんだ。」
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